最終更新日2月14日

 竜騎奮迅


 第三話





(6)


 ドゥエト達の襲撃を凌いだ翌朝には、さっそく教会の世話になって旅支度を整えて、竜の巣があるという岩山に向けて出発した。
 山に分け入ると、すぐに道らしい道もない未開の地となり、下生えや木々の枝をかきわけながらの道中となった。
 ひどいときには、大きな岩をよじのぼって進むというような場所すらある。
「やはり教会で待っていたほうが良くはなかったか?」
 ライアットはフィレルの身体を気遣って何度かそう訊ねるのだが、フィレルはそのたびに、
「いえ、御大将が行かれるのに、従者である私だけが麓で待っている訳にはいきません」
 と、頑固に言い張るのだった。
 そして実際、ふうふうと息をつきながらではあるが、ライアットにどうにかついて来ている。剽悍な戦士を多く輩出するジスチャードの血を引くだけに、見た目とは身体が裏腹に頑強なのだろう。
 高い木々がそびえ立つ山の斜面でライアットは足を止めた。晴れ渡った空に浮かぶ太陽を振り仰ぐ。まもなく昼だった。
 四月の下週がまもなく終わり、五月を迎えようとするリフィベル島は、夏を待ちかねるかのように日々気温が高まっていく。リムギア大陸やリフィベル島で広く用いられている陽暦では四月から六月までが春ということになっているのだが、今日は初夏を思わせる陽気だった。
「ここらで休憩するか」
「はい」
 気張っていても、暑さも手伝って疲れは隠しきれない。フィレルは安堵した声を出して、ちょうど座るのに都合の良さそうな岩の上に腰を下ろした。背負った荷物も降ろす。
 ライアットも自ら背負った荷物と竜騎槍を近くの太い木の根本にもたれさせると、そのままその木に両手両足で掴まり、登り始めた。目印としている山の位置を確認するためだった。
 竜の巣と呼ばれる岩山が広がる場所は、大まかな方位しか判っていない。ドゥエトに聞いた話によれば、目印となる高い山が二つあり、その山の間を目指して二日間進めばたどり着けるという。
 だが、ライアット達は山に分け入ってからすでに三日目を迎えていた。携帯した食料は、余裕を持たせて六日分ある。往復分を考えねばならないから、今日中にたどり着けないようなら、引き替えさざるを得なくなる。
 もちろん、その気になれば山の中で食料を自給する程度の力はあるつもりだが、フィレルの身体も心配だった。
 なんとしても今日中にたどり着く、そう思い定めてライアットは木を登る。枝の間から、高い山の姿を見つけ出し、進んできた道のりが間違っていないことを確認する。
 いざ地上に降りようとして下を見たところで、アグレスに乗竜から突き落とされたときの恐怖が不意に襲ってきてライアットは身震いした。
「竜士が高所恐怖症では、話にならんぞ……」
 小さな声で呻く。とてもフィレルには聞かせられない。だが、突き上げてくるような緊張で手足の先は冷たくなり、背中と額からは脂汗が滲んでくる。
 歯を食いしばり、慎重にそろそろと木を降りる。
 なんとか地上に降り立った時には、大きく肩で息をついていた。
「御大将、湧き水を汲んでおきました」
 ライアットの動揺を気づかぬ風で、フィレルが清水をたたえた器を差し出した。ライアットは無言で受け取り、一気に飲み干した。
「ふう……。どうやら、道は間違っていないようだがな」
「こんなにも山が続くなんて。きっと、ジスチャードでは考えられないでしょうね」
 フィレルは、まだ見たことのない故郷の景色に思いを馳せたらしい。背嚢から、昼食となるパンや干し魚などの保存食を取り出しながら、そんな感想をもらした。
「こんな山の中で難儀するぐらいなら、ジスチャードに帰りたいか?」
「え? あ、いいえ……。そんなことはありません!」
 ライアットの問いに、フィレルは慌てて首を大きく左右に振った。ライアットも「判っている」と苦笑しながら頷く。
「……えっと、もう三日目ですから。なんとか今日中にたどり着けるといいんですが」
「ああ。もっとも、竜を見つけてその場ですぐに自分の乗竜に出来る、というものではないがな」
 なんといっても、竜を捕まえるなど始めての経験であり、そのやり方をはっきり判っている訳でもない。とにかく野生の竜に出会うことすら難しいのだから当然だ。
 竜に乗れさえすれば、ライアット達が進んできた三日分の行程など、半日もかからず戻ることが出来るのだが……。
 六日分の食料というのは、少々見通しが甘かったかも知れない、とライアットは思い始めている。もっとも、人間が一度に持てる荷物を考えれば、そんなに大量の食料を背負って山に入る訳にもいかなかったのだが。
「長丁場になることを考えるなら、狩りの一つもしていかねばならんな」
「ここまで何度か、野生の獣の気配を感じています」
 フィレルは、左手の甲に宝玉の収まった緋色の篭手をかざし、言った。
 その篭手は、魔法力を増幅する力があるだけでなく、エストニカ王国が正式に認めた魔法使い、すなわち魔法士であるという証となっている。
 エストニカ王国の魔法委員会によって、フィレルはこの篭手を与えられたのだ。そればかりか、ひとたびエストニカに国難があれば軍に協力するという契約を結び、少額ながら手当をもらっている。
 それだけを聞けば気前の良いだけの話にも聞こえるが、この宝玉はつけている魔法使いの現在位置や、使用した魔法の種類などの情報を国の魔法管理機関に送る働きも持っている。もちろん、実際に本人が装着しているかどうかも判る。
 つまりは国の管理下におかれているのだ。
「そいつで、竜の気配を探ってくれないか?」
「承知しました。妙なところで妙なことをやっていると、委員会に思われてしまうのでしょうね」
「すまんな。准竜士の従者だからこそ与えられた魔法士の資格だ。ことによれば剥奪されてしまうかもしれん」
「そんなこと、気にはなりません。御大将のお側にいられないのなら、魔法士の資格など持っていても仕方ありませんから……」
 少し怒ったような口調でフィレルは言い、軽く目を閉じて精神を集中させ始めた。それにあわせて、胸元にあてるようにしていた左手の篭手、その宝玉が輝きを増していく。
 やがて、フィレルは目を開けた。
「確かに、北の方角から生命の気配を感じます。数も多いです」
「距離は」
「ここから、そう遠くありません」
 きっぱりと断言するフィレルに、ライアットは相好を崩した。
「そうか。ならば、今日には竜に会えるな」
 が、フィレルの表情は晴れない。
「ただ……」
「なにかあるのか」
「いえ、精霊魔法の力のようなものを感じるのです」
 魔法には二つの大きな系統があるとされている。
 フィレルが言った精霊魔法とは、万物に宿る精神に呼びかけてその力を借りる。
 一方、彼女のようなエストニカ王国に認定された魔法士達が用いる神聖魔法は、神に対して祈りを捧げ、奇跡を呼び起こす。
 精霊魔法はより素朴かつ原始的であり、魔法と呼ぶより呪術に近いものがある。使える者がほとんどいないせいもあって研究が充分に為されているとは言い難い。だからといって神聖魔法が一概に優れているとは言い難いことを、フィレルは魔法を学ぶ上で聞き知っていた。
 竜の一部にはこの精霊魔法を用いる事が出来ると言われていた。
「なら、問題は無いと思うが。竜がいるという事ではないのか?」
「ごく少数ですが、精霊魔法を使える人間もいます。こちらの気配を察知している可能性もあります。お気をつけ下さいませ」
「判った。油断せずに行こう」 

 昼食を終え、二人はすぐに出発した。
 いつ果てるとも知れぬ道も無き密林の中を、ライアットが先に立って歩く。その表情は、自然と厳しいものとなっている。
 フィレルの魔法による探知が正確ならば竜の巣がまもなく見えるはずだという思いもさることながら、これまで山に入った竜士は戻ってこなかった、という脅しじみたドゥエトの話を考えると、用心に越したことはなかった。
 そして実際、四方に注意を払っていた為か、場数を踏んだ武人にのみ察知できる殺気に気づくことが出来た。
「伏せろ!」
 ライアットは叫ぶと同時に身体を翻し、ライアットの後ろで立ちつくしたままのフィレルの身体に覆い被さるようにして押し倒した。

 ――ヒュォンッ!

 風切り音と共に、さっきまでライアット達が立っていた空間を貫いた矢が、木の幹に突きたって震えた。
「くそっ、誰だ」
「御大将、あそこです!」
 ライアットの身体にかばわれたフィレルが、仰向けになったまま針路前方にそびえる太い木を指さした。
 木の幹に背中を預け、左右の足を別々の枝にかけて体勢を保っている人影があった。
 見通しのきかない密林にあって、ほんのわずかな枝葉の隙間を縫って矢を射かけてきたのだ。その技量は生半可なものではない。
 だが、射角がとれない以上、飛び道具を持っているからといって有利とは言えないだろう。
 それは、背丈以上の長さのある竜騎槍を持つライアットも同じだ。
 ライアットはためらうことなく地面に騎竜槍を深く突き立て、腰の剣を抜き放つ。突きにも斬撃にも有用な、使い勝手のよい剣で、准竜士になる前から長年用いていたものだ。
「ここで伏せてろ」
 フィレルに言い置くと、ライアットは猛然と駆け出した。
 敵の姿はとりあえず一人だけ。二の矢、三の矢と立て続けに浴びせられるが、木々の間を素早く走り抜けるライアットを捉えることが出来ない。正面に一本、正確な狙いで飛来したが、それはライアットが振るった剣に難なく弾かれた。
 間合いがたちまち詰まる。少し開けている場所に出たせいで、枝の上で身構えている相手の姿をしっかりと視野に捉えた。小柄な体躯は見てとれたが、木の影のせいでその表情までは判らない。
 一瞬、敵の周囲に燐光のようなものが幾つか浮かんでいるように見えたような気がしたが、それはすぐにかき消えてしまった。
(こいつは……!)
 光の正体よりも、対峙している相手の顔を見た瞬間、問答無用で敵を斬り捨てるつもりだったライアットの動きが静止した。
 が、攻撃そのものをためらった訳ではない。
 相手が次の矢をつがえ、弓を引き絞ってこちらに向けて構えるよりはやく、ライアットはその場に立ち止まったまま大喝した。
「武器を捨てろ! そうすれば命まではとらん!」

(なにっ!?)
 眼前に飛び出してきた男にそう怒鳴られ、トレア=ノードの身体が反射的に硬直した。
 今、彼我の間には邪魔な木の枝もなにもない。
 これまでの数本はかわされてしまったとはいえ、飛び道具を構えるトレアのほうがまだ圧倒的に優位の筈だった。男は手に持った剣を振りかぶってさえいない。剣の間合いには遠すぎるし、破れかぶれで剣を投げつけてきたところで、それより先にトレアは弓を射かけることが出来るはずだ。
 にもかかわらず、彼女はためらってしまった。
 元々、好きで人を射ている訳ではないという思いもある。侵入者の存在を精霊の声を聞いて知ることが出来る自分でなければつとまらない、大事な仕事という認識でやっているだけだ。
 自分はまだ若いのに、これから長い人生をずっとこんなことをして過ごすのか、という屈託もあった。
 だがそういう迷いを差し引いてもなお、トレアは弓を撃てなくなってしまった。
 目の前に立つ男は微動だにしない。それなのにトレアはすっかり気圧されてしまっていた。怖じ気づいたと言っても良い。相手の男が発散する空気にはほんのわずかな迷いすら感じられない。自分が負けることなどありえないといわんばかりの態度に、トレアの気持ちまでが飲み込まれてしまっていた。
 トレアの喉がごくりと鳴った。相手の気合いを肌で感じて、完全に萎縮してしまっている。
「武器を捨てるんだ」
 今度は少し穏やかな調子で男が言った。
(ダメだ、こいつにはかなわない……)
 客観的にみれば全く不可解な判断だろう。だが、トレアはすっかり戦意を失っていた。逆らえば間違いなく殺されてしまうだろうとトレアは思いこんだ。こちらが弓矢をつきつけ、相手が剣一本だけを携えている状態であっても、そんな事実はなんの意味もないのだ。
 トレアは震える手でつがえた矢を外し、ゆっくりとそれを地面に投げ落とした。
 生い茂った木々の葉がバサバサと音を立てる。
「ゆっくりと降りてこい。聞きたいことがある」
「わ、判った」
 いつもの軽やかさを失ったぎこちない動作でトレアは木から飛び降りた。地面が柔らかな腐葉土だったおかげで足に痛みは感じなかったが、いまや手の震えは全身にまわって、その場から逃げ出すどころではない。腰が抜けたような状態になっている。
 顔を上げると、眼前に男の姿があった。
「ひっ」
 ほんの数刻前の狩人から単なる獲物へと立場が逆転したことを思い知り、トレアは怯え、身をすくませた。

「ふむ……」
 相手の喉元に剣の切っ先を突きつけるまでも無かった。まだ年若い少女に剣を向けるのは趣味ではなかったが、状況が状況だけに仕方がない。
 ほっそりとした身体に、胸と腰を覆うだけの粗末な緑色の布を巻き付けている少女の姿を目に留める。普段は、吊り気味に鋭く輝いているであろう目は、気丈にライアットを睨み返そうとしているが、恐怖に揺れている。
 頬と二の腕には赤い顔料で幾何学的な文様が描き入れられていた。山岳地帯にひっそりと暮らしている蛮族の一人なのだろうか。
「なぜ俺を狙う。竜匠に頼まれて、罠でも張っていたのか」
「罠? なんのことだよ。精霊が教えてくれたのさ、邪悪な者達が来るって」
 トレアは震えながらも、蓮っ葉な口調で言い返した。
「邪悪と来たか。お前達の領域を荒らすつもりはないんだが」
「ここに来た奴は何人もいたけど、アンタみたいなのは初めてだよ」
 先日のドゥエトと似たようなことを言うな、とライアットは妙なところで感心する。
「それにしても随分と勇ましい部族だな。領域を侵す者は容赦なく射殺すのか?」
「そこらの蛮族を一緒にされたくないね。狙ったのは、あんたが竜士だからだよ。あんな竜騎槍をかついでるヤツを見たら、生かしておく訳にはいかないんだ」
 言葉遣いこそ荒っぽいが、理解できない蛮族の言葉ではなく、訛りのない大陸公用語で喋っている事にライアットは気勢をそがれた。言葉が通じるという事自体が意外だったのだ。それに髪の毛や目の色や面立ちといった容姿もまた、文様さえ描かなければエストニカの人々となんら違いがない。
 自分を殺そうとした相手でありながら、ライアットは憎めない。だが。
「ではこの先に、竜が居るんだな。案内してもらおうか」
 返答次第ではやはり斬らねばならない、とライアットはほぞを固めた。たとえ内心はどうあれ、矢を向けられた後では、相手が女であっても、身を守るためには他に手が無くなる。
 が、彼女の部族そのものを敵に回して戦争を起こす訳にもいかない。
 迷いが表情に出ないように気にしながら、ライアットは女の目を見据えた。
 しばらくの間、沈黙がおちた。
「御大将、ご無事ですかっ」
 がさごそと草の葉をかきわけながら、ようやくフィレルが顔を出した。
 その途端、トレアが感じていた恐怖心が身体から抜けていった。呪縛はとけたのだ。
 いけない。相手の空気に呑まれて、言いなりになってしまうところだった。トレアは小さく頭を振って、怯えのせいで白熱化してしまった頭の中を正気に戻そうと試みた。このまま竜に会わせるんじゃ部族の恥だ……。
「……しょうがねぇ、判ったよ。アンタにはかないそうもないや」
 落ち着きの戻った声でトレアは内心とは裏腹の言葉を口にしていた。
「助かる」
 承諾の返事に、ライアットは安堵の思いを表に出さないように注意しながら頷いた。
「ヘンな奴だね。ねえアンタ、名前はなんて言うの?」
「ライアット=ベラルハール。浪人中の竜士だ」
「それで竜を探してるって訳か。アタシはトレア=ノード。こうみえても、族長の娘なんだよ」
 別に誇る風もなく、トレアと名乗る少女は視線をライアットからそらせた。相手にこちらの思惑を悟られてはまずい。
「どうかしたか?」
「ううん。いつまでも剣を突きつけられてると怖いから」
「命を狙われた後だから、慎重にもなるぞ。……それにしても、街に出てこない森の部族にしては、言葉がきちんと通じるものだな」
「そこらの蛮族と一緒にするなって言ったろ。アタシたちは、竜に言葉を教わったんだ。言葉だけじゃない。生きていく上での色んなことを教わっている。そのお礼に、アタシたちは竜を捕まえようとする街の人間を近寄せないようにしてるんだ」
 トレアはそう言い、竜に会わせることは会わせるけど、アンタの乗竜になるかどうかを決めるのは竜のほうだからね、と付け加えた。
「判った。とにかく竜をみてみないことには話が始まらない」
「ようございましたね、御大将」
「そうだな」
「また、お命を助けられるのですか」
「ああ。戦場以外で人の命を奪いたくはないからな」
 ライアットが頷き、トレアから取り上げた弓と矢筒、そして短剣をフィレルに渡す。
「ちぇ。こっちはアンタたちを本気で殺す気で弓矢を向けてたのに、そんな余裕かまされたんじゃやってられないなぁ」
 二人のやりとりを聞いていたトレアが、ライアットの横でふてくされていた。

(7)


 トレアの案内でライアット達が道無き森の中をしばらく進むと、木々が生い茂って妨げられていた視界が唐突に開けた。
 目の前に、ドゥエトに聞いた通りの岩場が広がっていた。林がとぎれた先には、自然の神秘とでもいうのか、竜騎槍のような鋭い円錐状の頂をもつ岩山が見渡す限り続いていたのだ。
「ここに竜がいるのか」
「ああ。ちょっと待ってな」
 トレアが腰の袋に収めていた粘土を焼いて作った笛を取り出し、口元にあてて吹き始めた。
 音律と呼べるようなものではなく、単に高い音が鳴り響くだけだった。トレアは息の続く限り、笛の中に空気を送り込み続ける。
「すぐ来るから」
 笛を鳴らし続けた後、ぷはぁ、と大きな声をあげて肺に空気を吸い込んだトレアが、うわずった声で言った。
 ライアットはそれを信じて待つしかない。
 どれぐらいの時間が過ぎただろうか。
「……あれか」
 竜士の視力は常人を遙かに超える。最初にその姿に気づいたライアットの目が、すうっと細められた。
 天を突き通すように鋭くとがった岩山の間を飛び抜けながら、一頭の竜が姿を現したのだ。
 竜は、たちまちのうちに林の切れ目に立つライアットたちの眼前に迫った。
 かなり年を重ねた竜なのだろう。褪せた褐色をした鱗の一枚一枚が、瘤のように節くれ立っている。
 年齢はともかくとして、首筋から前足に掛けての盛り上がりや、後ろ足の太さなどから、かなりの膂力を持つ竜だとライアットは見て取った。
 そして、なにより彼の目を引いたのは、竜の右目だった。
 明らかに負傷し、潰されているのだ。だが、先ほどの飛行ぶりをみても、隻眼であることの不自由さは全く感じさせない。
 隻眼竜の姿に、ライアットの脳裏に真っ先に浮かんだのは、ザエリラム連邦中興の祖であるザフォートという竜士が乗竜とした、英雄竜グレーバウルだった。
 グレーバウルもまた、フェテリアとの戦いの最中、右目を失っていたと聞く。
 だがザフォートがこの世を去って久しく、乗り手を失ったグレーバウルもいずこかに去っていた。もはや伝説に等しい話だった。
 ライアットもただ、潰された右目からその逸話を連想しただけだった。自分がザフォートほどの竜士だといううぬぼれもない。
 さて、どうやって乗竜として手中におさめるか。話し合いだけで済めばよいのだが、とライアットが考えていると、先に隻眼の竜が口を開いた。
「我に何用か」
 竜は人語を理解し、さらに自らも話すことができる。もっともそれは相応に人間と交わってきた竜だけだった。単なる野生の竜は言葉を用いない。彼らは生きていく上で言葉というものを必要としないのだ。
 言葉を発した竜の左目はトレアに向けられており、その言葉も彼女に向けられたものだ。トレアの笛に呼び出されたのだから、当然だろう。傍らにライアットたちがいることも、特に気にはならないらしい。
「用があるのは私だ。話を聞いて欲しい」
 ライアットが一歩前に進み出て、大声を発した。竜の語調に深い知性を感じたので、一方的に命令するような物言いはしない。トレアたちノード族に言葉や様々な知識を教えているという竜ならば、礼を尽くすにこしたことはないとの判断だ。
 だが、その背後から、トレアの声が浴びせかけられた。
「ニブレス! こいつら、敵だよ。やっちまってよっ!」
「なにっ」
 思いも寄らない言葉に、さすがにライアットも身構えていた。
「承知!」
 トレアの声を聞いて、間髪入れずに竜が突っ込んできた。ライアットにはそれに異議を唱える暇も与えられなかった。
 トレアがすぐ後ろにいるせいか、竜は広範囲を焼き尽くす炎は吐かず、ライアットだけを叩きつぶす腹づもりらしい。
 ライアットは前方に大きく飛び込み、地面に伏せて攻撃をかわした。
 竜が翼をはためかせる。風圧で砂埃が舞い上がる。
「御大将っ、お逃げください」
 人質にでもとるつもりなのか、フィレルはトレアの腰にしがみつきながら叫んだ。だが、ライアットはもみ合っている二人に関わっている余裕はなかった。片膝をついた姿勢で顔を上げ、竜の動きだけを目で追っている。
 いったんライアット達の頭上を航過した竜は、上昇の中途で鋭く身体をひねり、間髪入れず襲いかかってくる。
「いい動きだ。素早い旋回は槍試合でに役に立つぞ!」
「なに言ってんだい。ニブレスがアンタなんかの乗竜になるもんかい!」
 トレアの罵声。
 それを聞き流しながら、ライアットは背負っていた竜騎槍を素早く構え、打突の体勢に入る。
 鍛錬用の重く短い槍であり、これで竜を倒せるとは思えないが、腰の剣を抜くよりはマシな選択だろう。
 トレアにニブレスと呼ばれた竜が咆吼し、その口が上下に大きく開かれた。巨大な牙が露わになる。老いた竜とはいえ、こんなものに食いつかれたらまず助からないだろう。
 その口の中目掛けて、ライアットが槍を突き出す。が、間合いが少しだけ遠い。ニブレスは身体をわずかに傾けてこの攻撃をかわした。
 直後。
 前足、翼、尾が、棍棒の破壊力と鞭のしなやかさをあわせもって三連続でライアットに襲いかかる。ライアットは横っ飛びしたのち、地面を転がってこの連続攻撃をさけた。地面が裂けそうな破壊が叩きつけられて土煙が立ちのぼる。
「倒すわけにはいかんな。こいつを俺の乗竜に出来なくなる」
 そううそぶき、三たび突進の体勢に入ったニブレスに正対したライアットは、今度は腰をひねって槍を振りかぶった。刺突ではなく、槍の横腹で薙ぐ構えだ。竜騎槍試合での得意技をここで用いようというのだ。
「人間が叩いたって、効く筈ないだろ」
 トレアが茶化すように声をあげる。相変わらずフィレルともみ合っているが、トレアのほうが敏捷で筋力もあるらしく、フィレルはトレアを逃がさないようしがみつくのが精一杯の様子だった。
「覚悟を決めよ」
 ニブレスがそう叫び上げながら、再び口を広げる。ライアットはまだ槍を用いない。
 下顎がライアットの上半身を捉えたかに見えた一瞬。
 ライアットは、紙一重で突進してくるニブレスの下顎をのけぞってかわしていた。
 単にかわしただけではない。
 半歩引いて右膝をついた状態から、槍の先端で地面をえぐり取りつつ、上体をねじ切るようにねじって竜騎槍を振り抜いた。間一髪、ニブレスの前足に殴られる前に、しなった槍が空気を切り裂き、ある一点をぶん殴っていた。
 ライアットが狙ったのは竜の喉にある『逆鱗』だった。
 竜にとっては唯一の急所と言っても良い。従って、戦さに挑む竜士達は、かならずこの部位に装甲板を装着して防御する。だが誰の乗竜でもないニブレスは、この部分がむきだしのままだった。
 逆鱗をしたたかに打ち据えられて、さしもの竜も息を詰まらせてその身をよじった。
 だが、並みの竜ならこの一撃で行動不能になるところだが、ニブレスはしぶとかった。尾が再び鋭く振り回され、体勢の崩れたライアットをぶっ飛ばした。
 が、その反撃がやっとだったらしく、失速して地面に落ちる。地響きに続き、土埃が噴き上がる。
 尾ではじき飛ばされたライアットは槍を放り出して地面を数回転した後、どうにか起きあがった。そしてこちらも、立ち上がれずにすぐに腰を落とす。軽装とはいえ、胸甲を付けていなければ命が危ないところだった。
「やりおるわ」
 首だけをどうにか起こしたニブレスが忌々しそうにうめく。
「そっちこそな。あの体勢で、よく反撃出来たものだ」
「ふん。そういうお主は、その反撃を喰らっても平気な顔をしておるではないか。もっとも、貴様は竜狩りを行っている野蛮な輩のようには見えぬ。ノード族の平和を乱すような悪意も感じられぬしな。まあ、それを今言っても負け惜しみにしか聞こえぬか」
 ニブレスの言葉に、ライアットは自然と笑みが浮かぶのを押さえられなかった。
「俺は竜士だが、今は乗るべき竜がない。乗竜を探してここに来たんだ。ノード族に害を及ぼそうなどとは考えちゃいない」
「乗竜とな? 確かにこの一帯には二十を越す竜が住んでおるが……」
「御大将っ」
 フィレルが、呆然としているトレアを腕を押さえながら引っ張ってくる。
「トレア。これはいったいどういうことなのだ? この者は、竜を討ちに来た訳ではないのだぞ?」
 ニブレスがトレアのほうに顔を向ける。
「だってさぁ。こいつにはとてもかないそうもないから、ニブレスに頼むしかないかな、って」
 バツが悪そうに顔を背けるトレア。
「確かに、並みの竜士とは訳が違うようだ」
「認めてくれるのか。では、俺の乗竜になってくれないか」
「この老体を相手に無理を言うな。第一、その返事は、いますぐには無理だ。お主の力量、先の一戦ですべて見切れた訳ではない」
「じゃあ、どうすれば良い?」
 ライアットがニブレスの首元ににじりよる。
「もし儂の課す試練に耐えられるようならば、ふさわしい竜を紹介してやろう」
 客観的に判断して、目の前のニブレスよりもさらに強力な竜が手にはいるのであれば、それに越したことはない。ライアットは、百戦錬磨を思わせる老竜に未練を残しながらも頷いた。
「そうか。ならばその試練とやらを教えてくれ」
「そう急くな。儂の試練は数ヶ月にも及ぶ。すぐには力量など見切れぬからの」
「しかし……。こっちはそう長居できる装備を持っていないんだ」
 ライアットは言葉に詰まって、辺りを見回した。背後には延々と続く林。前方には竜がすみかとする岩山。街に戻るにも三日はかかるし、手持ちの食料も三日分しかない。
「ノードの村に間借りすればよかろう。トレア、お主も事の次第を族長にきちんと知らせるのだぞ」
「ニブレスが認めたヤツなら、仕方ないな」
 渋々といった調子で、トレアはうなずいた。


 第四話に続く

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 作者メモ(その3)

 このあたりから苦しくなってきたか?
 トレアの台詞まわしは現状でいいか? (カタコト風にするとか)※2/14
 展開は自然に動いているか? すくなからず強引な感なきにしもあらず。
 老竜の“正体”に伏線を張る意味はあるか?
 ライアットの、空への怯えを書き込むように留意。