「新社会兵庫」 10月27日号
 少し前の新聞に、金正日総書記の後継者とされる「金正雲」の表記を韓国政府が変えたことが載っていた。表記といってもハングルでのこと、日本語表記ではどっちにしてもキムジョンウンなのだが……。そうなると、正雲の「雲」は間違っていたことになるから、いずれ日本の新聞などの漢字表記も改められていくのだろう▼われわれは、中国人や朝鮮・韓国人の名前を、音だけだとどうしても落ち着かず、つい覚えやすい漢字表記と日本語風の読みを求めてしまう▼いまは南でも普通はハングルだけの表記になっているが、尋ねれば名前の漢字は書いて教えてくれる。名前とか住所では、ある意味、漢字が生きている。ところが北は、先の報道によると民族主義の観点から漢字使用は原則廃止らしいから、われわれが勝手にハングルを透かして一所懸命漢字を探し当てるというのも、考えてみればおかしな話だ。ある通信社などは、蓄積した膨大なデータをもとに中国外務省の発表、朝鮮総連からの伝聞など基に漢字を充てていくらしいが、たいへんな作業を要している▼しかし、名前の漢字がどう表記されるかよりもいちばんおかしなことは権力が「世襲」されていくことだ。日本も含めて。
韓国労働運動に熱い視線と連帯を
民主労総と韓国労総が歴史的共同闘争へ
 9月下旬に韓国を訪問し、非正規労働者センター、韓国全国金属労働組合(金属労組)、韓国労働運動研究所で交流することができた。全金兵庫地本の書記長、委員長をされてきた柳田勘次氏の韓国労働運動研究所でのセミナーに同行したものであった(その報告は兵庫県労働史研究会で行う予定である)。
 韓国労働運動はまさしく激動していた。
 まず、もっとも交流を深めたいと思っていた金属労組の役員選挙の開票日とセミナーが重なってしまった。14万人を超え、所属企業も異なる全組合員の一票投票で決めるという、日本では考えられない徹底した民主主義である。その日の開票では過半数にならず、後日の決選投票で産別強化推進路線のパク・ユンギ前現代自動車支部委員長が当選した。しかし、その直前におこなわれた現代自動車支部(4万人強)では、「実利派」と表現される労使協調路線の執行部が選出されるという結果が出た。
 少し遡ると、韓国完成車メーカーである双竜(サンヨン)自動車は、金属労組支部(5千人強)に3分の1の整理解雇合理化を強行した。同支部は占拠ストライキ座り込みを77日にわたって展開したが、警察権力の数度にわたる実力排除攻撃を受け、8月6日に「無給休職」を受け入れるという事実上の敗北を喫したところであった。資本は攻撃の手を緩めず、残留組合員が執行部を無視して9月6日に金属労組脱退を決議したのである。
 双竜自動車の争議が行われていた7月16日には、会社の組織攻撃のもと「御用化」が進行していたKT(韓国通信)労組(約2万8千人)が圧倒的多数の支持で民主労総脱退・独立組合化を決定していた。保守的な韓国のマスコミは、この動きを民主労総の弱体化として大歓迎の論陣をはっていた。
 ところが、9月22日には全国公務員労働組合と民主公務員労働組合、法院公務員労働組合の3労組が統合し民主労総へ加入することを決定した。統合公務員労組は、合わせて11万5千人余りで、金属労組、公共運輸連盟に続き3番目に大きい傘下連盟となる。民主労総は大きな力を得ることになったのだ。
 実は今、韓国労働運動を揺り動かしている問題が急浮上している。「複数労組容認(交渉窓口は過半数代表制)」と「労組専従者賃金支給禁止」である。韓国の労組法は、戦闘的労組の芽を摘むために1企業に1労組しか認めていない。その壁を民主労総は乗り越えて今日に至っているのだ。また、韓国には中小企業が多く、労働組合の専従者は会社持ちという労働組合も多くある。李明博政権は13年間凍結されていたこの二つの条項をよみがえらせ、来年1月からの実施を表明した。
 民主労総と対立し、労働界内外の批判を押し切って労使民政合意を率いてきた♀リ国労総が、この動きに猛反発している。「韓国から労働組合を完全になくすものだ」として、20万人集会・ゼネストを提起し、10月8日に民主労総との共闘を申し入れたのだ。
 まだほかにも伝えたい情報はたくさんあるが、韓国労働運動は昨年の世界経済危機を経ても沸々とたぎるようなエネルギーをもって展開されている。かたや日本の労働運動は、地域ユニオンなど一部の例外を除いてもはや存在感すら失っている。
 隣の国では、労働運動に人生をかけ、命をかけて労働運動は取り組まれている。その運動に触れた日本の労働者は、その多くが労働運動に自信を取り戻している。しかし、日本のマスコミでは、韓国の労働運動はほとんど取り上げられない。
 こうした状況下ではあるが、日韓の労働者の連帯活動は徐々に拡大しつつある。日本の労働者は韓国から闘うエネルギーをうけとり、韓国の労働者は日本の労働運動の失敗を教訓化し、すでに連携を強めている資本の労働者攻撃をともにはね返す取り組みである。日本労働運動の再生のカギを握るものである(韓国労働運動の最新情報については、インターネットでレイバーネット「韓国の労働運動」をご覧ください)。
佐野修吉
働き始めた子どもたち
 今年から二人の子供が働き始めました。その友人たちも社会へ羽ばたき始めています。25才の娘は、4月から非常勤の教師として公立の中学で教えています。中2の全クラスと3年の一部の英語教科をまかされ、担任は受け持たず、やったこともない運動のクラブの副顧問をすることに。非常勤とは言え、小さい頃からの夢がかない娘は意気揚々でした。やっぱり子供たちはかわいい…と。
 でも、その働き方はたいへん。朝、クラブの早朝練習に行くため 5時半起きで6時前に出て、夜は早くて8時半頃の帰宅。土曜日はクラブの練習や試合の引率と休みはなかなかとれない。帰ると夕食もそこそこにそのままソファーで眠ってしまいます。
 23才の息子は経営コンサルティングの若いカリスマ社長の会社へ。社長のマインドコントロールにすっかりはまっているようです。本人はとても楽しいようですが、朝は6時過ぎに出て、帰りは12時過ぎ。「覚えることが一杯だし、若いし、だいじょうぶ。同期で1番になった」と言いますが、それが、手取り16万円、ボーナスはゼロ。
 気持ちと体が続いている間は大丈夫だけど、時間の問題だな…。こんな親の思いをよそに2人の新社会人は、マックス働いています。4月から5カ月、そろそろ朝が起きられなくなり、朝も疲れがとれなくなってきているようです。
 娘の友人(男性)は全国に店舗をもつ大手衣料メーカーに勤めて2年目。全国で400人いた新社員は1年で半分に減ったと言います。朝7時25分出社、帰りは最後までで夜10時すぎまで。勤務形態は、朝番、遅番もあり、週2日の休みがあっても、現実はそうはいかないようです。1年過ぎた社員の研修では、あえて社員を怒らせることを吹っかけて辞めさせるといいます。退職金制度はなく、いつでもわが社のノウハウを学んで辞めてもらっていい、とのこと。店長候補の資格を持つためいま、彼は必死です。
 娘は「派遣で働いている人はみんながみんなそうではないけど、がんばらなあかん時があったのにがんばらなかったからと思う」と、去年はそう豪語して、私と大げんかしました。このまま彼女が非常勤で1、2年が過ぎる頃、きっと怒りが湧いてくると思います。
 私の職場にも隣の席に派遣で働く29歳の人がいます。派遣で働きはじめて1年が過ぎようとしています。しかし、正社員の話がまだなく、悩んでいます。
 私も若い頃、どんな職業につこうかと悩み、仕事や将来に対して、夢も純粋であったと思います。今も昔と変わらず社会に羽ばたこうとしている若い彼らの思いを今の社会はつぶしてしています。企業は体も気持ちもボロボロになった人たちを「負け組」もしくは「自己責任」と位置づけ、放り出します。企業の社会的責任として労働者を育てる意識なんて微塵もありません。そんな企業を野放しにし、大企業の利益を守るというこんな社会を打破する突破口は、怒りと仲間との学習会しかないのかなと改めて思います。
(尼崎・NAOKO)
何とかしてよ、介護保険
 政権が交代しましたが、国会議員には「もっと国民の目線に降りて来てよ!」といつも思ってしまいます。議員になったら、せめて1カ月は、国民年金の一番少ない額で、市営住宅などの一番古いタイプの住宅に、年金をやりくりして一人きりで生活し、その感想やこれから自分のやるべきことを明確に示して実行してもらいたい、と思うのは私だけでしょうか?現実に今日生きるのに精一杯の障がい者、高齢者、子ども達、仕事のない若者、中高年はどんな期待を今の政治に求めるのでしょうか?
 私たち介護労働者も、今に楽になる、賃金も介護報酬も国民の負担なしに上がり、みんな安心して老後が迎えられると頑張ってきたものの、後ろを見れば、若者も同年代の、ひと昔前とりあえずヘルパー2級の資格を取ろうと講習を受けたであろう人たちも続いてはくれていない。私たちが倒れたら冗談ではなくヘルパーはいない。誰が私たちのオムツを取り替えてくれるのでしょうか?
 ご存知でしょうか?介護保険では、散髪も散歩もテレビを買いに行くのも、贅沢だとして介護保険は使えない。お金を別に払って連れて行ってもらうか、やさしい、近隣の人やめったに来ない家族に連れていってもらいなさいとある。それが地域ぐるみで高齢者や障がい者を支えるということなんだそうです。
 いつも担当者会議といわれるものに参加したり、連絡会議などに出ても、みんな疲れた顔をしています。会議の時間の賃金は介護保険では出ません。書類作成にも時間がかかります。不備があると減算です。
 体力勝負のこの仕事、いつまでできることやら。外国人の力を借りてもよいでしょう。ただ、日本の労働力もあるのです。まずそれを使いましょうよ。在宅介護なんて地域や風習がわかってないと、お互いが辛いですよね。しかし、高齢者の方の「ありがとう。また来てや、待ってるよ」の言葉でまた訪問できる私たちがいますが…、「何とかしてよ、介護保険」。
村中英美子(ヘルパーユニオン)