最終更新日3月13日
竜騎奮迅
第四話
(8)
森の中に溶け込むようにして作られた粗末な村で、ライアットとノード族との奇妙な同居生活が始まった。
これまで外からの侵入者をすべて竜の敵と見なし、襲って殺してきた村人達は、どうしてもライアットを敵と認識しがちだった。それを、トレアがなだめ役に回る格好になっている。
ニブレスに世話を託された以上は仕方ないと思っているのか、とにかく彼女の取りなしがなければ、ライアット達はとても暮らしていけないような状況だった。
村の端に急ごしらえの小屋が建てられ、ライアットとフィレルはそこで寝泊まりすることになった。
肝心の試練というのは、短く言ってしまえばライアットにニブレスが認めるだけの竜士としての技量を身につけさせるというものだった。
並の竜士よりはよほど実力があると自負するライアットだったが、ニブレスの目にはまだ物足りないらしい。体力だけでなく、強靱な精神力の鍛錬を課し、その訓練の方法もニブレスは伝授した。
――竜士の飛行装束のまま、岩だらけの渓流を駆け登る。
――通常の三倍の重さのある槍の素振りを数百回行う。
――腕が回らないほどの太い木の幹に太股の筋力だけで掴まってぶらさがる。
等々、多種多様な課題が毎日出され、それが朝から晩まで続く。
実際に竜の背に乗る機会も与えられないまま、ライアットは一つ一つの課題を、文句一つこぼさずこなしていった。
課題を終えてライアットが村まで戻ってくるのは、大抵は日が沈んでからだ。
「アイツ、口は悪いけど料理の腕は確かだね。こんなの初めて食べるよ」
トレアが、小屋で体を休めるライアットに夕食を運んできた。周囲の森の中で自生している芋と豆を使ったスープだ。
日を追うにつれて、ノードの人々もうち解けてはいたが、やはり一番親身になってくれているのはトレアだった。責任感なのか、それともなにか意図があるのか、ライアットには判らない。ただ、トレアの言動を見ている限り、悪巧みが出来るようには思えなかった。
トレアの言う“アイツ”はフィレルを指している。
「フィレルはどうしている?」
ライアットが疲れ切った身体を起こして問うた。彼が鍛錬に専念している傍ら、手持ち無沙汰になったフィレルは食事係として村の手伝いをしているらしかった。
ノード族には農耕の概念がなく、穀物類が手に入らない。島の沿岸部の住人が米や麦を主食としているのとは対照的だ。フィレルもさぞ悪戦苦闘していることだろうとライアットは気になった。
「女達に料理の仕方を教えてる。そのうち戻ってくるよ」
言いながら、トレアは自らもライアットの隣に腰を下ろして食事を始めた。ライアットが間借りしているのが掘ったて小屋だからという訳ではなく、そもそもノード族の建てる家屋には基本的に床が無い。地面の上に敷物をしただけの小屋にあぐらをかいての食事となる。
「族長の娘が、こんなところで食べていていいのか」
「別にそんなことは誰も気にしないよ。それより、聞きたいことがあるんだ。アンタはなんで竜を探しに来たんだ? 戦争をやるためかい」
「物心付く頃から竜士として育てられてきた。竜士の息子として生まれたのだから、それが当然だと思ってきた。今更他の生き方も出来ないしな。ただ、今の俺には明確な目的がある」
「目的?」
「槍試合で俺を倒しただけではあきたらず、エストニカ竜士隊から俺を追放に追い込んだ、アグレスという男に再戦を挑み、勝つことだ。その為にはどうしても竜が要る」
「なんでそんなことをしなきゃならないの」
「……竜士としての誇り、かな。それを失うことは、今の俺にとっては生きる意味を失うのと同じなんだ」
「ふうん」
理解できたのかどうか、あいまいな返事をかえしただけで、トレアはしばし芋料理を味わう。日頃口にしない食感らしく、味は良いものの恐る恐るといった調子だ。ライアットのほうは元々早食いのクセがあり、フィレルの味付けも食べ慣れているのであっと言う間に平らげる。
「ノードは昔、滅びかかったことがあるんだってさ。それを竜に助けられて以来、共存する暮らしを選んだって話を何度も聞いたよ。そのお陰で村は平和なんだって。実際、おんなじような暮らしを私達は何百年と続けてるみたいだしさ。アンタみたいなのが来るのって、ホントに珍しいんだよ」
ぽつり、とトレアが問わず語りをする。
「だから、野生の竜を求めて山に入ってくるような身の程知らずを何人も殺めてきたということか」
「そういうこと。一度でもそういうヤツを逃がすと、今度は人数を集めてやってくるかも知れないから、生きて帰す訳にはいかないんだよ」
「惨い話ではあるが、それが村の掟であるなら仕方ないか」
ライアットは事情を納得したと言いたげに、大きく頷いた。ノードや他の山岳部族を蛮族と蔑んでいるエストニカの人間にしたところで、命がけの竜騎槍試合に熱狂している。さほどの違いはないように思える。
「実際に命を狙われた後で、よくそんな事が言えるなぁ。変わってるね。それとも、それだけ自信があるってことか」
ふう、とトレアが頭を振って息をつく。
「こっちこそ意外だな。ニブレスに俺を殺させようとしたヤツの言葉とは思えん」
「悪かったよ。あんまり自分があっけなく負けちまったもんで、アタシも頭に血がのぼっててさ」
照れくさそうに笑うトレアを見ていると、たとえ自分を殺そうとした相手だとしても、憎めないものを感じるライアットだった。
「俺のほうも聞いていいか」
「答えられることならね」
「あの時……、俺達を見つけて弓を射かけて来た時だ。お前の周りに何か光のようなものが見えたと思ったんだが、あれはなんだ? あの山の中でこちらの位置を正確に見極めて攻撃出来たことと、なにか関係があるのか」
「あれは森の精霊。村人以外の人間が近づいてきたら、アタシに教えてくれるんだ。精霊の声が聞けるのは族長の血筋だけだからね」
「なるほどな」
ライアットは納得の表情で何度もうなずいた。もっとも、彼自身は魔法に関しての知識が充分にあるとは言えない。この話はフィレルの領分だろう。
と、トレアが困り顔になる。
「その、さ。精霊をもう見ちゃったアンタが相手だから教えたけど、本当は精霊のことは黙ってないといけないって教えがあるんだ。だから、アイツにも黙っていて欲しいんだ」
「判った」
「あと、もう一つ。お前って呼ばれるのはなんかヤだな。トレアでいいよ」
「じゃあ、俺の事もライアットでいい。フィレルも、ちゃんと名前で呼んでやって欲しい」
「うん。交渉成立だね」
そう応じたトレアがくすくすと笑った。ちょうどそこへ、フィレルが戻ってきた。
「御大将、遅くなりました。……あら」
トレアの姿に気づいたフィレルの表情が途端に険しくなる。弾かれたように立ち上がったトレアが、なれなれしくフィレルの肩をぽんと叩く。
「お疲れさん。これからもよろしくな、フィレル」
そう言ってにっと笑う。二人がなにを話していたのか知らないフィレルはきょとんとするばかりだった。
(9)
朝靄の向こうに、うっすらと太陽の姿が浮かんでいる。
朝の冷気を胸に吸い込みながら、ライアットはこの日も鍛錬を続けていた。
左足を前にした低い構えから、右腕一本で鋭く槍を連続して突き出す。時折槍を旋回させて動きに変化を付けていく。
「こらー、そんなところに登っちゃダメだってー!」
頓狂な声にライアットが思わず槍を振り回す手を止める。
「なんだって?」
「台座には、竜以外が足を踏み入れちゃ行けない決まりになってるの。早く降りて」
ライアットの足下を指さしながら、トレアがその場で飛び跳ねながら甲高い声を上げる。
確かに、村外れにあるそこは、ちょうど竜が着地するのに良い程度に大きさにもりあがっていた。
「ここは竜が降りる場所だったんだな。神聖な場所とは知らなかった。済まない」
正直に謝って、ライアットは周囲から一段高くなっていることを除けばなんの変哲もない場所から降りた。
「ま、説明してなかったから仕方ないか。それに普通、竜のほうから村に出向いてくることはほとんどないよ。来るのは、よっぽど重大な事を告げるときぐらいだね」
「村の外れに、この場所だけが広場のように開けていたからな。鍛錬の場所としてちょうど良いと思ったんだが……」
「鍛錬って、なんだかよくわかんないけど、ずいぶん熱心にやってるんだね」
そう言いながら、トレアが手ぬぐいを投げ渡す。
ノード族との生活は十日を迎えようとしていた。この日もライアットは、朝日が登る前から山深くまで駆け通しで分け入り、戻ってきたところで、休息もとらずに突きの練習を行っていたのだった。
「けどライアットもとことん変わってるよね。わざわざニブレスの出す課題につきあわなくたって、他にも竜を手に入れる方法ぐらいあるんだろ?」
「そうかもしれないが、今やっている事は後々必ず役に立つことばかりだ。心身両面を鍛え、以前より力量を高めておかねば、どのみちアグレスには勝てない。ニブレスもそれを見抜いているから、こんな課題を出す」
荒くなった息を整えながら、ライアットは汗を拭う。
力任せの突きではなく、急所を正確に捉える精密な突きを、今のライアットは求めている。
それはおそらく、ニブレスの思いでもあるはずだ。彼はライアットの実力を冷静に分析し、欠点の克服を求めているのだ。
アグレスの槍さばきや竜の乗りこなしが、いかに隙がないとはいえ、完璧などというものはあり得ない。戦いが長時間に及べば、その動きは必ず鈍ってくる。ただ一度の槍合わせだけで倒そうとさえ考えなければ、勝機は見えるはずだ。そう考えていた。
「アグレスって、前にアンタを倒したって男だろ。そのせいで地位も乗竜も全部なくしたんだよね。フィレルが言ってたよ、本当なら負けるはずがなかったのに、ってさ」
「そんなことを話したのか。よけいなことを」
思わずライアットは小さく舌打ちする。
「だけど、『御大将は、このまま終わる人じゃない』とも言ってたぜ。なんでライアットをそんなに信頼出来るのか、アタシにはわかんないけども」
「ほう。いろいろと話をしていたんだな」
ライアットは眉を上げた。意外な話だった。
「もっとも、アタシは、フィレルのことはどうも好かないけどね」
案の定、そんな返事が戻ってくる。
「誰が好かないですって?」
いつの間にかトレアの横に来ていたフィレルが、腰に手をあてて睨んでいた。
「おっ、メシの準備のほうはいいのか?」
悪びれる風もなく、トレアが尋ねた。
フィレルはノード族の女性達に街の料理を教え、単調な味しか知らないノード族の人々にはおおむね好評だったが、族長などはあまり良い顔をみせていない。
「ええ、もう済ませて来ましたとも。……御大将、ここの人達に料理を教えたのは、良くなかったかも知れません」
トレアのことを無視して、フィレルは表情を曇らせ、そう告げる。
「何故だ。彼等は喜んでいるように見えたが」
「いままで一つの味しか知らなければ、一生そのままでもさして苦痛とも思わないものです。ですが、料理には幾つもの味があることを知れば、二つを知れば三つ、三つ知れば四つ目を欲しがることになります。ここにある調味料や食材で作れる料理にも限りがあります。その先は……」
「街に出なければ手に入らない、か。ニブレスもそれを恐れていたな」
「なんだ、そんなことを心配してたのか」
トレアに気安く肩を叩かれ、フィレルはむっとした顔になる。
「そんなこととはなんですか。私は貴女達のことを心配して――」
「アタシ達の事はアタシ達が決める」
トレアがきっぱりと言い切った。表情は引き締まり、族長の娘にふさわしい威厳が一瞬だけ垣間見える。が、すぐに柔和な表情になる。
「だから、フィレルもライアットもなにも気にしなくてもいいんだって。アタシ達が良いと思ったことは取り入れるし、ダメだと判れば斬り捨てる。今までもそうやって生きてきたんだ。ニブレスだって、それが判ってるから、アンタ達を村に入れる事を認めたんだからさ」
言って、トレアはぽんと手を叩いた。
「……そうだ。大事なこと忘れていた。そのニブレスがライアットを呼んでたよ。そろそろ乗せてやるってさ」
「本当か。それをはやく言え。……こうしてはおれん」
ライアットは手ぬぐいをトレアに投げ返すと、木の根元に立てかけていた竜騎槍を右手一本でひっ掴み、ぶるんと振り回して駆け出した。
「ちょっと待ってよ。アタシも行くから!」
「私もお供いたします!」
フィレルとトレアと共に、いつものように林の切れ目でしばらく待っていると、ニブレスが岩山の向こうから姿を現した。普段とちがうのは、その前足で竜用の鞍を抱えていることと、彼の他にもう一頭、若い竜を従えていることだった。その若い竜は長い竜騎槍を携えていた。
「裸竜にはさすがに乗れまい。それに、お主の槍は鍛錬用で、実際に用いるには短すぎるでな」
ライアットの前に静かに着地したニブレスが鞍を降ろし、さすがに自分では装具を付けられん、と付け加えた。若い竜は竜騎槍を地面に降ろすと、ニブレスの後方に控えた。
「判った。俺が付ける」
「私もお手伝い致します」
「あ、アタシだって」
三人がニブレスの用意した鞍の元に歩み寄る。と、ライアットの表情が変わった。
「こいつは……」
「いかがなされました、御大将」
「鞍に紋章が記されている。一文字三ツ楔、こいつはザエリラムの紋章だ。ずいぶん古い鞍だが、ニブレス、この鞍をどこで? もしや、以前付けていたものか?」
とすれば、ニブレスはかつてはザエリラムの竜士の乗竜だったことになる。
「さて、なにぶん古いこと故、思いだせぬわ。それよりも、お主のほうは心の準備はできておるか。竜は常に乗っておかねば、鍛えた勘も鈍って当然」
「判っている」
内心の不安を見抜かれたような気がして、ライアットは殊更に強い語調で応えた。
腕力だけでニブレスの背によじのぼり、トレアとフィレルがようやくのことで片側を持ち上げた鞍をむんずと掴んで、持ち前の膂力を見せつけるようにして背に引き上げる。
その後、鞍を固定し、轡をかませ、鐙と手綱の長さを手早く調節する。改めて鞍に腰を下ろすと、さすがに震えが来た。
ニブレスの言うとおり、アグレスに敗れてより、竜に乗る機会は失われていた。当たり前のように空に上がっていた事実も、地面の上に十日居続けただけでその感触を思い出すことすら困難となる。
ましてや、最後に飛んだのが、アグレスに乗竜から突き落とされた時だから、落竜の恐怖が身体に染みついている。
「さて、課題を示そうかの」
ライアットが飛行兜と竜騎槍の用意を整えたのを確認し、ニブレスが岩山の一つに首を巡らせた。
尖った岩の頂上に、丸い石が乗っているのが見えた。自然の産物ではなさそうだった。
「あの丸石を突き落とせ、と?」
「そうではない。丸石が転げ落ちぬよう、その下にある岩山の頂きだけを突き崩すのだ」
「頂きだけを、だと」
ライアットは目を凝らした。ニブレスは簡単に言ってくれるが、そこまで正確な突きを送り込めるか、自信はない。
だが、迷っていたところで意味はなかった。
「よし、行こうか」
覚悟を決め、ライアットが手綱を引く。
数度の羽ばたきだけで、ニブレスは軽々と空に舞い上がった。
当たり前のような動きのようだが、それだけでライアットは鞍上で感嘆していた。
一度地上に降りた竜がその巨体を宙に浮かすのは容易なことではなく、延々と羽ばたきを繰り返し、助走を付け、後ろ足と尾で地面を蹴りつけた上でなければ飛び上がれないのが普通だった。
小さく旋回し、ニブレスが指し示した岩山に向かって突進を開始する。
迫ってくる岩山が、槍を構えた竜士の姿に見えた。
さすがに血気盛んな竜とは異なり、ニブレスの突っ込む速度はさほど速くはない。しかし、風を掴み、胴体を全くぶれさせることなく、一直線に岩山をかすめる針路を突き進んでいく。並の竜に出来ることではない。
「たいしたもんだ……。となれば、こっちも負けていられないな。……喰らえぃ!」
気合いと共に、右手に持った竜騎槍を岩に突き立てる。重い手応え。両奥歯を噛み締めて反動に耐える。
ライアットの剛腕が繰り出した槍の一撃は、岩山の先端を見事に粉砕していた。しかし、槍を抜く間合いが、ほんの一呼吸遅れた。真下に落ちようとする丸石の下腹に、円錐状をした竜騎槍の側面が触れた。
たちまち丸石は横に跳ね、岩山の斜面を転がり落ちていった。
「まだまだ突きの速さが足りないようだな」
皮肉とも嘆きともつかぬ口調のニブレスに、不承不承ながらライアットも同意する。
「……そうらしい。だが、これで諦めるつもりはない。互いに納得出来るまで付き合ってもらうぞ」
「よかろう」
心なしか、ニブレスの返事は楽しげに聞こえた。
(10)
瞬く間に時は流れ、いつしか、ライアット達のノードの村への滞在は二ヶ月を数えようとしていた。
山に分け入る頃は春だったが、既に季節は巡って夏を迎えている。
標高があり、また風が吹き抜けるためにそれほど暑さは感じないが、確実に気温は高まっている。そんな中、ライアットは毎日のように、老竜ニブレスの背に跨り、彼の指し示す岩の一点目がけて突撃をかけ、槍を突き入れていた。
今しも、ライアットの振るった竜騎槍が奇岩の頂部の一点を正確に貫き、粉砕したところだった。
奇岩の上に乗っていた丸岩が真下に落ち、砕かれた岩山の頂点に揺れながら止まる。
「見事なものだ」
旋回に入ったニブレスが揺れる丸岩を目にして、感じ入ったように呟いた。
やがて、ニブレスはいつもの場所に降り立った。
「ご苦労様でした」
「おつかれっ、ライアット!」
フィレルとトレアが出迎え、手ぬぐいと飲み物を競うように差し出す。
汗を拭い、飲み物で喉を潤すライアットの表情も晴れやかだった。自分の力量が山に入る前よりも向上していることを身体で感じ取っているのだ。
「もう、貴公に望むものはなにもない。今の貴公であれば、この竜の巣に住まういかなる竜をも乗りこなせよう」
「ありがとう。ニブレス、いや、グレーバウルと呼ぶべきか」
ライアットの唐突な言葉に、つかの間、会話が途絶えた。
「グレーバウルか。懐かしい名前だ」
ややあって、隻眼の老竜が呟いて大きく息をついた。
「ではやはり、貴殿がザエリラムの英雄竜・グレーバウルなのか」
自分でその名を口にしていながら、信じられないという表情でライアットは頭を振った。
ザエリラム連邦中興の祖、英雄ザフォートが駆った英雄竜・グレーバウル。
五十年前、ザフォートはフェテリアとマウリーという二大強国に挟まれた小国ザエリラムを率い、敢然と両大国に立ち向かい続けた。
その用兵は神出鬼没。戦場に臨めば自らグレーバウルに跨って先陣を切って敵陣に突入する一方、あらゆる策謀を巡らせて戦い続け、ついにはマウリーを滅ぼし、フェテリアを衰亡の道へと突き落としたのだ。
フェテリアの臣であったライアットにしてみれば仇敵とも言えるだろうが、ザフォートはライアットが生まれるより前に没している。実際にフェテリアを滅ぼしたのはザフォートの子供や孫達だった。従って、憎むべき敵という実感はあまりない。
フェテリアに伝わるザフォートの武勇伝の多くは、当然の事ながらかなり悪意を持って歪められていた。が、それでもそれらを好んで年輩の竜士達から聞いていたライアットにとっては、敵ながらあっぱれと呼ぶしかない英雄なのだった。
「こやつ、鎌をかけおったな」
グレーバウルが不機嫌そうに鼻息を吐き出した。その気になれば炎でも吐けるのだろうが、さすがにそのような無茶を働く竜ではない。
「すまん。自分でも信じ切れないところがあったのでな」
「……構わぬ。英雄竜などとよばれたのは昔の話だ。どのみち名を明かしたところで実害はない」
「五十年もの間、ここにいたのか」
「こちらに来たのは、三十年ほど前になるかな。それまでは北の大陸に翼を向けていた」
「何故、英雄ザフォードの元を去ったのだ?」
「それが彼の希望だったからだ。国を興し、周囲を平定した彼は、もはや自ら竜にまたがって戦うべき相手はいなくなったと国民の前で宣言し、私に別れを告げたのだ。もっとも、彼の子孫はそうは考えなかったようだが」
「ひどい話……。散々戦いに駆り出していて、一段落したら追い出すなんて、身勝手ですよ」
フィレルがこの老いた英雄竜に同情してか、目を潤ませている。
「彼なりに、国民を掌握する為の術だったのだろう。恨みはない。そこの娘の言葉通り、散々戦ったのだ。しばらくは休んでみるのも悪くない。そう思っていた」
「それで五十年もの間……」
「竜と人では、年月に対する感覚が異なる。貴公が考えるほど長い時間ではない。……さて、貴公の乗竜を選ばねばならぬな。アイルブールという竜がおる。やや年若いが飛行は安定しており、瞬発力はこの一帯では並ぶ者がおらん」
「いや。俺はグレーバウル、お前を乗竜としたい。最初に出会った時から、そう決めていた」
「本気だったのか。このような老いぼれを」
グレーバウルが苦笑する。
「もちろんだ。竜の寿命を知らぬ訳ではない。年月に対する感覚が異なると言ったのはお前のほうだろう。確かに少々年齢を重ねてはいるが、まだ老け込むには早かろう」
「しかしな……」
「ならば、ずっと乗竜になってくれとは言わない。一年、いや、次の竜騎槍試合の全国大会が終わるまででいいんだ。その後は、またここに戻ってくればいい」
ライアットは身を乗り出すようにして言葉を重ね、グレーバウルの左目を見つめる。
「なぜそこまで儂を必要とする?」
「力任せの攻撃ではアグレスには勝てないと、先の対戦で悟ったからだ。ならばどう立ち向かうか、と問われても今は答えを持ち合わせていないが、グレーバウルとなら、力任せでない戦いが出来ると思うんだ」
しばし考え込むように首をもたげて天を仰いでいたグレーバウルが、意を決したように首を降ろし、ライアットの鼻先に顔を寄せた。
「……よかろう。そこまで望まれて立たぬのであれば、今度は儂の真が疑われるわ。それでいつここを発つ」
聞かれたライアットは傍らのフィレルに訊ねた。
「フィレル、今日は何日だ?」
「恐らく、既に六月の上週に入っているものかと。今年は閏週はなかった筈ですから」
陽暦は、十日を一週と区切り、上週、中週、下週の三周、つまり三十日で一月とする。一月から十二月まであるから一年は三百六十日ということになるが、単純にこの決まり通りに日数を数えていくと、実際の気候と暦上の季節とがずれてくることがある。暦のほうが若干ながら進みが早いのだ。
暦学者や天文学者が研究を重ね、ずれの原因は天体の運行に関係があり、そのずれの周期もすでに計算で求めることが出来るようになっており、閏週を下週の次に挟み込むことによって調整する。
「そうか、あまり時間はないな……。済まないが、明日にでも出発したい。構わないか」
グレーバウルがうなずく。
「儂は構わないが、ノードの物共にその旨を伝えて置かねばなるまい」
その晩。
ライアットとグレーバウルを送り出す宴が、族長の家で催されることとなった。
今ではライアットとフィレルはノード族の人々にもすっかり受けいれられており、新しい料理や菓子を作ってくれたことを知っている子供達が、フィレルとの別れを惜しんでいた。
「部族にとっての良き隣人であり先達である竜を連れていくことになる。特に、トレアには辛い思いをさせてしまうな」
ノード族が作った濁り酒を口に含みながら、ライアットは苦い表情で、上座に座る族長とトレアに頭を下げる。竜がこの村にとっては重要な精神的支柱であることを知っているだけに、どうしても気が重くなる。
「なに勘違いしてるのさ」
トレアが鼻をこすりながら、悪戯っぽく笑った。
「どういうことだ?」
「誰が、ここでお別れなんて決めたのってこと。アタシも一緒に行くわ。当然でしょ」
トレアが胸を張った。
「族長、そんなことが許されるものなのか?」
「前例はないが、本人のたっての希望じゃ。止めても無駄じゃろうて」
ぼそぼそとした口調で、族長が応じる。
親が子供に甘いのは、文明の差が多少あったところで変わりはしないらしい。
「で、ライアットはどこへ行くのさ」
呆れ顔のライアットに向けて、トレアが身を乗り出してきてたずねる。
「南東にあるメルルドという街に直接向かう。槍試合の予選大会がもう始まるからな」
正竜士でないライアットが、エストニカ王国の首都・ウラドで毎年春に開催される全国大会に出場する為には、予選大会で実績を積み、運営委員会から参加を認定される必要がある。
メルルドは予選の第一戦の開催地だった。予選大会は六月から十一月にかけて月一回、中週の末に実施される。移動の時間を考えれば、半ばぶっつけ本番に大会に臨むことになるが、参加しない訳にもいかない。
特に今のライアットは准竜士でもすらない。そんな浪人竜士が認定を受けようと思えば、全六戦で行われる予選大会のうち、少なくとも三回は優勝するぐらいでなければ難しいのだ。
准竜士として参加していた頃の経験から、ライアットはそう判断していた。
実力は高まったと信じている。しかしながら、実際の竜騎槍試合からはずいぶんと長い間離れてしまった。勝負勘が鈍っていたとしても不思議ではない。
実戦慣れしていることだけが勝利につながる訳ではない、と頭では判っているが、不安は消えない。
(果たして俺は、アグレスに勝てるのだろうか……)
その思いが頭の中で駆けめぐっていることもあり、ノード族の濁り酒では酔えないライアットだった。
翌朝。
日も明け切らないうちから、トレアがライアットの小屋に飛び込んできた。聞けば、ライアット達が出ていった後はこの小屋は取り壊されるという話だった。
「早く行こうよ」
トレアは気が早い。既に矢筒を背負い、弓を片手に立っている。
腰にもいくつかの袋を下げ、出かける準備は万端、というところなのだろう。が、いかんせん竜に乗ってノードの生活範囲の外に出るための服装ではなかった。ライアットに向かって弓を放ってきた時と変わらない、胸と腰に布を巻き付けただけの出で立ちなのだ。
「その格好はまずいだろ。軽装過ぎる」
自分の荷物をまとめながら、ライアットは顔をしかめた。
「そうなの?」
アタシ、竜に乗ったことってないから、とトレアが自分の服装に目をやりながら首を傾げる。
「それでよく、竜と共存の生活なんて出来ていましたね」
横からフィレルが皮肉げな言葉をぶつける。トレアは膨れ面になるが、フィレルが夏だというのに厚手のローブを取り出して頭からかぶっているのを見せられては文句も言えない。
「空は寒いぞ。もっと分厚いのはないのか?」
「夏なのに。分厚いのは、秋にならないと作らないよ」
「ノードの服は季節ごとに新調するのか。そいつは参ったな」
ライアットは頬をかいた。
「メルルドって遠いの?」
「まあな。しかし、なにも一気に飛び抜ける必要はないか。休み休み行っても構わないから、なんとか我慢してもらうよりないな」
「判った。じゃあ行こうよ」
顔を輝かせたトレアがライアットの腕をとり、引っ張っていこうとする。
「御大将、私のことも忘れないで下さいね」
荷物を両腕いっぱいに抱えたフィレルが、不満げに顔を出した。
「判っている。グレーバウルも三人乗りで飛ぶのはきついかもしれんが、我慢してもらうさ」
フィレルとトレアを伴い、ライアットはグレーバウルが待ついつもの岩場に向かう。
途中、ライアットは二ヶ月余りを過ごしたノードの村と、自分が暮らしていた小屋を振り返った。粗末な住処ではあったが、もはや居場所のないライアットには新たな故郷のようにさえ感じていた。
「グレーバウルを返しに来るときは、凱旋でありたいものだ」
知らず知らずのうちに、自らに言い聞かせるような呟きが漏れた。
第五話に続く
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作者メモ(その4)
名前の連呼が目に付かないだろうか。
トレアのキャラクタは立っているか。台詞まわしも含めて再考※2/14
老竜の“正体”の伏線に意味はあったか?
ノード族の村の描写はこれで充分だろうか。
トレアの他の、ノード族の住民についての描写は必要か。
冒頭部にエピソードが必要と思われる。
1・トレアとライアットのやりとり(狩りの手伝いをするような。トレアがライアットのことを認めるシーンも欲しい)※2/14
2・同じく、トレアとフィレルのやりとり。六話に既述する精霊魔法に関しては、この段階で出しておくほうがよい。