最終更新日3月9日
竜騎奮迅
第八話
(18)
執務机に向かうアグレスは、扉がノックされる音に手を止めた。
「遅くまでのお仕事、ご苦労様です」
メシュリーナが盆に載せた飲み物を自ら持ってきた。
「竜士として鍛錬を行うとはいえ、領主としての仕事を放り出す訳にもいかぬからな」
そう答えながらも、言われて初めて既に深夜と呼んで差し支えのない刻限になっている事にアグレスは気づいた。油に灯をともした薄明かりの元で細かな字を読んでいたのでは竜士として必須の視力を弱めかねない。
自省しなければならない、とアグレスは思った。今は、領主としての仕事に専念できかねる情勢なのだから。
その思いが顔に出たらしい。メシュリーナの表情にも翳りがさした。
「お身体のほうが心配ですわ」
「この程度の雑事で調子を崩すようなら、どのみち槍試合で勝てるはずもなかろう」
なにも、メシュリーナを安堵させるための方便のつもりはない。乗竜に騎乗しての鍛錬を再開してはや二ヶ月。竜士としての感覚を日に日に取り戻しているという手応えを掴んでいる。槍さばきの切れ味は一年前と比較しても遜色ないはずだ。
アグレスが殊更に笑い飛ばすと、メシュリーナの表情からも憂色が消えた。
「いよいよ、ライアット殿の戦いぶりを観戦できますね。明日が待ち遠しいですわ」
「そうだな」
明日に控えた予選大会第五戦の舞台は、他ならぬアグレスが治める地・バグナドであった。領主であるアグレスは大会の主催者として検分席にて観戦することになる。
その気になれば自ら竜を駆ることが認められていない訳ではないが、アグレスは自らの主催する試合にわざわざ出場するつもりは無かった。
「きりの良いところでお休みになって下さいまし。観戦中にあくびなどしていては、笑われますよ」
「判っている。それはお互い様だからな」
「そうでしたわね」
メシュリーナは少しおどけたような仕草でドレスの裾を持ち上げて一礼する。アグレスも微笑を浮かべてそれに応じた。
彼女が退室してしばらくの後、数名の影が執務室に滑り込んできた。
それに気づいたアグレスは席を立ち、執務机から離れて窓際まで歩き、闇に沈んだ景色に目を向けた。表情は、さきほどまでメシュリーナに見せていた穏やかなものから一変している。
振り返ることもせず、背後で片膝を付いて控える者達に向け、言った。
「貴様らには、再び仕事をしてもらわねばならん」
「はっ。なんなりと」
彼等の頭目が短く応じる。アグレスはその返事に、満足げにうなずいた。
アグレスの躍進の陰には、隠密工作を得意とする彼等の存在がある。
最近まで准竜士に過ぎなかったアグレスが、どのようにして隠密工作員を雇うことが出来たのか、と言えば、アグレス自身が元はリムギア大陸で活躍していた工作員の傍流にあたる家系の出であるからだ。
そのつてを用い、前回大会で優勝して正竜士になった直後に大陸から呼び寄せたのだ。
大陸での戦乱も収まり、血なまぐさい謀略を得意とする彼等に活躍の場は次第に失われつつあった。その為もあって、アグレスは優秀な人材を確保できていた。
彼等の最初の仕事は、他ならぬライアットを流言によってエストニカ竜士隊から追い落とすことであった。その後も、領内での治安維持に重用していた。アグレスは彼等に単に自分の良い噂を広めさせるだけではなく、時には反抗的な人物の暗殺さえ行わせていた。
もちろん、メシュリーナは彼等の存在自体に気づいていない。
「今度は少しばかり難事になるかもしれぬ」
「ライアットを討て、と申されるので?」
頭目が先回りして問うた。
「そうだ。だが、今日明日の話ではない。全国大会が始まる直前だ。それまでに手はずを整えよ」
「御意。すでに見張りを付けております」
「話が早くて助かるが、不満そうだな」
アグレスは、頭目の語調に含まれた意味に気づいていた。そもそも、彼等が自ら問いを発すること自体、不同意の証のようなものだった。彼等は、了承すればなにも言わずに仕事を成し遂げる。
「どうせ殺すのであれば、最初からそうしておけば、と思いましたので。明日は御前での試合となります。御自らの目の前でライアットの死に様を観覧なさりたいのか、と」
「そういう趣味はない。それに私は何も、謀略だけでこの地位を確保した訳ではない。やらずにすむのなら、それに越した事は無かったが……」
「出過ぎた事を申しました」
「構わぬ。それに、頼みたいのはそれだけではない。あの男を討つことは難しいかもしれんからの。二の手、三の手を考えておかねばならぬ」
「はっ」
アグレスは腹案をいくつかのべた。それを聞き終え、影達は姿を消した。
一人残されたアグレスは、思わず小さな吐息を漏らした。
頭目の問いに対する返事は、本当の意味では返事になっていなかった。なぜ今頃になってライアットの命を狙わせるのか、と自らに問いかけている。
理由は判っている。しかし、それを素直に彼等に話す気にはなれなかった。
(私は、怯えている)
恐らく頭目は、アグレスの怯えに気づいていたのかも知れない。侮られたかもしれない、とさえ思う。
だが、もう後戻りは出来ないのだ。
(19)
観客席のざわめきが、薄暗い竜士控え室にまで響いてくる。既に全ての試合が終わったにも関わらず、余韻を楽しむかのように多くの客が未だ席を立たずに残っているらしい。
その落ち着かない空気を感じながら、ライアットは静かに胸甲を外した。
「俺達は獅子の河を渡ったのだ」
ため息をつくような呟きが漏れた。彼の故郷・フェテリアでの言い回しであり、最も厳しい時期をくぐり抜けた、というほどの意味だった。
その重みからすれば、そう簡単に口に出来る言葉ではなかった。
だが、アグレスの眼前で、見事に優勝を決めてみせたのだ。獅子の河を渡った、という表現に見劣りする成果ではあるまい。
全六戦で戦われる予選大会の第五戦まで終え、全て優勝。そしてその直後、最終戦を待たずしてウラドの竜騎槍試合運営委員会から、ライアットの全国大会出場を報せる使者が訪れたのだ。
すでに誰の目にも、全国大会行きは間違いないと思われていたが、やはり公式に認められたとなると感慨はひとしおであった。
そしてそれ以上に、ライアットにとって今日の勝利は、アグレスに叩きつけた挑戦状そのものだった。
地元ということもあって、アグレス配下の准竜士が数名、今回の予選大会にのみ参加していたのだ。
一戦のみ出場したところで全国大会へ進出するには不十分であるが、無意味とはいえない。成果を残せば領主であるアグレスからそれなりの報償も期待できるからだ。
だが、ライアットはそれら血気に逸る准竜士達も一蹴してみせたのだ。
これでもアグレスが全国大会に出場しなければ、今度は彼の力量が疑われる事になるのだ。アグレス自身も自覚している通り、勝ち逃げは許されない。
全国大会で、アグレスと戦える。もう、なにも気を揉む必要はないだろう。戦って、勝つだけだ。
「これからですよ、御大将」
「そうだぜ、なんつったって、これからアグレスをブッ倒すんだろ?」
装具を外すのを手伝っているフィレルとトレアに相次いで励まされ、ライアットが苦笑する。
「その通りだ。獅子の河を渡りきった訳ではなかったな」
と、その表情が不意に冷たく凍り付いた。
その視線の先に、控え室の戸口に立っているメシュリーナの姿を見出し、フィレルもまた言葉を失っていた。トレアだけが事情を飲み込めずにきょとんとしている。
「このようなところまで足を運んで頂き、恐縮です。ですが、私は全国大会でアグレス殿と相まみえる筈の相手です。よろしいのですか?」
ライアットが脱ぎかけていた竜士服を着直し、片膝をついて臣下の礼の形をとる。浪人の身の上とはいえ、竜騎槍試合を主催する領主の妻であり、礼を失してよい相手ではない。
メシュリーナは、花がほころぶような笑顔になって頷いた。その後ろでは、付き添っている侍女がどんな顔で控えていれば良いのか分からない様子で、あたふたとしている。
「わが夫・アグレスの許可は得ております。……よくぞ、ここまで戦ってこられました。竜士隊を追われたと聞いたときは本当に残念でした。夫も再び槍を交えることを楽しみにしていると申しております」
感慨深げな口調には、なにか声が涙に濡れているような響きがあった。
「それは私も同じです」
そう答えるライアットの瞳に一瞬暗い炎が立ち上ったが、顔を伏せている為にメシュリーナには見て取ることが出来なかった。
「遺恨のあるなしはともかくとして、全力を尽くしてくれることを期待します。夫もそれを望んでおります」
メシュリーナの言葉は柔らかで、優しい心が充分にこもっていた。もっともライアットの心中に期す思いを知っていれば、同じ言葉を口に出来たかどうか判らない。
「大丈夫です。全力を尽くすことをお約束しますよ」
それからしばらく、昔話になった。境遇は全く違うとはいえ、二人ともウラドの街を離れて半年以上になる。
「全国大会、頑張って下さいましね」
メシュリーナは最後にそう言い残し、去っていった。
部屋の薄暗ささえ忘れさせるような華やかな声の主が姿を消すと、観客席からのざわめきが再び聞こえはじめた。
「気取ってやがらぁ」
メシュリーナの姿が戸口の向こうに消えたのを待ちかねるように、トレアが吐き捨てた。フィレルも浮かぬ顔でライアットの表情を伺うだ。
「御大将、もしかしてメシュリーナ姫様のお心は、まだ御大将に向いているのではありませんか」
その問いかけに、ライアットの代わりにトレアが答えた。
「あれっ、フィレルはさっきの言いぐさを、そんな風にとった訳? アタシには、『どうせウチの旦那にはかなわないんだから、逃げ出すなら今のうちよ』ってな皮肉だと思ったけどな」
「メシュリーナ姫様はそのような底意地の悪いことを仰る方ではありません!」
フィレルがむっとなって言い返す。ライアットがもし前回の全国大会に優勝していれば、メシュリーナはライアットの妻となっていたはずだ。
そのため、フィレルにとって、メシュリーナを侮辱されることですら、ライアットの存在を傷つけられるような気がするらしい。
「だけどさ……」
「フィレルの言う通りだぞ、トレア。メシュリーナ姫は、言葉の裏に別の意味を込める真似はしない」
ライアットが厳しい口調でトレアの軽口をたしなめると、すごすごと引き下がったトレアにかわってフィレルが身を乗り出した。
「御大将、では――」
「その詮索はやめておこう。アグレスの許可を得てここに来た、といっていたことを考えれば、メシュリーナ姫当人に策略の意図はなくても、アグレスにしてみれば俺が彼女と会うことで、多少なりとも動揺するという読みがあるはずだからな」
「なるほどね」
トレアがにやつきながらうなずく。
「御大将……」
「心配するな、フィレル。俺は動揺などしていない。むしろ自分でも驚くほど冷静だ。アグレスを倒せば、メシュリーナ姫を悲しませると判っていてもな」
自らに言い聞かせるように言い切ったライアットの表情は、とても無敗で予選大会を勝ち続けている男とは思えないほど苦渋に満ちていた。
(20)
年末年始をはさんでおよそ九十日ほど、竜騎槍試合が行われない期間がある。
いかに国民が楽しみにしていようと、エストニカの冬はそれなりに寒く、吹きさらしの観客席で長時間の観戦は厳しいものがあった。竜士にとっても負担が大きい。
そして、予選大会を経て全国大会に出場する竜士達は連戦で疲れ切っており、その中には、予選大会の最中に怪我を抱えたものも少なくない。公正を期す意味でも試合を行わない期間が必要とされていた。
もちろん、ただ体を休めているだけでは腕が鈍る。全国大会出場者は、この期間のうちに体調を万全に整え、技量の低下を防がねばならない。
昨年までは准竜士のライアットは特に身の置き場に困ることもなく、ウラドの王城に併設された竜牧場で最終調整を行ったものだが、浪人となった今はそうもいかない。
しばし思案した後、ライアットは、ノード族の村に戻ることにした。住み慣れたノードの岩山であればグレーバウルも落ち着くだろうし、生まれて初めての長旅を経験してさすがに里心がついているであろうトレアを故郷に返してやりたかった。
「ここに戻ってくるのは、全てが終わった後だと思っていたが」
岩山地帯と林の切れ目へと三人を乗せたグレーバウルが、そんな事を言いながら降り立つ。
「俺もそのつもりだったがな。なにぶん、まったく先の見えない状態で、予定など立てられなかった」
ライアットも苦笑混じりにそう言い訳する。
グレーバウルの帰還を知った若い竜が数頭集まってくる。その様子を見ながらライアット達は徒歩で村に向かう。
彼等を真っ先に出迎えたのは子供達だった。
木々に埋もれるような村の家々は変わっていなかったが、服装が異なっていた。旅立ちの際にトレアが言っていたように、みな冬用の厚手の服を作って身にまとっているのだ。
高い木々の中に溶け込む村は、風こそないが太陽の光が充分に届かないせいで日中もあまり気温があがらないようだった。
村に着いたライアット達は、真っ先にトレアの実家でもある族長の家へと向かった。
「ただいま戻りました」
トレアが、さすがに弾んだ声をあげる。
ほとんど村から出ることのないノード族の人間がこれほど長期に渡って家を出て、しかも当たり前のように戻ってくることなど滅多にないのだろう。族長はどう出迎えて良いのか分からぬ様子で、気難しげな顔でうなずいただけだった。
「残念ながら、まだ竜をお返しに来たのではないのです」
ライアットは族長に告げた。少なからぬ落胆の表情を見せた族長に向け、ライアットは言葉を継いだ。
「必ず春の全国大会では勝利し、その暁にはグレーバウルを凱旋させたく思います」
こうして再び、鍛錬に明け暮れる日々がやってきた。
「貴公はまだ、強くなれる余地を残しておる」
グレーバウルはそう断言し、ライアットもまた過酷な試練に自ら進んで取り組んでいった。
「なんだかここにいると、時間の流れを忘れてしまいそうになります」
フィレルもぼやきとも安堵ともつかぬ言葉を漏らしつつ、また村人達に料理や裁縫を教えたりする日々を楽しんでいるようだった。
もっとも、彼女にはトレアが一度だけかいま見せた精霊魔法に対する興味もあった。それとなく村人に訊ねてみたりするが、こちらのほうはたいした成果もなかった。
精霊魔法は族長の一族だけが使うことを許されているようで、そもそもこの村では魔法を積極的に生活を豊かにする方策として活用するつもりがないらしかった。
トレアが、自分が使った事を族長には黙っているように、と念押ししていたこともあり、精霊魔法の研究は諦めざるを得なかった。
そして、旅立ちの日がやってきた。
グレーバウルは自ら岩山を出て、村はずれの台座へと降り立った。竜以外は入ってはいけない、とライアットがトレアに怒られた場所だ。
何事かと集まった村人達を前に、グレーバウルが厳かに口を開いた。
「儂はこれより、ライアットと共に戦いの場へと赴く。この戦い自体は一日で決着の付く試合に過ぎない。が、儂はその後もこの地には戻らず、ライアットと行動を共にするつもりじゃ」
平伏していた村人達の間から、ざわめきが起こる。
「どういうことだ?」
ライアットも驚きをを隠せない。村人達の一番後ろでグレーバウルの言葉を聞いていたのだが、黙っていられずに思わず声を挙げたほどだ。
「貴公は生まれついての竜士。乗竜がなくては立ち往生もしようて」
諭すような柔らかな口調でグレーバウルは言った。
「俺は大歓迎だが、しかしノードの人々達はどうなる」
「ここに住まう竜は儂だけではないのでな。若い竜共にも言い含めておる。充分に村を見守っていけるじゃろう」
「……判った。では行くか」
ライアットとフィレルは既に荷物をまとめている。あとはグレーバウルの背に乗ってウラドへと乗り込むだけだった。
「ちょっと待ってよー、アタシも行くんだから」
フィレルを促して台座へと足を進めていたライアットの元へ、旅装を整えたトレアが駆けてきて、そのままの勢いで飛びついてきた。
「トレア、グレーバウルはもうここには戻ってこないんだ。一緒には行けない」
「ヤだ。アタシは絶対に、グレーバウルと、ライアットに付いていく。そう決めたんだから」
トレアはそう言って、ライアットの手を振り切ると真っ先にグレーバウルの背中に跨ってしまった。
「いいのか、族長?」
ライアットは助けを乞うように振り返って、他ならぬトレアの父親である族長の姿に訊ねた。大事な跡継ぎが村から飛び出していい筈がない。
「この村は、変わらねばならん時が来ておるのかも知れん……。外の世界を受け入れる事は簡単ではないが、トレアがその先鞭をつけてくれるのであれば、この旅立ちもやむを得まい」
族長は力無く呟いた。村人達も黙りこくってその言葉を聞き入っている。
「判ってる。ありがとう、父さん。なにも一生帰ってこないなんて言ってないからさ。絶対いつか戻ってくるから」
グレーバウルの背中から、トレアが明るい声を張り上げる。
「しょうがない跡継ぎですね。私達の世界は、彼女には刺激が強すぎたんでしょうかね」
やれやれといった調子でフィレルが頭を振る。口元には笑みが浮かんでいるのは、ある程度こうなるという予想がついていたからかも知れない。
「かも知れないな。こうなれば、せいぜい見聞を広めさせてやるまでだ。もっとも、俺にもそんな事を言っていられる余裕はあまりないがな」
アグレスに勝つ。それから先のことは、ほとんど考えられないままにライアットは戦いの日を迎えようとしていた。
(21)
ライアット達がウラドの街に到着したのは、大会開催の二日前。この日は闘技場で対戦の組み合わせ抽選が実施される。
もっとも、抽選される余地はあまりなく、既に大まかな対戦は運営側によって決められていた。なにもライアットが自ら抽選に参加してクジを引く訳ではない。
全国大会への参加が初めてではないライアットには、そのことは最初から判っていた。だが、さすがに闘技場前の高札に大きく記された組み合わせ表を見て、眉をひそめる。
アグレスの対戦相手には、綺羅星のごとき出場者の中にあっては経歴で見劣りする思われる竜士が散見された。順当に行けばアグレスが決勝にまで勝ちあがるのは難しくないだろう。あまりといえばあまりにあからさまであった。
そしてライアットは、アグレスとは全くの別組に名前が記されている。
従って決勝戦にまで勝ち残らねばアグレスと相まみえることは叶わないが、ライアットの組には名だたる正竜士や、予選大会の決勝で槍を交えた古強者達が集中していた。
アグレスの策謀による結果という訳ではないだろう。前年優勝者であり、王家の血を引くメシュリーナ姫の婿がそう簡単に負けては困る運営側の思惑が透けて見えた。
「まあ、結局全部勝てばおんなじ事だよ」
トレアの言葉にライアットも気を取り直した。闘技場に隣接する竜舎にグレーバウルを託し、宿をとる為に街中へと出る。
全国大会を間近に控え、街の雰囲気も一種、殺気立っていた。
人々にとって竜騎槍試合は単なる祭りや娯楽の域を越えていた。国営の正式なものだけでなく、非合法な賭けがあちこちで行われているようだ。
組み合わせが発表になった事で、単純に優勝者を予想するだけでなく、準優勝や準決勝進出者などを全て的中させる難易度の高い賭けも開始され、これも人気を博していた。賭けの予測が難しければ難しいほど、当たった時に得られる配当金は莫大なものとなる。
去年までウラドに居宅を構えていたライアットには、この街には定宿がない。もっとも、宿を見つけるにはほとんど苦労はいらなかった。すぐに部屋を二つ取ることが出来た。
「なんか、すごい騒ぎだね。ライアットの名前を出した途端、宿屋の人が、ここに泊まっていた客を追い出しちゃったんだって?」
ベッドに腰を降ろしたトレアが大きなため息と共に肩を回した。人混みの中にい続けると、やはり気疲れするらしい。
「らしいですね。竜士を泊めるのは、宿にとっては商運を招くと言われているそうですし。特に強い竜士はなおさら」
「ふうん。いろいろあるんだ。街の仕組みがわかんなくて、疲れることが多いよ」
「言いながら、貴女は結構楽しんでいるみたいだけど?」
フィレルが、トレアが手にしている賭けの竜券を睨んだ。
「あ、これ? そりゃ、ライアットが勝つって決まってるんだから、買っとかないと損だし」
「仮にも御大将の従者が、不謹慎です」
「えっ、なんで――」
竜券をひらひらとさせたトレアが何か言い返そうとしたとき、扉が軽く叩かれた。
「少し、グレーバウルと話でもしてこようかと思う」
ライアットが少しだけ扉を開き、言った。
「こんな夜にですか?」
「ああ。気が高ぶって眠れそうもないからな」
ライアットとしては珍しく、気弱げな笑いを浮かべた。
「わたしもお供致します」
「いや。少し静かに気を落ち着けたくてな。散歩がてら歩いておきたいんだ」
「そうですか。よからぬ輩が、ろくでもないことを企まないとも限りません。夜道はお気をつけ下さい」
「ああ。気を付けよう」
竜舎には、見張りの係員が数名いる他は、人影は無かった。
基本的に、知性ある竜が理由もなく暴れることなどありえないし、また馬などと違って盗みに入ろうとする者がいる筈もない。踏みつぶされるのがオチだ。
そのせいか、警備は意外と厳重ではない。ライアットの顔を見ただけで、何も言わずに通してくれる。
巨大な竜舎は太い柱と分厚い壁で区切られている。基本的には馬の厩舎をそのまま巨大化させたような作りになっている。
結構な距離を延々と歩き、とぐろを巻くグレーバウルの元にたどり着いたライアットは、その首元に歩み寄った。
「いよいよ明後日は全国大会だ。これまでよく戦ってくれた。あと少しの辛抱と思って、付き合ってくれ」
「あまり老いぼれだということを思い出させんでくれ。これほどまでに気力が充実しているのは久々のことなのだ」
グレーバウルが首をもたげた。その顔は笑っているつもりなのだろうが、ライアットも竜の微妙な表情まで読みとるのは難しい。
「そういうものか」
「むろん、生半可な竜士を乗せるぐらいならば、ノードの岩山に籠もっておったほうがマシだった。だが、貴殿は見込んだ以上の強さだった。貴殿の乗竜となったことを誇りに思っておる。もはやザフォートを超えておるやもしれんな」
グレーバウルの思いがけない言葉に、ライアットは面食らった。
かつてグレーバウルを駆り、ザエリラムを率いて戦った英雄ザフォート。グレーバウルが英雄竜と呼ばれるのもその為だ。そのグレーバウルが、ライアットの技量がザフォートを上回っているという。
「それが確かなら嬉しい話だが、残念ながらそうは思えないな。それに、ザフォートが英雄と呼ばれるのは、軍を率いて勝利を重ね、民には善政を行ったからだ。俺にはそんな才能はない。どこまで行っても、ただの竜士だ」
「確かに貴殿に策は似合わぬ」
グレーバウルは巨大な顎を開き、吼えた。今度は声を挙げて笑っているらしい。
「だろう?」
「だが、だからといって将器がないとも言えぬ」
グレーバウルに言わせれば、将としてもっとも必要なものは人徳だという。本人が例えなんの力を持たなくとも周りに自然と人が集まり、その才能を使いこなす者こそ真の将である、と。
「それが俺にある、と?」
グレーバウルは巨大な頭を上下させて肯定の意を示した。わざわざ人間と同じ動作で態度を示す必要はないのだろうが、グレーバウルのほうで判りやすくしているらしい。
「貴公はフェテリア再興の為に、立つ気はないのか。いや、先日槍を交えたロテティ=スゴーの為に戦うというのでも構わないが」
「なぜそう俺をけしかける」
苦笑を浮かべて、ライアットは答える。
「単純な、興味だ。ザフォートにも劣らぬ竜士が、復讐を終えた後に何を望むのか、それを見届けたいと思ってな」
「復讐か」
ライアットの行動は、結局はその言葉に集約される。
自らを破っただけではあきたらず、エストニカの竜士隊からも追放に追い込んだアグレスを倒す。それだけを胸に抱いて日々を過ごしてきた。その先のことは、敢えて考えずに来た。
「とりあえずはその復讐が終わってから考えるつもりだった。ともかく、アグレスに勝てると決まった訳ではないのだから」
「少なくとも、貴公を負けさせるような飛び方はせんよ」
「期待しておこう。アグレスはただ強いだけではなく、狡猾だ。予測も付かない手を使ってくるかもしれん。俺の頭ではそう細かなところにまで気が回らない。俺が奴の手にはまりそうなときは、力を貸してくれ」
「承知した」
ライアットは、街の外縁に沿って流れる川沿いの土手を、月を見上げながら歩いていた。
そうしていると、自然と思いは昔へと馳せ、かつて落城寸前のフェテリア城でも同じように月に思いを託していた頃を思い出す。
思いは尽きない。
フェテリア滅亡後に浪人し、エストニカに仕官したこと。
エストニカの竜士となって知り合った、メシュリーナ姫のこと。
アグレスを倒すということは、メシュリーナ姫を悲しませることになる。
憧れの姫ではあったが、今更それを言っても始まらない。そう理屈では判っていても、胸が痛む。
そして、今まではあえて考えないようにしてきた、これからのことも考えずにいられなかった。アグレスを首尾良く倒せるかどうか。たとえ倒したとして、その後どうするのか。グレーバウルに言われて改めて考え込んでしまう。
故国再興のことも常に頭にある。元はといえば、ザエリラムを倒せる国と期待してエストニカに仕官したのだから。
ラナエルは、ライアットが立たねば、再興は成り立たぬと言っていた。勝機はどう考えても薄い。だが、こうやって一介の竜士として、いつまでも竜騎槍試合で見せ物になっていて良いものか。
本懐というものを求めるべきではないのか。
そう、ロテティがあくまでもスゴー家の再興を目指しているように。大望があるからこそ、竜士として誇りを持っていられるのではないか。
彼女には、食い詰めたかつてのスゴー家家臣を路頭に迷わせぬよう養わねばならないという事情はあるが、なにもよりもロテティ自身がそれを望んでいる。
国と身分の違いがあるとはいえ、俺はロテティのように、自らの生まれ育った国・フェテリアの再興を望んでいないのだろうか。
そもそも、国の再興とはなんだろうか。民は日々の暮らしが平穏であれば、そこに君臨し、統治する者が誰であろうと頓着しないのではないだろうか。
結局、民衆を味方に出来ないのではないか。
思いは尽きない。
あまりにもその考えにふけっていたため、ライアットは背後に迫る殺気に気づくのが遅れた。
「なにっ」
相手が並みの相手ならばまだ対応出来ていたのだろうが、その気配は見事なまでに消されていた。
ライアットは剣を抜く前に、袈裟切りに背中から斬りかかられていた。咄嗟に身を翻すが、それより先に切っ先が、鎧などつけていない無防備な背中を斜めに裂いていた。
反撃の一太刀を浴びせる余力もなく、ライアットは自ら土手から川面へと頭から躍り込むようにして転げ落ちていた。おかげで敵の追い撃ちを喰らわずに済んだが、剣を取り落としていた。斬り口からは血液があふれ出す。
ここで死ぬのか……。
だが同時に、彼の中で眠っていた、過酷な戦場での記憶がありありと蘇っていた。
こんなところで死ぬわけには行かない。第一、この程度の傷で倒れるようでは竜士の名折れだ。
冷たい川の水の中で身体をたて直し、息の続く限り流されるままに下流まで泳いだところで川岸に上がる。
たとえ寸鉄すら帯びていなくても、その膂力だけで相手を倒すつもりだった。だが、すでに川岸には人影は消えていた。
「この程度の一撃で仕留めたとでも思ったか。ずいぶんと侮られたものだな」
敵の正体を見極めることが出来ず、悔し紛れにライアットが吐き捨てた。と、その膝が力を失い、その場に崩れ落ちた。
「……くっ、毒かっ」
身体を起こそうとするが、既に全身の力が抜けて身動きできない。襲撃者の意図を悟る。
やはり、ここで死ぬしかないというのか。
絶望的な思いを抱きながら、ライアットの意識は薄れていった。
(22)
「御大将っ。お気を確かにもたれませっ。傷口は、このフィレルが塞ぎましたっ!」
「……うるさいぞ、フィレル。耳元でがなり立てるな」
言いながら、ライアットは目を開けた。
途端に、フィレルの声が嗚咽に変わった。
「御大将っ……。良かった、本当に」
かろうじてそれだけを言葉にすると、あとは泣き崩れてしまう。
「俺はどうなったのだ?」
部屋を見回す。ライアットが宿泊している宿の部屋だった。
「危ないところだったんだよ、ホントに」
トレアがフィレルの背をなでながら、口を尖らせる。その目にもうっすらと涙が浮かんでいる。
「まだその命を失わせてはならんという、天の意思かもしれん」
その声の主にライアットははっとなる。首を巡らせると、壁にもたれながら、ロテティが腕組みしながら立っていたが目に入った。ライアットと目があい、ロテティは照れたような笑みを浮かべて顔を背けた。
聞けば、偶然に土手で倒れ込むライアットの姿を、上空から見つけたのだという。
「本当なら昼のうちに街に入るつもりだったが、途中天候が悪くて夜になってしまった。空が黒雲に覆われて降りる場所が判らなくて難儀していたところ、雲の一点が開き、地面を照らしたのだ。そこにライアット殿が倒れていた。奇跡があるとすれば、ああいう事を指すのだろう」
「そうだったのですか。お陰で命拾いをしました。感謝します」
ケブナグ村の教会で一晩泊めて貰った際に、少額ながら、アルスの教会に寄進したのが効いたのか知れない。と思いながらライアットはうつぶせに横たえられていた身体を起こし、自分の身体を改めて眺めた。
上半身は両肌脱ぎになっていて、丁寧に包帯が巻かれている。
恐る恐る背中に手をやると、途端に激痛が走り、蹴倒されたように再び長椅子に這いつくばった。
「無理はされるな。この者の魔法により、確かに傷は塞いでおるが、刀傷そのものが治った訳ではない。下手をすればすぐにまた傷口が開く」
ロテティが少しばかり慌てたような口調で諭した。
「そのようだ。だが、いつまでもおとなしく寝ている訳にもいかんな」
窓に目をやった。夜だった。となると、意識を失っていたのはそう長い間ではなかったのか。
「大会の試合開始まで、あとどれくらいだ」
戻ってきた返事に、ライアットは愕然とした。この夜が明ければ、もう大会が始まるという。つまり、数刻どころか丸一日寝ていたことになる。
「夜明けまでは、まだ少しは時間があるか」
「そうだが……。まさか、出るつもりなのか」
ロテティが驚きで目を丸くした。
「当たり前だ。この日の為に、一年ものあいだ屈辱に耐えてきたのだ」
「アグレスは正竜士だ。逃げられはせん。これからの一年、怯えさせておけばよいではないか」
今にも部屋から飛び出していきそうな勢いのライアットを、ロテティが懸命に押さえ込もうとする。
「ダメだ。ラナエルの話を信じるならば、奴は二度と竜騎槍試合には出てこない。俺には再戦の機会は、今年しかないんだ。それに実戦ならば怪我を負っているからといって敵は手を止めてくれる訳ではない。引き下がれないんだ!」
「御大将……」
感極まって泣きはらした目をこするフィレルは、もう言葉もない。
「止めてもムダだと思うよ」
トレアがロテティに向けて肩をすくめてみせる。
「そうか……。ならば、せめて夜明けまでは体を休めておいたほうが良い」
ロテティも、ライアットの判断にそれ以上口を挟もうとはしなかった。ライアットを止める権利は誰にもないのだ。
「ありがとう」
「くれぐれも、無理はしないで欲しい。命にかかわる」
ロテティは名残惜しげな表情をみせながら、自分の宿泊している宿屋へと戻っていった。
「フィレルもちょっとは寝たほうがいいよ。なんせ、ずっと寝ずの看病だったんだし、そんな調子じゃいざって時に魔法が使えないだろ」
「うん……」
「あとはアタシがついてるからさ」
そういって、トレアはフィレルを半ば無理矢理に自室へと戻らせた。
フィレルが自室に戻ると、個室であるにも関わらず人影があった。
「何者です」
毅然とした声を放ったつもりだったが、わずかに語尾が震えてしまった。却ってこちらの動揺を悟られたかもしれない、と緊張に身体をこわばらせる。
「私はラナエル様にお仕えする者です。この度は我が主の使者として参りました」
女性と見まがうような細面の若者は、見かけ通りの涼やかな声でそう名乗り、丁寧に頭をさげた。
「まあ」
敵かと思ったのは自分の早とちりだったことを知り、フィレルの頬に赤みがさした。
「それで、ラナエル殿がなにか?」
「はっ。ライアット様の御身にかかわる重大な情報を入手したので、是非お耳に入れておきたいとのこと。この度は思わぬ災難に見舞われましたが、これで奴等が諦めた訳ではありません」
「御大将の身に……? ですがそれならば、わざわざ私に話を通す必要はありませんよ。御大将は既に危機を脱され、目を覚まされております。朝にでも直接お話いただければ」
「ラナエル様の仰られるには、ライアット様は剛直なお方ゆえ、諜報によって得た知らせを耳にすることを好まれぬ、と」
「それは確かに」
つい、フィレルは頷いていた。さすがにラナエル殿は御大将のことをよく判っている、と苦笑を浮かべる。
「そこで、直接申し上げるよりも、ライアット様にとってかけがえのない存在であるフィレル様にまず話をお伝えし、フィレル様からライアット様にご忠告いただいたほうが、素直に聞いていただけるのではないかと」
「わ、私が、かけがえのない存在、ですか? わたしはただの従者です。そのような……」
慌てる余り、思わずどもってしまう。先ほどあからめた顔が再び真っ赤に染まる。
「お聞き、願えますでしょうか」
「ラナエル殿にそのように言われては、聞かない訳にはいきませんね。どうか、お話くださいませ。このフィレル、たとえ勘気を被ることになっても、必ず御大将にお伝えいたしますから」
「ありがたくあります。我が主は諜報を行う関係上、いまは人目に付くことを避けております。ご面倒ですが、我等が拠点としておる隠れ家にまでご足労願いたいのです」
「判りました。すぐに支度いたします」
フィレルは立ち上がった。支度といっても外套を羽織るぐらいで、とりたてて準備をしなければならないこともない。重要とはいえ、それほど長い話になるとも思えなかった。フィレルはなんの疑問も抱かずに若者に連れられて、宿を出た。
そして、朝になっても戻ってこなかった。
第九話に続く
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作者メモ(その8)
今回はシーン切り替えが多くなった。後になって収束がうまくいかなくなっているが、どんなもんだろうか。
特にいうことはなし。とりあえず全話書き上げてから考える。