2003年6月28日非核平和条例全国集会で行った報告
有事法制下での非核神戸方式の現状と課題

                                  文責 あわはら富夫

 ご紹介をいただきました神戸の市会議員のあわはらです。今日は憲法を生かす会・神戸を代表致しまして有事法成立下での非核神戸方式の現状と課題ということで、お話をさせていただきます。いま梶本さんのほうから元気な報告をいただいたわけですが、非核神戸方式はいま非常に厳しい状況に立たされている、この話を私がしなければならないといいう巡り合わせになっています。

 強まる非核神戸方式つぶしの動き

 実は震災が終わった1998年の5月25日にカナダ艦船のプロテクター号が親善を名目に神戸港に入港してきました。この時は神戸市は非核証明書を出してくれと求め続けたんですが、結果的には入港することになりました。これで非核神戸方式はある意味では破られてしまったのだろうかということなんですが、実際にはこの背景には外務省から意図的にカナダに対する働きかけ、その裏にはアメリカの動きが見え隠れしていたのです。この時は多くの団体が神戸市に対して働きかけをして、結果的には神戸市は入港は認めたものの、接岸をするバースを指定せず、プロテクター号は自衛隊の阪神基地に入港せざるを得ないという形になりました。このことは、ついに非核神戸方式が破られたということでなく、港湾法にもとづく、神戸市がもっている港湾管理権を行使をしたということで首の皮一枚、非核神戸方式はつながったと思っています。2番目に、アメリカは01年に姫路港に米艦船ビンセンスを姫路港に入れました。これは非核神戸方式ができて、兵庫県下では初めての米艦船の入港になりました。これも県の方に様々な団体がいろんな働きかけや行動が行われました。県は最終的にアメリカにいろんな働きかけを行って、いくつかの回答をもらって非核3原則は守られていると判断し入港を認めました。ところが、入港後明らかになったことですが、県は米軍の側の回答の「個々の艦船については核兵器を積んでいるかいないかは行わないことになっている」は削除をして欲しいと言わざるを得なかったのです。これはある意味では、運動の成果であり、逆に言えばこういうことをきちっと主張できることに港湾管理権の持つ意味があると思います。
 
最近ですが、非核神戸方式に対するアメリカの直接的な動きが非常に強まっています。例えば99年に神戸市議会の与党会派をアメリカの前の大使であるウオーリーさんが呼び出して、神戸港にアメリカの艦船を親善ということで入港させたいという働きかけが行われました。また港湾の労働組合にも領事のルーダンさんが来て、アメリカの企業がこれから神戸に進出したいが非核神戸方式がそれをじゃまをしている。したがって米艦船の入港を認めて欲しいという働きかけも行われました。この会場の南にあるポートアイランド2期という広大な埋め立て地があります。実はここは売れていませんで、神戸株式会社といわれたのは昔の話でありまして、非常に土地の売却で苦労している。そこにアメリカの企業を誘致をしよということで、最近活発に行われはじめています。それを餌にしてある意味ではアメリカの艦船入港を認めさせていこうという動きも強まっています。

 予断になりますが、神戸市は医療産業都市構想ということで医療産業の集積をはかっていますが、その調査をアメリカのベクテル社に委託をしました。実はこのベクテル社というのはどういう会社かといいますと、戦争によって破壊されたあとの復興を受託をして儲けるという会社です。コソボの紛争の時のユーゴの復興にもこのベクテル社が加わっていますし、あの湾岸戦争でのパイプラインの復興もベクテル社が関わっています。もっと近いところでは沖縄の名護の浮体工法を提案しているのもベクテル社です。神戸市の方は意図はしていないかもしれませんが、アメリカは何とか神戸港に艦船を入れたいという意図をもっています。

 なぜこれほど神戸方式にアメリカはこだわるのか

 先ほどの梶本さんの説明の中にも米艦船が入港していない実績の説明がありましたが、もう一つは安保条約があっても、周辺事態法があっても基本的には自治体に対しては協力を呼びかけるだけで強制力は無いわけです。従って自治体が自治権を行使すれば、それを突破するのは難しいというのはアメリカもわかっている。従って有事法を作ってくれというのはアメリカ自体が日本政府に対して圧力をかけざるを得ない大きな原因の中にこの非核神戸方式があるんじゃないか。だからこそ、結果としてアメリカの艦船は30年間あまり入港できなかったのでないかと思います。従ってこの非核神戸方式を何としてもつぶしたいという思いがあるのではないか。そしてもう一つは朝鮮有事への対応を考えた場合に、神戸港にアメリカの艦船を入港させることが軍事戦略上非常に重要だということです。なぜかと言いますと、74年までは第6突堤をアメリカは神戸港を接収しておりまして非常に熟知しているということがあります。
 それと神戸港の中には例えば川崎重工だとか三菱重工だとか、新明和だとか潜水艦の修理などをやっている軍需産業があるということ、それと市民病院が目の前にありますが医療設備の存在があります。そして2000年の神戸新聞の取材に対し自衛隊の幹部が認めていますが、日本海での有事の際に神戸港が使用される可能性が高いということです。それは交通的にも便利だし、施設も整備をされていることが書かれています。このように朝鮮有事を想定した場合に神戸の位置が重要になってきます。そこに非核神戸方式という制度あることが、非常に大きな障害になっていることだろうと思います。

 有事法と非核神戸方式

 そこで本題に入りますが、非核神戸方式と有事法ということで明日の分科会の議論とも関係がありますが、有事法で自治体権限の制約は可能なんだろうかということです。結果的には代執権は1年先送りにされましたが、この時期に私たちは自治体を動かしてがんばれるかということが一つあると思います。そしてもう一つは日本国憲法があって、そこには地方自治の本旨が明確に記載されている、その根本である平和主義そのものが憲法の柱として存在していることに我々はとことんこだわりきるということが必要ではないかと思います。一つのことをご紹介しますと、港湾法というのはどういう法律かといいますと、この歴史を私たちはもう1回かみしめてみる必要があります。

 実は港湾法は戦後の民主法の第1号というように言われております。戦前重要港湾が中央集権、国家に管理されて侵略戦争への出撃拠点になった。この反省から港についてはそれぞれの地方の自治体が管理するということを明確に謳っています。この過程を忘れてはいけないと思います。特に神戸の場合はそれに逸話があります。当時、民選市長第一号の小寺憲吉さんという方がいました。神戸の方だったら知っていると思いますが、相楽園という県庁の裏に大きな公園がありますが、これを所有していた人です。小寺さんは港湾管理権を何としても神戸市でとりたいということで、東京に何度も何度も足を運んで努力をされました。この努力をされている最中に実は死亡されたのです。
 当時はこの市長の死によって港湾管理権が神戸に来たといわれました。その経過の中で港湾法ができていったという歴史的経過があるわけです。この港湾法にとことんこだわって、有事法下であっても自治体としての自治権をどうやって主張し続けるかということが、有事法下での非核神戸方式の今後のあり方を問う一番重要な課題、明日の分科会での議論になってくるんではないかと思います。

 非核神戸方式の現状

 実はビンセンスが姫路港に入港するときに神戸新聞が兵庫県民を対象に世論調査を行いました。それによると8割の人が非核神戸方式という制度を全国的に拡大する必要があると答えています。一方、経済界の動きはどうかと言いますと、確かに今の不況の中でアメリカ企業の誘致というものがありますから、動揺をしているというのが実態であると思います。一方で、市長の対応はどうかといいますと、市長は有事法下であっても非核神戸方式は堅持をすると発言を記者会見の中で行っています。

 しかし、こういう国民保護法制が論議されている時期だから積極的に国に働きかけて、自治権を認めるさせるべきだという意見に対しては、国の動向を見守りたいという立場に終始をしています。核積載艦船入港拒否を議決をしたのは議会なのだから、最終的には議会に相談をしたいという立場をとっています。とことん頑張るという立場にないというところが、私たちの運動の弱さでもあります。神戸市議会はどうかといいますと、与党会派も含めて、少なくとも非核神戸方式は堅持をするという市長の立場を支持をしているというのが現状です。しかし今後有事法の中で代執行権が決まっていくと、どういう対応になっていくかは大きな不安を抱えています。

非核神戸方式の今後

 一つは神戸モンローからの脱却ということです。何を言ってるのかと思われる人がいるかもしれませんが、実は非核神戸方式をつくった宮崎さんという方は、とにかく神戸というものに思い入れがあった人で、彼は商売するのには核はいりませんということを原点として非核神戸方式をつくりあげたのです。従って非核神戸方式をどんどん日本中に広げようということを、当時の宮崎市長が思っていたどうかは疑問があるところです。そういう思いというものが今の神戸市政全体の中にあって、非核神戸方式を市政の運動として積極的に広めていこうとはなっていないところに一つの弱さがあります。

 先ほども梶本さんがおっしゃていましたが、これをはやり克服する、日本中の港に広げる努力をする必要があると思います。それともう一つは港の平和利用の拡大です。これは何を意味するかというと、ある意味ではアメリカは非核証明書をだしてもいいという動きも一方では、流れとしてあります。それでは非核証明書を出したら入港を認めても良いのかという問題が、港を平和的に利用していこうという観点からみると出てきます。そうすると平和利用という視点をもった条例の検討も考えていかねばならないような時期に来ているんじゃないか、これが今後の課題の2点目です。
 それともう一つは案外、神戸市民は非核神戸方式という制度、つまり成り立ちや決議の内容を知らないという現状があります。一番大きな原因は教育の場にそれを取り込めていないことがあると思います。神戸にも教科書の副読本がありますが、例えば副読本に非核神戸方式を入れるとか、教育の場からはじめていくとかが必要です。しゃべり始めますと1時間でも2時間でも喋ってしまいますので、話はこれぐらいにさせて頂きます。

 (2003年6月28日非核平和条例全国集会で行ったあわはら市議の報告です。)