『おとぎの国の”レッドサン”』第七話
初出:1998年2月11日
NEON
GENESIS
EVANGELION
SUPPLEMENT EPISODE:07
Achievement and fail.
1.タイガーホーク
Xdayマイナス七二日――硫黄島中部居住区。707棟4−C号室。
――20:15。
島では嵐が吹き荒れている。人の気配が全くなくなった居住区の中を走りに走り、タカトラは自宅に駆け込んでいた。
世帯間映像通信の回線が、非常時専用の一斉通信を送信していた。モニタに警告表示が映り、音声による避難勧告がエンドレスで流れている。
『硫黄島町民の皆様にお知らせします。現在、レベルE−1警報が発令されております。速やかに避難壕への退避をお願いします。繰り返します――』
「んな事言ったって、体育館には三千人からの観客が集まってるんだぜ……?」
荒い息を懸命に整えながら、タカトラはヒサカズの部屋に勝手に入り込み、クローゼットの奥に立てかけてあった、布に包まれた細長いものを手に取った。
「まさか、こいつの出番があるたあな」
ぶつくさと独り言を吐いた、タカトラの口の端が次第に緩む。
布袋の口を縛っていた紐を解くと、中から現れたのは日本刀だった。備前長船。さらに鞘を払い、刀身を確かめる。
当然の事ながら、刃は付いていない模造刀だ。だが、刀身の素材は、本物の日本刀と何ら変わらない。タカトラのような剣速の持ち主が振るえば、凶器を越え、兵器と化す存在。
続いて自室に戻り、普段は使っていない小ぶりのボストンバックに刀を押し込んだ。ちょうど柄だけがバックの外に出て、傍目にはテニスラケットでも突っ込んであるかのように見える。万一見とがめられたら、家宝の、文字通り”伝家の宝刀”を持ち出した、と言い張るつもりだった。
「さて。戦闘準備だ」
袖をまくったTシャツの上から黒のサマージャケットを羽織り、頭にモスグリーンのバンダナを巻く。ファッション的には滅茶苦茶だが、とりあえず動きやすい格好であることは確かだ。
「いくぞ」
己に気合いを入れる。すぐに真顔が苦笑に変わる。全く。刀を持っていると安心だなんて、二万里先輩と変わらないな。
と、玄関のベルが鳴った。まさかと思う。避難の終わっていない人間を警察か誰かが探しているのだろうか?
違った。玄関に備えられたビデオカメラが、玄関先に立つ凸凹コンビの二人組の姿を捉えている。二人とも小銃を手にしている。
(なんだ!? ありゃ、高校の剣道部の部員じゃないか……!)
タカトラは愕然となった。陶の仲間になって動いているらしい。が、余りにも不用意すぎる。
相手がプロの特殊部隊ならともかく、素人の高校生なら勝機があるかも知れない。小銃は本物かも知れないが、それを扱った経験がないのなら、まともには戦えまい。
「どうする、タカトラ」
自問するタカトラは父・ヒサカズの言葉を思い出す。
人は時として、自分にはとても手に負えないような事態に直面するときがある。そういう非常事態にどう動けるかによって、人間の真価は決まる。ルーチンワークをこなすしか能のない人間は、どんなに高学歴であろうが、只のクズだ――。
「やるしかない、か」
タカトラはバックに潜ませていた日本刀の柄を確認すると、おもむろにドアを開け、高校生の前に姿を現した。
「あ、どうもです」
わざとのんびりした声を出す。
二人はぎょっとした表情になったが、相手が間の抜けた対応をしていることに気づいて表情を崩した。
「お前な……。二万里先輩のところから逃げ出して、自分の家に隠れてたら、そんなに簡単に顔を出すもんじゃないぞ? 本当なら、撃ち殺されたって文句は言えない」
「ええ、まあ、そうですね。あれは弾みなんですよ、だから、これから謝りに行こうと思って」
タカトラは曖昧な表情と声で応じる。つられて相手も対応が穏やかになっている。
「その鞄はなんだ? 逃げようとしてたんじゃないのか?」
「差し入れですよ。貢ぎ物と言ったほうが良いかも知れない」
凸凹コンビの凹が笑った。凸が真顔で聞く。
「貢ぎ物? 何だ?」
「模造の日本刀ですよ。ウチの家宝です」
鞄から件の日本刀を取り出し、鞘から抜いて見せる。
「本物か? まあ、二万里先輩が喜びそうな気はするが……」
「残念ながら模造ですがね」タカトラは笑いを浮かべた。「試してみます?」
「ん?」
相手がその言葉の意味に気づく前にタカトラが動いた。
「チェストッ!」
タカトラが手にした日本刀の柄に両手をかけると、一気に連動した動作でその刃のない刀身を凹の右肩に叩き込んだ。ぐしゃりと鎖骨が折れる音がした。
「てめ――」
凸が小銃の引き金に指をかけるより先に、凸の喉に日本刀の刃が押しつけられていた。
「生憎俺は、妙な考えにかぶれてる訳じゃないんでね」
タカトラはそう言い放ち様、刃先を凸の喉に押し当てつつ引き抜いた。
「ぐおえぅっ!!」
喉をかききるという訳には行かないが、その痛みは相当なものだろう。凸は跳ね飛んで半回転しつつ倒れ込んだ。喉を押さえてのたうち回る。殺人未遂くらいに該当してしまうんだろうか。ま、少年法があるさ。
「さてと。問題は」
ライブ会場。果たしてあそこに侵入して、サオリ達を助けることが出来るか。勝算は全くなかったが、それ以外に、選択肢を思いつくことが出来なかった。
――20:20。
硫黄島南東十五キロの海上。『あやなみ』ヘリパッド。
暴風圏内にすっぽりと入り込み、荒れる海は容赦なく『あやなみ』を揺さぶっていた。叩き付けるような勢いで着艦し、降着装置に固定されたMH−7Jのまわりに、古鷹以下の要員が走り寄る。
「敵兵力はどの程度なんですか?」
生駒はコクピットで、ハーネスで固定した身体を揺すって、機首下から見上げている古鷹に聞く。露天であるため、当然斜めから雨が叩き付ける。生駒は風防をほんのわずかだけ開けていた。雨でコクピット内の電子機器が濡れるのを避けるためだ。
「判らない。全く、敵に先手を取られたな」
既にずぶぬれになっている古鷹は苛立たしげに喚いた。
「とにかく、対地装備とCユニットで行く。燃料補給が完了し次第、急いで出てくれ」
「了解」
生駒は風防を閉め、コクピット内のモニターに視線を走らせた。
「はぁ……。結局、こういう役回りなのよね。潜水艦のほう、放り出して大丈夫なのかしら」
「上陸を許したとあっちゃ、仕方ないっしょ」真崎は泰然としたものだった。
「そう簡単に割り切れないわよ」
ユニットの交換と燃料補給が済み、MH−7Jは慌ただしく離艦していった。こんな天候で飛ばすなんて無茶も良いところだと生駒は思った。時折煽られて機体が傾いていた。
十分後。
荒天を衝き、MH−7Jはダウンウォッシュを叩き付けながら、鉢摺山の駐車場に降下していた。そこには、地下通路を移動した天満以下、トップチームの四名が待ちかまえていた。
「急いで下さい!」
機載スピーカー越しの生駒の言葉は不要だった。四名は極めて迅速にCユニットのキャビンに飛び込んだ。
――20:30。
硫黄島中部居住区。硫黄島高校体育館。
「こりゃあ、どうにもならないな」
敷地の北東部の角にあるフェンスの破れ目から侵入し、中腰になって体育館の近くを偵察してまわったタカトラが、校舎の裏手にある体育倉庫の陰で嘆息する。
そこからは渡り廊下で繋がった体育館の裏口が視野に入った。その前には銃を抱えた兵士が二人見える。
どこかから体育館に侵入できないかと探ってみたが、どこも警戒に当たる兵士の姿があって到底潜り込むのは不可能だった。
正面入り口前の道路などは、戦車がうずくまって砲身を振り上げている始末だった。
実際、見つからなかったのは、雨で視界が悪いのと、単にタカトラが高校の敷地内に土地勘があるという、ただそれだけの話だった。
「さて、どうしたもんか」
一瞬、殺気を感じて飛び退く。同時に背中に背負っていた日本刀の鞘を払っていた。
「何者だ、貴様」
その問いはタカトラの背後から迫っていた男から発せられていた。
銃を構えている黒ずくめの戦闘服姿をした相手に、タカトラの肝が冷えた。タカトラの家のブザーを鳴らした間抜けどもとは訳が違う。本物のプロだ。身のこなしがまるで違った。隙がない。
と、ふいに相手がにやりとした。低い声で話し掛けてくる。
「まだガキじゃないか。チャンバラごっこは余所でやってくれ」
「……自衛隊の方ですか」
安堵の溜め息をついてタカトラが聞く。
「こんなところで何やってる?」
「友達が人質になってるんですよ」
「心配するな。俺達が助けてやる」
「気を付けて下さい」タカトラが神妙な顔で、自分と同年代である島の人間が、敵に協力している旨を伝えた。山口も顔色を曇らせた。
「そいつは厄介だな。いきなり駆け寄ってこられても、こちらは引き金が引けるかな……」
だが、既に作戦は開始されていた。もはや後戻りは出来なかった。現に、暴風の唸りに混じって、ヘリのローター音が遠くから響き始めていた。
「来たか……。おい、黙ってじっとしてろよ。なにもするな、見るな、考えるな。邪魔になるだけだからな」
居丈高な山口の言葉にも、タカトラは従順に頷いた。彼らならきっと、境達を助けてくれるという思いを抱いたからだった。
山口以下四名は、タカトラには判らない符牒混じりの打ち合わせを終えると、それぞれの方向に散った。
南から、低速・低空でヘリが飛んでくる。不気味な存在だったが、脇腹からサーチライトを体育館に向けていることで、逆に周囲を警戒しているUF兵士はそれを脅威と捉えなかった。
彼らにしても、ただ近づいてくるというだけで無闇に攻撃できないことは判っていた。敵意を感じさせないヘリを、偵察に来たのかと思いつつまぶしげに見上げるだけだった。
だが、全ては欺瞞だった。ヘリの右側ハッチに装備したサーチライトによって逆光を作りだし、左側から繰り出されたホイストケーブルの先端に、四人もの男がぶら下がっていることに、誰も気づかなかった。”灯台もと暗し”を、物理的に作り出しているのだ。
MH−7JのTADS/PNVS(目標探知・パイロット用赤外線暗視センサー)は、風防の後縁と、二つ並んだエアインテークの間にある。それが意志を持っているかのように左右に動く。コクピット内で生駒が連動する専用ヘルメットを被り、バイザー内に映る映像の中から、はっきりと目視出来ない敵の姿を探しているからだ。
暗視装置越しに見える、色を失った墨絵のような画像は生駒の神経に違和感を覚えさせ、疲労感を与えていた。加えて画質はあまり良くない。天候条件が悪いからだ。
生駒は緊張していた。わずかでも高度調整を間違ったら最後、ホイストケーブルの先端にぶらさがる四人は、体育館の壁面に叩き付けられるか、着地時の衝撃に耐えられない高さから飛び降りるかしてしまう。
絶妙の高度で侵入するために、真崎が絶え間なく高度を報告し、ケーブルの先端がぎりぎり体育館の湾曲した天井をかすめる位置を飛ぶよう調節する。
とはいえ、横風をまともに喰らう中、低速で低空飛行をするのは正直、胃が痛くなる思いだった。
眼前にせまる高校の校舎、その脇をすり抜けて体育館の真上に迫る。空からでも目立って見える屋根に意識を集中する。
「カウントダウン、五、四、三……」
ゼロになった瞬間、MH−7Jは、低速でホールドアップ状態の無防備さを装って、体育館の真上を何事も無いかのように航過した。その瞬間、鈴なりになっていた四名が体育館の屋上に転がり落ちる。
その時、体育館の二階席の入り口である正面エントランスに通じる階段前に陣取っていたPT−76に、山口の構える一四式対戦車誘導弾の照準ユニットが向けられていた。
一四式対戦車誘導弾は、CCDカメラ・モニタとトリガから構成される照準ユニットと、ミサイルが収まるメンテナンスフリーの使い捨て砲身部とで構成されている。それらは光ファイバーケーブルで接続され、全く別個の位置で使うことが出来た。
山口はCCDカメラの捉えたモニタを睨んでいた。デジタルビデオカメラの液晶モニタを覗いているのと変わらぬ姿勢だった。左手に触れるスイッチを操作して夜間用の画像処理を施し、さらにズームして、画面中央にPT−76の姿を捉える。
山口は引き金を一段引いた。CCDカメラの画像がコンピュータによって解析され、液晶モニタ上のPT−76の姿がワイヤーフレームでスケッチされる。それが充分な三次元モデル図を描けるほどのデータとなったところで、フレームの色が赤色から青色に変化した。
引き金をもう一段引く。駐車場に停められていた乗用車の間に据えられていた円柱状をした砲身の先端の覆いが破れ、イメージ画像誘導式の誘導弾が炎を吐いて上空へ向けて飛び出した。偏向ノズルと姿勢制御フィンを巧みに使い、鋭角を描いてPT−76の頭上から襲いかかる。
燃費が悪いため、アイドリングすら行っていなかったPT−76は回避措置を取ることも出来なかった。音速以上で飛び込んで来た誘導弾が砲塔上面に命中。モンロー効果によって装甲を焼き切る形成炸薬弾の高熱のジェット噴流が車内に流れ込む。砲弾が誘爆。内側から膨れるようにして爆発する。衝撃波がPT−76のまわりを固めていた兵士を薙ぎ払った。
「さて。次の曲は、ガンダムAの初代オープニングテーマ、”ディタッチメント”です。一応カバー曲と言われてますけど、最初は私が唄う筈だったんですよ」
その頃、驚くべき事に、というべきか、ナルミはライブを続行していた。直ぐ脇に控えているUFの指揮官の存在を無視するかのように、台本通りの流れで進行している。
銃を構えた兵士に囲まれながら聞く曲に、最初は生きた心地のしない風情だった観客も、次第に緊張を解き始めていた。いや、ナルミのライブに没頭して自ら思考停止状態に陥ることで、不条理な現実から目を背けていたのかも知れない。
そんな中、体育館屋上では、メンテナンス用のハッチに取り付いた天満以下トップチーム四名が、屋根の裏側に侵入していた。金網状のメンテ用通路が、円形の体育館の屋根の内側を一周するように巡らされている。その上からは、観客席の状況と、UF兵士の配置が手に取るように見下ろせた。敵は、この位置から見る限り十二名。その位置を頭に叩き込む。無言のまま、四名は物音一つ立てずに散開した。
足元からは、ナルミの心なごませる歌声が聞こえてくる。”ディタッチメント”は本来かなりアップテンポな曲調で、その為にナルミの声は不適切だという理由でガンダムAの初代主題歌から外されていた。が、ナルミの柔らかな歌は奇妙にマッチしていた。思わず聞き惚れてしまう魅力に満ちていた。
敵の集中力が散漫になっているのが、天満には有り難い。それでも、先程着地した瞬間に鈍い音を立てたのが気づかれたらしく、どこか緊張感が伺える。
と、防音措置が施されているにも関わらず、鈍い衝撃音が屋外から届いた。PT−76が撃破された音だ。それによって、天満達が屋上に降り立った際に発した音、それに対する疑念がUF兵士からは消し飛んでしまった様子だ。何人かが小走りに通路を駆け、外に飛び出していく。
天満はMP5SD6を構えた。近距離。狙うは、唄うナルミの傍らで仁王立ちしている敵の指揮官。三名の部下も、観客に動きがないか視線を走らすUF兵士に狙いを定める。
天満が、何の気負いもなく引き金を引き絞る。射撃音もマズルフラッシュもほとんど起こらない。全く唐突に敵指揮官が跳ね飛んだ。ほぼ同じタイミングで、UF兵士三名も身体を崩れさせる。
この段階で、観客席の各所に配されていた十二名のうち、四名が外に飛び出しており、四名が銃撃によって即死。残るは四名。
その内二名は、天満とトップチーム隊員の狙撃によって引き金を引く間もなく倒された。だが、最後の二名――ステージの最前列と、東側の出入り口を固めていた敵が生き残った。最前列の兵士は観客の一人に飛びついて銃口を背中に押しあて、出入り口の一人は脱兎の如く体育館の外に飛び出した。
天満は躊躇い無く、観客を人質にとって、四方にくるくると首を向けている敵の頭に照準を合わせ、発砲した。頭部の半分が削り取られて吹き飛び、派手な血しぶきが観客の顔に降り注いだ。
死者も目を覚ましかねない絶叫。思考停止状態だった観客が騒然とし始める。
それを聞き流しながら、天満は上に二名を残し、もう一人を連れて、メンテナンス用通路から二階席に通じるラッタルを、飛び降りるような勢いで駆け下りた。そのまま中腰で周囲を警戒しながらステージに駆け寄る。
そしてステージに躍り上がった天満が、立ちつくして目を丸くしているナルミからマイクをひったくり、割れ鐘のような大声を張り上げる。そんな大声を出す必要はなかったのだが、それなりに興奮状態にあるらしい。スピーカーがハウリングを起こして鼓膜に突き刺さった。
「皆さん、落ち着いて下さい! 我々は自衛隊です! 皆さんを救出に来ました! 今しばらくお待ち下さい、その場を絶対に離れないで下さい!」
無闇に動かれるのが一番怖い。どこかに潜んでいるかも知れない敵との見分けがつかなくなるからだ。天満は刺すような視線を観客席の隅々まで振り向ける。妙な殺気を感じるが、敵らしき姿はない。
その時、横手に立っていたナルミがマイクに飛びつき、叫んだ。
「みんな、逃げて! ここにいたら殺されちゃう!」
彼女の一声で、観客が一気にパニックを起こした。悲鳴を上げ、てんでばらばらに逃げだそうとする。
「外に出ちゃいかん!」
さしもの天満も狼狽えて怒鳴るが、もはや彼の言葉など観客の耳には届かない。
「あんた、一体……」
憎悪に満ちた目でナルミを睨み付ける。だがナルミは、ガラス玉のように澄んだ、それでいて知性を感じさせない目で天満を不思議そうに見返すだけだった。
一四式対戦車誘導弾のランチャー・ユニットを足元においた山口も、既にMP5SD6の銃口を正面エントランスに向けて待ちかまえていた。
ばらばらと連携もなく飛び出し、燃え上がるPT−76を見て立ちすくむ敵兵に、容赦なく銃撃を浴びせる。
と、敵の動きが乱れた。後方から、重い扉を押し開けた観客が雪崩を打って飛び出してくるのだ。兵士が振り返る。銃声が響く。威嚇。銃口は天に向けられている。
だが。恐慌状態の観客にはまるで通じない。ついに銃は水平に構えられた。発砲。観客の数名が撃たれて階段を転げ落ちた。
「ちっ! 莫迦どもが……」
悪態をついた山口が、それでも敵兵を探し求めながら腰を上げる。恐らく敵の所有する銃弾より観客のほうが多い。しかし、皆殺しにならない事が免罪符になるとは思えなかった。
状況を把握したタカトラも、日本刀を背負って体育倉庫の陰から駆け出していた。三千人のなかから境を探し出さなければならない。
ケーブルを巻き上げたMH−7Jは島の北部で急旋回して、再び硫黄島高校上空へと針路を取っていた。今度はスタブウイングに装備した対地装備で、既に交戦状態にあるであろうトップチームを支援するのだ。
だが。
「うわあ……」
コクピットでは、思わず生駒が呆れ声を出していた。
機首下の三銃身バルカン砲が、地表に無数の火柱を立てるべく睨みを利かせている。が、今のところ、それを使える状況ではなかった。
機関銃が打ち上げられてくるが、MH−7Jの胴体下面には戦車並みの装甲が施されているため、ほとんど損害を与えない。第一、打ち上げの機関銃は威力がかなり減殺されている。
嫌になるわね、全く。生駒は緊張で震える指先を疎ましげに思いつつ、サイクリックスティックを操っている。観客が正面の出入り口からだけでなく、一階のあちこちにある非常口や関係者用出入り口からも人が一斉にあふれ出している。
「作戦失敗だな、この有様じゃ」
真崎が他人事のような言葉を吐く。既に撃たれて倒れた観客がいるのが見て取れた。
無闇に外に飛び出した結果であるのは明らかだった。時折体育館からも発砲がある。しかしそれは、トップチームが敵兵を狙撃しているものだ。観客を体育館の中に押さえておきさえすれば、敵を内外から挟撃出来たはずだった。ナルミの一言がその計画をぶち壊したのを、真崎は知らない。
生駒は、たとえ吹っ飛び、胴体が千切れるのが敵兵であっても、それを上空から見るのはやりきれなかった。戦争。人殺し。望んで選んだ仕事とはいえ、好きになれるはずもない。連中を殺さねば、他の誰かが死ぬことになる。そう自分を納得させようとしていること自体に腹が立つ。人間が汚れている、そう思う。吐き気がしてきた。
その生駒の思いに発破をかけるかのように赤外線感知装置が、ミサイルの噴射を捉え、警告を発した。
生駒は戦士の意識を瞬時に取り戻した。きりりと眉を上げる。
「フレアを!」
「く、近すぎるか」
真崎が呻りながら、MH−7Jの長く伸びたスタブ・ウィングの両先端後縁から、マグネシウムの燃焼で赤外線追尾を欺瞞するフレアを投射した。
同時に生駒はサイクリック・スティックを倒し、MH−7Jの機体を横転させて一回転させた。瞬間的な失速状態に陥ったMH−7Jは、通常の操作ではありえないほどの速度で高度を失っていた。
携帯地対空ミサイルはMH−7Jの頭上をオーバーシュートした。
「危ない。”ストーカー”だったら本当に危なかった」
「ブツは、”グレムリン”っすね」
「どこから?」
「校舎の屋上……! 撃ちます」
「行け!」
生駒の命令が終わらぬうちに、真崎はターレット・リングに吊られた三銃身三十ミリバルカン砲を捻って照準を合わせ、トリガを引くという動作を終えていた。
戦車の上面装甲すら打ち破る三十ミリ弾を浴びては、人間などちり紙よりもたやすく引き裂かれてミンチになってしまう。校舎屋上のコンクリートと一緒くたに、勇敢な敵兵は撃砕された。
が。
その直後、新たな携帯式地対空ミサイルが駆け登ってきた。今度は”ストーカー”だった。
「うわ!?」
再び機体を捻りつつフレアを放出する。だが、前方から襲ってきたミサイルをごまかしきることは出来なかった。眼前で炸裂する。
瞬間、生駒の視界が真っ白に覆われた。風防の防弾強化ガラスが硬質の破断音を響かせた。
「……エンジン、フレームアウト、FODっす」
真崎が冷静に状況を告げる声が、生駒には妙に遠くで喋っているかのように聞こえた。
「二日連続でエンジン潰したヘリなんて、他にないでしょうね……」
今度は、不時着場所を探す余裕もなかった。主副車輪を突き出し、オートローテーション機構が働ききる前に、MH−7Jは硫黄島南海岸に沿った幹線道路に滑り込んでいた。機首は防波堤ぎりぎりのところで止まった。もう少し速度が出ていたら、コクピットが押し潰されていただろう。
不時着の瞬間の凄まじい衝撃に、生駒の意識が遠くなる。
「……一尉! 生駒一尉!」
後席から身を乗り出した格好で、真崎が顔を近づけていた。
「あ……。大丈夫よ、頭がくらくらするけど」
妙に酸っぱい臭いがした。何かが焼け焦げている匂いだと気づく。
「やばいっすよ。さっさとずらかったほうがいい」
真崎が風防を押し上げた。途端に塩辛い雨がコクピット内に吹き込んでくる。
「そうみたいね」
そう応じた生駒だが、霞む目を左翼側――北側に向けた途端にぎょっとなって言葉を失った。何か黒々とした、角張った何かが接近してくるのだ。
慌ててTADS/PNVSのゴーグルを作動させてそれを確認する。
「BMP−1……」
上陸してきたUFの水陸両用兵員輸送車だ。
「墜ちたヘリに大げさな……。歩兵まで随伴させてやがる」
暗視装置の映像を見た真崎も後席に腰を落とし、火器管制装置を作動させていた。戦闘機と違い、MH−7Jは車輪を出した状態での戦闘も考慮されていた。
「何が使える?」
相手は硫黄島基地の攻撃を行っていた連中だろうと生駒はあたりを付ける。その素早さが癪に障る。
「ガンはダメっす、不時着でひん曲がってます。対戦車ミサイルが行けます」
口を尖らせている生駒とは対照的に、真崎はいつものペースを崩さない。
「ったく、冗談じゃないわね、こんなことまで。……体育館のほうの援護に回るのが筋でしょうに――」
真崎の皮肉屋ぶりが移ったか、生駒はぶつくさいいながらTADS/PNVSに映ったBMP−1の画像データを、左翼スタブ・ウイングに吊った一四式対戦車誘導弾の弾頭部のメモリに送り込む。
必中を期せる程度のデータが集まったところで――距離は三百メートルと離れていなかった――生駒がトリガを引く。風切り音と共にチューブに収められた一四式対戦車誘導弾が飛び出す。眼前の堤防をかわして捻り込みながら急上昇した誘導弾は、逆落としにBMP−1の頭上から突っ込んだ。
脹らみ、爆発する兵員輸送車。その背後に就いていた兵士の内、爆風と破片から逃れた数名が散開しながら突撃に移った。早くも銃弾が数発MH−7Jの機体に着弾する。
「いよいよやばいっす」
言い様、真崎がコクピットの右翼側に飛び出す。続いて束帯を外し、痺れたようになって思うように動かない身体を引きずって、生駒が機外に転げ出る。二人とも、機体のあちこちから燻って白煙が漏れ始めていた。
「敵は何名!」
携帯を義務づけられている拳銃・SIGザウエルP220の安全装置を外しながら、生駒が怒鳴るようにして訊ねる。横殴りの雨のせいで、たちまちずぶぬれになってしまうが、それを不快に思う余裕もない。
「四名……!」
真崎が返事をしつつ、装着されたCユニットの陰から立て続けに二発撃った。
「あと、二名っす」
「……大したものね」
生駒は心底感心した声を出す。恐らくは完全武装の兵士を相手に、拳銃一挺でやりあうなんて正気の沙汰では無かった。だが、真崎はMH−7Jのガイ・イン・バックだ。レインジャー並みの訓練を受けている。ただのヘリパイロットである生駒とは汎用性が違う。
「敵はどこ?」
機首側から向こうを伺う生駒が再び聞いた。地上での銃撃戦となれば段取りを真崎に任せるより手だてがない。
「一人は路上駐車の外車の陰に隠れてます、見えますか?」
目を凝らすと、山側の車線に黒塗りのBMWが停めてあるのが見えた。一体こんな離島にあんなクルマを持ち込む身分の人間とは、何者だろうかと生駒は場違いなことを考える。
「確認した」
「もう一人は堤防の向こう側に転げ出ました。そちらのほう、お任せします」
真崎はそう言って、生駒の返事も聞かずに山側に向かって飛び出した。
「危ない!」
真崎は素早く山側の歩道沿いにある植え込みの陰に潜り込んだ。持久戦を嫌ったのだろうが、余りにも無茶だった。
案の定、BMWの陰から発砲がある。真崎が飛び込んだ辺りに連続して着弾する。
「私を一人にしないでよ……」
そういう生駒も、真崎の動向だけに気を取られている場合ではなかった。
防波堤と砂浜を繋ぐ階段部分に身体を投げ出し、這うようにして上に登る。目から上だけを防波堤の平面部に出す。我ながら良い的になっていると思うが、それ以外に周囲の状況を確認できない。
と、唐突に防波堤の向こう側からニュッと頭が突き出た。砂浜側から回り込んできたUF兵士の頭だ。
「――!!」
生駒が声にならない悲鳴を上げて階段を転げ落ちる。一方のUF兵士はそれをみて勝利を確信したのか、一気に防波堤を乗り越えてこちら側に身を晒した。道路に仰向けにひっくり返った生駒の身体の上に覆い被さってくる。
迷彩ドーランを塗りたくってはいるが、黒い目をした相手はどうも日本人らしかった。体躯はそれほど立派ではないが、体力には自信があるのだろう。ぎらついた目を一瞬不気味に輝かせると、生駒を組み伏せにかかった。
「冗談じゃないわよ……!」
生駒は両腕を抑え込まれる寸前、左臑に装備していたサバイバルナイフを抜き放ち、渾身の力を込めて相手の喉を払った。夜目にも鮮やかな血が飛び散った。
今度は相手が声にならない悲鳴を上げる番だった。生駒は腰が抜けたような状態で後ずさりしながら、さらに数発、P220の弾丸を倒れたUF兵士の身体に叩き込んだ。
「そりゃあオーバーファイアってもんっすよ。もう死んでる」
不意に後ろから声を掛けられ、生駒の背筋が凍り付く。もし真崎の声を聞き慣れていなかったら、振り向きざま発砲していたかも知れない。
「そっちは、片づいたの……?」
「なんてことはないっす」濡れた全身に植え込みの小さな葉っぱをくっつけたままの真崎が鼻を鳴らす。「こいつ、生駒一尉を女と思って油断しましたね、莫迦な奴……」
「そうね、お陰で助かったわ」
返り血で無惨な顔をしている生駒が、凍り付いた表情で同意する。
「そろそろこいつ、爆発でもしかねません、とっとと逃げましょう」
「逃げるって、どこへ……?」
まだ放心状態で腰の立たない生駒の腕を取り、真崎が力強く引き上げて無理に立たせる。
「とりあえず南へ」
「ええ、そうね……。きっとこれから悪夢に魘されるわ、彼も日本人だったのに……」
「外国人だからって殺して良いという話にはならんでしょう。気にしないことっす」
「貴方のタフさが羨ましいわ」
生駒が溜め息をつく。途端に息苦しさを感じて大きく息を吸う。随分と呼吸が荒くなっていることに初めて気づく。
「自分は生駒一尉を信頼しておりますから」
「それって、慰めてるつもり?」
「……。急ぎましょう」
「ええ。酷いものね、こんなにあっさり人殺しが出来るなんて……。やだわ、血の匂いが染みついてる」
真崎に肩を抱えられる形で、生駒は足早にその場を離れた。不時着した上に銃撃を受けて半壊したMH−7Jは、冬を迎えて力つきたトンボか何かのように見えた。
(ごめんね、無茶な使い方しちゃって……。今までありがとう)
天満はステージ上から観客席を見回していた。もはや全く制止が聞かない状況になっている。天満も今更怒鳴りつけても効果のないことを悟っていた。
「ナルミさんを休ませてもよろしいでしょうか?」
いつの間にステージに上がってきたのか、スタッフジャンパーを羽織った少年が、天満に話し掛けてきた。相手を地元のボランティアか何かだと思った(現に高校生が会場整理のスタッフに参加していた)天満は不機嫌そうな表情で頷いた。厄介払いが出来て清々、といった風情だったが、これも自衛隊員の犯した過誤の一つであった。
陶が、ナルミの背中を押すようにしてステージから後退する。
「あれ?……あそこにいるの、陶君じゃない?」
境は客席の間に伏せて、流れ弾から身を隠していた。が、周囲の状況が判らないので不安になり、背もたれの隙間からステージをのぞき見て、その光景を目撃したのだった。
「みたいだね」
境と同じように這い蹲っている南雲が、ろくにステージを見もせずに答えた。彼の消沈ぶりは境が見ていて痛々しいほどだったが、反面、彼女の神経をひどく苛立たせていた。松田が行方不明になったときすら、ここまで気落ちしてはいなかったように思えた。
南雲君にとっては、井上ナルミの思いもかけない一面を見せられたことのほうが、今の状況よりも重大時ってわけ。
失望の念を禁じ得ない。ふと、タカトラがこの場にいてくれたら、と思う。あいつは、きっとこういうときに最も頼りになる奴だ。
癪だけど。癪だけど、あんな奴はそう居ない。
(助けて、タカトラ)
思わず口の端からその思いがこぼれたことに彼女は気づかなかった。茫然自失の南雲もその言葉を聞き逃していたから、結局のところ問題はなかったのだが。
彼女は決意した。これ以上ここにいても仕方ない。南雲のことは完全に愛想を尽かしていた。静かに、這うようにして移動を開始する。彼女には、外の状況がまるで判っていなかった。
馳倉達関係者一同はまとめて控え室に軟禁されていた。部屋の前で兵士が詰めていたので身動きがとれず、テレビ中継を歯ぎしりしながら見ているほか無かったのだが、状況は変わった。
「ナルミ!?」
頃合いを見計らって控え室から馳倉が飛び出したところに、陶に連れられたナルミと鉢合わせした。
「馳倉さん、どうかしたんですか?」
澄んだ目で馳倉を迎えたナルミの様子に、馳倉が戸惑う。
「大丈夫、怪我とかない?」
なんと言って良いか、言葉に詰まった馳倉が、さして意味のない問いを投げ掛けた。動転しているので、間近に歩み寄るまで陶の存在が目に入っていなかった。
彼女がはっと気づいたとき、陶の手に握られていた消音銃が放たれた。馳倉の左肩がはじけた。血しぶきが飛び散って壁に染みを作る。絞り出すような悲鳴をあげて倒れ込む馳倉を、ナルミが無言で見下ろしている。
「さ、急ごう」陶が何事もなかったかのようにナルミを促した。
「サオリっ! どこだあ!」
裏口の前でタカトラが声を限りに怒鳴る。まさか正面入り口から飛び出すような真似はしていないだろう、そう希望的観測を抱く。どこまで彼女が落ち着いて行動できるか、どこまで現状を理解しているか、タカトラには確証がまるでなかった。
裏口からも、正面入り口同様に続々と観客が押し合いながら脱出してくる。やはり体育館の構造を理解している地元中高生が多い。顔を見知った者も一人や二人ではない。それでもタカトラは彼らには目もくれず、懸命に人混みをかきわけつつ境の姿を探した。
「……タカトラ?」
思いも掛けない近くから、聞き慣れた声がした。慌てて声の方に振り向く。人の流れに翻弄されながらもタカトラの姿を目で追っている境がいた。
「よお」
タカトラはとぼけた調子で軽く右手をあげてみせた。そのまま力任せに人の波を押しのけて境の元に歩み寄る。
境は泣いていた。自分が泣いているという事に気づいていないのではと思わせるほど、人目もはばからずに涙を流していた。
「……怖かった!」
雨の届かない渡り廊下の下。境はそう言うなり、タカトラの胸に顔を埋めた。両手をタカトラの背中に回し、ぎゅうと力を込める。濡れねずみになっているにもかかわらず、タカトラの身体は温かかった。
「しっかりしろよ、らしくねえぞ」
その言葉に、境が途端に反応した。手を回したままの姿勢で、上目遣いにタカトラを睨む。
「もう! 今までどこに行ってたのよ! ねえ、陶君のところで、なにしてたの?」
「まあ、そりゃあ、いろいろあってな……」
タカトラがぼそりと言う。そして境の両肩に手をおき、ゆっくりと彼女の身体を自分から離す。落ち着いた状況でなければとても話せるものではない。境はタカトラの思いに気づかず不満げにしていたが、やがて彼が背負っている日本刀に気づき、不思議そうな視線を向けた。
「……そういや、南雲は? 一緒じゃなかったのか?」
ごまかすようなタカトラの問い。途端に境の機嫌が急降下する。
「知らない。どうでもいい、あんな奴」
ぶんむくれた境だが、タカトラのまっすぐな視線を受け、慌てて顔を逸らした。
「そう言うなよ、あいつも今度の一件で頭を冷やしたろ」
「……うん」
境は安心したのか、今度はタカトラの腕に掴まって軽く目を閉じ、頭をもたれさせた。甘えている自分が恥ずかしいが、不思議とそうしていると落ち着くのだ。二人の周囲では、依然として殺気立った観客が、あてもなく思い思いの方向に逃げまどっていた。
「ん?」
南雲を捜して四方に首を向けるタカトラの視界に、体育館の南東側に止めてあったRV・三菱パジェロ改が入った。
南側の正面入り口と北東側の裏口の間には、関係者専用の通用口があり、その前には件のパジェロ改と、機材輸送用のトラックが数台停めてあった。
通用口が開いたかと思うと、ナルミと、スタッフジャンパーを着た陶が飛び出てきた。陶はどこに隠していたのか、小銃まで担いでいる。そしてあろうことか、後部座席にナルミを押し込んだ陶は運転席に座り、さっさとエンジンを掛けた。
「あいつ……!」
「どうしたの?」
「陶だ。あいつには借りがある」
そう言い様、境を放り出して走り出す。
「ちょっ、ちょっとお! こら、バカトラぁ! 私を置いてくなあ!」
境の声はタカトラの耳には入らない。泥濘を跳ね飛ばしながらパジェロ改の前面に回り込む。
だが、陶はタカトラや、周囲の観客の存在を無視するかのようにギアをドライブに入れ、アクセルを踏み込んだ。危うく轢かれかけた観客が悲鳴を上げる。
「ちきしょう!」
タカトラは横っ飛びに飛んで威圧的なRVの突進をかわした。が、それだけで終わるタカトラではない。ほとんど考え無しに、車体後部に据えられたあまり実用性のない梯子にしがみついていた。
陶はタカトラの挙動に気づかなかったらしい。タイヤを軋ませるパジェロ改はそのまま正面階段の脇をすり抜けて幹線道路に飛び出し、南海岸に向けて速度を上げていく。
最後の詰めを誤ってほとんど失敗と言ってよい結果に終わったものの、人質は解放された。だがそれは、わずかに遅かった。BW−03は奪取されていた。
2.追撃
――20:35。
BW−03がわずかに身震いした。
南部・西部のブロック接合ジョイント全てを解除したBW−03が、脚柱部からも切り離され、ブロック下層のタンクから排水を開始したのだ。船体を半没状態で固定していたブロックが次第に浮力を得て喫水を上げ始める。緩衝パッドが間に入っているとはいえ、巨大なブロック同士がこすれ会う様は寒気を覚えるような光景だった。
やがて。排水を終えたBW−03は、自身の動力機関である原子力によって生み出された電力によって腹面のスクリューを回し、北東側に動き始めた。
これから大回りして北西にある防波堤の切れ目から外海に出る。そこで整流コーンとタグボートに合流する手はずだった。作戦は第二段階へ移行しつつあった。
沖合で待機している『第二十三天地丸』のブリッジには、床一面に赤黒い血溜まりが出来ていた。
ここで曳航してきたブロックを整流コーンから切り離してBW−03と接続し直し、時速二十ノットで一路南へと逃げ去る、というのが今回の作戦だった。
「私達が成否の鍵を握っている。結構な話だと思えなかったですか、航海長?」
飛び散った航海長の血液を不快げに踏みしめながら、小銃を手にした若き艦長が呟いた。航海長の骸を一瞥して、再び宇宙港に視線を向ける。BW−03が今しも防波堤をかすめて沖合に姿を見せるところだった。彼の眼にはUFの輝かしい未来しか見えていなかった。反感、恐怖、絶望、それらが入り交じった船員達の視線など、彼の思考には全く含まれていなかった。
――20:40。
陶がRVを駆り、南海岸まで走らせている。免許など無くても、オートマティック車の運転などたやすい。海岸線の防波堤にこすりつけるようにして停車。M16A2を担ぎ、ナルミの腕を取って砂浜に降りる。
波打ち際に、球体のコクピット部とそこから伸びる二本のアーム、その後部にある円柱のキャビン、そして胴体下にキャタピラを装備した特殊潜航艇が乗り上げていた。アクラ級に搭載されていた代物だった。
「さ、行こう」
砂に足を取られながら特殊潜航艇に駆け寄る二人。が、その足元の濡れた砂が突然弾けた。
「にがさねえぞ、白黒はっきりつけてやる」
フェニックス並木の陰。SIGザウエルP220を両手で構えた真崎が、どう猛な獣の表情で陶とナルミを睨み付けていた。「よくよく縁があるわねえ……」
いったいどんな大物が逃げ出そうとしているのかと思って駆けつけて見れば、相手は少年と、井上ナルミときた。生駒はどこか投げやりな声を出した。
「気持ちは判るけど、ナルミさんに怪我させちゃダメよ」
抑えた声を真崎に向ける。真崎の肩が怒りに震えている様は、生駒すら畏怖させるものがあった。
「ここまで来て……」
ヘリを見上げる陶が、初めてと言って良い無念の呟きを漏らす。傍らのナルミはきょとんとしている。その首筋に、陶がナイフを押し当てた。ナルミは驚いた様子も見せず、為すがままにされている。
「どこのガキかしらんが、この期に及んで卑怯な手を!」
押し殺した声ながらも真崎が本気で激しているのが、生駒には良く判った。
間合いを詰めるべく銃を構えたままの真崎が砂浜に降りる。無言のにらみ合いが続く。
「これじゃ撃てる訳ない……」
生駒は手詰まりを感じて呟きを漏らした。
真崎の腕に不安はないが、ナルミに全く怪我を負わせずにあの少年の動きを封じる術があるとは、ちょっと思えなかった。
ナルミの首筋にナイフを押し当てたまま、陶はゆっくりと足を踏み出した。何か声を出したのか、陶の口が動いた。読唇術の心得のない生駒には、なんと言ったか判らない。どけ、とでも言ってるのだろうと思う。
真崎が、何を思ったのか、間をおかず絶叫する。
「また俺に世話焼かせるつもりなのかっ!? 自分が危険な存在になれないなら、莫迦な連中に関わるなって忠告したはずだぞ! しっかりしろ……、ナルミっ!」
「そんな無茶なこと今頃言ってどうするの!」生駒が思い切り顔をしかめる。
だが、ナルミの耳をついた真崎の声も、ナルミの凍った心には届かない。不思議そうな目を真崎に向けるだけ。
その様子を見て、パジェロ改の梯子にしがみついてここまできたタカトラが、防波堤の上に立った。
「もういい、陶! このくらいで勘弁しておけよ!」
タカトラが声を限りに怒声を張り上げる。が、暴風によって煽られる防波堤沿いに植えられたフェニックスの葉が唸りを上げ、彼の叫びをくぐもったものにしてしまう。
その一瞬、陶が声のした方に注意を取られた。タカトラに正対させる形で振り向いた時、ナルミが不用意に身を捩った。陶は思わずナイフの刃先をナルミの喉から離してしまった。
「GIBを嘗めるなよ……!」真崎が呻る。
次の瞬間、生駒は信じられない光景を目の当たりにした。真崎が構えたP220が火を噴いたのだ。金属音が響き、陶が自分の顔の高さ近くで持っていたナイフが宙を舞う。さらにもう一発。空中のナイフがさらに遠くにはじき飛ばされる。
それを見るや、発砲した真崎がそのままダッシュしてナルミを突き飛ばして陶から離す。さらに何の連携もなくタカトラが機敏に反応した。日本刀を構えて突進する。あいつをやるのは俺だ、そう心で叫んでいる。
「陶ぇー!! おめえだけはゆるさんっ! たとえ殺人犯になろうが、スジは通させて貰うぞ!」
刀の切っ先を地面すれすれに構えたタカトラが、喉の裂けるような大声を浴びせる。
「君の主義は何だい?」ナイフを弾かれて手を押さえていた陶が顔を上げた。妙にすっきりとした顔をしていた。
「主義?」気勢を削がれたタカトラは、聞きながら間合いを取る。
「僕たちはUNに心から失望しているのさ。あれは世界政府なんかじゃない。こんな所に大金を投じて宇宙港なんか作っているのは間違っている。その信念に従っているから、大がかりな仕事に没頭できる」
陶の言葉を受け、タカトラが顔を歪めた。
「そりゃ、俺もこんな辺鄙な場所に連れてこられたのはうんざりだ。だが、宇宙港は必要だ。それをぶっ壊していいわけがない」
「判っていないな」
陶がナイフに代えて小銃――M16A2を肩から外す。陶とて、タカトラ相手にナイフコンバットを挑む愚は悟っていた。タカトラを相手にするなら、元からそうするつもりだった。手の痛みを無視して銃口をタカトラに向ける。
「やはり、万難を排してでも君を仲間に引き込んでおくべきだった」
「ぬかせ。誰がお前なんぞにぃ!」
低く構えたタカトラが突っ込む。陶がM16A2を肩で構え、タカトラの足元に狙いを付けて引き金を引く。が、作動しない。中古品だけに、信頼性が低下していた。
(真っ向微塵に穿ち抜く!)その言葉がタカトラの脳裏で弾ける。
「チェストー!」
脳天目がけて振り下ろされる白刃の煌めき。陶は身体を引きながらM16A2を横にして斬撃を受けようとした。”正面からの斬撃は弾倉でガードする”、となにかの教本の一文が陶の頭の中を駆け抜けたが、それを行動に移せるほど格闘戦に慣れているわけではなかった。
不可思議な高音が響いた。金属がより硬質の金属によって切断される音だ。
M16A2が真っ二つに割れ、中の部品がバラバラになって飛び散る。
タカトラはさらに一歩踏み込み、振り下ろした姿勢からそのまま第二撃を狙う。
転びかけながらも陶が歯を食いしばりながら、腰のホルスターから消音銃を抜いた。タカトラの目が驚愕に見開かれる。
銃声。
「……?」
腰を折ったのは、陶のほうだった。右肩に熱いものを感じ、立っていられずに砂浜に崩れ落ちる。
くそ。陶が腹中で罵り声をあげる。これで何もかも失敗か。せめてUFに取り込んだナルミを連れて帰れれば、宣伝くらいには使えたのに。
「坊主、妙な格好で飛び出して来るんじゃねえ……!」
拳銃を陶の方に向けたまま、真崎が精悍な表情をしかめて近づいてくる。
「……助かりました」
タカトラは一声礼を言ってから、冷めた目を、右肩を抑えてうずくまる陶に向けた。
「僕を、殺すのか……?」
それでもいい、陶はそう思った。失敗した自分を、父は決して許しはすまい。君のようにはなれなかったよ、”ゼーレーヴェ”。何でも一番の君は、僕にとって本当に憧れだった。この作戦が成功すれば、君に近づけると思ったんだが。ああ、こんな姿を見たら君はきっと、『あんたバカ?』って言うだろうな。
どこか遠い目をした陶に対し、タカトラが首をふる。「出来ればそうしたいところだ。だがな」
今にも首をはね飛ばしそうな殺気を孕んだ声で、タカトラが呻く。
「サオリが悲しむ。いや、あいつだけじゃない。誰も喜ばない。そんな意味のないことを、俺はしたくない」
「甘いよ、それは」
激痛の走る肩を抑えながら、陶は不敵に笑って見せた。
「なんとでもほざけ、誰がお前を助けると言った?」
タカトラが凄絶に笑った。陶の胸元を掴み上げて立たせる。
「いいか? おめえの歳じゃあ、刑務所送りにはならんだろうが……。俺の事を忘れるな。もし今度何か妙なことを企んでみろ。一生付け狙ってやるからな」
タカトラのどこか白々しい脅迫は、彼の気迫の為か、奇妙な説得力があった。
陶が無言でタカトラの目を見る。と、空気の振動する音が空気を破った。
それは無念そうに後退する特殊潜航艇が、キャタピラ走行で海中へと引き返していく音だった。それを撃破する術を生駒達は持たなかった。
「ま、仕方ないか。翼をもがれた蜻蛉じゃ、何が出来るわけで無し」
生駒は特殊潜航艇の残したキャタピラ痕が波に消されていく様を、放心したような表情でみていた。ふと、彼女以上に惚けた表情のナルミが砂浜にへたり込んでいるのに気づく。そして、その傍らには、いつになく厳しい表情でナルミの額に拳銃を突きつけている真崎の姿が。
「ダメよ、真崎一曹!」
鋭く叫んだ生駒が、向かい合っている真崎とナルミの元へと急ぐ。一体どういう事情があるのか、ナルミには聞きたいことが山ほどあった。
――21:00。
硫黄島中部居住区。硫黄島警察署地下避難壕。
公共施設である為、警察署の地下には大規模な避難壕が設けられていた。拘留中の人間であっても、留置場に閉じこめられたままにはならない。警報が出ると共に、地下の専用避難壕に移送されている。
レミは他の、どうという事のない犯罪によって警察の厄介になっている人々とは別の場所に連れられていった。
そのまま何もない部屋に一人押し込められる。一体何が起こっているのかまるで判らない。
彼女が途方に暮れていると、公安警察の刑事が、重い扉を開けて入ってきた。後ろに戦闘服姿の男が肩に小銃を下げてついている。
「なんですか?」
「自衛隊の方が、貴女に協力を要請してます」
隊員に連れられ、レミは天満達の籠もる閉鎖避難壕にまで足を運んだ。
出迎えた天満が簡単に説明を始める。まずなにより、その体躯から漂う硝煙の匂いにレミは気圧された。
それを気にもかけない様子の天満の話は、手短極まりなかった。
硫黄島宇宙港の武装ブロック・BW−03が奪取されようとしている。BW−03は豊富な対空・対艦能力を有している上に、一度指示を出せば無人での戦闘も可能という難物である。
「まともな方法では接近すら困難だが、一つ方法がある。それが貴女の装甲潜水服です」
恐らくヘルメスのスクリュー音を探知しても、それが何であるかBW−03には判らないだろう、というのが天満の読みだった。BW−03は対潜能力が弱い。それが充実していれば、特殊潜航艇の偵察を感知して先手を打てた筈だ。
「私達にアレの操作方法を教えていただけませんか?」山口が天満の言葉を継いだ。この作戦を思いついたのは、ヘルメスとレミを地下倉庫で発見した彼だった。
「ヒサカズさん達の宇宙港が……」レミが絶句する。そして、一拍おいてから歯切れの良い口調で続ける。「協力は致します。ですが、一つ条件があります。私が行きます」
天満の顔色がわずかに変わった。
「無茶を言うな」
「そんなつもりで呼んだんじゃないぞ!」
山口も声を荒げる。民間人に対する丁寧な口調が吹っ飛んでいる。
「ヘルメスは、私にしか操縦できないんです」
「見くびって貰っちゃ困る。我々はあらゆる兵器の操作の習熟を求められ、それを可能にしている。たかが倍力装置付きの潜水服じゃないか?」
「ダメなんですよ。こればっかりは」
レミはにこりと微笑んだ。
「何故かね」穏やかな天満の問い。
「ヘルメスの操作には、圧力送受信用の水冷コネクタスーツが必須なんです。そしてこの島には、私専用のスーツしかありません。どうやって操縦するんです?」
山口は大きく溜め息を付く。
「悪くないアイデアだと思ったんですがね、隊長。これは画餅でしたね」
「私に行かせて下さい!」
山口の言葉を無視して、レミが天満に詰め寄る。
「……貴女がなにをしでかして警察の厄介になっているかは知っているつもりだ。そして、統幕議長の菱刈ノブチカ海将の愛娘であるということも」
天満が口調は優しげながら、冷ややかにも感じられる言葉をレミにかける。
「また、同じ過ち――殺人を犯すつもりかね? 今度ばかりは正当防衛と言い繕うことすら出来ないのだぞ。我々はそのような厄介事に貴女を巻き込みたくはない」
「構いません」レミの瞳に迷いの色はない。「ヒサカズさんは、私を二度に渡って助けてくれました」
「だとしたら、その命を無駄にすることはない」
「死にに行くつもりはありません」
天満がふうと息を吐く。それを了承したという意味にレミは解釈した。
「どうやって侵入するんです?」
天満は即座に答えを出した。小型艇用の発着場のシャッターが敵の手で爆破されているのだ。そこからの侵入が最も容易だった。
「敵の制圧が目的ではない。武装を使用不能にして、行き足を止める。出来るかな?」
「やってみせます。ヘルメスを扱うことにかけては、他の誰にも負けません」
言い切るレミは軽く目を閉じた。懐かしき日々を思い出す。これで仇を討てます、古賀主任、高城班長……。
レミの心の呟きを、天満達が気取ることは遂になかった。
第八話に続く
器具庫に戻る
INDEXに戻る