「文句を言うために、みんな助けてくれたみたいだ」
「少なくともあたしはそうだわ」
ディードリットがしんらつな言葉を口にする。この三日間というもの、いつもそんな調子だった。
それでもパーンのそばを片時も離れようとしないのが可愛らしいところだと、マーシュは不器用な二人を見ながら、ほのぼのと考えていた。
――水野良『ロードス島戦記2』(角川文庫)
『晴れた日は屋上へ行って』
第四話『虚栄の日常』
(1)
宇宙港・JSP−03の端に強行着陸したヘリの映像を前に、宇宙港主任運行管制官である保科智子は途方に暮れていた。
ヘリから降り立ったのは十名。<東側>の合衆国の兵士だ。
「<プロメテウス>、現在高度七五〇〇メートル。滑空中です」
オペレータの声が無情に響く。
自動制御システムのいくつかに異常が発生し、手動操縦で宇宙港にどうにか降り立とうとしている白銀色の宇宙往還機<プロメテウス>。
その主操縦士、コールサイン『テディ・ベア』のことを、智子は思い浮かべた。
高校時代からの縁のある男が、<プロメテウス>のパイロットシートに座っている。その生死を自分が握っていると考えるだけで、智子の背筋に震えが走る。
もしこのままヘリと兵隊どもを排除出来なければ、<プロメテウス>は自殺的な着陸を余儀なくされる。液体水素燃料を使い果たし、滑空する以外にない<プロメテウス>。
代替の着陸ポイントは付近に存在していない。むろん、周囲を海に囲まれているために不時着水は可能である。しかしそれでは、天文学的な予算をつぎ込んですすめられてきた宇宙開発計画に重大な支障をもたらしてしまう。
(それは最後の選択なんや)
とはいえ、智子の取りうるオプションはひどく限られたものとなっている。時を待つかのように円周陣形を組んだまま動かない兵士達。対して宇宙港の警備能力では、正面から彼らを蹴散らし、<プロメテウス>の安全を確保することなど、出来はしない。
(どないせえ、ちゅうねん)
左手の親指と中指で、弦の付け根を挟むようにして眼鏡を前方に引っ張り出し、開いた空間に下から右手の親指と人差し指でまぶたを揉む。
映像回線による通信が入った。
「私達に行かせて下さい、ですぅ」
モニタの向こうで、HMX−12・マルチが愛嬌のある表情を引き締めていた。その傍らでは、HMX−13・セリオが無表情でこちらをみつめている。
「どないする気や?」
「はい。えっと、私とセリオさんで、突撃をかけます。ええっと、セリオさんが、フォワードで、私が、その、含水爆薬を、えっと」
「――正面投影面積の大きい私が盾となり、目標に接近します。後方で攻撃を避けたマルチさんが含水爆役を抱えてヘリのキャビン内に侵入し、含水爆薬の雷管を作動させます」
しどろもどろになるマルチの説明を、セリオが引き取った。
「ちょいまち、それやったらどっちもた助からへんやないの!」
智子が目を剥いた。
「人間の皆様のために働くのが、私達の仕事ですー」
マルチの言葉に、迷いはみじんも感じられなかった。
「せやけど……」
智子が苦悶の表情を浮かべる。<プロメテウス>のパイロット・藤田浩之にとって、マルチはただのメイドロボではないはずだ。もし彼が帰還するためにマルチが失われたことを知ったら。
浩之はきっと、自分を許さないだろう。智子は思った。いやそれ以前に、自分で自分を許せないに違いない。
「あかん。許可できん。第一、含水爆薬はダイナマイトより威力が小さいんや。マルチごと吹き飛ばしたところで大した破壊効果が期待出来るわけやない。あかん。伏せられたらヘリは排除出来ても、兵隊までは殺れん」
智子は力を込めて言い切った。ちらりと時計を伺う。可能な限り速度を殺し、滑空に入っている<プロメテウス>が宇宙港の滑走路上空に姿を見せるまで、残り時間はあと四〇分。
誰かが智子の肩を叩いた。宇宙事業部HM課実験班の主任・来栖川綾香だった。
「二〇分で準備を済ませて。二人とも、硬式宇宙服を着て。『帽子』も忘れないで」
智子の肩越しに、綾香が指示を出す。
「あんた、むざむざマルチ等を殺させるつもりか!?」
「これしかないのよ」綾香の表情は限りなく険しく、そして暗かった。「責任は全て、私がとる。とにかく、浩之達を無事に地上に降ろさせること。その後でなじられようが、殴られようが構わない」
「……」智子はしばし唖然となって綾香の顔を見ていた。が、やおらモニタのほうに向き直る。
「マルチ。それにセリオ」
「なんですか」
「頑張りや」
「はいですー」「――了解しました」
気いつけや、と言えない自分が、智子は悲しかった。
マルチとセリオは、それぞれの体格に合わせて設計された白い硬式宇宙服を着込んでいた。宇宙空間のような過酷な環境においてこそ、メイドロボは真価を発揮できる。彼女たちは史上はじめて宇宙に出るメイドロボになる筈だった。
「四肢動作問題なし」
「ハッチ閉鎖」
「頭部装甲カバーを装着。ヴィジョンブロック開放」
宇宙の微小ゴミ(デブリ)による損傷を防ぐため、という名目で開発された『帽子』――防護カバーを頭からすっぽりとかぶり、画像センサーを妨げる覆い部分だけを跳ね上げる。
「バックパック装着。ケーブル接続」
人工筋肉と補助モータを併用する硬式宇宙服は、メイドロボ自身の電池だけでは瞬く間に電力を消費してしまう。その為、白塗りの四角い補助電源を背負い、さらに外部から電源を供給するケーブルがつながれる。
「接続完了です」
マルチとセリオ、二人のメイドロボの準備は、滞り無く完了した。指揮権はHM実験班から管制本部の智子に引き渡される。
「よーし、マルチ。戦争やぞ」智子は言った。
「……」
「なんや、嫌になったか?」
「いえ。浩之さんはいつお戻りですか?」
「あと、一〇分や」
「せめて、ひと目お会いしたかったですー」
智子は言葉に詰まった。浩之には、マルチ達の特攻作戦は伝えていない。そんなことさせるくらいなら俺はこの機体を海に沈める。浩之はそう言うに決まっているからだ。
宇宙往還機と宇宙開発用メイドロボ。どちらも少なからぬ予算を投じた研究の成果である。誰も好きこのんでこれらを失いたくはない。
(いや。ウチがほんまに失いとうないんは、藤田くんの気持ちや。藤田くんに嫌われたくないばっかりに、ウチは大局を見失いかけてる)
もしここでマルチ達に最後の挨拶をさせれば、きっと自分は現実から逃げてしまうだろう。綾香のように、割り切って考えることは出来ない。
黙り込んだ智子に対し、マルチは笑顔で言葉を続けた。
「智子さん、智子さん。『マルチは人間の方達の為に、立派に戦いました』と浩之さんにお伝え下さいー」
「――私のことも、よろしくお伝え願います。皆様、ご恩は決して忘れません」
マルチに続いて、セリオまでもが別れの言葉を口にする。管制室に詰めているスタッフの中には、泣き出している者もいた。
智子はぐっと唇を噛みしめ、声を張り上げた。悲鳴だった。
「あんたら、ごちゃごちゃ抜かしとらんと、さっさと行って死んでこい!」
管制施設から飛び出した二体の白塗りの鎧。それぞれが「12」「13」という一連番号を胴体にステンシルされていた。
滑走路の端で円陣を組んでいた兵士達がそれに気づき、射撃を開始した。
なにも身を隠すべき遮蔽物のない滑走路の上。前を行くセリオがジグザグに走りながら加速していく。その背中から曳き流されたケーブルを踏まないように、ややおぼつかない足取りで円柱状の含水爆薬ケースを抱えたマルチが続く。
やはり射撃はセリオに集中していた。時折、着弾する。が、大部分はよく設計された硬式宇宙服の防御力が上回り、跳ね返した。貫通した弾も、セリオの駆動系には影響をもたらしていない。
あちこちがくぼみ、砕かれても、セリオは相変わらず前進していく。セリオが中継してくる画像をみつめていた智子は、相手が眼前の情景を信じかねている様子を悟った。
セリオがケーブルを切り離した。さらに加速する。陸上短距離の選手並の速度を発揮して突進する。
ついに兵士の一人が耐えかねてか、携帯式のロケットを発射した。あるいは<プロメテウス>を撃墜・破壊するためのロケットだったのかも知れない。目標が小さいため、直撃はしない。が、爆発によってセリオが吹き飛ばされる。
兵士達が歓声をあげ、管制室の智子達はうめき声をもらした。が、次の瞬間、立場が入れ替わった。セリオが立ち上がったのだ。
そこへ射撃が集中する。今度は回避できない。駆動系のどこかがやられた。円を描くようにふらついて歩き、再び倒れた。もう、立ち上がることは出来なかった。
「セリオさん、ご苦労様でしたっ!」
マルチの元気な声が、一瞬の空隙をついた。倒れたセリオの間近を駆け抜けたマルチが、セリオ同様にケーブルを切り離し、加速する。唖然と見送る兵士達の傍らをすり抜けて、ヘリの内部に転げ込んだ。
管制本部が熱気に包まれた。その最期を目に焼き付けようと、管制塔に設置されたカメラからの画像を映したモニタを注視する。
「マルチッ!」
智子は叫んだ。
「爆破しますー」
空白。
変化がない。なにも起こらなかった。
「はわわ、爆発しませんー」
「遠隔操作で起爆できる?」
傍らの綾香が智子に尋ねた。智子はしぶい顔でうなずいた。
そうか。そういうことかいな。
智子は唐突に理解した。運命の神さんは、ウチにマルチのとどめを刺せ、そう言うとるんやな。そんでもってウチに苦悩せえってか。……神さんはとんでもない「いけず」やな。
智子は再びモニタを見た。その錯誤が客観的に見て、むしろ僥倖であることを悟る。一旦は爆発を恐れて伏せた兵士達が身体を起こし、ヘリのキャビンを恐る恐る覗き込んでいる。
いつまでも伏せておくわけにもいかんさかい、しゃあないやろな。せやけど、それは自殺行為なんやで。
智子は歪んだ笑いを浮かべながら、銃を構えながらヘリに近づいていく兵士の数を数えた。一〇名。マルチの開発にかかった金に比べて、歩兵一〇名は安すぎるな。智子はそう思った。いつしか笑みは消えていた。
「<プロメテウス>、有視界に入りましたっ!」
管制塔で双眼鏡を構えているスタッフの一人が叫んだ。マルチのセンサは、もしかしたら機体各所のスラスターで懸命に姿勢を制御している<プロメテウス>が生み出す音を聞き取っているかも知れない。
智子は改めて死刑宣告をマルチに叩きつける。
「マルチ、遠隔操作で爆破するで。覚悟しいや」
「はいっ」
ヘリのキャビン内。
「浩之さん。浩之さんのお役に立てて、マルチは幸せですー」
マルチは、それが浩之の分身であるかのように、含水爆薬のケースをぎゅうと抱きしめた。ここまで駆け込むまでに彼女も被弾し、電力は著しく失われている。思考がやや混濁し始めていた。
ハッチが開け放たれたヘリのキャビンからは、青空がみえた。その中に、白とも黒ともつかぬ、染みのような点をマルチは見ていた。宇宙から帰還した<プロメテウス>に違いなかった。
もちろん心残りはあった。恐怖もあった。しかし、それ以上にマルチは満足を感じていた。
彼女は感謝していた。いまだはっきりとした形をとるまでには接近してこない<プロメテウス>。その姿が、マルチには浩之の優しい笑顔と重なってみえた。
英語が聞こえた。何名もの<東側>の兵士達がひきつった表情でヘリ内部に飛び込んできた。
マルチは、自らが抱え込んだ含水爆薬が炸裂し、兵士もろとも自らの身体が四散する瞬間もかわらぬ満足を感じつづけていた。浩之の役に立つこと、彼女にとってそれに勝る喜びはないからだった。
(2)
「……また、やな夢見ちまったな」
浩之は顔をしかめた。まわりをみまわし、六限目の授業が何事もなく進んでいるのを確認し、やれやれと溜め息をもらす。
「登場人物」に名前は連ねていても、半ば傍観者としてその世界に参加していたせいか、今度は悲鳴と共に飛び起きて、笑い物にならずに済んだ。とはいえ、気分は最低に近い。
(いよいよ、夢だか現実だか判らなくなりつつあるな……)
とにかく、一度マルチに会っておかないといけないな、と浩之は思った。
そういえば今はなんの授業だったっけか、と思ったところで終了を告げるチャイムが鳴った。
昨日の晩の夢もひどかったが、今度もまた、ろくでも無かった。妙なリアルさがたまらなかった。
しばし呆然としている間に教師は去り、放課後になっていた。
「浩之ちゃん、一緒に帰ろ? ……どうかしたの?」
あかりが浩之の席の傍らにやってくる。げっそりとした顔つきの浩之に、少し驚いたように尋ねた。
「どうも、ますます悪化してるんだ。いつの間に授業が始まって、放課後になったのかよく判らない」
浩之は頭を振った。
「大丈夫? ちゃんと寝てる?」
「……ああ」
寝るのが怖いとは、言えなかった。それに、あの奇妙な世界は、寝ているときにやってくるとは限らない。
「一緒に帰るのは構わないが、ちょっと待ってろ」
浩之は言った。
「なにかあるの?」
「マルチに会ってくる。あいつに確かめたいことがあるんだ」
「うん、じゃあ、志保と話してくる。下駄箱のところで落ち合おうね」
「おう」
浩之は大儀そうに身体を起こした。自分がさっき見た夢のシチュエーションを話してやろうと思う。マルチはどういうだろうか。
実際に自爆を選びそうな気がした。やりきれなかった。
もし夢の中と同じ台詞を言うようなら、絶対にやめてくれ、そう言うつもりだった。既に夢と現実との区別が付かなくなってきている、浩之はそのことを自覚していた。が、そうでもしなければ後味の悪さを払拭できそうにもなかった。
つい、と席を立って家路につく智子の後を、険しい表情をした岡田が早足で追う。さらにその後ろから困惑顔の吉井と、なにもわかっていない顔つきの松本が続く。
岡田にしてみれば、ちょっとした嫌味を二つ三つ言ってからかうだけだった。
智子が廊下を曲がって階段に向かおうとしたところで追いついた、筈だった。
「あれ?」
そこには智子の姿は無かった。廊下を曲がった瞬間に階段を全力で駆け下りるか走り降りるかしたのなら別だが、それならば足音が聞こえなければならない。何も聞こえなかった。
急に足を止めた岡田の背中に、吉井と松本が相次いでぶつかった。瞬間、岡田と吉井は空間がきしむ音を聞いた。
(3)
三人が本通りにある料理屋兼旅館に打ち揃ったのは、その夜の八時頃だった。
「畜生、本当なのね」
かなり酒の入っている岡田が言った。あちこちから聞こえてくる海軍関係らしい宴会の騒音に耳を傾けている。
「ええ、本当よ」吉井が答えた。「私達みたいな端役を根こそぎかき集めているだけでも怪しいのに、飲みに来てみればキャラクタ総出演で大宴会。戦争よ」
飲み始めてからしばらくの間つづいた騒ぎは終わり、吉井の顔には暗い陰が出ていた。
岡田が傍らに身体を転がして沈没している松本に視線を向けたのを見て、吉井は低い声で言った。
「こいつは大変よ。陸戦隊の戦車でしょう?」
まったくこんな身体でよく戦車なんかに乗れるものよね、吉井はそう言って笑った。
「あんただって大変じゃないの」
杯では物足りなくなったのか、ビールを飲み干したあとのコップに酒を注ぎながら岡田が言った。
「まだ戦闘機なんでしょ?」
「ええ、一応は」
コップ酒を一滴も残さずに飲み干す岡田を呆れたようにみながら、吉井は身体を揺すって答えた。
「A7M4。烈風改。レシプロ最後にして最強の戦闘機――なんだけど、ジェットにはかなわない。だから、戦爆……直協支援に使われるって訳」
そう言った吉井は知る限りの、航空隊のあまり面白くない現実についてあれこれと語った。
「とにかく、防空兵器が対艦攻撃兵器より発達ペースがはやいおかげで、妙な話になってる」
「戦艦の価値が復活したってことね。理由はそういうことか」
岡田は、多少酩酊し始めた声で答えた。
彼女は明日、巡洋戦艦『穂高』に主計将校として乗り組むことになっていた。表情が暗くなる。露骨なたとえを用いるならば、穂高は敵の出方を確認するためのオトリなのだった。
「畜生」
気の短いところのある吉井はうめいた。
「いっそ、先制奇襲攻撃してしまえば良いのに」
岡田がそれを聞いて目を剥いたところで、突然廊下の方から声が響いた。
「そりゃ、まずいわよ」
自信に満ちた、キレのある発音だった。岡田がみると、上着を脱いでいる為に階級の判らない、シャツ姿の海軍士官が立っていた。だが、少なくとも岡田達よりは上級であることは確かだった。
「少し休ませて貰って構わないかしら?」
「どうぞ」緊張した面もちで、二人は同時に言った。岡田は、寝転がっている松本のコップを握った士官に酒を注ぎ、安堵した表情になった。同じ酒飲みだとわかったからだ。だが、吉井の方はいささか緊張した表情のままだ。
「先制攻撃は正しい。が、それが戦争そのものの勝敗に結びつくとは限らないのよ」
士官は下がり気味の目尻をさらに下げて言った。彼女はコップを空にして、岡田の手から銚子をもぎ取るようにして受け取り、自分で注いだ。
「考えてもみなさい。こちらから戦争をふっかけて、相手の首都にまで乗り込めると思う?」
「不可能です。せいぜい、引き分けに――」士官の手から銚子を取り戻した岡田が言った。吉井はそんな彼女を青い顔でみていた。
「ええ」士官は言った。次の瞬間、大きな声で言う。
「私だって、出来るものなら先制攻撃をかけて戦いを有利にしたいのよ」
「こんなところで何をなさってらっしゃるのです?」
廊下から新たな声が響いた。いかにも偏屈、頑固といった言葉の似合う顔をした、かなりの年輩の男だった。参謀肩章をつけた中将でもある。
「あ」
士官はコップにあった酒を流し込んでから立ち上がった。
「貴様等、なにか失礼なことを――」と、参謀は言いかけた。
「構わないわ、邪魔したのは私の方だから」
士官はそう言い、岡田達に微笑んで言った。
「本来は貴女達のようなチョイ役に迷惑をかけないために、私の様な隠れキャラがいるんだけど、もうどうにもならない。今日の所はゆっくり楽しんで。払いは私が持つから――セバスチャン、女将にそう伝えておいてね」
「はい、お嬢様」
参謀はそう答え、一瞬だけ岡田達になにか言いたげな視線を向けたが、次の瞬間、二重人格者の様に爽やかな笑みをみせると、大いにやれ、と言い、士官を抱きかかえるようにして去った。
数分後、喜び勇んで酒の追加を頼んだ岡田に、吉井は呆れたように言った。
「貴女、よく平気だったわね」
「なんで?」
「攻略本か、ゲーム雑誌を読んでないの?」
「いや、ここ最近は忙しかったから」
「今のは私達の大将よ」吉井は言った。「新しい攻略可能キャラクタ・来栖川綾香」
「え?」
呆気にとられた岡田の隣りで、ようやく目を覚ました松本が身体を起こした。先ほどまで綾香が飲んでいたコップに酒を注ぐと一息で飲み干し、何があったのかという視線で二人の同級生を見比べた。
「なにがあったの?」
松本が二人に尋ねた。吉井と岡田が顔を見合わせる。それから周りの様子をうかがった。
階段に通じる廊下の角。帰路につく生徒達が行き交っている。
「なに、今の?」
今度は岡田が吉井に尋ねた。吉井も答えられるわけがなかった。
「ねえ」
さらに松本が問いかける。あの娘のことは、もういいの?
「そういえば」岡田が言った。「どこにいったの、あいつ?」
(4)
浩之は一階の廊下を三往復もしてから、ようやく現実を受け入れた。
マルチがいない。
最初その話を聞いたとき、浩之は意味が理解できなかった。
てっきり、さっさと研究所に帰ってしまったのだろうと思った。
しかし、マルチのクラスメイト達の誰一人として、マルチが帰るところを見ていなかった。いつのまにか、いなくなっていたのだ。
不安に駆られた浩之は、携帯電話で来栖川のHM研究課に連絡を入れてみた。まだ帰っていないという返事だった。
(心配することないさ。きっと、どこかで困ってる人をみつけて帰るに帰れないで『はわわわわ、どうすればよろしいんでしょうかぁ〜』なんて言ってるだけなんだ)
浩之はそう思いこもうとした。しかし、どうしても落ち着かない。
「それもこれも、変な夢みちまったせいだぜ、まったく」
ぶつぶつ言いながら下駄箱のところまでやってきたところで、浩之は岡田等と鉢合わせした。
真っ先に口を開いたのは吉井だった。
「藤田君、委員長見なかった?」
「え? いや。先に帰ったんだろ。それより、マルチ見なかったか?」
「見てないよ。ね?」
同意を求める吉井。頷く松本と岡田。
「そうか」
「浩之ちゃん、浩之ちゃん!」
そこに、あかりがどたどたと階段を駆け下りてきた。慌てて、あやうく蹴躓いて転びそうになる。
「なーにやってるんだよ、しょーがねーなー」
素早くその身体を支えた浩之が苦笑する。しかしあかりは思い詰めた表情を崩さない。
「ねえ、浩之ちゃん、志保降りてこなかった?」
早口で問う。
「いや」
「私達も見てないよ」
岡田が言い、三人組は互いに頷き合っている。
「そんなぁ」
あかりは今にも泣き出しそうな顔になる。
「どうしたってんだよ」
「志保と並んで話しながら廊下を歩いてたの。そしたら志保が急に『身体がふわふわして、自分の身体じゃないみたい』なんて言うから、私は、風邪でも引いたんじゃない、って言いながら振り向いたら、志保がいなくなってたの」
「訳がわからん」
「わたしも判らないよ」
さかんに首を振り、あかりが浩之にすがりつく。
「浩之ちゃん、志保を探して。なんだかとっても悪い予感がするの」
浩之は絶句して、返す言葉をもたなかった。
第五話(最終話)『ドラゴン・ロード』につづく