「あわはら富夫」邁進の20年

33歳市議誕生 (1987) 
 ヘリポート反対など、ポーアイでの開発行政批判の住民運動を背景に、最年少33歳の若さで市議会議員に初当選。

空港反対を貫く(1993) 
 神戸空港計画に反対の態度をとり、空港推進の当時の社会党議員団と決別。仲間4人と新しい会派を結成して、21年ぶりに会派として当初予算に反対し「オール与党」体制に大きなクサビを打ち込む。

被災者支援法成立(1995ー1997)
 震災後、被災者の救援に全力を尽くす。被災者に対する公的援助法を求める小田実さんとともに再三上京し、政府と国会議員への働きかけを行う。

住民投票署名35万人獲得(1998)
 神戸空港住民投票運動の中心を担い、35万署名を獲得。空港特別委員会の理事として連日連夜奮闘するも、市会は条例を強行採決で否決。

市長リコール直接請求(2000)
 5月から空港を止めるための「笹山市長リコール直接請求署名運動」を始め、約9万人の署名を集約しながらも不成立に終わる。

構造汚職追求(2006)  
 4月に神戸市議汚職が発覚。政治倫理委員会委員として真相究明と再発防止に向けて奮闘。自民、民主、公明ー与党会派の疑惑残したままの幕引きに抵抗。百条権限の発動での真相究明を現在も求め続けている。特に、与党会派と市当局幹部の構造的癒着が今回の事件の背景にあり、これを変えないかぎり神戸市の未来はない。

「とことん市民の味方」訴えー6期目当選(2007)
 汚職問題の徹底解明ができなかった議会のあり方が問われた選挙。20年の議会活動を通じて「市民の味方」との自らの政治姿勢を前面に出した訴えが実り、定数が6から5に削減される中、3位で当選。しかし、会派は3人から2人に。人数が減っても、存在感ある会派めざす。市民の思いのよりどころになれるように、4年間の奮闘を誓う。