”幼なじみ”で行こう! 第四話
1
色紙の山をナルミの部屋に残し、シンジはコンフォート17への帰路についていた。その足どりは、ナルミの部屋に来たときと変わらぬ程重い。
(とんでもないことになっちゃったな……)
月の輝く夜空の元、シンジの影が背後に大きく伸びる。
(ミサトさんやアスカに、報告しなくちゃならないのかな……。いや、そんなことはないよな)
わずかに顔を上げたシンジ。縮尺を何倍にも増幅されているので、影が大きく揺らぐ。
(僕とナルミさんは、幼なじみなんだから)
無理から自分を納得させたシンジは、意を決したかのように足どりを早めた。
コンフォート17。
「どうだった?」
シンジが帰宅すると同時に、玄関口でミサトとアスカが顔を並べて聞いてきた。
二人の目には期待の二文字。無論、期待している内容には大きな違いがあるが。
「どうもなにも……。一応、OKして貰いました」
「そう! 良かった〜」
肩の力を抜き、両腕をだらりと下げるポーズをするミサト。
「で? ナルミは何か言ってなかった?」
一方のアスカはなおも詰め寄る。
「何かって?」
「だから、その、”迷惑だ”とか”そういうのは困る”とか……」
声がどんどん小さくなっていったのは、アスカなりに罪悪感を感じているからだった。が、当然の事ながらそんなニュアンスがシンジに伝わるはずもない。
(ちょっと、驚かせてやろうかな)
シンジはナルミからの”お願い”の言葉を思い出した。あれを聞かされたときは腰が抜けるほど驚いた。アスカに聞かせてやれば、もっと驚くだろう。シンジはそう思った。余りにも危険な考えであることには気づいていない。
「実は、サインの代わりに、頼み事をされちゃったんだ。だから明日、ナルミさんの所に行かなくちゃならないんだ。それでさ、その頼みってのは……」
「なんですって!!」
ミサトも何か言いかけたが、アスカの絶叫にはじき飛ばされた。
こめかみに血管を浮かべるアスカ。
「ちょ、ちょっとアスカ、話は最後まで――」
「ア、アンタ、当然断ったんでしょうね?」
「断れないよ、サインの代わりの頼み事なんだから、それに――」
「どうしてアタシに断りもなくそう言うことを!」
シンジとしては、反論の言葉には困らないくらいなのだが、到底それを口に出来る雰囲気ではない。
しかしアスカも、自分がけしかけた結果が手痛い失敗に終わった事に気づいていた。だから、それ以上は無茶な言葉を続けられなかった。怒り、後悔、恐れ、その他諸々の感情によって全身をわななかせつつ、アスカは自室へと引きこもってしまった。
「だから話は最後まで聞かなくちゃ……」
唖然と呟くシンジ。それまで気圧されているばかりだったミサトが彼の独り言を聞きとがめる。
「一体、ナルミさんと何があったの?」
シンジは問われるままに真実を語る。
「なるほどねえ。そりゃ、確かに」
話を聞き終えたミサトは、うって変わってニヤつくのだった。
2
翌朝。
寝付かれなかった反動で、シンジは少々寝坊した。
身体を揺すられていることに気づいたシンジは寝ぼけ眼をこすり、顔を上げた。
「おはよう、シンくん」
「おはようございますって、ええ! ナルミさん!?」
仰天して跳ね起きるシンジ。己の下半身の”異変”に気づき、さらに慌てて前を押さえる。
あまりに狼狽えた様子なのがよほど面白かったのか、エプロン姿のナルミが吹き出した。
「すっかり目は覚めたみたいね。さ、急がないと遅刻しちゃうわよ」
「ど、どうしてナルミさんがここにいるんですか? その格好は一体……」
「昨日のサイン、持ってきたんだけど」
ついでに、今日の食事当番であるシンジの代わりに、朝食も作ってしまったという。
大急ぎで着替え、ダイニングキッチンに向かったシンジを出迎えたのは、妙に上機嫌のミサトと、対照的に異様な光を瞳にたたえているアスカだった。
「おっはよぉ〜、シンジ君」
ミサトが手を振ってシンジを招き寄せる。もはや文句を言う気力もないのか、アスカはむっつりとした表情のまま、それでもナルミの作った朝食を黙々と食べている。
「さあ、しっかり食べてね」
「は、はい。……いただきます」
シンジは状況に戸惑ったまま箸を手にした。
ナルミの料理は、勿論プロ級とはいかない。が、心のこもった丁寧な料理であることは最初の一口だけで判った。
「なかなかきちんとした料理を作る機会がないから、あんまり上手じゃないけど……。どうかな?」
「そんなことないです。美味しいですよ、凄く!」
「良かったぁ。そうだ、シン君、学校終わったら、ウチに来てくれないかな? 昨日の約束、お願いしたいんだけど」
「約束? ああ、そういうこと」
ミサトは瞬時にして理解する。アスカだけが事実を知らない。だが、彼女のプライドが、それを素直に訊ねる選択肢を拒否した。彼女は無言で咀嚼を続けていた。
「は、はあ……」
気乗りしない口調のシンジ。
「もう、きりっと締めなさいよ、そういう時くらいはさ」例によってからかい口調のミサト。「シンちゃんとナルミさんの仲なんでしょ?」
バン! 時ならぬ打撃音が響いた。アスカが箸をテーブルを叩き付けるように置き、席を立ったのだった。
3
第壱中学校。
その日、アスカとシンジは別々に登校してきた。
先に顔を見せたのは、不機嫌を絵に描いたような表情のアスカだった。当然の事ながら、トウジに、
「なんや、また夫婦喧嘩かいな」
と軽口を叩かれる結果になったのだが、今回ばかりは余りにもそれは軽率すぎた。
思わず石化しそうになる殺気のこもったアスカの視線を浴びせられたトウジが、慌てて口をつぐむ。
「アカン、シャレになっとらんみたいや」
そう言ってケンスケと頷きあう。
「アスカ……」
ヒカリの心配顔も、アスカの目には入らない様子だった。
一方のシンジは、始業時間ぎりぎりになってようやく登校してきた。
「アスカ、昨日の話だけどさ……」
恐る恐る話し掛けるシンジに対し、アスカがぎろりと視線を向ける。もはや、怒鳴り声をあげるといったレベルを超えた感情。黒々とした妖気が視認できそうであった。
(何をそんなに怒ってるんだよ?)
根本を理解していないシンジに、状況を改善する事など出来るはずもなかった。
結局その日一日、アスカは誰とも一言も口を利かないという結果に終わった。誰もまともに話し掛けることが出来なかったのだ。
対照的に、シンジが代わりに昨日の顛末を話して聞かせる羽目になったが、彼にしても、一番肝心の部分を隠していたので、クラスメートの誰もが、何が起こっているのか理解できないのであった。
そして放課後。
そそくさと帰り支度を済ませ、教室を出ようとしたシンジを、ケンスケが呼び止める。
「なあシンジ、……アスカのこと、放っておいて良いのか?」
後半部は、頭から湯気を立てているアスカを気にして小声で訊ねる。
「しばらくは、どうしようもないと思うよ。僕には何を怒ってるのか判らないし……」
そわそわとするシンジ。
「何か用があるのか? エヴァのテスト?」
「いや、そうじゃないんだけど。……ナルミさんの家に呼ばれてるんだ。ちょっと頼まれてることがあって」
「なにぃ!?」
それまでの配慮など一時に吹き飛んだ。首を絞めかねない勢いでケンスケがシンジに詰め寄る。
「一体、ナルミさんが何を頼んだってんだ?」
「そ、それは……」
ちらりとシンジがアスカのほうを伺う。アスカはあらぬ方向に顔を向けていた。
「ゴメン、あんまり人には話して欲しくないって……」
時として正直さは罪だ。シンジの余りに直接的な言葉は、ケンスケの”ナルミスト”としての魂に徒に火を付けるだけの結果となった。
「シンジ……。頼む、教えてくれ! そ、そうか、もしかして人前じゃ言えないような凄いことが……。くそぉ、なんでシンジばっかり、くわ〜」
勝手に妄想で暴走するケンスケをほったらかしにして、シンジはつま先歩きでその場を逃げ出した。この時ばかりは、シンジの十八番の台詞も発動されていない。
シンジの背中が廊下に消えた途端、アスカがすっくと席を立つ。瞳が炎と燃えていた。
(一体、こそこそ何やらかそうってのよ!!)
アスカは短期決戦を決断した。うじうじするのはとにかく性に合わないから。
では、どうするのか。どうすれば、”短期決戦”になるのか。
「アスカ……?」
心配げなヒカリの声も耳に届かない。アスカの頭脳は、一瞬にして目的と手段をはじき出した。
「くくくく……」
突如、不気味に笑い出したアスカに、ヒカリが二メートル近く退く。
(そうよ、現場を押さえるのよ! ナルミの家に押しかけて、何してるのか押さえてやる)
鞄をひっつかんで教室を飛び出すアスカの行く手を遮る者など、ありはしないのだった、絶対に。
4
夕焼け前の、西に傾きかけた常夏の陽射しが、ここを先途とアスファルトを灼く。セミの鳴き声が負けじとヒートアップしていく。
陽炎揺らめく歩道で、シンジの後を付けるアスカの図。無論、頬被りなどという素ボケをかますアスカではない。が、時折電信柱に姿を隠すというお約束の行動をとってしまう程度のへっぽこ化はしている。
やがて、やや長くなり始めた影を引きずったシンジは、一棟のマンションの前に立ち止まった。
小さく溜め息を付いてから、意を決したのか、自動ドアに向かって足を踏み入れる。
アスカはすぐには後を追わなかった。エレベータやらなにやで追いついてしまっては元も子もない。
かといって相手はセキュリティ完備のマンションだ。どうやって突破したものか。
陽射しにうたれながら、電信柱の陰でアスカはじりじりと十分ばかり待った。そして、
「Gehen!」
乾いた口の中で呟いて、アスカがマンションの正面入り口に足を踏み入れる。
案の定、中年に片足をかけた風情の、意外に若い管理人が呼び止めてきた。というより、二重になったドアの二枚目は、管理人と住人、その両方の許可がなければ通過できないのだ。
さて、いかなる策を、などとはアスカは考えない。正面突破あるのみ、だ。
お嬢さん、どちらの方のお客さんかな?
うっさいわね、さっきここ通った中学生の知り合いよ。
うーん、ということは井上さんのお客さんだね。すまないけれど、それだけじゃ通すことは出来ないんだよ。
ごちゃごちゃ言うんじゃないの! アタシがその気になったら、アンタ十分後にはクビよ。退職金なんて出ないんだから。
ん? どういうことかな。
余裕ぶっこいてんじゃないわよ、いいこと? アンタもこの街に住んでるんだから、エヴァの名前くらい聞いたことあるでしょ、アタシはそのパイロットなのよ。この街にとっちゃ、いいえ、世界にとって、いっちばん貴重な人材なのよ。そのアタシの頼みを聞けないようなら――。
この先に繰り広げられた、ネルフの機密もへったくれもないアスカの素性大暴露については詳しく書かない。それで丸め込まれる管理人も相当にお人好しと言えよう。いや、アスカの闘気に怖じ気づいたのかも知れない。誰も命は惜しいものだ。
アスカは五分ほどの押し問答の末にセキュリティを突破したのであった。
しっかりナルミの部屋の場所は管理人から聞き出している。エレベータに乗り、目的の階まで登り、ほどなく目指す部屋の前に立つ。
が、当たり前の事ながら鍵がかかっている。仕方なし。アスカは呼び鈴を鳴らす。が、返事はない。さては居留守か、と思って鳴らしまくるが、一向に応答がない。
「おかしいわねえ……?」
いくらなんでも、居れば何かしらの反応があってしかるべきである。かといって、正面入り口以外からの出入りが出来るとも思えない。
「……そうか、屋上ね」
アスカの怜悧な頭脳が結論を導く。直ぐ様、いま乗って来たエレベータに駆け戻り、”R”を連打する。
じれったい間があり、エレベータが屋上に到着した。
屋上に飛び出したアスカだが、思わず物陰に隠れた。
赤い夕焼けをバックに、二つの人影があった。確認するまでもない。シンジとナルミだ。何事か話している。やや距離があったが、聞き耳を立てるとどうにか話し声が聞こえてきた。
「どうしたの、こんな所に呼び出したりしてさ」
いままでになく、大人びたシンジの声。
「大事な話……。とっても、大事な」
ナルミの声はか細いが、強い意志を感じさせた。まるで、長年秘めていた自らの想いを打ち明けるかのようだ。
「なにかな?」
ナルミが一歩前に踏み出す。二人の影が重なり合うほどの距離に間が詰まる。
「私、私、初めて会った時から、貴方のことを――」
(……!)
「やめやめ、やめーっ!!!!」
たまらずアスカが飛び出し、声を限りに叫んだ。
「アスカ、どうしてここに?」
驚く、というよりはきょとんとした表情のシンジが聞く。だが、アスカの目はナルミに向けられていた。
「一体何なの? アンタ、シンジの幼なじみだとか言っても、こっちにきてからのシンジのこと、なんにも知らないくせに! アタシは知ってる。この莫迦シンジとは、……命を預けあって戦ってきたんだから!」
「アスカちゃん……?」
まくしたてるアスカを前に、ナルミも呆気にとられている。が、アスカの言葉は止まらない。
「アンタの想いだか何だか知らないけど、いきなり表れてそんなコト言ったって、なんにもならないんだから! 図々しいこと言わないでよ!」
いまにも涙をこぼしそうな――決して泣かないと誓った筈なのに――アスカの訴え。一気に思いを吐き出し、アスカが大きく肩で息をつく。
ナルミとシンジが顔を見合わせた。そして、アスカには信じられない事に、期せずして二人で笑い始めたのだった。
「な、な、なにがおかしいのよ!?」
「シンくん……。私、まだまだ勉強不足ね。台詞なんかじゃない、本当の言葉にはかなわないもの」
「そう、ですか? アスカ、一体なんのことさ?」
アスカも、そして鈍いシンジも、何が起こったのか判っていない。
ナルミは二人を尻目に屋上の手すりに両肘を乗せた。夕日を振り仰ぐ。
「アスカちゃん、私ね、”恋愛シミュレーションゲーム”のヒロインの役のお仕事を貰ってね、明日アテレコなの」
「へ? シミュレーション?」
「そう。でも私、告白なんてしたことなくて。どんな気持ちで、どんな感じで思いを伝えるのか判らなくて。色々練習してみたけど、相手が前にいないと感じが掴めなくて。それでシンくんに練習相手を頼んでたの」
「じゃ、じゃあ今のは……」
アスカの顔が瞬時に真っ赤になる。夕日に照らされてそれが目立たなかったのが、アスカには幸いだった。
「肝心の僕が台詞が下手だから、あんまり参考にはならなかったですね、すみません。って、アスカ?」
幸せに鈍い男、シンジは脳天気な声で言い、ようやくアスカの異変に気づいた。
「ど、どうしたのさ」
俯き、肩を震わせるアスカ。と、前触れなく顔を上げたかと思うといきなりシンジに平手打ちをかました。
「この莫迦シンジ!!」
「なっ、いきなりなにするんだよ!」
「アンタがはっきり言わないから! こんな事になっちゃうんじゃないの! 全部アンタのせいよ!」
「何のことだよ? アスカ、僕の話なんて全然聞いてくれなかったじゃないかあ!」
背後で起こっている修羅場的な言い合いを背中で聞き流すナルミが、ちいさく溜め息を付く。
「いいなあ、アスカちゃんはシン君が傍にいて……。私もゲームの中じゃなくて、本当の告白をしてみたいな……」
思わず頬を赤らめてみたりなどしているナルミ。
そして、夕焼けが西の空いっぱいに広がり、第三新東京の居住ビルが地下からせり上がってくる時刻になっても、アスカとシンジの痴話喧嘩は際限なく続いているのであった。
(おわり)
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