叛撃のインディペンデンス級軽小説
とある方から、「月産300KBはどうなっているのか?」と聞かれ、急遽復活したこのコーナー。
当時とはかなりスタンスが違ってきている為、矛盾するようなことをくだくだしく述べてしまう可能性も高いと思われますが、紆余曲折を経ながら進歩しようとあがいているのだと思って、寛大な目で見ていただけると幸いだったり。
(2002年1月9日)
第一回(前回のおさらいを含めて)
”web小説は質より量”、がこのコーナーのコンセプトではありますが、具体的に考えねばならないことはたくさんあります。わたし自身、頭の中で漠然としたシステムを思い浮かべているだけで、系統立てて文章化したことはありません。
ので、今後述べていくことは必ずしも順序だったものではなく、その場その場での閃きに基づいて書き進めていく可能性が高いと思われます。
と、前置きはこれくらいにして。
前回では、小説創作には、大ざっぱに以下のような分類を示しました。すなわち、
1.発案
2.プロット作成
3.執筆
4.編集、HTML化
5.校正チェック
6.公開(投稿)
です。もちろん、ここで重視されるのは1〜3であることは言うまでもありません。
まず発案の段階で、なにを発案するのか。
とりあえず、わたしは以下のように定義したいと思います。
1−1.登場人物(キャラクター)
なにはなくとも作中に出てくる人物が必要です。
ファンフィクションであればほとんど悩む必要はないと思われますが、オリジナルの場合は造形に苦労させられることもあります。
アクセントをつけるには、
・登場人物同士の力関係(立場的なものや、精神的なもの)
・考えていることが判りやすい性格のキャラクタと、判りにくいキャラクタの使い分け
などを踏まえておくと、視点切り替えにもメリハリがつくと思われます。
そういう安直なことばかりを考えていてはいかん、という気持ちは、とりあえずここのコーナーでは横に置いておきます(苦笑)。お約束上等ってことで。
1−2.世界観
これも二次創作であればさほど苦労はしません。異世界に舞台を移す場合は別ですが。
最近、頓狂な設定の世界観で繰り広げられる物語がライトノベルではウケが良いような気がします。
とても、「これだ」というような作り方は提示できそうもありませんが、先に作ったキャラクタをどんな舞台に放り込めば活躍しそうか(あるいは手こずりそうか)を念頭においておくと、キャラクタが世界を作ってくれるかもしれません。
そういう場合は、既存の設定にしばられてキャラクタの動きを封じるのではなく、彼等に都合良く書き替えていく気持ちもアリ。もちろん、それは実際に書き始める前の段階での話ですがね。
1−3.オチ(テーマ)
これは、二次創作であっても簡単にはいかないのがミソ。
一見すると、「2.プロット作成」と混同しそうになりますが、ここでは「どんなプロットを考えるか」を考える、と思って下さい。
前回も、電波が届きにくいのが「結」という話を書きました。
出だしは調子がいいのに、次第に低調になっていくweb小説は、時として最初の段階で、話をどこにもっていった時点で完結するのか、言い換えれば、どんなオチを用意しているのか、を見失っている場合があります。
がちがちにプロットを考えなければならない、というのではなく、最終的にどこに着地するのかが見えていれば、そこに至る過程に余裕が出来ると思われます。
敢えて「ポイント」を挙げるとすれば、キーワードは「補完」でしょうか。実にエヴァ小説あがりらしい言葉遣いですが(笑)。
主人公やその周りの人物は主として精神的になにか満たされていないものを感じていて、物語を通じてそれが補完される。なにかを成し遂げ、補完されたことを自覚してエンド。という次第です。
ストーリー上展開される事象と、主人公が個人的に抱える満たされない要素は必ずしもぴったりと一致するものではないほうが、お話として深みが出ます。たぶん。
これらは、プロット構築と不可避の関係にあります。最初から一方だけが綺麗に出来上がるということはありません。
プロットと発案部は終始いったりきたりをくりかえしながら完成度を高めていくことになります。
このプロット作りに関しては、既にネット上でもいろいろと話題になった、大塚英志氏の著作『物語の体操』に、タロットカード風のプロットカード(?)を用いた作成法が掲載されています。
ここは「パクリ物書き」の本領を遺憾なく発揮して、節操無く取り入れてみたいと思います。
実践して見た人がどれくらいいるのか判りませんが、やってみると確かに「お話」らしきものを思いつくことは多くても、なかなか万能ではないことも思い知らされます。
次回はこのプロットカードの応用編というか、より身も蓋もないレベルでの有効活用法を考えてみたいと思います。
そもそもどんな作成法か知らないぞ、というかたは「こちら」などを参考にしていただきたく。
いずれこのページでもやり方をパクって掲載するつもりではありますが。いつになるか判りませんので……。
(2002年1月9日)
第二回
もしかしたらこのコーナーは、プロの小説家には口が裂けても絶対に言えないような話を展開しているのではないか、と妙に誇らしく思う今日この頃です。
完璧なバッティングフォームで強烈な打球をポールぎりぎりのファウルゾーンに叩き込むよりも、へっぴり腰で飛ばしたポテンヒットのほうが価値があったりなかったり。
さて、今回は、一気に発案、プロット、執筆の三要素全てに言及していきます。
というのは、これらは順番に考えるものではなく、それぞれが相互に関係しながら同時進行で展開していくものと考える為です。
おっそろしく乱暴な話ではありますが、それぐらいの勢いでないと月産300KBはおぼつかないでしょう。
実際問題、きれいに分類しながら進行することより、全部わやくちゃになりながら段々と出来上がっていくことのほうが多いと言えます。
というのは、発案――プロット――執筆をウォーターフォール式に進捗させていく場合、どこか一ヶ所に問題が発生した場合にすべての作業がストップしてしまいかねないからです。
一ヶ所が停滞していても、その解決策を考えると同時に別の部分を押し進める。急がば回れの例え通り、却って無駄な労力をつぎこむおそれはありますが、「詰まってしまった、うーむ」とただ悩み続けるより、なにか作業をしている事で突破口が見つかるというものです。
1・発案・あらすじの部
2・プロット・シーン構築の部
3・執筆の部
1・発案・あらすじの部
大塚氏発案の「プロットカード」はモノカキ各位にそれなりのインパクトを与えた事と思われますが、これを読んで挑戦した人はどれぐらいいるのでしょうか。
恐るべき事に、かの本にはプロットを100個考えてはじめて準備体操が終わる、と書いてあったりします。
小説創作関係の掲示板やチャット等での意見交換を見ると、各人が持って生まれた『物語創作エンジン』の性能を推し量る、ベンチマークテストとしての意味もあるように感じます。
あっという間にそれっぽい話を綺麗に作り上げる人もいれば、日頃創作論を小気味よく展開している人がギブアップしたり、どういうカードがでても、「〜となりました。チャンチャン」という形でしか話をまとめられなかった人がいたり、様々な物書き模様が拝めました。
ただ、二、三作ならともかく、百作考えるのは容易ではありません。
いちばんネックとなってくるのが、あんまり良くない意味での『慣れ』が出てくることと思われます。
この創作技法を私なりに分析すると、お約束の枠内に適度な意外性が紛れ込むことにより、物語創作エンジンの回転数を高める効果が考えられるからです。
私的には、たとえば敵対者が『正義』だったり、主人公の過去が『生命』の逆位置だったりすると、反射的にそれらしい情景を思い描こうとして創作エンジンが回るようです。
ただ、カードを並べたら、それら全てに物語を作り上げるというのは困難である上に、時間がかかります。時間制限を設けて、キリのいいところで出来れば良し、出来なくても断片的なアイデアが浮かんだらそれを記録しておき、次回以降でそのアイデアを使い回すというぐらいの気楽なスタンスで挑戦するのがよいかと。
モノカキの鍛錬は、後に残るなにかを形にして積み上げていくことでより具体的な成果が出ると思われます。なんでも考えるだけじゃなく、文章にしておきましょう。
場合によっては、物語というよりは、キーワードに引っ張られてキャラクターだけができあがることがあるかも知れません。
それも積極的に記録しておくようにします。そして次回以降に、その新規作成キャラクターに主役なり敵役を割り振ることを念頭に置いてカードを並べてみるとうまく話がつながることも……。
また、この方式だと自動的に結末まで考えることが前提となっているため、出だしだけで話が終わることがありません。というか、出だしだけでは見切り発車できるだけのストーリーが出来上がらない、というべきかも。
また、六つのカードの中からさらに、全体を通してのテーマも同時に考えます。
結末にあるカードがテーマになるとは限りません。インスピレーションで決めてしまってよいと思います。
カードの種類しかテーマがないのか、と思われそうですが、実際にはそう簡単ではないのがミソです。
というのも、仮にテーマを『正義』にすると考えても、そのカードが主人公の過去にあるのと、未来にあるのと、敵対者にあるのとでは意味合いが全然異なってくる訳ですから。
まあ、こうやって考えながら、同時に思いついたままにワープロ上に書き殴り、あらすじを作っていきます。
このあらすじ、実際には表に出ない可能性が高いのですが、あとあと混乱しないように、手間を惜しまず書いておくことをおすすめします。>わたし自身にも(^^;)
書いたあらすじを細切れにしてシーンの冒頭にはりつけていくことで、あらすじ通りのお話を書く指標になります。
そして、あらすじをまとめる能力というのは、懸賞小説に応募する場合には必須ですし、他の人に自分の作品を判りやすく説明できるに越したことはないでしょう。
ただ、最初から最後まで客観的に説明するあらすじと、読み手を引き込む煽り文句とは別個なので、そこは注意。
煽り文句には結末が記されていません。あらすじを書いたつもりで煽りになっていたのではいざというときにオチを見失うことになりかねないので気をつけましょう。結末まで書いたあらすじは、ぱっと見盛り上がりに欠けてしまうこともありますが、下手に煽りをいれてバランスを崩さないようにしましょう。
2・プロット・シーン構築の部
本稿にあっては、プロットとあらすじは別個のものである。と考えていきます。
そもそも、ここで考えている規模の短編の場合、あらすじはそれほど使う機会がないというのがその理由の一つです。
懸賞小説に応募するのであれば別でしょうが、そもそもここではそんな高みを狙っていないので。
とはいえ、プロットとあらすじが不可分の領域を持っているのも確か。あらすじをどうしてもまとめられないお話は、やはりどこかに不備が残っていると考えていいでしょう。すなわち、まだお話として考えがまとまっていないということ。
頭の中では出来ていると思っていても、あらすじにしてみると肝心なことが説明できていないまま進めているシーンを発見したり、面白いと思っていたのに要約することでちっとも面白くないことに気づいたりするので、検証の意味でもやっておくと二度手間にならずに済むかと。
この点に関しては敢えて「急がば回れ」を適用したい。
一度書き始めたお話を再構築するのは、先に進めば進むほど気力を萎えさせるし、どうにも書き進められなくなって放棄、なんてことになったら労力の無駄に終わってしまうでしょう。
またも大塚氏のエッセイで恐縮ですが、情報カードという手法が照会されているので、これを応用してみます。
ここで、量産性を高めることから、小説を基本的に『シーン』によって構築されている、という構造化の概念を採用して考えます。
このシーンというのは、章立てやパート立てと一部共通しますが、違う面もあります。
シーンは、いわゆる5W1Hの概念でくくられるものです。
特に、いつ、どこで、誰(誰々)が、何をした、という四点に気を配る必要があります。場面切り替えにつき一シーンと考えても良いでしょう。
量産化を推し進めると、シーン冒頭の一行目が、
夕方。学校の教室。
などという、台本のようなそっけないものになってしまう場合もありますが、夕方であることと学校の教室にいることとに格段の意図がなければ、長々と描写をするまでもないと思われます。
ネット小説では、紙媒体の小説などに比べ、熟読される率ははるかに低いと思われます。つまり、読み飛ばされる訳です。そう考えれば、長々とした描写はかえって読み手に不親切であることすら考えられます。
さて、ここに至るまでに、キャラクタとおおざっぱなお話の筋は出来ている訳ですから、キャラクタの掛け合いを中心として、どんどんシーンを考えていきます。シーンごとにカードを使って記録しておきます。
そして、この作業を行う際には、全てのシーンには意味がある、と念頭に置いておきます。そのシーンによってなにを読者に伝えようとしているのかを考えることに他なりません。
これをふまえておかないと、不必要に長く、内容の薄い話になりかねません。
ただ、たとえ何事も起こらない平凡な日常のワンシーンであっても、「平和な日常が存在していた」ことを提示することで、その後に起こる非日常が際だつ、ということも考えられます。
意味のないシーンに思えても、破棄する前に使い道を考えてみましょう。どうにもならん、という場合でも、ストックしておくことで別の作品に使えるかもしれません。
また、情報提示が行われているかどうかを考えることで、シーンの終わり方にも自分で納得して幕が引けるのではないか、と。
ある程度形になってきたら、カードを時系列順にならべて、あらすじがきちんと再現されているかを確認します。
言うまでもなく、個々のセンスが問われる作業になるので、時にはへこむことも……。
3・執筆の部
一シーン五キロバイトであっても、シーンが六つになり、ネタ振りとオチがあれば立派な三〇KBの小説になります。原稿用紙45枚の短編です。
実際に書く場合、どこから、どのように書くかという問題が出てきます。
もちろん、プロットが出来ている状態でとりかかっているのですから、冒頭から流れるように結末へと書き進めていくのが無駄なく思われます。
ので、一日一シーン、一日一ページと分量を決めて前から仕上げていく、というのも手ですが、いくら前もって準備がしてあっても、やはり書いているときが最もイメージが活発に沸く時なので、途中で話を変更したくなる場合も多いと思われます。
序盤のうちは良いのですが、後半に差し掛かったところで突如、前半部を否定するようなアイデアが浮上した場合、進退窮まる事態になることもあり得ます。
物語を構造化することの利点は、各シーンを独立した小さなお話と捉えることで、それぞれを別個に書き進めることが出来る点にもあります。
もちろん、それぞれがバラバラな方向に話を向けてしまっては、まとまるものもまとまらなくなりますが……。
全てのシーンに、一行でもなにか文章を書いておけば、そこからイメージの芽が吹き出す可能性もあります。物語の上を飛び回りながら、次第に完成度を高めていくのが、結局は破綻無くまとめる近道のように思います。わたしだけかも知れませんけど。
※補論・文章によって物語を表現するということについて
そもそも、小説はなにから出来ているのでしょう。
一番大きく分けると、
・会話文
・地の文
の二つでしょうか。
いまさらな事を言うな、と叱られそうですが、基本的にこの二つの表現法だけで押し進めていくことになるのですから侮れません。
三人称の場合、会話文は「」で記される他、心の声を()や『』、"――"を冒頭に付けることなどで示します。
通常、
「○○」
と××は言った。
という具合に、会話文を地の文によって誰の台詞かを指し示すのが一番の基本パターンと思われます。
しかし、いちいち”××は言った。”と書くのも単調です。台詞回しで誰か特定でき、なおかつ表情や動作に変化がない場合は、「」を連続させて会話を進めるのも一つの技法です。
やりすぎると、誰が誰なのかわからなくなりますが、台詞回しだけで特定できるぐらいになってくれば、キャラクタが立っているといえるでしょう。もっとも、そんなキャラというのはどんなものでしょうか。一人称や語尾に特徴があるのでしょうか。
地の文には、
・情景描写
・心理(叙情)描写
・行動(動作)描写
・説明文
などが考えられます。
書き手が凝りたいのが情景描写であり、読み手が真っ先に読み飛ばすのもまた情景描写。どこにいるのか判らなくならないようにだけ注意しておけば、割り切ってシンプルなもので構わないでしょう。
説明文はドラマ等のナレーションにあたるもので、複雑な展開をまとめ、読者の理解を助けます。
やりすぎるとうっとうしく、行間ににじむ思いを読みとって味わう文学的香りがすっ飛んでしまうこと請け合いですが、基本的に『読み飛ばされる』存在であるネット小説では、「書いていないことは伝わらない」というぐらいの気持ちで、どんどん説明したほうが親切という場合が多いかと。
判りやすいことが一番。
そして、判りやすくする為なら、古今東西の小説指南が全否定する、キャラクタの性向すらぶつ切りで説明してしまうのもアリです。
すなわち『彼は冷酷な男だ』などという文章は絶対にやってはいけないこととされています。説明ではなく、その言動に冷酷さを出させろ、と。
本稿ではこの常識すら無視していきます。
初っぱなに「冷酷だ」と言い切ることで、その後の行動がいかにも冷酷に見えるかもしれないから(おい)。
実際、いくら言動が冷酷そのものであっても、冷酷と説明しておかないと気づかない人が居るかも知れませんし。
それではあんまりにも安直だと思えたら、冷酷だという評価が定まるに至った事件のあらましのようなものを、初登場シーンと同時に書いておけばオッケー。ご多分に漏れず、やりすぎは禁物ですけどね。
……いいのか、こんなので。
っと、改めて読み返してみると第一回のヒキがまったく生きてないなぁ。
では、あらためて次回予告。プロットカードのスペック向上についての考察をやります、今度こそ。
(2002年5月5日)
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