神戸市は市議会での核艦船入港拒否決議に基づき1975年から、神戸港に入港する外国艦船に非核証明書の提出を求め、提出しない場合、入港を認めない立場をとってきた。ところが、昨年12月6日、国会で特定秘密保護法が成立し、政府が定めた特定秘密を漏らしたり、提供を求める行為が罰則の対象になり、地方自治体の施策にも大きな影響が心配される。特に、非核神戸方式の前提である外国艦船の核情報は安全保障上の問題になり、「特定秘密」に指定される可能性は非常に高い。施行まで1年の猶予はあるが、外国艦船の入港情報が特定秘密にされたり、非核証明書を求める行為自体が「提供を求める行為」として処罰の対象とされる恐れもある。このように、特定秘密保護法が、地方自治体の施策にも大きく影響が出てくることは必至だ。(決議文)
そもそも、非核神戸方式は、港湾法で定められた港湾管理者としての市長権限の行使で行われている。港湾法は戦後の民主法の第1号といわれ、戦前港湾は国の管理のもとにあり、軍港に利用された歴史があり、それを許さないために自治体まさに住民に管理権を与えた歴史がある。これを積極的に活用したのが、神戸市であり非核神戸方式だ。
特定秘密保護法が成立した当日の12月6日の本会議で、私は久元神戸市長に「特定秘密保護法下でも神戸の自治の伝統である非核神戸方式あくまで堅持していただきたい」と質問した。久元市長は「特定秘密保護法が地方自治体への影響については、今後注視してゆくが、非核神戸方式については諸手続きも含めて堅持してゆきたい」と答弁した。今後の特定秘密保護法が自治体にどんな影響が出てくるのかはいまだ不明だが、新市長に「非核神戸方式堅持」を表明させ、特定秘密保護法廃止運動に弾みをつけることになった。
非核神戸方式の歴史としくみ
非核神戸方式が出来上がった直接のきっかけは1974年、「日本に寄港する艦船は核をはずさない」との元米海軍提督のラロック証言を受けて、私たちの先輩である旧社会党の平田市会議員が当時の宮崎市長に質問し、「核搭載艦船は神戸港には入港させない」との答弁を引き出したことから始まっている。そして、翌年の1975年3月18日市議会本会議で全会一致で「核搭載艦船の神戸港入港拒否決議」が可決され、非核神戸方式が始まった。 その背景には、戦後神戸港は、米軍の完全占領下にあり、1952年から1部撤収解除が始まり、1974年には完全返還が実現した。この間、朝鮮、ベトナム戦争を通じて、休養、補修、修理などの名目で、米第7艦隊の潜水艦、駆逐艦、巡洋艦などが多数入港していた。 特に、核を積んでいるとの指摘を受けたタイコンデルガも60年代に2度入港し、朝鮮戦争後の57年には米艦船の入港は311隻を数え、60年まで毎年100隻を超える入港が続いた。全会一致で採択された背景には、保革を問わず神戸港が長年、米占領下にあった思いと商業港として発展を望む思いがあったのだと思う。86年エコノミストに掲載された「商売するのに核は要りません」との宮崎前市長の言葉にすべてが言い表されている。
核兵器積載艦艇の神戸港入港に関する決議
神戸港は、その入港船舶数及び取扱い貨物量からみても世界の代表的な国際商業貿易港である。利用するものにとっては使いやすい港、働く人にとっては働きやすい港として発展しつつある神戸港は、同時に市民に親しまれる平和な港でなければならない。この港に核兵器が持ちこまれることがあるとすれば、港湾機能の阻害はもとより、市民の不安と混乱は想像に難くないものがある。よって神戸市会は核兵器を積載した艦艇の神戸港入港を一切拒否するものである。
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非核神戸方式の仕組みは非常にシンプルで、「外国艦船の神戸港入港手続きの流れ」を参照いただきたい。外国軍艦が神戸港に入港をする場合、まず在日外国公館から外務省に口上書で打診があり、外務省の当該所轄局長が港湾管理者である神戸市長に入港の連絡をする。すると、港湾管理者である神戸市長は「核艦船拒否決議」を説明し、非核証明書を外務省通じ当該の在日本外国公館に請求する。在日本外国公館は非核証明書を外務省に提出し、外務省は局長名で非核証明を神戸市長に送付する。非核証明書を受け取った神戸市は当該軍艦のエージェントに入港許可の通知と入港場所であるバースの決定を行う。そして、非核証明が提出されない場合は当該軍艦の入港を拒否すると言うことになる。従来はこのような仕組みであったが、現在は神戸市が外務省を飛び越えて直接在日本外国公館に非核証明書の提出を求めている。
この制度は条例でなく行政指導だが、75年から実施され、現在までの神戸港への艦船の入港実績は19隻で98年のカナダ艦船(神戸市はバース指定を行わず自衛隊阪神基地に入港)以外はすべての艦船が非核証明書を提出している。特に、核保有国であるフランス3隻、インド5隻もそれぞれ非核証明書を提出している。そして、イギリスは78年〜84年にかけて7隻入港の打診があったが、非核証明書の提出を求める市側の説明で入港を断念した。朝鮮戦争やベトナム戦争時代に神戸港に駐留し、年間100隻を超える入港実績のあるアメリカ艦船はこの30年間一度も入港していないし入港の打診もない。したがって、現在までのところ、非核神戸方式が有効に機能している。
強まった非核神戸方式つぶしの動き
実は震災が終わった1998年の5月25日にカナダ艦船のプロテクター号が親善を名目に神戸港に入港してきた。この時は神戸市は非核証明書の提出を求めたが、「核兵器を搭載していないことは外務省が保障」との立場で非核証明書の提出を拒み、結果的には神戸市は入港は認めたものの、接岸をするバースを指定せず、プロテクター号は自衛隊の阪神基地に入港せざるを得ないという形になった。神戸市は、港湾法にもとづいて、神戸市がもっている港湾管理権を行使をしたということで首の皮一枚、非核神戸方式はつながった。今まで非核証明書を提出していたカナダがなぜ非核証明書提出を拒否したのかアメリカ政府と日本外務省の意図を当時強く感じた。
その後、非核神戸方式に対するアメリカの直接的な動きが非常に強まった。1999年には神戸市議会の与党会派をアメリカの当時の大使が京都に呼び出して、神戸港にアメリカの艦船を親善ということで入港させたいという働きかけが行われた。また港湾の労働組合にも当時の領事が訪れ、「アメリカの企業が神戸に進出したいと言っているが、非核神戸方式がそれをじゃまをしている。」したがって「米艦船の入港を認めて欲しい」という働きかけも行われた。その事実は朝日新聞の1面に掲載された。その後2001年に、米艦船ビンセンスが姫路港に入港。非核神戸方式ができて、兵庫県下では初めての米艦船の入港になった。
なぜこれほど神戸方式に日本政府やアメリカがこだわるのか
日本政府やアメリカ政府が非核神戸方式を何としてもつぶしたいという思いが当時強かった背景には、緊張が高まっていた朝鮮有事への対応があった。神戸港にアメリカの艦船を入港させることが軍事戦略上非常に重要だった。74年までは第6突堤をアメリカは神戸港を接収しており、神戸港のことを非常に熟知していた。それとともに神戸港の中には例えば川崎重工だとか三菱重工だとか、新明和だとか潜水艦の修理などをやっている軍需産業があるということ、それと共に中央市民病院を中心に先端医療センターなどの医療設備が臨港地区に完備していることが神戸港に注目した大きな要因だったと思われる。
事実、2000年の神戸新聞の取材に対し自衛隊の幹部は、「日本海での有事の際に神戸港が使用される可能性が高い」と証言している。その根拠に自衛隊の幹部は「交通的の至便さ、施設が充実している」ことをあげている。このように朝鮮有事を想定した場合に神戸の位置が重要になり、そこに非核神戸方式という制度あることが、非常に大きな障害になっていることで、当時アメリカ政府と日本政府からの圧力が強まった。そのような、圧力がありながらも、非核神戸方式は堅持され、来年の3月16日で制度ができて40周年を向かえる。
非核神戸方式と港湾法
非核神戸方式が神戸で実施されている根拠は、港湾法に基づく港湾管理権が神戸市にあるということと、1975年の核艦船入港拒否の市議会決議だ。港湾管理権を持つ神戸市が市民の総意に基づいて、憲法で保障される地方自治の本旨として市民の健康、安全、福祉を守るためにこの制度を行政指導として実施している。有事法では自治体の首長が協力を拒否すれば首相の代執行権を認めている。法律上の解釈で言えば、非核神戸方式は無力かもしれない。しかし、依然として平和主義の日本国憲法は生きており、非核三原則は国是だ。
また、神戸市長を港湾管理者に指定している港湾法は、戦後の民主法の第1号と言われている。それは戦前、神戸港や横浜港など重要港湾は中央集権主義の下、国家に管理され、侵略戦争への出撃拠点になった。この反省から、需要港湾についてはそれぞれの地方の自治体が管理することによって、国家利用されることを排除することを明確に謳っている。 特に神戸の場合はそれに逸話がある。当時、民選市長第一号の小寺憲吉という方がいた。神戸では有名だが、相楽園という県庁の裏に大きな公園がある。これを所有していた人だ。 小寺憲吉は港湾管理権を何としても神戸市がとりたいと、国に何度も何度も足を運んで努力をされた。この努力の最中、急死された。当時はこの「市長の死によって港湾管理権を神戸が得た」といわれた。その経過の中で戦後民主法第1号である港湾法ができていったという歴史的経過がある。この港湾法での港湾管理権を最大限に活用しているのが非核神戸方式だ。
港湾法は「港湾管理者としての市長が港湾法に基づいて必要な規制を行うことが出来る」と定めている。非核神戸方式は行政指導で条例で担保されているわけないが、神戸市港湾施設条例の第3条「港湾施設を使用とするものは、市長の許可を受けなければならない」第5条「市長は..次ぎの..場合においては、許可または承認を与えてはならない。..(3)その使用内容が港湾環境を悪化させる恐れがあるとき。(4)その使用内容が公の秩序を乱す恐れがあるとき。」第36条「市長は、必要があると認める時は使用者に対し取り扱い貨物、..その他、港湾施設の使用に関する事項について関係書類の提出を求めることが出来る」などの条例で守られているのである。
自治体から秘密保護法廃止の声を
17年間にわたり全国の米軍基地の動きを監視し、ネットで発信している「リムピース」という市民団体がある。全国の在日米軍艦や航空機の動き、埠頭の設備の変化など写真も含めてネットに掲載されている。今後、米軍は特定秘密保護法成立を利用して米軍基地監視を取り締まるように日本政府に要求してく可能性もあり、米軍が全国で行っている超低空飛行訓練も、被害を受けている多くの自治体が情報収集を行っているが、今後飛行情報を把握することが困難になるかもしれない。核を積載した艦船が、港湾管理者である自治体が知らないまま、ある日突然入港する事態もあり得る。特定秘密保護法の狙いが、安倍内閣の進める集団的自衛権行使容認で、日本がアメリカと共に戦争できる国づくりの一つであることを考えれば、戦前の日本のように、自治体が管理する港湾や空港から、秘密裏に、また縦横無尽に米軍や自衛隊が海外へ出撃する可能性もある。
憲法や港湾法にもとづき、住民の安全と財産を守ろうとする自治体の施策が、特定秘密保護法により「超法規的」に無視される事態が起こりうる。来年3月で40年という節目の非核神戸方式も、秘密保護法の施行で大きな試練を迎えるかもしれない。特定秘密保護法は成立したが、今からでも、自治体・議会からも特定秘密保護法廃止の声をあげ続けていくことが大事だ。
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