「新社会兵庫」 2月23日号
 「あの人は政治家だから」というのは、普通はほめ言葉ではない。このような使われ方には、「肚の底が読めない」「信頼できない」「豹変する」などの意が含まれる。利権、権勢以外の「哲学」のかけらも感じられない「政治屋」と言われるよりもましかもしれない▼しかし、「家」は「か」とも「や」とも読むように、その区分線ははっきりしない。権力のすべてを自身にたぐり寄せ、首相さえも人形のように操る「かの人」はとくにそうである。「かの人」は、著述の中で「一国の政治のレベルは、その国の国民のレベルを超えることはない」と書いたそうだ。どこかの賢人の受け売りでオリジナルではあるまいが、お前さんには言われたくないという思いが募る▼政治家という言葉は好きではない。資本家や芸術家と違って、国民主権の下で代表ではあるかもしれないが、政治家と呼ぶべき特定の人たちがいるのはおかしくないだろうか。わが国では、政治は統治とダブり国民を支配する言葉として通用してきた。政治家と呼ばれる人たちは、「政治は国民がすべきもの」ということを忘れ、自ら政治家と称している。政治を政治家のものと考えて怪しまない間は、政治と権勢、利権は切れないのかもしれない。
ベーシック・インカムの議論を始めよう
ベーシック・インカムとは何か?
 ベーシック・インカム(以下、BIと表記)とは、日本語に直訳すれば「基本(基礎)所得」である。たとえば、「毎月すべての成人の銀行口座に国から10万円が振り込まれ、子どもには7万円が振り込まれる。夫婦2人世帯であれば、自分たちで働いて稼いだお金とは別に毎月20万円、2人の子どもを育てるシングルマザーなら、毎月24万円が国から支給される。その代わり、基礎年金や雇用保険、生活保護など、現在の制度の大部分は廃止される」というものである。
 資本主義の発達とともに、貧困・飢餓が社会的な大問題になったのは、19世紀から20世紀初頭のころである。アメリカをはじめ多くの資本主義国では、福祉国家が延命策となった。福祉国家とは以下のようなものである。@完全雇用の達成を前提として、A一時的なリスクには、事前に諸個人が保険料を拠出する社会保険が対応し、それでも無理な場合は、Bセーフティネットとして、生活保護など無拠出だが所得などの審査を要する公的扶助と呼ばれる給付をおこなう。

なぜBIか?
 ところが、この福祉国家政策が行き詰っているのだ。完全雇用はもはや夢物語になっている。「ワーキングプア」と称される非正規労働者が多数を占め始めている。社会保険も、年金問題は大きく揺らぎ、健康保険も無加入者が増大している。生活保護の捕捉率(生活保護を受給できるはずの世帯のうち、実際に受給している世帯の割合)は、日本では20%を下回っており、しかも下落傾向にある。肝心のセーフティネットから多くの人々が落ちて行っているのだ。
 また、「貧困の罠」とされる問題がある。一定の収入や資産(貯金)を超えると支給が打ち切られ、余裕をもって再スタートすることが許されず、貧困状態が続いてしまうのだ。
 恥辱問題もある。公的扶助を受けるためには、自らが貧困者であることを表明し、生活内容を明かさなければならない。監視の目にさらされた生活を強いられる。恥辱問題は、欧米でも深刻な問題となっているのだ。
 労働の変化も大きい。機械・装置・情報のコンピュータ化とグローバリゼーションが普通の人の職を奪ってしまった。正規職の労働密度は高まる一方であり、自死や精神疾患は、明らかに増大傾向にある。非正規職につけば、熟練は基本的に不要とされ、低賃金と解雇の不安を持ち続けなければならない。

BI社会は実現するのか?
 日本で実現するには、概算すると年間で大人120万円(約1億200万人)、子供84万円(約2300万人)で、およそ170兆円が必要である。軽く現在の国家予算を超えてしまう。08年度の国庫総税収は約45兆円であるから、実現性は危ぶまれるのも当然である。
 一方、大人も子どもも1人月額8万円として約115兆円が必要だが、所得控除が不要になり、総所得が222兆8千億円だから所得税率50%で実現するという試算もある。
 一挙にではなく、「少額」のBIを現存の制度に付加、併置して導入し、拡大しながら実現するという考え方もある。その意味では、来年度予算で「子ども手当」が実現すると、日本はBI社会に一歩入ったことになる。
 問題は財源である。「所得」「消費」のどちらに、どのように課税するかである。日本の税制は、1980年代の後半から累進課税を大きく緩めてきた。1億円の課税所得者の税金を比較すると、1974年には7500万円であったが、2007年では4千万円で、その差額は実に3500万円である。経営者のBI論者は、消費税を主張している。累進課税を強化できるかどうかが、大きな争点となるだろう。
 また、今や資本は明らかに過剰である。過剰な資本が利潤を生みだす現代の錬金術として金融工学が登場したが、その化けの皮は剥がれてしまった。過剰資本は利潤を求めて、原油や食料を騰貴させようと虎視眈々としている。発展途上国などではまだ資本は不足しているが、その多くは莫大な利潤を生みだすものではない。もはや地球規模でのコントロールされた投資が必要になっているのである。
 歴史的、地球規模の発想の転換が求められているのではなかろうか。BIについての真剣な議論が求められている。
佐野修吉(新社会党須磨総支部副委員長)
大震災から15年
 今年の1月17日は日曜日だったせいか、前日の神戸新聞社の実録を交えたドラマのせいか、東遊園地や市役所前には大勢の人がやってきた。ハイチの大地震の恐ろしさもあったかもしれない。私も、追悼の碑に書かれた仲間の名前を改めて見てきた。この時期は、いろいろなことが思い起こされ、落ち着かない時期だ。家族や身近な友人が亡くなられたり、被害にあわれた方にとっては、たまらない時期だろう。
 学校でも17日前後に防災教育や追悼の集会をするところが多い。子どもたちに、大震災で何が起こったのか、何が必要なのかを伝えたい、と思う。今年も、15日の授業参観で何をどう学習すればいいかと考えた。
 大震災後の数年は、保護者や子どもたちの体験と全体の状況を重ねていく、記憶を前提に、地震のメカニズムを知る、減災の取り組みを考える、ということが多かった。生々しくて思い起こしたくない人や子どもも多かったからだ。阪神大水害や「稲村の火」や、水族園の地震の話は、ちょうどよかった。
 15年経った今は、体験した子どもたちはいない。小学校1年生の親だと、当時小学生だった人もいる。しかし、呼びかけてみると、思いのほか大勢のお母さん、お父さんが「地震の時のことを話していいよ」と手を上げてくださった。おかげで、4人ずつのグループでていねいに話していただけて、当時の大変さを伝えることができた。
 当時中学生で、家がどんな風に揺れ、どんな風に壊れたか、どうやって助け出されたかを話し、家族や近所の助け合いを話してくださったお父さん。看護師さんで、どうやって病院までいったか、そこでどんな被害を見たかを話してくださったお母さん。地震の揺れ方やものの壊れ方、火事の様子を話し、避難生活や水の大切さを話してくれたお母さん。……一人ひとりゆっくり聞けなかったのが残念だったが、メモをしてこられ、熱く語られる様子に、やっぱり伝えていかないといけない大事なものがある、と思った。子どもたちにとっては、「地震はこわい」と思うと同時に、「あの時、お父さんが助けてもらったから私がいるんだ」「みんなで助け合ったんだ」「水は大事なんだ」と感じ取れる1時間だった。また、その話を一緒に聞きながら、お家でご自分の話をして下さったお父さん、お母さんがたくさんおられた。
 けれども、あの大震災のせいで、人生が大きく変わった人は多い。当時6年生だったT君は、お母さんが区役所に働き、お父さんが大阪ガスに働き、家の被害はなかったが、両親が仕事で家に帰ることができないためにおばあさんに預けられ、卒業式の1週間前まで大阪にいた。神戸から来たということで、修学旅行にも連れていってもらい、大事にされたそうだが、中学校に行ってすぐ不登校になった。賢くて、バスケットの得意なT君は「ぼくの居場所がない」と言った。今は、少し回り道をして、神戸から離れた大学に行っている。
 17日夜のNHKドラマを見て、自分の体験や思いを語れずに抱えている人も多いだろうな、と考えてしまった。
(K)
結成から10年 心機一新、新出発へ
 熟年者ユニオンは2000年3月に高齢者の労働組合として結成し、今日まで10年間活動を続けてきた。10年間の成果と反省点を明らかにし、新たな決意をもって出発すべき節目の総会を4月27日に予定している。
 結成当初は32人の会員で出発したが、当時の会報を読むと若々しい意気込みが感じられる。 当初は、「介護・社会保険チーム」が介護保険・高齢者医療・税制改悪の学習会や問題点を明らかにする公開討論会などを企画し、全体の取り組みにした。「労働運動チーム」は神戸ワーカーズユニオンと手を組んで労働運動の前進に寄与する方針を持ち、争議支援に取り組んだ。「教宣チーム」は会報の原稿を分担することにしていた(現在は3チームとも機能していない)。
 さらに、楽しい行事として毎月1回の懇親会と趣味のグループの結成に努めた。また、明石と尼崎に支部を結成するためにも努力した。趣味のグループとしては、カラオケ、マージャン、囲碁、ウォーキング、旅行、折り紙の各グループが活動を開始した。支部としては、明石支部を結成し、遅れて阪神支部を結成した。
 2003年には、「デモをやろう」という新入会員の要望に応え、体の前後に大きな看板を掛けて商店街を歩く「サンドイッチマン・デモ」を始めた。今でも月1回の定例行事として続いている。
 結成から10年後の現在、会員は123人となり、熟年者ユニオンの基盤は確立したが、事務局を担う会員の高齢化と、慣れによって生じる惰性を感じることがある。もう一度、結成当初の意気込みを取り戻さなければならない。事務局体制もチームを組んで仕事を分担し、方針も協議できるようにしたいし、会費月額1000円によって限定されている組織対象を国民年金受給者・生活保護受給者にまで拡大したい。
 4月27日に予定している第11回総会の課題は山積している。
米岡史之(熟年者ユニオン会長)