- 『智恵子抄』高村光太郎・著/神戸文化ホール(神戸市中央区楠町)
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神戸文化ホールの正面左に、あじさいの巨大壁画があるのをご存知だろうか。絵の下には「われらのすべてに溢れこぼれるものあれ/われらつねにみちよ」(晩餐)と刻まれている。詩は高村光太郎の『智恵子抄』のなかの「暴風(しけ)をくらった」の一節である。壁画のあじさいは妻智恵子の原画をもとにしている。
高村は本来、画家・彫刻家であるが、『智恵子抄』がベストセラーになったことで、詩人として名を知られるようになる。結婚は平塚らいてうが女性解放運動をめざして創刊した雑誌『青鞜』の表紙絵を智恵子が描いたことがきっかけになった。まさに時代の先端にいた智恵子だが、やがて精神を病んで病床に就く。7年の闘病の間、高村は常に彼女と共にあった。
智恵子の死後、高村は「私は、この世で智恵子とめぐり会った為、彼女の純愛によって清浄され、以前の退廃生活から救い出されることが出来た」と述懐している
もっとも、この人道的詩人も戦中は戦意高揚を目的とした戦争詩を量産する。戦後はこれを後悔して、東北は花巻郊外の三畳一間の山小屋で7年の謹慎生活を送った。
JR神戸駅から北へ10分。地下鉄大倉山駅下車すぐ。(浩) 2008年12月23日号
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『ひょうご文学散歩』は今回で終わりです。次回からは新しいシリーズを連載します。
- 「文学散歩」を終えて
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年が改まるのを機に、ほぼ3年にわたって連載した「文学散歩」を終える。
スタートしたころは、よくて20回続くかなと思っていた。ところが取組むほどに、兵庫の風土が背景になり、そこに住み暮らす人々が主人公の作品の多いことがわかった。歴史上も畿内と西国を結ぶ交通の要衝であったことや近代における重厚長大産業の集中など、その時代や現実が題材として多様な形で存在したこと。それらの材を兵庫生まれの作家や何らかの都合で兵庫に住みついた人、転地療養や物見遊山で訪れた文人らの手で作品に映し採られていった。
近代文学の多くにはその時代や起こっている事象に対する批判精神が反映している。読み手に対し、いろんな装いを凝らしての、いかに生きるのかについての問いかけの多いことにも気付く。けれども今日の経済情勢のもとでは、そういった批評や現実への抗う精神は影をひそめつつある。
閉塞状況の強まる社会の中で、人と人との関係性の脆弱化が指摘されているが、そういう社会であればあるほど、文学は世の中にも1人の人生に対しても、メッセージ性を内包していなければ存在価値がない。言い過ぎかも知れないが、連載を終えて、そんなことを思っている。
(鍋島浩一)
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