- 生活破壊の怒りの声くみ上げ訴え抜く
- 国民不在の自民党総裁選がにぎやかに演出≠ウれ、その虚飾だけを頼りに、政局は一気に解散・総選挙へ動きつつある。臨時国会冒頭の解散が濃厚な見通しで、早期の総選挙が予想される。総選挙が2大保守政党による「政権交代」をめぐる攻防の構図一色に染められようとしているが、生活破壊の現実や生活危機に苦しむ者の切実な声が埋没させられてはならないと、原和美さんが兵庫1区に無所属で立候補する決意を表明した。
原和美さんが03年の総選挙で護憲の共同候補として初の国政選挙を無所属で闘って以降、今回が5度目の闘いとなる。
一貫しているのは、小泉、安倍政権のもとで改憲への動きが急速に強められてきたにもかかわらず国会議席では護憲政党がますます後退させられるなか、護憲勢力の総結集を呼びかけ、それを実現するための選挙闘争を闘ってきたことだ。その政治姿勢は今回もまったく変わらない。前回(05年)総選挙では近畿ブロックで新社会党、社民党、みどりの選挙協力が実現したが、今回も近畿ブロックでその再現に向けた協議が進行中だ。
今回、原さんを決断させたもうひとつは、新自由主義の下でいっそう深刻になる高齢者、労働者、若者の生活苦への強い思いだ。増え続ける一途の非正規労働者。一生懸命働いても食べられないワーキング・プアがつくられ、貧困と差別が覆いがたい現実として社会に広がる。小説『蟹工船』に自分の姿を重ね合わせなければならない若者にはなかなか明るい未来が見えない。高齢者にはあいつぐ負担増の強制と「後期高齢者医療制度」に端的な社会的差別だ。
「『もう我慢できない』――小さくても、あちこちから上がる、この怒りの声をくみ上げ、訴え抜く力にならなくてはいけない。政権交代劇≠ノこの声を埋もれてさせてはならない」。―総選挙への原さんの強い所信だ。
兵庫1区の予想される顔ぶれは原さんのほか、自民(現)、共産(新)が名乗りを上げており、民主は第1次公認発表時では候補者は未定。
前回は原さんと自民、民主、共産、保守無所属の6人で争い、原さんは共産を上回る票21844票(得票率9・80%)を獲得して3位だった。
●原和美さんプロフィール 1950年福井県生まれ。58歳。神戸市外国語大学卒業。71年から郵政省神戸貯金局(当時)に勤務。全逓兵庫地区本部婦人部長、県総評婦人部副部長などを歴任。83年神戸市会議員に初当選、以来5期連続当選。96年神戸大学大学院法学研究科修了。 03年、05年の衆院選(ともに兵庫1区)、04年参院選(兵庫選挙区)に護憲派の共同候補として無所属で立候補。07年参院選では9条ネット公認で兵庫選挙区に立候補した。現在、新社会党中央本部副委員長、同兵庫県本部委員長、戦争への道を許さない・兵庫おんなたちのネットワーク代表など。









年内の決着に向け、いま闘争態勢の整備が図られ、具体的な活動が計画されている。軸になるのは「武庫川ユニオン尼崎市役所分会支援闘争委員会」。尼崎地区労、武庫川ユニオン、自治労兵庫県本部、尼崎市職労、尼崎市嘱託労、ひょうご地域労働運動連絡会、コミュニティ・ユニオン全国ネットワークが事務局団体となる(連絡先=尼崎地区労)。
同会ではこれまで毎年8月に戦争体験者から話を聞いたり、憲法学者の講演会を持つなど、憲法を守り、生かす運動に取り組んできた。しかし、参加者は50人前後で固定化し、なかなか思うように広がりが持てなかった。こうした経緯を踏まえて世話人会議で話し合い、今年は活動をより多くの市民に広めるため、誰でも気軽に参加しやすい映画会として、「母べえ」の上映会を持つことになった。
その後、宝塚で起きた在日の朝鮮人女生徒への差別・暴言事件を描いた劇「海を越えてつながる私たち」が劇団水曜日によって演じられ、朝鮮舞踊、中国獅子舞、歌とアピール、モンゴル馬頭琴の演奏、韓国伝統打楽器の演奏と舞踊など、盛りだくさんな出演が続いた。
大阪国際空港の北西に接し、空港と猪名川に挟まれた地域が「中村地区」で、ほとんどが国有地にある。第2次大戦当時、軍用空港として大阪第二飛行場(現大阪国際空港)の建設、拡張工事が行なわれ、1千人を超える強制連行の朝鮮人らが工事に従事(伊丹市博物館に名簿が保存されている)、その住居として中村地区に飯場が作られた。終戦後も強制連行された朝鮮人、中国人らが寄り添うようにその地に集い住み、集落となった。しかし、空港用地内での居住となるため、「国有地の不法占拠状態」とされ、生活環境は法の保護の外に置かれて劣悪をきわめ、「立ち退き問題」が長く続いた。
瀋陽市では、「9・18歴史博物館」を見学した。1931年9月18日に日本軍が柳条湖の満州鉄道を爆破、中国のせいだと張学良軍を攻撃して満州事変を起こした、この前後の経緯から抗日の戦い、解放までを陳列している。この資料館もリニューアルして大きくなり、現場の情景の復元などリアルになった。資料の引用などまだ大雑把な面もあり、韓国の地名が間違っているという指摘もあったが、正確にという努力が見られた。ここでも、中学生くらいの子どもたちが見学していた。