「新社会兵庫」 9月15日号
総選挙兵庫1区
「KOBEからもう一つの選択を」と訴え続けた原和美さんと応援部隊=8月29日、三宮・そごう前  8月30日投開票で行なわれた第45回総選挙は、民主の圧勝、自民の大敗で政権交代が実現した。兵庫1区(神戸市東灘区、灘区、中央区)に立候補した原和美さん(無所属・新=新社会党、社民党近畿ブロック、みどり関西が推薦)は、1万9995票(得票率8・75%)の得票で議席には届かなかった。

 護憲の共同候補≠ニしてこの総選挙で国政選挙5度目の挑戦となる原和美さんは今回、「政権、政治を変えよう。そのために、ほんとうにくらし・いのち・平和を大切にする、自民でも民主でもないもう一つの選択をぜひ神戸から」と訴えつづけた。
 結果は、民主への猛烈な追い風が吹くなか、灘区と中央区では前回から744票(0・90%増)、798票(1・12%増)とそれぞれ得票を伸ばす健闘ぶりだったが、当選した民主候補(県議から転身)の地元の東灘区では風≠フ影響を大きく受けて3391票(3・35%減)を減らし、全体では前回から1849票(1・05%)減となった。
 原和美さんは昨年9月の出馬表明以来、10カ月を超える選挙準備のなかで、ほぼ連日のように、かつてない数の街頭演説、駅立ち、個々面接を精力的に積み上げてきた。
 新社会党も節々に近畿ブロックをはじめ、四国や中国、さらには九州や東海、関東と全国からの支援態勢を敷き、チラシの全戸配布や宣伝活動など「原選挙」を支えた。
 こうした活動を通じて新たに多くの支援者を得ながら、支持の広がりも、手ごたえも十分に感じられる選挙戦を展開してきた。車に手を振ってくれる人、原さんに激励の声をかけてくれる人、家から飛び出てきては演説を聴いてくれる人……、かつてない多さだった。
しかしながら、選挙期間中は無所属であるがための選挙制度上の差別はあまりにも苛酷だ。 大きなハンディを背負いながらの選挙戦のなかで、十分な得票結果に結びつけることができなかった。
 闘いを終えた原和美さんは、得票結果を見届けると、開票状況を一緒に見守っていた選対メンバーや支援者の前で、「新社会党の全国からの応援はじめ、社民党の仲間や地域の支持者などほんとうに多くの方々の支援を得て、やれることはすべてやりきり、訴えきったという気持ちでいっぱいだ。戦いに悔いはない。ただ多くの方々からいただいた大きな期待に応えられなかったことはほんとうに申し訳なく、残念に思う」と述べた。


社民党・比例近畿
服部良一さん  今回の総選挙でも前回同様、近畿ブロックの新社会党と社民党の両党間で結んだ選挙協定にもとづき、新社会党は比例区は社民党を推薦、応援した。社民党は近畿ブロックで41万1092票(3・68%)を得票、1議席を獲得した(ちなみに、兵庫県では4・58%、兵庫1区は5・36%の得票)。重複立候補の辻元清美さん(大阪10区)が小選挙区で当選、他の2人が10%以下の得票だったため、比例区登載順位4位の服部良一さんが当選した。
 服部さんは、原和美さんとともに「闘う第三極創りをめざす近畿会議」が推薦。原和美さんとは何度も共同の街頭演説を重ねてきた。
多彩な内容で通算15回目のピースフェスタ明石 8.5〜9
 「ピースフェスタ明石」が8月5日〜9日の5日間、明石市立勤労福祉会館で開かれた。
〈平和・いのち・子ども〉をテーマにしたギャラリー展示には延べ1千人の市民が訪れた=明石市立勤労福祉会館  〈平和・いのち・子ども〉をテーマしたギャラリー展示には、延べで1千名を超える市民が参加した。今年のギャラリーは、『原爆の子』のモデルとなった佐々木サダコさんのポスターをはじめ、「明石空襲」「戦時下の暮らし」「もし明石に原爆が投下されたら」などの写真や記録、遺品の展示。また、「サダコと折り鶴」の展示に寄せて市民から千羽鶴2万1千羽が持ち寄られた。この千羽鶴は8月30日に実行委員会によって広島平和記念公園の「原爆の像」に届けられた。
 8月8日の戦争体験談の集いでは、明石空襲や被爆者(長崎)の貴重な証言に加えて、中国残留日本人孤児の宗景さん(尼崎市在住)から訴えがあった。「戦争は反対です。大嫌いです」という彼の発言には、満蒙開拓団として戦争に翻弄され、棄民となった「残留孤児」たちの思いが凝縮していた。
 最終日の9日は、午前中は大道芸、よさこい踊り、フリーマーケット。お昼は明石市非常勤給食調理員労組による野菜入りカレーランチ。午後は、ハーモニカ独奏とクラリネット三重奏に続いて、西谷文和さんの映像を交えた「イラクと日本の平和」の講演が行われた。
 ピースフェスタ明石は、95年の「明石平和の集い」から通算すると15回目となる。
 アンケートでも、「明石でこんな催しが続いていることを誇りに思う」「明石空襲で苦しんだ人も多かったことを初めて知った」「西谷さんの映像と講演、中身が濃く大変よかった」「毎年すばらしい展示や催しありがとう」などの感想が寄せられている。
(お)
憲法を生かす会・灘
3人の語り部から神戸空襲と長崎の被爆体験の話を聞いた=8月9日、ろっこう医療生協センター  長崎原爆忌の8月9日、「憲法を生かす会・灘」は被爆・空襲体験を聞く会を開き、3人の語り部の方から神戸空襲と長崎で被爆した体験について話を聞いた。
 昭和17(1942)年4月に最初の神戸空襲を経験した浅田浩さんは当時13歳で中学生。灯火管制や空襲警報の生活や勤労動員の思い出を語った。資料として昭和15(1940)年発行の戦時国債10円の現物を持参、敗戦時にはタダの紙切れになっていた話も聞いた。
 中田作成さんは、終戦の昭和20(1945)年に小学校1年生。しかし、疎開先の三木の小学校では、ボール紙で作ったランドセルと靴しかなく、いじめられた思い出を語った。また当時、移動劇団「桜隊」が広島で被爆し全滅した話も一緒に語った。
 中道澄春さん。当時は長崎の諫早中学2年生。長崎から諫早へ避難してくる被爆者の、取ってもすぐ大量発生する傷口のウジの話や、水を飲ませたら死んでしまうので心を鬼にして水飲みを阻止したことを、今から思えば「水を飲ませてあげれば良かった…」と悔やんでいるなどと語った。母親が被爆した直後に生まれ、幼く死んだ従妹の千恵子ちゃん、10日間しか登校しなかった被爆生徒・さかもと君のことなど、絶対に忘れないと語った。
(Y)
憲法を生かす会長田 平和のつどい
 恒例になった新社会党長田総支部と「憲法を生かす会長田」共催の「平和のつどい」が、「医療・平和・福祉連続学習会」の2回目として、8月30日、新長田勤労市民センターで開催された。
 つどいでは西谷文和氏(「イラクの子どもを救う会」代表)による講演が行われ、「報道されないイラク・アフガニスタンの現状」として、今年も自ら訪問し撮影した映像を交えながら、両国の現状が報告された。
 復興に向けた取り組みが進められているものの、自爆テロを警戒し強固なブロックで囲まれた米軍基地や政府施設の建物、我が物顔で往来する米軍の戦車等の軍用車、常に市民を監視する無人飛行船など、占領軍の凄まじい実態を知ることができた。また、劣化ウラン弾の影響で身体的障害に苦しむ子ども達の映像に、戦争は市民・子どもの生活や命を奪い、戦後も苦しみつづける多くの人々を生み出すことを改めて実感した。さらに、アフガン戦争、イラク戦争には軍需産業がかかわり膨大な利益を得ていることも改めて確認できた。
 まさに、「報道されない」戦争の現実を知ることができ、憲法9条の正しさを参加者全員が確認するとともに、今こそ憲法9条の精神を世界に広げることの大切さを確認した。
(長田・O)
「核廃絶1千万署名」
 核廃絶1千万署名兵庫県実行委員会(佐治孝典実行委員長)は8月6日、9日の両日、三宮・マルイ前で「核廃絶1千万署名」の街頭署名行動に取り組んだ。
 同署名は、@2010年に開かれるNPT再検討会議で「2000年合意」を再確認し、核廃絶の道筋を合意すること、A2020年までに世界中のあらゆる核兵器の廃絶を実現することを趣旨としており、署名実行委員会は、広島、長崎に原爆が投下された日に行動することによって今後の本格的な署名行動の皮切りとした。この日の署名行動では道行く若い人たちも積極的に署名に応じていた。