「新社会兵庫」 1月19日号
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- 2010年。60年安保・三池闘争から50年という節目の年である。当時、家庭でテレビが見られるようになっていたにもかかわらず、小学生からすればあまりニュースに関心がなく、娯楽番組を見呆けていたせいか、安保・三池闘争のことをテレビで見たという記憶はあまり残っていない。ただ、子ども心に「自民党は嫌い。岸信介はイヤなやつ」と思い込んでいて、岸内閣の退陣を喜んでいたような気がする▼それから50年。この間に、史上空前の大闘争の指導部だった日本社会党や総評はなくなり、いま、護憲の政党は国会の片隅に追いやられている。一方、安保条約はその後、どんどん内容・対象を拡大して変質し、在日米軍再編で、いまや緊密な日米軍事一体化が進行する事態となっている▼折しも昨年の政権交代によって、普天間基地「移設」問題をきっかけに沖縄の基地問題が大きく焦点化しだし、改めて日米関係が問われることとなった。代わった政権がこれまでの政権と同じだと意味が無い。用語としても定着してしまった「日米同盟」から脱却し、真に対等な関係で安保・基地問題の見直しを図る方向性が問われている。節目のいまこそ、国民的な議論を起こす絶好の機会である。
2010年・年頭に思う
- 縮小する米帝―路線を誤るな
原和美後援会・会長、京大名誉教授 本山 美彦
戦後60年、激しい反基地闘争で鍛え抜かれた沖縄の人々の、現代世界を正しく見抜く目を、私は非常に尊敬しております。本土の人間がともすれば陥りがちな観念論ではありません。どうすれば闘いに勝てるのか、どこに気をつければふたたび騙されることはないのか、運動の総体をどの方向に向けたらいいのか、統一戦線をどう組めばいいのか等々、沖縄の人々の粘り強い運動への取組の経験は、なんらかの社会運動に関わろうとする本土の人間に貴重な指針を与えてくれます。幾度も煮え湯を飲まされ、悔し涙を流されたでしょう、沖縄の人々は。それを耐え抜き、くぐり抜けて、いまの闘争の高揚があるのです。そこから、一揆主義的なものでなく、いまの、着実に前進させる懐の深い戦略と戦術が生まれたのです。米軍再編成の行方を認識して長期的視点から共有される戦略、運動を一歩も後退させずに着実に成果をもぎ取る細かい戦術。こうしたすごいものを沖縄の人々は本土の人間に与えてくれます。なによりも勇気を奮い立たせてくれます。
もはや、米国には昔日の面影はありません。内に籠もるべく、世界からひたすら撤退するでしょう。それこそ、島国米国の内国植民政策に集中するようになるでしょう。
米軍も例外ではありません。ドイツから駐屯部隊を引き揚げ、韓国から撤収するでしょう。日本も例外ではありません。米軍は、沖縄から出て行くでしょう。ただし、航行権と空域権は手放さないでしょう。そのためにも巨大海上基地建設に邁進するでしょう。アラブ湾、インド洋、豪州沖に巨大艦隊を浮かべて海上基地にするでしょう。海兵隊は順繰りにそうした3大基地を回遊するでしょう。そして陸上基地は米国に集約されるでしょう。問題は世界中にある現在の米軍基地です。これは、核の傘に入れるという条件で各国の軍隊に委ね、有事の時には米軍と共同使用できるという体制に米国は持ってくるでしょう。財政的にも軍事的にもそれしか選択肢はないのです。
米軍基地の移転とは、日本にとっては自衛隊がその跡地を引き受けるということなのです。反基地闘争とは、反自衛隊基地闘争なのです。闘いの方向を見誤らないようにしたいものです。
- 長い停滞期から前進への兆し
熟年者ユニオン会長 米岡 史之
昨年、長年政権の座を独占して、独占資本の利益追求を政治の場で推進し、そのために庶民に大きな負担を押し付けてきた自民党が、庶民の怒りによって政権の座を追われた。
代わりに政権の座に就いたのは、連合が全力で支援した民主党中心の連立政権であるが、連立政権の迷走は、今年夏の参議院選挙で票をもらうための庶民向けの人気取りと、米国との軍事同盟と軍備拡張を推し進め大企業の利益を守る民主党の基本路線との、本来は両立できない政策の間の動揺であり、迷走である。
この程度の政権交代しかできなかったのは、労働運動と社会主義運動の責任である。
日本の労働運動と社会主義運動は、ソ連・東欧の社会主義体制と総評の崩壊によって、計り知れない打撃を受け、どん底まで落ち込んだ。約20年という長い停滞期であったが、今、ようやく前進に転じる条件が生まれ、いくばくかの前進も見られるようになった。
日本の戦後の労働運動は、資本の攻撃もあって企業内組合中心の運動になり、現在は労働者よりも企業内組合存続の基盤である企業を守っている。欧米の労働運動は資本の攻撃をはね返して、産業別労働組合が全労働者の生活を守り、向上させるために闘っている。なぜこうも違うのか。それは労働組合が育った土壌が違うからである。
欧米では、労働者は横断的労働市場で職を求め、横断的賃金率で働いている。日本では学校を出て会社に就職、年々賃金があがる年功賃金、企業内で出世し、定年まで働ける終身雇用であり、企業規模による賃金格差、企業一家的経営など、企業が労働者のセーフティネットとなっていた。
この企業内組合の存続条件は、資本の手によって崩され、今、横断的労働市場で職を求め、横断的賃金率で働く労働者(非正規労働者)が急増している。ようやく欧米で産業別労働組合を育てた土壌が日本でも生まれつつあるということだ。非正規労働者の劣悪な労働条件は、戦闘的で横断的な労働組合を求めている。
正規労働者の労働組合や活動家が非正規労働者を組織し、共に闘うことによって労働運動と社会主義運動は大きく前進するに違いない。いい初夢を見させてもらっている。
- 目標は中身充実、変化と発展
労働組合武庫川ユニオン執行委員長 上山 史代
昨年は、1月4日から滋賀の派遣切りとの闘いから始まりました。ペルー人やブラジル人など多くの外国人が仕事と住まいを奪われ、毎月の相談会だけでは間に合わない状態でした。しかしながら、私たちにできることは、雇用保険の遡及加入や有給の取得、契約内解雇の補償など限られていて、多くの労働者は働くところを探しに滋賀を離れたり、国に帰ったりしました。年越し派遣村などの取り組みから非正規や派遣労働者の悲惨な実態が可視化され、政権交代にも大きな影響を及ぼしました。しかしながら、大企業は「派遣」という働き方の安価な便利さを簡単に忘れません。契約中途解除と言われないために契約期間を短くして堂々と雇い止めにしたり、無保険で働かせている実態があります。派遣法の抜本改正を求める取り組みに力を注がなければと思っています。
武庫川ユニオンの大きなとりくみの一つに「国際交流フェスタ」があります。16回続けたフェスタを昨年は大きく変えました。外国人の参加が少なくなり国際交流ではなくなってきたことや、準備段階での負担を軽減することに伴い、組合員を中心に闘う仲間を励まし連帯する「レイバーフェスタ」としました。組合員たちが、劇やハンドベル、歌や踊りの練習をする中でフェスタを自分のものと捉え、団結し元気になっていきました。
また、学習会では、一つの分会だけを取り上げて、当該組合員たちの言葉で組合結成のきっかけや問題点、団交の様子や進捗状況を報告することも試みました。他の組合員たちが、違う視点で質問や議論をするという、日頃接することが少ない組合員どうしがお互いを仲間と感じることができた取り組みだと思いました。同じユニオンでも機関紙や執行委員会だけではなかなかお互いを知ることはできません。参加して、顔を見て、「私は……」という機会をもっともっと作っていかなければと思います。
昨年からの大きな争議がまだまだ残っています。川崎重工の派遣切りとの闘いは始まったばかりです。白鶴物流魚崎分会とダストマンサービスの裁判も始まりました。猪名葬祭のセクハラ・不当解雇の裁判も始まります。元気がとりえの武庫川ユニオンです。組合員みんなで力を合わせて、勝ちにいきましょう!!
今年の武庫川ユニオンは、「中味充実、変化と発展」が目標です。
- 労働運動の再生が急務/問われる主権在民の思想
新社会党書記長 松枝 佳宏
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安保・三池から50年
2010年は安保・三池から50年という記念すべき年である。
1956年、「もはや戦後ではない」(経済白書)と戦後復興を経て復活した独占資本は、石炭から石油へとエネルギー転換を図り、国土総合開発、産業再編成と次の経済成長を準備した。同時に、資本の海外進出(自由化)のため帝国主義的な仲間入りをめざし、日米安保条約を強行改定した。その時、独占資本にとって、自らの前に立ちはだかる総評―炭労―三池は邪魔者であった。三池は狙い撃ちにされたが、連帯を求め独走を恐れず、三池炭鉱労働者は果敢に闘いに立ちあがった。60年安保と三池は結びつき、総資本と総労働の闘いといわれた。
続く70年安保は、ベトナム反戦、沖縄返還とともに闘われた。そして、それを支える国労や全逓労働者の反マル生闘争があり、総評を軸にした国民春闘があった。戦後労働運動は、戦後民主主義(憲法体制)とともに存在したのである。
いま、総労働の姿がない
それから50年。いま、「総労働の姿」はない。
80年代、新自由主義の嵐が吹き荒れ、一方では国鉄分割民営化、労働戦線の再編という形で階級的な労働運動をつぶし、一方では「自由」という名において、競争を組織し、自己責任とともに労働者の基本思想である、また労働者にとって命綱である団結と連帯≠つぶしてきた。「失われた労働運動」の現実である。
しかし、日本版新自由主義である小泉構造改革は、百年に一度という大不況の中で、「国民」の怒りを買い、行き詰まり、戦後続いた自民党支配を崩壊させた。今や60年安保・三池を経て定着した「生産性を上げ企業の力をつけ、その利益を国民・労働者に配分する」という国民統合(支配)の在り方はつぶれている。体制の側にそのゆとりはない。
しかも、豊かな自然、海や山をつぶし出来上がったコンビナートはゴーストタウン化し、「非正規」労働者・失業者の急増の下で「正規」労働者の搾取の上に成り立っていた日本型福祉もつぶれ、「貧困ビジネス」が横行している。
沖縄の現実を見よ。「日本を守る」とした日米安保条約は軍事同盟として強化され、「密約」で核を持ち込み、アメリカ帝国主義の前線基地となり、自衛隊は海外を闊歩し、アジアの脅威となっている。
この50年が明らかにしたもの
この50年は何を明らかにしているのか。政治と経済は一体であること、労働運動と平和、そして福祉は密接に結びついていること、資本の支配のためには、「総労働」の闘いは邪魔であること、「総労働」の態勢づくりが弱かったから安保・三池は敗北したこと、そして「失われた労働運動」の下では、ひとり労働者の生活と権利の前進だけでなく、広く平和と民主主義の前進もないこと、資本の横暴は規制されなければならないが、それを規制できるのは労働者・民衆の闘いであり、働く者が作り出した当然の取り分は闘いによってしか勝ち取ることができないこと、―これである。
労働運動の再生が急務
いま、「負の遺産」の前に民主党があえいでいる。しかし、「友愛」という言葉で独占資本やアメリカ帝国主義とも仲よく付き合い、一線を画すことができず、労働者・民衆の闘いに依拠する姿勢を持たない民主党に、その克服は期待できない。問われているのは、われわれである。とりわけ労働運動の再生は急務である。
確かに、新自由主義は労働者の団結と連帯をつぶし、労働者を個人としてバラバラにし、支配を強めてきた。だがそれは同時に、戦後労働運動が抱えていた弱さ、企業主義、指示・指令待ち、集団主義、官僚主義をもつぶしている。そして今、地域ユニオンだけでなく、既存の労働組合の中からも、「自らはじめる」という新しく、たくましい闘いも始まっている。また、年越し派遣村のように企業を超え、「人間らしく生き続ける」社会の在り方まで問う闘いの萌芽もある。これらの闘いが、横に手をつなぐ時、日本の労働運動は大きく飛躍すると確信する。
2010年は参院選がたたかわれ、2011年には統一自治体選挙が予定されている。いま、日本は、世界は大きな岐路を迎えている。その意味では、「戦後」が問われているといえる。「負の遺産」とは、一方では戦争責任・戦後責任を明らかにし、けじめをつけ、憲法を暮らしに生かしてこなかったわれわれ自身の弱さの結果でもある。主権在民、「労働者は社会の主人公である」という思想と実践が問われている。現場の苦闘と政治が結び付く時、日本と世界の未来は開けてくる。
(09年12月25日記)
安保・三池から50年 60年安保闘争を想う
- つくられていた元気になろうという流れ
労働大学副学長 今村 稔
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「伝説の」60安保闘争
1960年の日米安保条約改定反対闘争からちょうど半世紀の歳月が流れた。
今日では、60年安保闘争に思いを馳せて語る多くの人たちは、それに「伝説の」という修飾語をつけるのを常としている。闘争の最終1ヵ月間というものは、連日10万から30万に及ぶデモが国会をとりまき、そこから放射状に拡がる道路という道路は「フランスデモ」によって埋めつくされた。小学校では「安保ゴッコ」が流行し、「安保反対!」「岸を倒せ!」という学童の歓声は廊下に、校庭に響きわたっていた。現在のように流行語大賞があったならば、「安保反対!」は記録的な第1位であったであろう。
東京を中心とする安保闘争は、九州・大牟田の三池闘争との結びつきを意識されながらたたかわれた。たまたま神戸は東京―大牟田間のちょうど中間地点であり、上り東京行、下り九州方面の夜行列車の始発駅でもあった。上りホームで東京へと向かう安保反対兵庫県共闘の上京団を見送った人たちは、そのまま下りホームに移動して大牟田行の支援オルグ団の壮行式を行なったと言う。しかも、これは連夜の光景であった。
当時、安保共闘(安保条約改定阻止国民会議)の事務局長を務めた水口宏三は60年安保闘争を総括して述べている。「全国につくられた2千を超える共闘組織に支えられ、1年半にわたって22次の統一行動と3回にわたる政治ストを決行し、2千万筆を超える請願署名を集め、ついにアイク訪日を阻止し、岸内閣を退陣に追い込んだ」。
「伝説」という言葉のヴェールとしての魔力
50年前に燃え上がった前代未聞の国民的な巨大なエネルギーを表現するのに「伝説の」という言葉を冠するのは相応しいことであるかもしれない。しかし、ニュアンスが神話に近似する「伝説」という言葉は、同時にすべてを、不可思議なもの、因果関係を説明しがたいものとして包みこんでしまうヴェールとしての魔力を発揮する。神話としてしか存在しえないもの、再現を考えること自体が無意味なものという世界に60年安保闘争を誘う怪しげな香気を発する。
はたして60年のエネルギーは科学や論理の及ばない天変地異であったのであろうか。
継続し、積み上げられたもの
60年の余韻が現実的体験としてまだ感じられていた60年代後半、よく言われたことは「58年の警職法闘争なくして60年の盛り上がりはなかった」ということであった。さらに「57〜58年の勤評闘争なくして警職法闘争はなかったであろう」ということがつけ加えられた。つまり、60年の燃え上がりは、継続し、積み上げられたものへの引火によるものであったのである。風景にたとえて言えば、60年安保闘争を独立峰としての景観を誇る富士山のように見てはならないということであろう。実際には富士の景観は広大な裾野に支えられていることを見落としてはならないのであるが。春闘であり、勤評闘争であり、警職法闘争であるという峻険な山々が畳々と連なる奥に60年安保闘争という最高峰が輝いていたのである。
労働者の心と意識への働きかけ
これらの山々を踏破するにあたって、社会党・総評ブロックの指揮棒のもと労働者がうたい続けた歌は「労働者こそ社会の主人公」という「人間の誇り」を甦らせようとする歌だった。もちろん、最初から全員が声をそろえてうまくというわけにはいかず呆れるほどに音程はずれだったり、信じられないほどに不ぞろいだったりする方が常だった。しかし、指導部である社会党・総評ブロックはタクトを振りつづけた。
1950年代後半は政治的には、「55年体制」がスタートし、労働運動では、平和と民主主義を守り生活の向上をはかろうとするさまざまなたたかいが展開された時期であったが、それらの叙述に省かれがちになることは、その中に労働者は誇りを持とう、元気にあろうという赤い熱い血を流そうという努力がつづけられ、また、赤い熱い血が流れ始めていたということである。
春闘で賃金論を学ぶ際にも、労働者を資本の軛から解き放とう、労働者思想をつかみとろうということが強調されたし、当時、総評の重要な組織論であった「企業別組合から産業別団結へ」というスローガンを説明する場合にも、組織技術論に合わせて企業奴隷から団結した労働者に成長しようということが強く促されていた。
この時期(60年安保闘争の揺籃期)のたたかいには、うまずたゆまずの継続と蓄積があったのであり、元気になろう、誇りを持とういう心への働きかけがあったのであり、意識の成長・前進を促そうとする営為があったのである。
このことについての理解なしには60年安保闘争のエネルギーを理解することはできないであろう。
- 当たったよ!日帰り旅行
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私にとって、昨年は厄年かしらと思うほど、災難の多い年だった。ところがところが、当たったんです。「某お客様大感謝祭旅行プレゼント・キャンペーン」に応募したら、2等「日帰りバス旅行―師走の中山道旅籠をぶらり木曾旅情」が。うれしや、うれしや!これで私の厄も払えるでしょう。
12月22日朝、まだ薄暗い7時、湊川神社前集合。朝の弱い私でも、これだけは外せません。目覚まし時計を3個セットして5時起き。旅行に行く以外にこんなに早く起きたことがない。車中は指定席になっていて、隣り合わせた人とは波長が合って、「ホッ!」。
さあ、出発!一路、木曽路中山道妻籠を目指して阪神高速を走り始める。妻籠へは、阪神高速から名神高速に入り、中央自動車道を進み、中津ICを降りて木曽福島方面へ国道19号線を北上し、256号線に入ればすぐだ。先ず、滋賀県の多賀SAでトイレ休憩。そして最初に連れていかれたところが、モード館「Tミンク」。そこで80分。これって定番ですよネェ。店員につきまとわれながら、拒否!ムートンのじゅうたんが30万円、シーツが2万円、カシミヤのスカーフが2万円、ミンクのコートがウン百万円。いらない、いらない。早々と店を出てバスに戻る。
2時間走ってようやくお昼。天下分け目の戦いを繰り広げたという、あの関ヶ原町で、雪を被った伊吹山を眺めながら、ブランド牛証明書付きで、近江、飛騨、松坂牛3種すき焼御膳をはじめ、よもぎそば、卵と野菜の2段重ねせいろ蒸し等々、それは、それはおいしかったですよ。次に行く予定だった「木地師の里けやき工房」は、積雪の後で危険ということでパスして、待望の妻籠宿へバスは走る。
やっと町営駐車場に到着したのが、もう午後3時。急がなくっちゃあ、散策の時間がなくなるう。さすが国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれただけあって、江戸時代の面影を色濃く残している。ここは80分間しかないので1q程を往復するしかなかった。観光案内写真で必ず見る「桝形の跡」辺りまで行き、そこから引き返す要領で散策した。遠くの山々には雪が光り、真っ青な空に映えてとても美しい。情緒たっぷりの格子戸には、ヘチマ、南天、椿と観光客を喜ばせる雰囲気づくりがにくい。当時の面影を表わす「書状集箱」と記された黒塗りの箱形がいまも使用されている郵便ポスト。飲むとコーヒーカップがお持ち帰りのお店でコーヒーにかぼちゃおやきを食しながら、私の趣味のひとつ、情緒豊かな絵を描き、自分宛にそのポストに投函した。路々には地酒屋さん、かわいい小物売り屋さん、藤村の母の生家もあり、檜造りの建物で歴史資料館となっていて興味深い。もっともっと居たかったこの旅。最高で昨年は締め括れた。
(純)
新春特別編
- 地域文化の尊重と継承こそまちづくりの原点
前川協子(西宮市甲陽園東山町在住)
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昨年末は所用があって、晦日までの3夜連続で、8時頃から9時頃にかけて国道2号線を通ることがあった。ところが普段とは様変わりの静けさで、赤信号で止まっていた車列が一斉に走り出したあとは後続車も無く、行き交う車さえ稀で、人影もほとんど見当たらなかった。そこで私は改めて不況の深刻さに思いを馳せ、正月用品は安価だったけれど品薄で閉店も早かったことが、歳末の賑わいを失速させたのだと悟った。それに家並みの注連縄飾りや門松等もめっきり少ないのを見ると、これでは次世代への伝承文化が果たして伝わるのかと心許なかった。
年初のメディアでは、経済界の大御所達が口を揃えて「景気の回復を」と唱えていたが、さりとてバブル崩壊後の負の遺産については誰も責任を取らないで公金の垂れ流しがされているので、これからは私利私欲によらず、自然界との共生を目指した公共性の高い経済活動を望みたい。
こんな社会現象の中でマンションの販売不振が続き、甲陽園各地の乱開発は昨年から一応止まっている。しかし、許認可物件については、いつ息を吹き返すか分からないので、播半跡地の件では「許認可の取り消し」を求めて、昨秋提訴し、第1回の公判が神戸地裁で2月9日の午後1時15分から予定されている。永年の経験則から言うと、狡猾な業者は盆や暮れ、年度変わり等の住民側の手薄な時期を狙って事業計画を一段ずつ進めていくのが常套手段だが、さすがにこの年末は動きが無くて幸だった。
例年なら、師走が来ても私達は業者や行政との対応に追われ、仲間内で合意形成をはかるのが大変だったので、寒波襲来で、気づけば軒先の鉢花を幾ら枯らしていたことだろう。でも、昨年末ばかりは抜かりなく屋内に取り入れられたので、正月にはデンマークカクタスが花盛りとなり、シンビジウムの開花も待たれるこの頃で、健気な癒し系となっている。
さて私は、鬼の居ぬ間の洗濯ではないが、業者が身動きできぬ間に知見を広めようと、各地を巡って交流を重ね、まちづくりや防災について学んできた。その結果分かったのは、地域文化の尊重と継承こそ、まちづくりの原点であり、自然界の輪廻転生を疎かにすると、必ず災害が起きるという原理原則だった。行政が呪文のように説く「法的には何の問題も無い」という「法」自体が、進化した現代では適応し切れていない法不備であることも分かった。また、ハード面だけの防災対策には限界があり、同じ悲劇を繰り返しかねない愚も知った。
時流として公共事業の見直し(阪急甲陽線の地下化も白紙になり、武庫川ダムさえ国から指摘されている)が諮られる中で、私達も鞆の浦計画を白紙に戻す運動に続く成果を挙げるよう頑張りたい。
その住民パワーの根元は「足るを知る」の謙虚さと仲間作りに他ならないと信じている。
- 外国人労働者雇用での不正行為
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外国人労働者の雇用に関しては「不正行為」が多く見られる。働く仲間として見過ごせない事態が数多く相談されてきている。
東大紙器(株)兵庫工場(加西市鶉野)で働いていた中国人研修生、技能実習生にも賃金未払いという問題が発生し、未払い賃金の精算と今後の労働条件について会社側と交渉を進めてきた。
ところが、広島入国管理局から第1次受入機関である情報リンク協同組合(鳥取県米子市)に対し、東大紙器の研修生の生活費と技能実習生の賃金未払いが不正行為であるとして、東大紙器での外国人研修生、技能実習生の受入の停止処分が出された。
こうした事情で彼らは会社で働くことができず帰国することになったが、「未払い賃金の支払い(支払額の確定)」と「中途での契約解除の補償」を求めて交渉を行なってきた。
会社側は、「帰国原因はユニオンが入国管理局に在留期間の延長手続きを行ったことにある。延長手続きをすれば帰国しなければならなくなるということを十分予測できたはずだ」と言ってきた。
これはまさに本末転倒の誹謗中傷である。あくまで原因は、会社側の「研修手当と賃金未払い」にある。ユニオンが入国管理局にどのような申請をしようと会社側に不正行為がなければ帰国という事態にはなっていない。
この会社は何年も前から外国人研修・技能実習訓練により研修生、技能実習生を受け入れており、ユニオンが指摘するまでもなく、「研修手当と賃金の未払い」があればどのような事態になるかは熟知していたはずだ。
不正行為を働いた会社への処分は当然のことだが、それによって被害を受けた研修生が働けなくなる制度に矛盾を感じる。今後、第1次受入機関の雇用責任も含めた規制が必要だと思う。
働く環境が悪化すればするほど、組合員、相談者の要求・要望も多様化してくる。「はりまユニオン」は県下ユニオンの仲間、地域の共闘団体の仲間と共に働く者の悩みを共有し、今後、一つひとつの要求や課題に対して組合員と共に闘っていく決意である。
藤井彰(はりまユニオン副委員長)
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