2005年3月19日
有事法制下での非核神戸方式の現状と課題
            あわはら富夫(神戸市会議員)
非核神戸方式とは 有事法と非核神戸方式
強まる非核神戸方式つぶしの動き 非核神戸方式の現状
アメリカが神戸方式にこだわる理由 非核神戸方式の今後
 非核神戸方式とは

 非核神戸方式が出来上がった直接のきっかけは1974年、「日本に寄港する艦船は核をはずさない」との元米海軍提督のラロック証言を受けて、私たちの先輩である旧社会党の平田市会議員が当時の宮崎市長に質問し、「核搭載艦船は神戸港には入港させない」との答弁を引き出したことから始まっています。そして、翌年の1975年3月18日市議会本会議で全会一致で「核搭載艦船の神戸港入港拒否決議」が可決され、非核神戸方式が始まりました。 その背景には、戦後神戸港は、米軍の完全占領下にありました。52年から1部撤収解除が始まり、74年には完全返還に。この間、朝鮮、ベトナム戦争を通じて、休養、補修、修理などの名目で、米第7艦隊の潜水艦、駆逐艦、巡洋艦などが多数入港していました。核を積んでいるとの指摘を受けたタイコンデルガも60年代に2度入港しています。朝鮮戦争後の57年には米艦船の入港は311隻を数え、60年まで毎年100隻を超える入港が続きました。全会一致で採択された背景には、保革を問わず神戸港が長年、米占領下にあった思いと商業港として発展を望む思いがあったのだと思います。86年エコノミストに掲載された「商売するのに核は要りません」との宮崎前市長の言葉にすべてが言い表されています。

 非核神戸方式の仕組みは極めてシンプルで、神戸港の入港権限を持つ神戸市長が、入港を求める艦船(軍籍を持つ船)に非核証明書を求めるもので、証明書を出さなければ入港するバースを指定しないというもの。しかも条例でなく行政指導です。始まった当初は外務省が外国公館との連絡の仲立ちをしていたようですが、今は神戸市の直接の要請で行われています。現在までの神戸港への艦船の入港実績は18隻で98年のカナダ艦船(神戸市はバース指定を行わず自衛隊阪神基地に入港)以外はすべての艦船が非核証明書を提出しています。朝鮮戦争やベトナム戦争時代に神戸港に駐留し、年間100隻を超える入港実績のあるアメリカ艦船はこの30年間一度も入港していないし入港の打診もありません。また、イギリスは過去何度か入港の打診がありましたが、非核神戸方式の説明で断念したようです。非核神戸方式が有効に機能しているといえます。

 
強まる非核神戸方式つぶしの動き

 実は震災が終わった1998年の5月25日にカナダ艦船のプロテクター号が親善を名目に神戸港に入港してきました。この時は神戸市は非核証明書を出してくれと求め続けたんですが、結果的には入港することになりました。これで非核神戸方式はある意味では破られてしまったのだろうかということなんですが、結果的には神戸市は入港は認めたものの、接岸をするバースを指定せず、プロテクター号は自衛隊の阪神基地に入港せざるを得ないという形になりました。このことは、非核神戸方式が破られたということでなく、港湾法にもとづく、神戸市がもっている港湾管理権を行使をしたということで首の皮一枚、非核神戸方式はつながったと思っています。(今まで非核証明書と提出していたカナダがなぜ非核証明書にこだわったのかアメリカの意図を感じます。)

 2番目に、アメリカは01年に姫路港に米艦船ビンセンスを姫路港に入れました。これは非核神戸方式ができて、兵庫県下では初めての米艦船の入港になりました。県は最終的にアメリカにいろんな働きかけを行って、いくつかの回答をもらって非核3原則は守られていると判断し入港を認めました。ところが、入港後明らかになったことですが、県は米軍の側の回答の「個々の艦船については核兵器を積んでいるかいないかは明らかにしないことになっている」は削除をして欲しいと言わざるを得なかったのです。これはある意味では、運動の成果であり、逆に言えばこういうことをきちっと主張できることに港湾管理権の持つ意味があると思います。

 非核神戸方式に対するアメリカの直接的な動きが非常に強まっています。例えば99年に神戸市議会の与党会派をアメリカの前の大使であるウオーリーさんが呼び出して、神戸港にアメリカの艦船を親善ということで入港させたいという働きかけが行われました。また港湾の労働組合にも領事のルーダンさんが来て、アメリカの企業がこれから神戸に進出したいが非核神戸方式がそれをじゃまをしている。したがって米艦船の入港を認めて欲しいという働きかけも行われました。

 
アメリカが神戸方式にこだわる理由

 今まで、安保条約や、周辺事態法があっても基本的には自治体に対しては協力を呼びかけるだけで強制力は無いわけです。従って自治体が自治権を行使すれば、それを突破するのは難しいというのはアメリカもわかっています。従って有事法を作ってくれというのはアメリカ自体が日本政府に対して圧力をかけざるを得ない大きな原因の中にこの非核神戸方式があるんじゃないか。だからこそ、結果としてアメリカの艦船は30年間あまり入港できなかったのでないかと思います。従ってこの非核神戸方式を何としてもつぶしたいという思いがあるのではないか。

そしてもう一つは朝鮮有事への対応を考えた場合に、神戸港にアメリカの艦船を入港させることが軍事戦略上非常に重要だということです。なぜかと言いますと、74年までは第6突堤をアメリカは神戸港を接収しておりまして非常に熟知しているということがあります。それと神戸港の中には例えば川崎重工だとか三菱重工だとか、新明和だとか潜水艦の修理などをやっている軍需産業があるということ、それと市民病院が目の前にありますが医療設備の存在があります。そして2000年の神戸新聞の取材に対し自衛隊の幹部が認めていますが、日本海での有事の際に神戸港が使用される可能性が高いということです。それは交通的にも便利だし、施設も整備をされていることが書かれています。このように朝鮮有事を想定した場合に神戸の位置が重要になってきます。そこに非核神戸方式という制度あることが、非常に大きな障害になっていることだろうと思います。

 
有事法と非核神戸方式

 そこで本題に入りますが、有事法で非核神戸方式は無力になったのではないかという主張です。非核神戸方式が神戸でやれている最大の理由は、港湾管理権が神戸市にあるということと、30年前の核艦船入港拒否の議会決議です。港湾管理権を持つ神戸市が市民の総意に基づいて、憲法で保障される地方自治の本旨として市民の健康、安全、福祉を守るためにこの制度を行政指導として実施しているのです。有事法では自治体の首長が協力を拒否すれば首相の代執行権を認めています。法律上の解釈で言えば、非核神戸方式は無力かもしれません。しかし、依然として平和主義の日本国憲法は生きており、非核三原則は国是だということです。

また、港湾管理権を自治体の首長に定めている港湾法というのはどういう法律かといいますと、この歴史を私たちはもう1回かみしめてみる必要があります。実は港湾法は戦後の民主法の第1号というように言われております。戦前重要港湾が中央集権、国家に管理されて侵略戦争への出撃拠点になった。この反省から港についてはそれぞれの地方の自治体が管理するということを明確に謳っています。この過程を忘れてはいけないと思います。特に神戸の場合はそれに逸話があります。当時、民選市長第一号の小寺憲吉さんという方がいました。神戸の方だったら知っていると思いますが、相楽園という県庁の裏に大きな公園がありますが、これを所有していた人です。小寺さんは港湾管理権を何としても神戸市でとりたいということで、東京に何度も何度も足を運んで努力をされました。この努力をされている最中に実は死亡されたのです。当時はこの市長の死によって港湾管理権が神戸に来たといわれました。その経過の中で港湾法ができていったという歴史的経過があるわけです。この港湾法にとことんこだわって、有事法下であっても自治体としての自治権をどうやって主張し続けるかということです。単なる法律論でなく、運動だということです。

 有事に、神戸市長が市民を代表して入港する艦船に非核証明を求め、港湾管理者としてバース指定を行わず、市民や議会がそれを応援する事態が生まれた時に国は簡単に代執行することができるかということです。そういう、状況を作り上げるためには、頑固に非核神戸方式を守る市長と議会と市民世論を作り出す必要があります。

 
非核神戸方式の現状

 実はビンセンスが姫路港に入港するときに神戸新聞が兵庫県民を対象に世論調査を行いました。それによると8割の人が非核神戸方式という制度を全国的に拡大する必要があると答えています。一方、経済界の動きはどうかと言いますと、確かに今の不況の中でアメリカ企業の誘致というものがありますから、動揺をしているというのが実態であると思います。一方で、市長の対応はどうかといいますと、市長は有事法下であっても非核神戸方式は堅持をすると発言を記者会見の中で行っています。しかし、こういう国民保護法制が論議されている時期だから積極的に国に働きかけて、自治権を認めるさせるべきだという意見に対しては、国の動向を見守りたいという立場に終始をしています。核積載艦船入港拒否を議決をしたのは議会なのだから、最終的には議会に相談をしたいという立場をとっています。とことん頑張るという立場にないというところが、私たちの運動の弱さでもあります。神戸市議会はどうかといいますと、与党会派も含めて、少なくとも非核神戸方式は堅持をするという市長の立場を支持をしているというのが現状です。しかし今後有事法の中で、どういう対応になっていくかは大きな不安を抱えています。

 
非核神戸方式の今後

 一つは神戸モンローからの脱却ということです。何を言ってるのかと思われる人がいるかもしれませんが、実は非核神戸方式をつくった宮崎さんという方は、とにかく神戸というものに思い入れがあった人で、彼は商売するのには核はいりませんということを原点として非核神戸方式をつくりあげたのです。従って非核神戸方式をどんどん日本中に広げようということを、当時の宮崎市長が思っていたどうかは疑問があるところです。そういう思いというものが今の神戸市政全体の中にあって、非核神戸方式を市政の運動として積極的に広めていこうとはなっていないところに一つの弱さがあります。日本中の港に広げる努力をする必要があると思います。それともう一つは港の平和利用の拡大です。これは何を意味するかというと、ある意味ではアメリカは非核証明書をだしてもいいという動きも一方では、流れとしてあります。それでは非核証明書を出したら入港を認めても良いのかという問題が、港を平和的に利用していこうという観点からみると出てきます。そうすると平和利用という視点をもった無防備都市条例の検討も考えていかねばならないような時期に来ているんじゃないか、そのためには自衛隊阪神基地の撤去も課題になってくるということです。