「新社会兵庫」 5月26日号
 公益法人という冠をつけた漢字能力検定協会の乱脈、強欲ぶりには呆れる。「09年の漢字は『漢』だな」と歳末恒例となった「今年の漢字発表」をジョークまじりに予測する人もいる▼漢字は私たちには生活そのものである。氏名、四字熟語、座右の銘など、漢字は日常から生き方の指針にまで生活に溶けこんでいる。漢字に親しむこと、漢字に対して高い能力を身につけることは、誰が首相であっても大切なことである▼しかし、漢字に関する能力の検定・認定、級など数字による格差づけが必要であろうか。世は能力主義の洪水である。言葉通りの能力主義ならば、能力の発揮はあるがままでよいのではないか。能力主義は人を使う側、利潤追求をする側が使用する言葉である。そちら側に役立つ能力を吸い取り、役立たない能力を排除するのが能力主義だ。能力に理屈をつけて格差づけが強行され、検定漬けの世の中になる▼検定の木はあらゆるところに葉を繁らせ、飲みこまれた人たちから法外な検定料を搾り取る。ランクづけ、格付けが当然のようになる。格付け会社なるものが今の恐慌でどんな役割を果たしたか▼私たちも能力が数字で評価されることを拒否しなければならないだろう。
国鉄闘争に死力を
国交省・旧国鉄を追い込む3.25東京高裁判決
 今年の3月25日、国鉄闘争にとってきわめて重要な意味をもつ判決が東京高裁で言い渡された。国鉄闘争とは、国鉄の分割民営化(1987年)に反対し、労働者の権利と公共交通を守る闘争の総称である。なかんずく、所属組合による採用差別を撤回させる闘いであり、1990年4月に解雇された1047人の解雇を撤回させる闘争として、二十数年の歳月をかけて今現在も闘い続けられているものである。

高裁判決の特徴
 東京高裁(南俊文裁判長)判決の救済内容は、不当労働行為を認めながら解雇を有効とし、賠償額(弁護士費用)を50万円上積みしただけで、しかも、対象者を厳格にするという不当なものである。しかし、@時効消滅という被告・鉄道運輸機構(旧鉄建公団←旧国鉄清算事業団)の退路をふさいだ、A採用にあたって不当労働行為があったことを明確に認定した、Bさらに、南裁判長が判決の言い渡し後、「早期に政治的解決を望む」という異例のコメントも付したことなど、大きな意味を持つものである。

なぜ政治的解決か?
 採用差別事件は、本来は労働組合法をベースに争われ、不当労働行為が認められれば原状回復、すなわち職場復帰が原則的な解決方法となる。しかし、最高裁は改革法23条を盾にJRの使用者責任を認めなかった。そして、不当労働行為があったとすればその責任は旧国鉄(その債務を引き継いだ鉄道運輸機構)にあるとした。そのため、争いは民法上の損害賠償がベースとなり、裁判所としては雇用回復、さらには年金保証に踏み込めない構造になっているからだ。

ついに自民党にも動きが
 優に20年を超えた闘争によって、政治の場でもこの間大きな変化が起きていた。この闘争を「当事者の立場にたって解決すべきである」というスタンスで民主党も含む全野党が結集し、2月16日の集会には与党の公明党も参加した。そして、高裁判決後には自民党内にも交渉窓口が設けられ、すでに原告側の代表者との会談も行われている。
 前記@Aを高裁判決が明確に示したことから、国土交通省も鉄道運輸機構も相当追い込まれたのは事実だ。しかし、自民党と官僚機構にとっては、「国家的不当労働行為」を認めることは命取りになりかねず、必死の抵抗をするだろう。

死力を尽くす闘争に
 20年を優に超えた歳月を被解雇者として闘い続けるのは、実に筆舌に尽くしがたいことである。家族も含めた人生をかけた闘争である。兵庫で常駐されている大串潤二さんをはじめ闘争団員や家族と接してきて、何度も胸を締めつけられる体験をしてきた。
 国鉄闘争は、自民党と官僚機構を打ち破るというまさに死力を尽くす闘いである。日本の労働者の権利、いや、人間として生きる権利を取り戻すための闘いである。なんとしても勝利を実感できる成果を勝ち取らねばならない。
 しかし、JR会社の圧力もあって、マスコミはいまだに基本的にこの闘いをほとんど報道しない。ハンガーストライキや座り込み行動などを取り組んできたが、運動の広がりが実感できず、若い層にも浸透しにくくなっている。そのため、闘争資金も大変厳しくなっている。

会員拡大、物販に協力を
 大串さんの常駐体制を維持している「兵庫県国労闘争団を守る会」では、年会費4千円の個人会員の拡大と、「辛子めんたい」の物販の強化に全力で取り組むことを確認したところである。読者の皆様のぜひとものご協力をお願いします。

佐野修吉(兵庫県国労闘争団を守る会・事務局長)
朝の散歩で
 我が家には愛犬の柴犬がいる。
 わたしが愛犬とともに早朝の散歩に行くことを日課にしてから、6年になる。
 この6年の間に散歩コースもずいぶん様変わりした。少しずつ田んぼが埋め立てられて、だんだんと何十軒もの家が建った。その中にはオール電化の家もたくさんあることだろう。二酸化炭素を出さない地球に優しい、まさに今のニーズに合っているとのキャッチフレーズで大いに宣伝されている。
 ところで、日本の電力供給の3分の1が原子力発電によると言われている。ひとたび事故が起こると大惨事になるかもしれないことを、頭の隅に置いておかなければならないだろう。
 散歩の途中の家々の玄関まわりには、どの家も花が美しく咲いている。家によって咲いている花も置き方も手入れの仕方も様々だけれども、季節の花々が玄関を飾っている。それで、いつも思うのだが、1年のうちのある一定の期間(1週間程度)「プレガーデンフェア」とでもいうような催しを地域で行ってはどうだろう。「オープンガーデン」はよく聞くが、オープンするほどではないけれど咲いている花々をみんなに見ていただきたいという思いで、道から見えるところに飾るのだ。花の栽培が得意でない人はもちろん参加しなくてよい。とっても楽しい町内になるだろう。ただし、いろいろな見物人に混じって空き巣ねらいの下見に利用されるリスクはあるが……。
 散歩コースに分譲地がある。その中に住人を待っている立地条件のいい、かなり大きな家があった。もう一年以上も買い手が見つからず風景の一つになっていたが、ある時、急に、艶やかに輝きだしたのだ。住人が見つかったのだ。本当にびっくりした。
 そうかと思うと、空き家になった家もある。あの家の中には、喜びや悲しみがいっぱい詰まっていることだろう。そして今は静寂のベールにつつまれて時の中に沈んでいる。家は人が住んでこその家なのだな。
 わたしは「日本昔話」に出てくるような事をよく思う。
 「お客さん」も「福」も玄関から入ってくる。家の中がごじゃごじゃと物でいっぱいになっていると、お入りになった「福の神様」が『福が欲しいと願っていたので来たのに、たくさんの物でいっぱいではないか。これ以上物はいらない』と福を置かずにお帰りになるかもしれない。
 また、「貧乏神様」は裏口からお入りになって、『物がごじゃごじゃと置いてあるので、入りやすいわい』と居座ってしまうかもしれないと。
 いろいろな事を思いながら朝の散歩を楽しんでいる。
(姫路M)
介護保険制度そのものの矛盾にメスを
 昨年、六甲山頂に住むある高齢の女性が、要支援の介護認定を受けたことで、介護保険サービスの利用を申請した。しかし、訪問介護サービスを提供したくても「(六甲山頂では)採算が合わない」ことから全ての介護事業者が断ってきた。高齢者は切り捨てられてしまった。介護難民を生み出し続ける制度の矛盾≠象徴する出来事である。
 介護保険制度が始まって9年……、2回の介護報酬引き下げを経て、このたびはじめて介護報酬が3%引き上げられることになった。介護報酬引き上げは、保険料や利用料引き上げと連動している。保険料については、神戸市の場合、準備基金取り崩しや国の特例交付金で約54円引き下げられることになった。たとえわずかでも、これは朗報である。しかし一方、利用料についてはこのままでは負担増になり、利用上限額が変わらない限り、結果として利用者がサービス利用を減らしてしまうのではないかと危惧する。
 介護現場で働くヘルパーにとってはどうだろうか。多くは女性であり非正規であるヘルパーの離職率は21・6%にも上り、3年未満で7割がやめていくという。国もようやくこのことに危機感を抱き、今回の改定では、「ヘルパーの処遇改善による人材確保と定着」を目的とした。しかし、問題は介護報酬引き上げが本来の目的のヘルパーの人件費引き上げに、人材確保に、果たしてつながるかどうかだ。このままだとおそらく経営難を強いられている介護事業者の赤字補てんに終わっていくだろう。介護報酬改定による増加分をどのように配分するかが介護事業者の裁量に委ねられている以上、確実に人件費引き上げにつなげるためのしくみ作り≠ェ必要なのではないだろうか。国の事後調査委員会を設けるという程度の対応ではヘルパーの待遇改善にはつながらず、根本的な解決には至らない。制度そのものがもつ矛盾にメスを入れなければ、ヘルパー消滅の危機、介護保険の制度崩壊は免れない。
小林るみ子(ヘルパーユニオン)