『おとぎの国の”レッドサン”』
特別編――『修学旅行最後の一夜』 前編


NEON
GENESIS
EVANGELION
SUPPLEMENT EPISODE:X-a
Shoot at the Moon!



プロローグ


 18:35。
 浅間。温泉宿「近江屋」。
 思わぬ形での温泉旅行は二日目――つまり最後の夜を迎えようとしていた。
 前日とは違い、ミサトの姿はここにはない。使徒殲滅に関しての報告の為、一足先に第三新東京市に帰ってしまったからだ。
 シンジ達に二泊三日の滞在が許されたのは、使徒殲滅に対する褒美のようなものでもあった。が、一方では浅間の噴火口では、いまなお多数のネルフ職員が残って、雑多な後始末およびエヴァ弐号機の応急修理に追われている。
 それを考えるとシンジは、自分たちだけのんびりしているのが申し訳ないような気になったが、かといって何か手伝えるようなことがあるわけではない。
 結局僕は、エヴァに乗ることしかできないんだな。シンジは思った。寂しくはあるが、仕方のない現実だった。大体、十四年の人生が後悔で満ちているという訳でもない。エヴァのお陰で新しい友達に出会えた。誰かの役に立つこともできた。
「それにしても」
 ベランダに出て、上信越高原国立公園の牧歌的な風景をぼんやりと眺めるシンジは、自らの気づかぬうちに、さして意味のあるとも思えぬ独り言を呟いていた。
 彼は昨日の出来事を思い出していた。

 夕食時。鯛の活き作りをメインとした豪勢な食事もそこそこに、ミサトはビールを景気良く開けている。いつもの三倍はピッチが早い。
 その横でシンジは呆れながらも、まぁ仕方がないか、と諦観していた。そこまでビールとは美味しいモノだろうかとも思うが、試してみたいとは思わない。
『せっかくここまで来たんだから、もっとゆっくりしていきたいんだけどね〜』
 顔を赤くしたミサトが、溜め息混じりに言う。
『もう帰るの? 来たばっかじゃないの』
 向かい合う席でアスカが聞いた。シンジはそれを横目でみながら、エビの殻を相手に悪戦苦闘していた。
『ああ。ごめんごめん、言葉が足りなかった。帰るのは私だけ。後始末が大変なのよ、これが。でも、二人はゆっくりしてて。どうせ学校も休みでしょ。二泊三日で予約してあるから』
 ミサトはそういってにんまりとした。横で聞いていたシンジは、最初その言葉の意味が判らなかった。
『今日と明日の二晩、アスカと二人っきりって訳。この〜うらやまし〜!』
 ミサトがシンジの肩にしなだれかかった。シンジはようやくのことで口にほうりこんだエビを吐き出してしまった。
『ちょっと、ミサトさん』
『ミサト! このバカシンジと夜二人で過ごせっての?』
 思わずアスカが中腰になって、顔をミサトの鼻先に近づけた。
『あら〜? 普段から一つ屋根の下で寝てるんじゃない。気にしない気にしない』
『だけど……』
 アスカがシンジとミサトの顔を見比べながら、珍しく言葉を濁していた。
『あ、私、また言葉が足りなかったみたいね。心配しなくても、もうひと部屋ちゃあんと押さえてあるってば! シンちゃん、残念?』
『もう、ミサトさん。からかわないで下さいよ』
 心底安堵の様子を浮かべるシンジ。その無神経さがアスカの癪に障ったらしい。
『バカ……』

 彼の相棒(そんな表現をすれば相手は怒り狂うだろうが)である惣流=アスカ=ラングレーは一日中、一人で観光地をあちこち巡っていたらしい。何の予定も用意も無かったせいか、さして面白くなかったようだった。旅館に戻ってきたときはいつもより多少は機嫌がいい、という程度で、さっさと自室に引きこもってしまった。
 シンジは三、四人は過ごせるであろう部屋に一人たたずみ、明日の予定について考えていた。予定とは言っても、明日の朝、ネルフの輸送機でエヴァと一緒に第三新東京市に帰るだけだ。
(僕もアスカみたいに、色々出歩いたほうが良かったかな……? せっかくここまで来たんだから。それにクラスのみんなは沖縄まで行ったんだから)
 少しだけ勿体ないような気がした。じゃあ何故そうしなかったのかと自問する。
 すぐに、一人の少女の顔を思い浮かべた。
(綾波……。綾波は一人、ずっと第三新東京で待機してるんだよな)
 それが可哀相だ、という言葉はしっくりと来なかった。一緒に来られれば楽しかったのか、と問われてもうまく答えられないような気もする。
 じゃあなんだろう、窓の外に見える浅間山が上げる白煙を見ながらシンジは自らの不可解な心境について考えた。簡単に説明できるものじゃないや。シンジは結論を見つけることをあっさりと諦めた。

(1)


 18:50。足摺岬南二〇〇キロ。
 コンテナ船『レッド・ウィンダム』(三万五千五百総トン)。
 近年自動化が極端に押し進められていることが多いはずの貨物船の中では、何故か百名以上の乗組員が忙しく蠢いていた。
 航海艦橋のジャイロコンパスの前に立つ船長は、眼下の甲板を、感情のこもらない瞳で見下ろしていた。積み荷は全くなく、その為、主甲板の中央には、水を抜いた特大プールのような空間が広がっている。両舷側に立てられたコンテナクレーンが、長い影を伸ばしている。
 船長の本名を知る者はこの場には皆無だった。彼はただFFと呼ばれていた。
 乗組員の中では副官格と言って良いほど信頼されている、ケリー=スプラグーが以前、そのFFとはイニシャルなのかと訊ねた事があった。
 船長は、FFとはフリーダム・ファイターの略だと答えた。
 彼はセカンドインパクト以前は、東南アジアのとある国の空軍パイロットで、アメリカから購入されたF−5戦闘機を飛ばしていた。F−5戦闘機は『タイガ−』あるいは『タロン』という通称があるが、他にも『フリーダム・ファイター』も呼び名の一つだった。
 スプラグーは、前者二つのほうが、センチメンタルに聞こえる『フリーダム・ファイター』よりもFFには似合いだとは思ったが(『タロン』とは猛禽類の爪のこと)、流石の彼もFFにそこまで不躾な事は言えなかった。
 ちらりとそんなやりとりを思い出しつつ、スプラグーはFFに報告を行った。
「本部より通信が届きました。『旭日は東に』」
 予定通り作戦を実行せよ、の意味だった。
「そうか」
「大丈夫なのでしょうか? 先ほどの報告によれば、カントウ地方におけるUNとネルフの共同作戦活動が報告されています。だとすればターゲットを捕縛出来る可能性は極めて低いのでは。第一、貴重なパイロットを遊びの旅行に送り出すとは思えません」
 スプラグーはここ数日抱いていた疑問を、報告ついでに一気に述べた。
「君の懸念は妥当なものだ」FFは言葉を切った。スプラグーにどこまで話すべきか、逡巡したものらしい。が、すぐに後を続けた。「しかしながら、本部は状況Bにおいても、作戦成功確率は高いと判断している」
「何故ですか? ネルフはそこまで甘くないですよ。現に、潜入調査を行っている工作員が二名、一昨日から音信を断っています。お陰で肝心のここ二日間のエヴァ及びパイロットの所在が確認できずにいる……」
「そこまでは判らんね。本部は何か、そう判断する裏付けを持っているのだろう」
 スプラグーは小さく息をついた。
「心配は無用だ」FFは決然としていった。「本部も当て推量で事を進めているのではない。仮にそうなら、この秘密兵器を投入したりはしない」
「そうですね」スプラグーの表情から不安が薄らいだ。正直なところ、彼はFFに全幅の信頼を寄せているわけではない。が、命令とあれば大抵のことを成し遂げるつもりでいた。

 19:15。客船『スター・オーシャン』。
 沖縄港を出港して三時間という、一路、新横浜へ向けて航行している白い客船の姿があった。
 夕焼けの残滓が西の空に残る一方、紺よりもさらに暗色の東の空には幾つか星が瞬き始めていた。
 あと数時間もすれば、言うところの『満天の星』が輝くことになるだろう。海は穏やかで、天候が崩れるいかなる兆候もみられない。
 このまま何もなく、無事にこの一夜が終わってくれればいいのに。
 後部ラウンジ屋上。展望台の手すりに肘を乗せる洞木ヒカリは、夕焼けと夜空の境界線を見上げつつ、そんなことを考えていた。同時に、その願いがかなり怪しいものであることを知っている。彼女のクラスメイト――特に鈴原トウジと相田ケンスケが、必ずこの修学旅行の最後の一夜に何かしでかすにちがいない。彼女の内心の一部では、これは確信と化していた。
「アスカ達、今頃どうしてるのかしら?」
ヒカリは、誰言うともなく呟いた。アスカがこの場にいてくれれば、少しは安心出来たかも知れない。
 ねっとりとした海風が、彼女の髪をなびかせていた。

 ヒカリが気にかける肝心のその二人はといえば。展望台の出入り口横で、さして意味のあるとも思えぬ会話を繰り広げていた。
「行きは飛行機やったのに、なんで帰りはフネでちんたらいかなあかんのや? カネが途中でなくなったんかいな」
 もうすぐ夕食だというのに、トウジは売店で買ってきた菓子パンをかじっている。
「そんな訳ないだろう。いいじゃないか。修学旅行最後の夜を海の上で過ごすってのも」
 ケンスケがすかさず突っ込みを入れる。彼はファインダー越しにあちこちを眺めていた。被写体を探していたのだ。だが、展望台には人影はそれほど多くなく、これはと思う何かを探し出すことは出来なかった。
「ま、沖縄では『ラプター』の離陸シーンもばっちり撮ったし、良しとするかな……」
「なんどいな、ラプターって?」
「UNの新型戦闘機だよ。F−22A『ラプター』。制式採用されたのは随分前だけど、ようやく嘉手納にも配備されたんだ」
「なんや、そら。そしたら今日の自由時間、基地にいっとったんかいな? どうりで姿が見えんと思ったわ」
「ああ。こんな機会はそうあるもんじゃないからね。この写真、高く売れないかなぁ……」 「ンナモン、アッカイヤ」
 トウジは吐き捨てるように言った。本気の関西弁であった為、ケンスケにはどういう意味か判らなかった。誉められているわけでないことは彼にも伝わっていたが。
「みんな、この格好良さが判らないのかな」
「あかんあかん。女子の写真のほうがまだましや」
「そうかなぁ」
 ケンスケは首を捻りながら、再びファインダーを覗き込んだ。両肘を手すりについてぼんやりしている委員長の姿が見えた。
 突然、ケンスケの肩をトウジがバンバン叩いた。
「なんだよ?」
「なんや、あれ?」
 トウジは右舷側の海を指さした。その先には、一隻の貨物船があった。次第に距離が狭まってくる。
「おい、ぶつかるで!」
 展望台にとどまらず船内のあちこちで、異常に接近してくるフネに気づいた客が騒ぎ始めていた。『スター・オーシャン』の汽笛が鋭く鳴った。だが、相手は止まらない。明らかに交差コースに乗りながら、避けようともしない。『スターオーシャン』が取り舵を打ち始めた。船体が右側にわずかに傾く。だが、舵の効きが遅い。ついに二隻は船腹同士を接触させた。
 次いで、鈍い衝撃と金属同士のこすれ合う不快な音が響いた。
 ヒカリは迫ってくる貨物船に気づいた瞬間、足がすくんで動けなくなった。大きく目を見開き、息を呑んだまま、接触の瞬間を迎えた。足下をすくわれ、あやうく後ろに転び、手すりの後ろに落ちそうになった。が、誰かに背中を支えられて踏みとどまることが出来た。
「……?」
 彼女が振り返ると、そこにはトウジの姿があった。とはいえ、彼はヒカリのほうを見てはいなかった。周囲に油断なく視線を送り、不測の事態に備えている。
「鈴原……」
 彼女が何か言いかけたとき、何か破裂音が聞こえた。貨物船の舷側から人間が飛び乗ってくるのが見えた。
「この射撃音。AKMだ……。やっぱり名器だよな」
 ケンスケの専門知識はこのような状況においても発揮されていた。何の役にも立たないことを除いては。

(2)


 19:25。コンテナ船『レッド・ウィンダム』。
 船内を駆け回っていたメンバーからの報告が続々と入ってきた。
「間違いはないのか?」
「はい。駄目です。やはりターゲット三名は確認出来ません。状況Bへの移行を進言するものであります」
 FFは手板に挟んだ一枚の書類を見ていた。そこには、指名手配の犯人のようなレイアウトが為された三人の男女の写真が載っていた。その顔を、FF及び彼の部下は、旧知の間柄並に記憶してから乗り込んできていた。改めて写真を見直すまでもなかった。彼らはここにはいないのだ。
 スプラグーの言葉に、FFはすこしだけ辛そうな顔をして頷いた。
「第一中学二年A組の生徒全員を、『レッド・ウィンダム』に移乗させる。急げ」
 命令を受け、メンバーが再び散った。
「これで俺達はただのテロリストに転落だな。ま、端から高い場所にいた訳じゃないから、かすり傷ほどの痛みもないが」
 『スター・オーシャン』と『レッド・ウィンダム』の間には、粗末な木の板が渡されているだけだった。渋る二年A組の生徒三十名を移すのに、十分近くを要した。
 移動が終わると、機関を停止した『スター・オーシャン』を残して『レッド・ウィンダム』は最大速力で現場海域を離れ始めた。
 とりあえず人質の管理を命ぜられたスプラグーは、三十人を適当に三部屋に分けて押し込んだ。
 政府高官の子女がいるわけで無し、こんなガキどもを人質にとってもネルフが動くだろうか。状況B――本来のターゲット、エヴァンゲリオンのパイロットを確保出来ない場合――においても成功確率が高いと読んだ本部の考えが、スプラグーには不思議に思えた。
『レッド・ウィンダム』が水平線の向こうに消えた後、残された『スター・オーシャン』はようやく緊急救難信号を発した。
 『スター・オーシャン』の海難救難信号は、張本人である『レッド・ウィンダム』でも明瞭に受信されていた。
「これで、コトは公になったというわけだ」
 通信担当員の報告を受け、FFはニヤリとした。
「予定通り、関係各省庁、組織機関に『犯行声明』を出せ」
 間をおかず、あらゆるチャンネルに向けて通信が飛んだ。

 ――第三新東京市市立第壱中学校二年A組の生徒三十名の身柄を拘束した。返還条件はネルフの保有する汎用人型決戦兵器”エヴァンゲリオン”の引き渡し。ネルフ以外による交渉には一切応じない。接近する船舶・航空機には一切の容赦なく攻撃を加える。日本時間00:00までに回答が得られない場合、人質を一時間ごとに一名ずつ殺害する。
日本政府、UNは震撼した。

 19:45。浅間 「近江屋」。
「……それで。……えっ? ……そう。判った。何かあったら、こっちも動けるように準備するから」
 早口でのやりとりを終えたアスカが携帯電話を切った。そこは彼女に割り当てられた部屋であったが、シンジの姿もあった。料理を運んで貰う際、同じ部屋にしてもらっていたのだ。流石のアスカも、夕食を一人で食べるのは侘びしすぎると思ったからだ。
『もっとも、差し向かいの相手がシンジじゃ、興ざめもいいところだわ』
 アスカは何度もシンジにそう言った。加持さんとならどれだけ良かったか、とも。が、シンジは挑発めいたその言葉にも、困ったような顔をするだけだった。

「ミサトさんから? なにかあったの?」
 シンジの問いに、アスカは厳しい顔のまま頷いた。
「一つ目の答えはイエス。二番目に関してはパーフェクトにイエス。ヒカリ達の乗った客船が、シージャックされたわ」
「ええっ」
 目を見開くシンジを放ったらかして、アスカは私物をいれたバックの中から、未練たらしく入れておいた修学旅行の「旅のしおり」を取り出した。タイムスケジュールを確認する。
「この時間だと、鹿児島沖ってところかしらね」
「どうして……、みんなの乗ったフネが」
「あたしに聞いたって判る訳無いでしょ? でも、そうね……。敵の狙いはきっと、本当はあたし達だった筈ね」
「どうして?」
「あーもうイライラするっ! エヴァのパイロットってのがどのくらい貴重なのか、あんた全然判ってないのね」
 アスカの剣幕に、シンジはただ圧倒されるばかりだった。実際シンジは、自分が選ばれた貴重な存在だとは、どうしても理解できないでいた。

 19:55。太平洋上。
「どうして海保がこんなに早くこっちに泣きついてくるんですか? シージャックがあってから一時間と経っちゃいませんよ?」
 二番機の二尉が隊内無線で聞いてきた。
 嘉手納基地をホームベースとする航空自衛隊第9航空団206飛行隊所属、F−15SJ『スーパーイーグル』の二機編隊は、特命を受けて訓練を中止し、南下する『レッド・ウィンダム』の上空へと差し掛かろうとしていた。
「海保のヘリが問答無用で撃墜されたらしい」
 二機編隊の長機を駆る三佐は落ち着いた声で応じた。
「ミサイルですか?」
「良く判らんが、レーダーによれば、回避運動もしないうちに反応が消えたそうだ。とにかく、重武装は間違いないから、海保の手には負えんということだ。海保の装備じゃ、ゴマメの歯ぎしりもいいところだからな」
「ですがこっちも、訓練用の模擬弾しか積んでませんよ」
「早まるなよ」三佐は苦笑と共に答える。「別に本気で攻撃を仕掛ける訳じゃないんだ。こっちの素早い対応を見せつけることで相手の士気を削ぐ。それだけだ。何しろ人質がいるんだ。無茶は出来んよ」
「はい」血気に逸っていたことを自覚したのか、二尉は照れくさそうな声で応じた。
 レーダーには、早期警戒管制機の海上捜索レーダーが捉えた『レッド・ウィンダム』のシンボルマークが映し出されている。
「ちょっとした曲芸をやってやろうじゃないか」
 三佐は、『レッド・ウィンダム』の真後ろから接近して低空を航過する腹づもりだった。示威効果だけでなく、フネの詳細な状況を機首カメラに収めるためだ。何なら航過した後に、もう一度軸線に垂直に飛び抜けてもいい。
 無理からぬ事であったが、彼は相手を嘗めていた。せいぜいが海賊に毛の生えたテロリストと思っていた。
 ただ、ESMに反応があるというのが気に入らなかった。
(生意気に対空捜索レーダーなんぞ積みやがって)

 突然、一条の光が迸った。ただそれだけだった。次の瞬間、長機が内側から膨れ上がって爆発した。ミサイルの接近を示す兆候は何もなかった。残された二番機は訳も分からず回避行動をとったが、それが終わらぬ内に再び閃光が煌めいた。
 二番機もまた炎に包まれて四散した。

 20:05。第三新東京市ジオフロント内。ネルフ中央作戦室発令所。
「今頃こっちに責任を押しつけてくるなんてね――」
 前面の主モニター、及び三基の投影スクリーンには、様々な情報・映像が映し出されている。ミサトは、しかめっ面で後頭部を掻きながら、状況を理解しようと視線をスクリーンの全体に走らせていた。
『本件に関する指揮権は完全にネルフに移行』
 との文字情報が、映画の字幕スーパーよろしく中央モニターの下に張り付いたままになっている。しばしその文に視線をとどめたミサトが小さく鼻を鳴らす。テレビのニュース速報じゃあるまいし。……ま、それはどうでもいい。
「大体、”たかが”中学生三十人とエヴァを交換しようなんて、虫が良すぎるのよ」
 眉間に皺を寄せたミサトの言葉に、オペレータの伊吹マヤ二尉が露骨に嫌な顔をした。もちろん、葛城ミサト個人としても、このような暴言は本意ではない。しかし、ネルフ本部戦術作戦部部長・葛城ミサト三佐としての意見となれば、見解は当然異なってくる。
「零号機の出撃用意」
 不意に、後方から重い声が響いた。第一発令所を見下ろす司令席で、碇ゲンドウが、口元を隠すように手を組むいつもの姿勢でスクリーンを見据えている。
「碇司令、本気で交渉に応じるおつもりですか? 何故です?」
「それを説明する理由はない」
 ミサトは小さく自分を納得させるように頷いた。これ以上説明を求めるのは時間の無駄だった。
「……判りました。零号機とレイの準備は完了してる?」
「準備OKです」オペレータの小気味良い報告に、ミサトは小さく頷いた。
「問題の相手とは連絡がつくの?」
「ホットラインですよ。今直ぐ話を付けますか」
 日向マコト二尉が親指を立てて見せた。
「お願い」
「了解です」
 回線は直ちにつながった。映像はなく、『音声情報のみ』との警告が、アニメ撮影用のセルのような、空間上のホログラフスクリーンに映る。
「こちら、ネルフの作戦部長、葛城ミサト三佐。そちらの指揮官を」
「私は『レッド・ウィンダム』船長、FFだ」
「FF?」
「名前など、記号にすぎん」
 気取ってやがる。ミサトは、相手に聞こえないように注意して舌打ちした。
「……いいわ。こちらには交渉の準備があります」
「エヴァをフネに乗せて運んでこい。一隻だけだ。護衛のフネがいた場合、直ぐに攻撃する」
「判ったわ」
 それから、ランデブーポイント、および期限の時刻を確認して、回線は切れた。
「リツコ。さっきの会話から、MAGIに『FF』とやらの心理学的デッサン図を描かせて頂戴。作戦立案の参考になるかも知れない」
「ミサトにしては、随分まともな提案じゃない?」
 傍らの赤木リツコはくすりと笑みを見せた。
「余裕がないのよ」
 対照的にミサトは「苦虫を噛み潰した顔」だ。リツコの皮肉にも耳を貸さず、指示を続ける。 「新横須賀の海上自衛隊総監部に連絡。エヴァを乗せてなるべく高速で走れる輸送艦を一隻、チャーターしたいって伝えて頂戴」
 続いて、房総半島沖でオン・ステーションのEC−2J早期警戒管制機や、硫黄島沖で合同演習中の第一護衛隊群及び航空自衛隊第10航空団、習志野の陸上自衛隊第一空挺団にも当たりをつける。UN配下にある自衛隊の陸海空三軍が、いまや彼女の手駒と化した。豪快に予算と資材を投入する作戦行動となれば、ミサトの独壇場だった。

 20:10。浅間 「近江屋」。
 シンジはアスカの部屋に残っていた。ミサトからの連絡を待っているのだ。
 じりじりするような時間が過ぎていく。アスカも無口になって座布団の上にあぐらで座り込み、机を指先で叩き続けている。
 シンジはそのリズミカルな音を聞き流しつつ、机の上に投げ出された携帯電話が鳴るのを待っていた。
 が、さすがに時間の止まったような雰囲気の重さに、次第に耐えきれなくなってきた。
「そ、そうだテレビ。ニュースをやってるかも」
 シンジが大発見をしたようにわざとらしい声を上げ、テレビのリモコンに手を伸ばした。
 その時、机の上の携帯電話が鳴った。アスカがすばやくそれをひったくって通話ボタンを押す。シンジは耳をそばだてて、漏れ聞こえるミサトの声を聞いた。内容は良く判らなかったが、彼女の緊張の度合いが高まっているのは判った。
 ひとしきりの会話を終えて電話を切ったアスカが、どこか信じられないといった顔でシンジに告げた。
「ファーストが――零号機で出たわ。今回の事件、ネルフに指揮権が与えられたんだって」
「どうして……。ただの、シージャックなのに」
 シンジはまだ困惑を隠せずにいた。アスカは構わずに続ける。
「で、私達は別命あるまで待機」
「え、どうして?」
「あんたさっきから『どうして』ばっかりね。わかんないの? 私達のエヴァはまだ、こっちにあるんじゃないの! ファーストがドジったら、次は私達が行くことになるのよ!」
「綾波が、失敗したら……、か」
 シンジは窓の外を見た。綺麗な星空が見えた。この星空の下でトウジやケンスケ、委員長が怖い目に遭っているというのが、どこか信じられないような気がした。
いや、僕が一番心配しているのは綾波だ。どうか上手く行って欲しい。僕たちの出番が来ないで欲しい。これは、怖いからそう思うんじゃないんだ。みんな無事でいて欲しい、ただそう願っているだけなんだ。

 シンジは内心の呟きの一部が口から漏れていることに、全く気づいていなかった。そしてそれを呆れきった顔で見ているアスカの視線も、意識の外の存在だった。

(3)


 20:40。太平洋上。
 海上自衛隊第一護衛隊群所属、SES式輸送艦『ちた』(艦番LST−503 七千五百トン)。
 陽が沈んで久しい凪いだ海面上を、異様なシルエットを見せるフネが滑るように航行している。
 『ちた』は、二本の細身の船体で中央船体を支え、空いた中央部の空間に空気を吹き込むことで地面効果を得る『SES方式』を採用した結果、最大速力時速四十ノットを誇る。だが、余りに大きな荷物を載せている為、主機関を最大出力で動かし続けても、三十ノットを発揮するのがやっとの状態だった。
「もし海が荒れていたら、トップヘヴィで横転するぞ……」
 艦の右舷側に配された『ちた』の航海艦橋からは、上甲板が一望に見渡せる。だが、今はその半分ほどの視界が遮られていた。航海艦橋の指令席に座る艦長の二佐は、左手に見える巨大な物体と海面を見比べ、溜め息をついた。
 甲板の上では、一つ目の青い巨人――エヴァンゲリオン零号機が片膝をついた姿勢で前方を睨んでいるのだ。その後ろには電源車と電源装置トレーラーが載せられ、アンビリカブルケーブルを介して電力供給を行っている。
 零号機の重量もさることながら、正面投影面積の増大による風の抵抗もかなりのものがあった。燃料消費率は従来の三割増しになっていた。
「こんなもん欲しがって、敵は何考えて――」
「敵、ってのはやめとけ、副長。まだ良く判っとらんのだ」
 そうは言うものの、艦長も相手をどう呼ぶべきなのか、判断を付けかねていた。汎用人型決戦兵器の噂は、艦長も知っていた。ネルフのあまり良くない風評も耳にしている。だが、実用性の対極にあるようなこの巨人を欲しがる相手については、彼は何の予備知識も持たなかった。
「陸戦隊の連中は、何か言ってるか?」
 上甲板の一層下、主甲板では、重武装の陸戦隊五十名が待機している。とはいえ、精鋭を召集する間がなく、新横須賀の基地警務隊から集めてきたので質にはやや問題がある。相手が特殊部隊並の練度を持っていれば、苦戦は免れないだろう。
「いえ、特に。実際のところ、突入の可能性は無いでしょう」
「どういう根拠だ?」
「そこいらで集めた陸戦隊じゃなく、コマンド部隊でも呼んでこない限り、突入作戦なんて出来っこありません」
「だろうな。もし攻撃を受ければ応戦せざるを得ないだろうが……」
「気が重いですよ。このフネには固定武装はありませんからね」
 二人は溜め息を付き、上主甲板に鎮座する零号機を見た。月明かりに浮かぶシルエットは、微動だにせず前を見据えている。

 21:55。『レッド・ウィンダム』。
「来ましたよ。こっちの指示通り、単艦です。甲板上に、エヴァンゲリオンらしき影も見えます」
 艦橋横に張り出した見張り台から報告が入る。
「よし、スクリュー停止。レーダー、ソナー、気を入れて見張っていろよ」
 FFは肉食獣の笑みを浮かべた。

 『ちた』はゆっくりと『レッド・ウィンダム』の右舷側に併走する形で舷側を近づけた。

「FF! あれはプロトタイプの零号機ですよ。頭部形状から見て、間違いありません」
 双眼鏡を構えていたスプラグーがFFに囁く。
「一番使えそうにないタイプを持ってきたか……? まあいい。エヴァンゲリオンには違いない」
「そうですか……」
「スプラグー、手はず通りだ。頼むぞ」
「はっ。それにしても、あのガキども、妙に大人しいですね。パニックに陥って暴れ出す馬鹿が一人くらいいると思いましたが」
「歳を考えろよ。あの子供達は十四歳だ。セカンドインパクトの大混乱の中で生まれた子供。神経の作りが俺達とは違う」
「そんなもんですかね。どうも気味が悪くていけません」
 そう言い残し、スプラグーは足早に掛け去った。FFも後を追うようにゆったりとした足どりで艦橋を出た。同時に、船底近くの船室に押し込んである人質を主甲板上に引き出すように命じた。

 22:00。輸送艦『ちた』。
 コンテナ船の船体中央部の舷側には、リーダーと思しき男が立っていた。その周囲には小銃を手にした男達が控えている。トウジ達は艦橋下に集められていた。勿論彼らの回りにも、銃を構えた男が威嚇するように取り囲んでいる。
 素早く状況を確認したレイは、あらかじめ用意されていた降伏勧告の文章を棒読みした。『ちた』のスピーカー越しに、レイの無機質な声が風に乗って『レッド・ウィンダム』に届く。
「まさかエヴァンゲリオンが助けにくるなんてな……」
 ケンスケが心底呆れたように呟く。
「あれは綾波やな。他の二人はどないしたんや?」
「そんなの、三体が同時に投入される訳ないよ。大事な決戦兵器なんだからさ」
 トウジとケンスケが小声で囁き合う中、ハンドスピーカーを持ったFFが怒鳴り返した。
「機体から降りて姿を見せろ。話し合いはそれからだ!」
 音が割れ、耳障りな雑音にトウジ達は顔をしかめた。

 じれったくなるような間が空き、それから零号機の首筋からエントリープラグが伸びた。レイが零号機の右肩の上に立つ。月の光を背負うプラグスーツ姿の彼女は神々しくさえあった。
 が、幻想的な空気は瞬時にして打ち破られた。数条のサーチライトの光線が交差し、その中央にレイの姿を捉えたのだった。夜の暗さに眼が慣れていたレイは、さすがに眩しかったらしく、左腕で顔の上半分を隠した。

「みんなを返して」
 プラグスーツの集音マイクが綾波の澄んだ声を捉え、『ちた』のスピーカーから押し流した。
「ダメだ。人間三十人がフネを移る時間と、エヴァンゲリオン一体をクレーンで運び込むのと、どっちが時間がかかると思う? エヴァンゲリオンの移乗を先に始める」
「……駄目。それは、出来ないわ」

 『ちた』の艦橋では、二人のやりとりに艦長が歯がみしていた。輸送艦という性質からして、常に裏方であることは理解していた。だが、自分たちが単なる車引きであることがこれほど歯がゆいという事に、艦長は改めて気がついていた。

 リーダーらしき男――FFからは、なんの殺気も感じられなかったし、何か事を起こすというそぶりも見られなかった。が、一瞬にして事態は一変した。
 レイと陸戦隊の隊員達は、もっと周囲に注意を払っておくべきだった。そうすれば、『ちた』の右舷側から単身這い登ってきた男の存在にきがついただろう。スプラグーはレイとリーダーのやりとりに誰もが気を取られているうちに、クモのような身のこなしで零号機の背中をするすると登っていく。フリークライミングで鍛えたスプラグーにとっては、簡単な事だった。
 彼がエントリープラグの真下にたどり着いたとき、一斉にサーチライトが消えた。ようやく眩しさに慣れ始めていたレイの視覚は、たちまち闇に覆われてしまった。
 咄嗟に身構えたレイの口元を、背後から忍び寄ったスプラグーが抑えた。彼の手には、何かで湿らせた布が握られていた。同時に、空いたほうの手でレイの腹部を殴りつけている。
 一瞬の早業。
 レイの口から小さくうめき声が漏れた。肺から空気が吐き出され、その反動で思わず息を吸い込んでしまう。途端に、表現しがたい感覚がレイの喉から全身に広がった。力が抜ける。
(薬……?)
 瞬間、さきほどのサーチライトの数倍の光が煌めき、零号機の横顔が浮かび上がって見えたような気がした。が、それもつかの間、レイの意識は闇の底に落ちた。

 22:05。浅間 「近江屋」。
 三度目の電話。
「綾波が捕まったって……本当!?」
 シンジは情けないほど取り乱していた。アスカが鼻を鳴らす。
「ミサトがそう言ってきたんだから、そうなんでしょ? あの優等生もしくじることがあるのねー」
「父さんは……?」

 シンジは気になっていた。かつてレイが実験中に事故に遭った際、彼の父が普段ではありえないほど狼狽えたことがあった。シンジはネルフの関係者から、何度かその様子を聞いていた。
「あんなに慌てていた碇司令を見たのは、後にも先にもそれ一回きり」
 誰もがそう口を揃えていた。

 アスカは少し小声で答えた。
「知らない。ミサトは何も言ってなかったから」
「で、僕達の出番なんだろ?」
「残念だけど、仕方ないわね」
「残念って?」
「お遊びの時間はおしまい、さあさあお仕事の時間ですよ」
 アスカは唄うような調子で言った。シンジは、この温泉宿でもう一晩過ごせないことがそれほど心残りなのか、アスカの真意を計りかねていた。

 22:10。ネルフ中央作戦室発令所。
 こんな碇司令の姿の事、話せる訳ないよね。ミサトは眉を寄せて司令席を見上げていた。
 全身をわななかせ、拳を机に何度も叩き付けては意味不明のうめき声をあげるゲンドウの様は、普段の冷静沈着さからはほど遠いものだった。
「レイ……! なんということだっ! 許さん、絶対に許さんぞっ!」
 呆れ顔でミサトがゲンドウの醜態を見ていると、不意に目が合ってしまった。
 口の端をひきつらせて苦笑いを見せたミサトに、ゲンドウが言い放つ。
「葛城一尉! レイと、零号機の奪還作戦を直ちに立案したまえ! 初号機、弐号機を投入してかまわん! なんとしても奪い返すのだ」
(一番怒らせちゃいけない人を本気にさせちゃったわねぇ……)
 内心でFF達に同情しつつ、ミサトは表面上は真剣な顔付きで頷いた。

(4)


 22:25。コンテナ船『レッド・ウィンダム』。
 レイはぽかりと眼を開けた。見知らぬ天井が見えた。小さな丸窓を除き、何もない部屋だった。部屋の中には十人ほどの男女が思い思いの場所に座り、あるいは壁にもたれていた。誰もが沈んだ顔をしていた。灯りすらなく、丸窓から差し込む月光で、ようやく顔が判別できる程度の明るさしかなかった。
 レイはゆっくり身体を起こした。殴りつけられた腹部が痛み、声が漏れた。
「あ、気がついたみたいだよ」
 ケンスケの声に、丸窓から外を窺っていたトウジが振り返った。
「おう、気分はどないや?」
「私……。どうしてここに?」
「眠らされて、連れてこられたのよ、あの連中に」
 ヒカリが顔を寄せて囁いた。
「あの連中?」
「私達を誘拐した連中。貴女の乗ってたロボットも一緒にこのフネに積み込まれたわ」
「馬鹿でかい貨物庫の上で、風呂入るみたいにしてひっくりかえっとるわ」
 トウジが補足した。
「そう……。私の乗ってきた輸送艦は?」
 もし交渉が決裂した場合、輸送艦『ちた』から陸戦隊が突入を計る手はずになっていたはずなのだ。
「残念だけど」ケンスケが言った。「綾波を捕まえてすぐ、連中は『ちた』の艦橋を吹っ飛ばした。舷側も大きく切り裂かれて……航行不能になったみたいだ。レーザー砲だよ」

 かつて『ヤシマ作戦』において使用した陽子砲に比べると威力は劣るが、粒子加速機を必要としない分、必要十分な電力が少ない。とはいえ、ただの貨物船が気軽に搭載できる代物ではないが。
 『レッド・ウィンダム』は艦首と艦尾の二ヶ所、偽装を施したレーザー砲を装備していた。間近での射撃を直撃された『ちた』の艦橋は根こそぎ切り倒され、舷側もざっくりと割れ、外から中央船体の下にある空間が丸見えになるほどだった。

「それにしても、状況が判らんのは辛いな……」
「ああ。徹底的にボディチェックされたからね。携帯無線でも手元にあれば、連中が何を企んでいるのか判ったんだけど。綾波、教えてくれないか? どうして海保や自衛隊じゃなく、エヴァのパイロットである君が助けに来てくれたんだ?」
 ケンスケの問いに、綾波はFFの『犯行声明』を伝えた。クラスメイト達が騒然となる。
「俺達には、もう人質としての価値なんて無いじゃないか!」
「じゃあ、解放されるかな?」
「馬鹿言え! 殺されちまうに決まってるよ」
「まだ、殺されはしないよ」
 不安に駆られ好き勝手なことを口々に言い合うクラスメイト達だったが、ケンスケの妙に確信めいた一言に静まった。
「何でそう言えるんだよ?」
 すかさず男子のひとりがケンスケに問いただす。
 ケンスケは人差し指でメガネを押し上げてから話し始めた。
「人質を返すか殺すかした途端、きっとUNはN2爆弾か何かでこの船を芯から吹っ飛ばすはずだ。エヴァを得体の知れない連中に奪われるよりはマシだからね。レーザー砲があっても、死にものぐるいのUNの攻撃に耐えられるわけじゃない。だから、目的地はどこか知らないけど、とにかくそこに着くまでは安全だと思う」
「なんや、あんまり有り難くない話やな。それにしても、一体何者なんやろうな」
「相当に大規模な組織であることは間違いないね。なにしろ、このフネは、見た目はただの貨物船でも、恐らくは原子力機関で動いているだろうから」
「なんでそないな事が判るんや?」トウジが突っ込む
(良い合いの手だ、説明がやりやすい)ケンスケはそう思いつつ得意顔で続ける。
「レーザーってのは、大気中では威力が減衰するんだ。だから、とにかく大出力で発射しないと射程距離が短くなる。そんな大出力のエネルギー源は、まず原子力以外にあり得ない」
「講釈ありがとさん。せやけどな、そうやいうたって、どないもならんで?」
 普段は自制している(と本人は思っている)、トウジの大阪弁の本気度が高まっていた。
「……そうだよな」
 ケンスケはがっくりと肩を落とした。
 と、ノックも無しにいきなり鋼鉄製の扉が開いた。反射的に全員が開いた扉を注目する。
 スプラグーは余裕のある顔付きで中に入り、一人一人の顔を睨みつけていく。手には小銃が握られている。実際に引き金を引くつもりは毛頭無かったが、恐怖におののくガキどもの顔を見るのはサディスティックな感情を沸き立たせた。
 彼の視線は、ヒカリに支えられて上半身を起こしているレイに向けられた。
「大体予想通りの時間にお目覚めのようだな」
 そう言い放つと、無理矢理レイの腕を取って引き立てた。
「お前等は全員ただの石ころだ。こいつは少なくとも炭素だ。石炭かダイヤモンドかは知らんが、使いようによっては役に立つ」
 馬鹿にしきった態度でスプラグーが言った。憤然とした表情でトウジが詰め寄る。
「待てや、おっさん。どういうこっちゃ、それはなんぼなんでも――」
 トウジの言葉は最後まで続かなかった。スプラグーは目にも留まらぬ早業で、持っていた小銃をくるりと回転させると、銃底でトウジの頬を殴りつけたのだった。
 横っ飛びに吹っ飛んだトウジをみてスプラグーがせせら笑う。そしてそのままレイを引きずって部屋の外へと消えた。

「何やってるのよ。相手が逆上して銃を乱射でもしたらどうするのよ!」
 扉が金属音と共に閉じられると同時に、ひっくり返っているトウジの元にヒカリが駆け寄って文句を言った。
「あたた……。歯が折れたか思た。おっさんには殴られるは、イインチョには小言いわれるは、いかれこれもええとこや」
「……犯人と同列で扱わないでよ」
 『いかれこれ』の意味が判らなかったヒカリは、拗ねたような小声で言った。
「それより、綾波の奴、大丈夫やろか?」
 そう言ったトウジは、口の中に違和感を感じ、ジャージの袖で口元を拭った。鉄棒を嘗めたような味がした。
「ちょっと、口の中、切れてるんじゃない?」
「みたいやな」
 ヒカリはそそくさとスカートのポケットからハンカチを取り出した。無言でトウジの鼻先に突き出す。
「なんや、これ?」
「これで口を拭いて」
「べっちょない、べっちょないて。気ぃつかわんかてええて」
「見てるこっちが痛くなるから」
「さよか」
 トウジは渋々ハンカチを受け取った。血の混じった唾を吐き出し、改めて口元を拭う。
(全く男子って、どうしてこうも見境がないのかしら)その様子をじっと見つめながらヒカリは思った。
「ワイのことよりも、綾波や。えげつないことされてへんかったらええんやけどな」
「どうかな。連中はエヴァのコトを色々聞きたいだろうからね。拷問でもされるんじゃないかな」
 ケンスケが、丸窓から漏れる月光を眼鏡に反射させながら言った。
「そうかあ。難儀なこっちゃ。綾波は口、カタそうやしなぁ」
「何て事言うのよ!」 ヒカリが金切り声を上げた。トウジとケンスケが顔を見合わせ、自分たちにはどうにもならないこととはいえ失言だった、と理解したとき。
「俺達のせいじゃない! 自業自得なんだ! 綾波は俺達を助けに来たのに、ドジりやがって。だいたい、俺達のクラスにエヴァのパイロットがいたから、こんな目に遭うんだ!」
 クラスの男子の一人が喚いた。何人かの男女がそれに同調した。
「ちょっと! 酷いこと言わないで。綾波さんが可哀相じゃないの!」
 ヒカリの叫びも、逆恨みの情念が宿った瞳の前には効果がなかった。誰もが疲れ、苛立っていた。
「しっかりせぇや、イインチョ。イインチョがびびっとったら、このクラスはバラバラやさかいな」
 強ばった表情のヒカリの傍らで、トウジが優しげな口調で言った。それから、クラスメイトに向かい、
「寝言は寝てから言えや、この阿保たれが! 綾波はようやってくれた。それに、忘れたんかいな? ワイらのクラスには、エヴァのパイロットがまだ二人も残っとるんや。……碇と惣流が、絶対に助けに来よる」
 そう怒鳴った。室内が一瞬静まり返る。
「そうだよ。零号機が奪われた今、ネルフが黙ってみている筈がない。きっと、救出作戦があるはずだ。だから必要なのは、その時まで冷静さを保っておくことなんだ」
「ケンスケ、たまにはええ事言うやないか」
「まあね」
 そう応えたものの、ケンスケには判っていた。ネルフが助けたいのはあくまで零号機でありレイであるという事を。気休めにしかならないが、さっき口を滑らせた失点を回復できるなら、この程度の嘘はいくらでも言えた。これから先のことを考えると、気が重いどころの騒ぎではなかったが。

(5)


 22:30。コンテナ船『レッド・ウィンダム』。艦長室。
 ケンスケの推測は、ほぼ正鵠を得ていた。但しそれは、拷問にはほど遠く、尋問、詰問といった単語すらも当てはまらないほど、穏やかなものであった。

 出入り口の扉に向かい合うように置かれたスチール机以外に、特に物も置かれていない部屋。船底の部屋とは違い、照明だけは十分以上の光量をもたらしている。
 艦長席でどっしりと構えるFFと、レイは対峙していた。簡素なパイプ椅子に座らされ、手を縛られている。その表情には相変わらず感情が表れていない。
「我々はエヴァンゲリオンの事を色々と知りたい。君が素直に教えてくれるのならば、手荒な真似をするつもりはない」
 FFは穏やかな口調で語りかける。レイは何の反応も見せない。横につくスプラグーが焦れた。 「おい、聞いているのか!」
 パイプ椅子の脚を蹴りつける。レイの上半身が反動で揺らいだ。だが、顔色一つ変えはしなかった。
「やめておけ。どうやら尋問に対する訓練でも受けているようだ。その徹底的な無表情、大したものだ」
 FFが席を立った、ゆっくりとレイの眼前へ歩み寄る。
「我々は知りたいのだ。エヴァンゲリオンの力を。製造方法、操縦方法。ネルフの碇司令という男についても」
 『碇司令』の言葉に、レイは反応して眉をあげた。瞳にわずかに嫌悪の色が宿る。
「ふん。まあ、そう簡単に話してくれるはずもないな。子供を相手にこんな真似はしたくないが、仕方あるまい」
 FFは、部屋の隅でやりとりを見ていた白衣の男――シムズ博士を呼んだ。シムズ博士は、手に持っていたケースから、拳銃のように見える何かを取り出した。
 それをFFに手渡す。
「無針注射器。これで君に最新の自白剤を注射する。気分がハイになって、何でも自分から話したくなるはずだ。何でも喋って貰うぞ、好きな食べ物から、つき合っている彼氏の名前まで」
 スプラグーはFFの台詞に嫌悪感を抱いた。これじゃあ、ただの変質者だ。
「いきなり自白剤ですか? まだ早くはありませんか」
「『ゼロ計画』との絡みもあるのだよ、スプラグー君」
 シムズ博士が不気味な笑みを見せた。
 FFは無針注射器をレイの首筋に当て、トリガを引いた。鈍い反動。やがて、レイの身体が小刻みにふるえ始めた。自白剤が効き始めたのだ。
「さて。最初の質問は、エヴァンゲリオンの性能についてだ」

(6)


 22:50。ネルフ中央作戦室発令所。
「自衛隊機と『ちた』の撮影した映像、及び、偵察衛星の画像から、問題のフネの性能緒元を推定しました」
 オペレーターの伊吹マヤ二尉がキーボードを素早く操作し、前面の投影スクリーン上に、ワイヤーフレームで描かれた貨物船を浮かび上がらせた。
「問題となるのは、艦首と艦尾、二ヶ所に設置されたエネルギー指向兵器です。恐らく光レーザー砲です。自衛隊機が、距離三十キロで撃墜された事を考えても――」
 マヤがきびきびした口調で報告を続ける。が、それを傾聴していなければならないはずのミサトは三十分以上も、発令所の中をうろうろと歩き回っていた。日向マコト二尉が話し掛けてもまともに取り合わず、意味不明の独り言を呟くばかり。
「混乱……そう、混乱させて……同時攻撃」「LALOは問題外。HALOは……」「海の中から……」「アウトレンジ」「……レーザーを」「ATフィールドが……」「偽装を。いや。欺瞞か」「……。駄目。駄目駄目」「人質の安全を最優先でしょ……」「最後の切り札は……」
 頭の中で無数のシミュレーションが行われているのは確かだった。とはいえ、その内容については、漏れ聞こえる独り言だけでは情報不足だった。

「葛城一尉が今何を考えているか、判りますか?」
 青葉シゲル二尉が赤木リツコ博士に小声で聞いた。
「作戦には違いないのよ」リツコは溜め息と共にそう言った。「だけど、ミサトの考える作戦は攻撃的だから。人質救出作戦なんてガラじゃないわ。覚悟しておいたほうが良いわね」
 その言葉が耳に入ったのか。ミサトがぴたりと足を止めた。マヤ、マコト、シゲルの三人は強ばった顔付きでミサトの言葉を待った。
「赤木博士。今から挙げる能力を持つフネ、輸送機の存在の有無及び、その場所。直ぐにMAGIに調べさせて」
 ミサトは早口で、必要な種類のフネと輸送機に関して、必要とされる性能緒元を並べたてた。MAGIの解答は直ぐに出た。
 リツコは呆れと感心を同時に表情に示してミサトのほうに向き直った。
「ミサト。最初から当たりがついていたんじゃないの?」
「ん?」ミサトはとぼけた顔をした。
「フネに関しては日本近海の太平洋上にいるわ。場所もほぼ望ましい位置ね。輸送機も富士の演習場にあるわ。半時間とはしないうちに指揮下に組み入れる事が可能よ。上手くすれば、作戦開始まで三時間とはかからない」
「あ、私の作戦、判っちゃった?」
 ミサトが悪戯っぽく笑う。
「大体はね。問題になるのは――」
 ミサトはリツコに最後まで言わせなかった。
「そう。実際になぐり込ませるのは誰にするか、ってところ。人質を傷つけずに、ってなるとね。自衛隊で暇そうにしてる部隊を探ってみて頂戴――」
「いや。その必要はないよ」
 ふいに、後ろから締まりのない声が掛けられた。二人が揃って振り向く。
「加持君」「どういうこと、その必要はないって」
 二人は同時に声を出す。彼女達の前には、ネルフ特殊監査部所属、加持リョウジがどこか真剣さに欠けた表情で立っていた。
「俺が行くよ。二十人ばかし、例の特殊部隊の連中にも声を掛けてある。命令一つでいつでも出撃可能だ」
「どうして?」ミサトの問いには戸惑いが含まれていた。
「さあね」リョウジの声には相変わらず緊張感がなかった。「これだけは言える。エヴァンゲリオンを、ネルフ以外の存在に委ねることは許されない」
 リョウジは片目をつぶって見せた。
「……。碇司令、よろしいですか?」
 ミサトはしばらく考えた後、一段高い後方に控える司令に身体を向けて問うた。
「問題ない」
 錯乱一歩手前の状況は脱していたものの、どこか微妙なところで抑制が効いていない。ゲンドウの声には明らかに怒りが含まれていた。
 ミサトは頷き、手短に作戦内容をゲンドウに示した。作戦は承認された。
「MAGIのシミュレーションによれば、零号機奪還成功の可能性は七十五%。ただし、人質全員を無事救助出来る可能性は三十一%よ」
 リツコが言った。
「悪くないわね、それだけあれば」
 そう言ってから一瞬だけ、ミサトは暗い顔付きになって下を向いた。自分の作戦が人質に被害を及ぼす可能性に思いを馳せたのかも知れない。が、すぐにきりりと顔を引き締めると、凛とした声で命令を発した。
「只今より、本作戦の部内呼称を『シキシマ作戦』に統一。指揮は葛城一尉が執ります。作戦開始予定時間は明日03:00。直ちに作戦準備を開始して下さい」

「いいのか、碇? エヴァを三体も投入する価値があるのか?」
 いつものように傍らに立つ冬月コウゾウが聞いた。
「勿論だ。ゼーレも文句は言わない筈だ。エヴァンゲリオンなくして、我々に未来はない」
「だろうな。だが……。今、使徒が現れないことを祈るしかないな」

 後編に続く

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