「新社会兵庫」 8月24日号
第26回 8.15平和のための市民の集い
辺野古新基地建設を許すな 沖縄問題を焦点に
新崎盛暉元沖縄大学学長が講演
「終戦記念日」の市民集会には100人を超える人が集まり沖縄の基地問題を考えた=8月15日、神戸市勤労会館  敗戦から65年の夏、あらためて戦争と平和の問題を考えるさまざまな取り組みが各地で行なわれた。「終戦記念日」の15日には、「戦争を起こさせない市民の会」(河村宗治郎代表)主催による恒例の「8・15平和のための市民のつどい」(第26回)が神戸市勤労会館で開かれた。鳩山政権が沖縄県民の民意を全く無視、愚弄して行った「日米合意」を菅政権がそのまま引継ぎ、辺野古に新基地を建設する方針を進めるなかで、あらためて沖縄の基地問題を考えようと、沖縄から新崎盛暉さん(元沖縄大学学長)を講師に招き、「在日米軍基地問題を糺す」と題した講演に学んだ。

 河村さんの司会で進められた集いは、講演に先立ち、共催団体の「米軍基地はいらない!兵庫県実行委員会」の森哲二さん(自治労兵庫県本部)のあいさつ、9プラス25改憲阻止市民の会、社民党兵庫県連、新社会党兵庫県本部など7つの賛同団体を代表した坂本三郎・部落解放同盟兵庫県連委員長の連帯あいさつ、大城敏信さん(京都沖縄県人会副会長)による三線と沖縄民謡の演奏が行なわれた。
講演する新崎盛暉さん=8月15日  講師の新崎さんは与えられたテーマに沿って、まず日米安保体制における沖縄の位置を歴史的に概観。@52年の対日平和条約第3条(沖縄は日本から切り離す)と(旧)日米安保条約(米軍は日本国の求めに応じて日本全土に基地を置く権利を有する)の締結、A60年の安保改定、B72年の沖縄返還、C96年の安保再定義という4つの節目を取り上げ、そのつど沖縄には基地の負担増加が強いられてきたことを示しながら、沖縄を抜きにして日米安保体制(96年からは「日米同盟」という言葉が定着)はなく、日米安保体制は構造的に沖縄差別の上に成り立つものだと指摘した。
 さらに、安保・外交政策の全体像は描けぬまま日米安保の微調整を構想していたと、民主党政権の基本的な限界を指摘し、普天間問題は移転先の検討の問題ではなく、安保をどうするかという問題だと提起した。
 今後、新たな政治状況のなかで「沖縄対ヤマト」という図式が出てこざるをえないとし、予想される右翼的な政界再編を越える大衆運動の構築に基地問題の行方は大きくかかっていると提起した。
 沖縄では9月に名護市議選や統一自治体選挙、そして11月には県知事選挙と重要な政治的課題がつづく。

平和友好祭実行委員会
約30人の青年が参加したフィールドワークでは地元の運動の先輩から説明を受けた=8月1日、加西市  「東条英機がいくら偉くても、国民が協力しなかったら戦争はできなかった」―講師の友井公一さん(部落解放加東共闘会議議長)は、戦時中を振り返り、ひとりひとりが平和について考えることの重要性を訴えた。
 平和友好祭兵庫県実行委員会(事務局=自治労兵庫県本部青年部)は8月1日、「平和と人権を学ぶフィールドワーク」を加西市で開催、約30人が参加した。
 1943年、同市鶉野台地には姫路海軍航空隊が開設され、全国から集まった若者たちが鶉野飛行場で訓練に励み、前線部隊へと送られた。終戦間際には神風特攻隊が編成され、16、17歳の少年を含む63人が尊い命を失った。
 戦中、鶉野で育った友井さんが事前学習会の講師を務め、「当時の教育は中国人を『アホ』『虫けら』と教え、殺すことを正当化していた」などと説明。今日の高校無償化から朝鮮学校を除外する動きに改めて懸念を示した。
 見学先では同じく戦中を加西で過ごした西村省吾さん(部落解放加西共闘会議議長)もマイクを持った。「飛行場跡は今も国が所有している。市では農道の整備もできず、荒れ果てたまま放置され、住民が迷惑している」と怒りを露わにした。
 参加者は「沖縄や広島だけでなく、身近なところにも戦争の爪跡が残っている。体験者の話に触れるなど、自らが知る努力をすることが歴史を風化させないために必要だ」などと感想を語った。
(A)
神戸空襲を記録する会
神戸大空襲で焼け野原となった神戸の街を撮影した写真約50点が展示された=8月4日、神戸市教育会館  神戸空襲を記録する会(中田政子代表)は、戦後65年記念企画として8月3日から7日までの5日間、神戸市教育会館で神戸空襲のパネル展「焼炎の記録」を開いた。パネル展では神戸大空襲によって廃墟、焦土になった新開地や元町、三宮などを撮った約50点の報道写真のほか、豊田和子さんが制作し、会に寄贈した空襲絵巻なども展示された。
 神戸空襲によって8千人以上が犠牲になったともされるが、統計によって死者数が異なり、確定できていない。
 展示最終日の7日には記念講演会「焼炎の記録―原体験と追体験」がラッセホールで開かれた。
 中田代表のあいさつのあと、詩集『ヨシコが燃えた』などで知られる詩人のたかとう匡子さんと玉井洋子さん(詩人、「記録する会」世話人)の2人の講演が行われた。
 たかとうさんは、空襲で亡くなった妹のことを詠んだ自作の詩「ヨシコ」や「八月の妹」などの朗読を織り込んで、戦争、空襲での自分の体験を語りながら、「原体験は必ず消滅してしまう。その意味では狭く、瞬間的なもの。その後は追体験者にまかせるしかない」と述べ、「追体験とは一言で言えば想像力。自分の感性の中で自分でそしゃくして生きていく能力。広く、長く、深いものだ」と追体験の意味を提起した。また、妹のヨシコについて、「自分のなかでは書いても、しゃべっても、悲しい。この悲しさが断ち切れない限り、戦争の時代になお生きているという認識が必要だ」などと語った。
神戸市も空襲死没者の名簿づくりに協力の方向
 「記録する会」は、78年から神戸空襲による死没者名簿への登録受付の取り組みを続けており、今日まで1200人を超える名前を集めるとともに、今年6月、神戸市に対して死没者の名簿編さんへの協力と刻銘碑の設置を申し入れた。
 これに対し、神戸市も死没者名簿づくりに協力することや碑の設置を検討する方針を固めたことが8日、明らかになった。
「日の丸・君が代」強制に不起立で闘った河原井純子さん
須磨区の集会で語る河原井純子さん=7月30日、北須磨文化センター  東京都教育委員会による「日の丸・君が代」の起立・斉唱の強制と闘い続けている元都立養護学校教師の河原井純子さん(今年3月定年退職)が、「雑木林行脚」と名づけて全国各地を巡り歩き、交流の場を持っている。7月29日から8月1日にかけては兵庫県内を「行脚」、各地の市民運動団体や実行委員会が受け入れ、県内9ヵ所で講演会などを開いた。
 河原井さんは、知的障害者の施設労働者を経て75年4月に都立養護学校の教員になってからは養護・盲学校一筋の教員生活。自らの教育実践の一環として、都教委の「10・23通達」(03年)に抵抗、「君が代」不起立を貫き、そのつど処分攻撃を受けてきた。「雑木林行脚」とはそんな中で抱いてきた「社会や学校は、多種多様な雑木が共生・共存できる雑木林でありたい」との河原井さんの思いに基づくもの。
 30日夕は、須磨区内で開かれた「憲法を生かす須磨区の会」主催の「教育問題を考えるつどい」で「『学校は雑木林』『社会は雑木林』」と題して講演。「イエス、ノーをはっきり言い合う」「男らしく、女らしくではなく自分らしく生きることを大切にする」などの信条をはじめ、自らが教員生活のなかで考え、実行してきたことを語った。都教委との不屈の闘争については「がんばっているのでなく、決してあきらめていないだけのこと」と強調した。
 河原井さんは30日午後は灘区で「憲法を生かす会・灘」主催の会で、31日には高砂市で「平和憲法を守る高砂市民の会」主催の講演会などでも交流した。
「組合員300人」を達成 神戸ワーカーズユニオンが大会
大会後は会場を移して「300人達成をみんなで祝う交流会」を開催=8月1日、神戸市勤労会館  神戸ワーカーズユニオン(小林るみ子委員長)は8月1日、神戸市勤労会館で第24回定期大会を開いた。今大会は、念願の“組合員300人突破”を達成したなかで迎えたもので、大会に引き続き、そのことを祝う交流会も併せて持たれた。
 大会の冒頭、小林委員長が、育児や介護などをめぐって衝撃的な事件が続発している最近の世情などに触れながら「社会のルール、労働現場のルールが崩壊状態にあるなかにあって、これに対抗すべきセーフティネットも抜け穴だらけ。労働者にとって最大のセーフティネットはユニオンであり、仲間だ」とあいさつし、今日の情勢のなかでの地域ユニオンの役割の重要性を訴えた。
 その後、来賓として参加した神戸地区労、ひょうごユニオンおよびその傘下の各地域ユニオン、争議中の全港湾神戸支部姫路伊藤分会の仲間から連帯のあいさつが述べられたのち、木村文貴子書記長から09年度の活動報告と10年度の運動方針の提案が行なわれた。今年度の組合員の増加は、相談者が増えたことやポート産業分会が大きく組合員を拡大したことなどによるものであると報告された。新年度の運動目標として、「2015年に組合員を400人にすることやボランティア専従をつくることを目標に活動に取り組むこと」などが確認された。
 大会後、別室に移動して開かれた「300人達成をみんなで祝う交流会」では、昨年制作した「ワーカーズ20年の歩み」のDVDを改めて観たあと、各地域ユニオンから連帯のエールが贈られた。各分会からも歌やフラダンスの披露、「利きビールコンテスト」などの出し物があり、終始明るく和やかな雰囲気のうちに交流会は閉会した。
武庫川ユニオンも定期大会
「争議と抗議行動に明け暮れた1年だった」とあいさつする上山史代委員長=8月8日、尼崎市立労働福祉会館  労働組合武庫川ユニオン(上山史代委員長)は8月8日、尼崎市立労働福祉会館で第23回定期大会を開いた。
大会終了後には引き続き、争議中のダストマンサービス分会と猪名葬祭分会の中間勝利を祝う集いも同会館で開かれ、全国ユニオン、ひょうごユニオンとそこに結集する地域ユニオンの仲間、支援の弁護士らも連帯と激励にかけつけた。
 大会であいさつに立った上山委員長は「闘争、抗議行動に明け暮れた1年だった」と昨年度を振り返り、年末に病で突然倒れた小西純一郎書記長の体調も心配しながら次代を担う世代の育成を念頭に置いて「若い仲間が育つユニオンにしよう」と訴えた。
 来賓あいさつの後、小西書記長が活動報告を行ない、運動方針を提案した。活動報告では「組合員は400人に減ったが中身の濃い、充実した1年だった」と述べ、4人の従業員を解雇したセクハラ社長と闘う猪名葬祭分会、外国人労働者が川崎重工業に対して直接雇用を求めて立ち上がったカワサキ分会(カワサキ・グループ)、マブチ分会(滋賀)の再結成など、新しく結成された分会の闘争などを紹介した。
 活動方針では、1千人のユニオンをめざすこと、2〜3年後には新しい専従者を迎え入れること、また当面の具体的な運動課題として、市立労働福祉会館・労働センターを廃止させない取り組みに力を注ぐことなどが提案された。
 こうした提案の後、猪名葬祭分会、ダストマンサービス分会、日本郵便非正規ユニオン、たんばユニオンの仲間らが発言に立ち、それぞれの活動を報告した。
尼崎地区労などが署名運動
老朽化などを理由に廃止の検討がされている尼崎市立労働福祉会館と労働センター(右奥)  尼崎市における労働者・市民の運動にとって重要な利用施設である市立労働福祉会館と隣接する同労働センターが老朽化や利用率の低下などを理由に廃止されようとしている。同会館運営審議会が12年3月末での廃止を検討するとともに、同市施設評価委員会も「貸館施設としての存在意義は薄れている」と廃止を提言している。
 こうした動きに対して、尼崎地区労などは「利用率は決して低くはなく、労働行政の立場からも存在意義は高まっている」、「老朽化を理由とするなら市役所はじめ、他の多くの公共施設も廃止しなければならなくなる」などと反論。5月に「労働福祉会館の存続を求める会」を結成、会館の存続と施設設備の充実を求めて陳情署名の運動に取り組んでいる。9月市議会に提出する。
民主主義の危機的状況を露呈した参院選
小寺山康雄さん(「近畿第三極」)  7月の参院選結果に示された国民の意識状況や今後の課題などについて、「近畿第三極」の小寺山康雄さん(コミュニティセンター・ポポロ代表、芦屋市在住)にお話を伺った(2回に分けて掲載)。

民主政権に裏切られた有権者の行き場
―先般の参院選の結果から今日の日本の政治状況を考えてみたい。まず、民主党の敗因は?
小寺山 自民党政治に嫌気がさし、民主党に期待したがことごとく裏切られたのだから当然の敗北だ。
 菅政権になってから、自民党出でもなく、市民運動出身の首相ということに対する期待もあったのに、医療、福祉、労働、生活、不公正税制、沖縄の基地問題と全部裏切られた。
 もうひとつは小沢の金権・強権的な体質が露呈して、菅に代わってからはそんな「小沢的体質」が変わると期待したが、それも裏切られた。
 消費税問題も大きいとは思うが、消費税増税に対する世論は賛否半々ぐらい。増税問題だけでなく、ある日突然くるっと変わるような政治姿勢に対する厳しい反応だったのではないか。言うことがくるくると変わる民主党に政権を託していいのかという不安と不信が根底にあるのでは。
―みんなの党がそんな不満の受け皿になった。なぜ小泉・竹中路線の継承とも言うべき新自由主義のみんなの党が急増したのか。
小寺山 少々わかりにくい問題だが、みんなの党が大勝したわけでもない。民主党に裏切られたが、自民党にもう一度政権をまかせるわけにもいかない。しかし、社民党や共産党、いわゆる左派・護憲派は、選挙制度の問題もあるが、有権者の目にはなかなか見えない。本来なら、自民がいやで、民主にも裏切られたとなると、論理的にはこれらの党に行かなくてはいけないのによく見えないので「みんな」に、となったのでは。
 全体としてこの20〜30年、とくに70年代後半以降、保守化が非常に進んでいることとも関係がある。
 みんなの党の政策や考え方に積極的に賛成、賛同したのでなく、民主党への幻滅など行き場のない票がみんなの党に行ったのだろう。いわゆる護憲派が魅力を失っているから、絶好の機会を掴むことすらできなかった。
 行き場のない票、全体としての保守化、20年、30年かかって形成されてきた日本の政治意識のひとつの現われだと思う。
 政治への不信感からもっと棄権が増えるかとも思ったが、そうでもなかった。しかし、沖縄は戦後最低で、全国最低の投票率。沖縄ではストレートにあらわれている。運動があるから政治意識が明瞭だ。しかし、こちらの方ではそれが不明確。だから、余計これから危険な兆候が出てくると心配する。
社会主義は根底的な危機に
―社民、共産が有権者にとって魅力ある政党に映らないということだが、それはどうして?
小寺山 ひとつは社会主義をめぐる問題だろう。社会主義の思想と運動が世界的に退潮している。これはスターリン主義的な路線の退潮だけでなく、社会主義そのものの退潮だ。その意味で根底的な危機にあると思う。ヨーロッパを見てもそうだ。社会主義勢力がどんどん後退している。
 それから、国内的には戦後の平和と民主主義という国民的価値観、それは憲法と言ってもいいが、加えて、かつて社会主義というものに対して一定のシンパシーを持っていたものが完全に空洞化している。しかし、これに対する正面からの真摯な総括と開かれた議論がまったくない。全体的にもそうだが、社民党にも、共産党にもない。かつて社会党というのはある意味、戦後の平和と民主主義、さらには社会主義という意識の体現者だった。広い意味では統一戦線的な国民の共有財産というようなものであった。それがなぜ村山政権であのように崩壊したのか。それを総括しながら、現在の新自由主義に対して、これをどう変えていくのか、少なくとも社民党は議論しないといけないのに、それがまったく見えない。
 党員と支持者の高齢化という問題も大きい。70年代まで続いていた遺産を食いつぶして、それ以降の事態のなかで議論がないし、若い人を引き付けることがなかなかできない。何をめざして何をしているか、人々の目に見えていない。社会主義はイメージの問題もあって議論しにくいことはあるが、資本主義に代わるのはどんな社会なのか、オールタナティブなものとして見える議論がないのではないか。
―社民党、共産党などいわゆる左派に票が集まらない今の政治意識が問題となってくる。たんなる保守化で済ませられない。とくに若者の意識構造はどうだろうか。
小寺山 若い人は今の社会を変えようとか、変えないといけないとか考える機会すらない。目に見える運動がないし、その運動の結果、多少とも変わったという実感もない。そうすると確信は抱かない。今の労働運動の体たらくも大きいのではないか。まだ地域ユニオンにでも入っていれば少しは違うかとも思うが、大きな労組の組合員だと社会を変える必要性とか、変えようとも思っていないのではないか。
危惧されるファシズムの病床
―このへんを変えるためには何が必要か。どう食い込んでいくか。
小寺山 もうちょっと今の状況について話をすると、議会制民主主義に対する不信というか、政治的虚無主義にますます拍車がかかってきたといえる。明らかに政治的な意図で国会議員の比例区の定数減が進められようとしているが、しかし、国民にはそんな政治的意図は見えない。年間何千万円も使うような国会議員は税金の無駄使いというマスコミの宣伝がすっと入る。地方議会でもどんどん議員定数を減らしているが、それを国民の多くは無批判に賛成している。
 民主主義とは、いろんな人がいて、少数者の立場の人がいて、それらの人々を排除してはいけないということ。それが民主主義だと思うが、その否定につながるような動向が多数で力を持ってきている。
 2番目には公務員バッシングの問題だ。たしかに公務員は比較的恵まれた労働条件で、働きぶりも他と比べればのんびりとしているかもしれない。が、あれぐらいでいいんであって、他のほうが異常だ。公務員攻撃は公共性の否定につながっている。公的な、社会的なことは社会形成上、不可欠だという考え方の否定につながる。映画「シッコ」の通りに、ここまでアメリカと同じかと思うほど、日本でも病院から人が放り出されている。公共的なところならそれはしにくいけど、民間なら儲けないといけないから平気でやる。
 3番目はいじめの問題。学校におけるいじめ、幼児虐待・育児ネグレクト、ホームレス襲撃などの現象だ。育児の問題はいじめだけの問題では終わらず、労働問題などのストレスからくる問題もあるけど、自分より弱いものに対してフラストレーションを発散している事態が目立つ。また、その逆に、大阪の橋下とか東京の石原とか、強権的な体質、アジテーションが上手な人を待望するような、強者・大衆的扇動者を待望する風潮が他方である。在特会のようなむき出しの差別、排外主義も蠢動しはじめている。
 いまはファシズムだとは言わないが、そういうのはファシズムが出てくる前の段階であるような気がする。あきらかにファシズムの苗床というか、病床があるといわねばならない。われわれがうかうかしていれば、ファシズムにならないとも限らない。ストレートにいくかは疑問だが、フラストレーションを弱い者に向けるというのがまだまだ拡大していくのではないだろうか。
―そういう意味では、今がたいへん危機的な状況であることを知らされた選挙だった。
(つづく)