非核神戸方式とは                                  

                                       文責 あわはら富夫

 (1)神戸での非核運動の歴史
・1945〜51 神戸港が米軍の完全占領下
・52年から一部撤収解除が始まり、74年に米軍占有埠頭の第6突堤が神戸市に返還され完全返還となる。
・その間、朝鮮、ベトナム戦争を通じて、休養、補修、修理などの名目で、第7艦隊の潜 水艦、駆逐艦、巡洋艦が入港。タイコンデルガも60年代に2度入港。朝鮮戦争後の57 年、米軍艦の入港は311隻。60年まで毎年100隻を越え、70年から74年の5年 間でも計23隻入港。
・74年米議会でラロック証言「日本に寄港する艦艇は核兵器をはずさない」
・神戸市議会で社会党平田議員(灘区選出)の「将来、核武装をしている疑いのある米艦 船の入港という状態が生まれた場合どうするか」との質問に当時の宮崎市長が「核艦船 の入港を拒否する」と答弁。
・75年、神戸港で働く労働者が中心となって市議会に陳情。そして同年3月18日「核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否に関する決議」が全会派一致で採択。

核兵器積載艦艇の神戸港入港に関する決議
 神戸港は、その入港船舶数及び取扱い貨物量からみても世界の代表的な国際商業貿易港である。利用するものにとっては使いやすい港、働く人にとっては働きやすい港として発展しつつある神戸港は、同時に市民に親しまれる平和な港でなければならない。この港に核兵器が持ちこまれることがあるとすれば、港湾機能の阻害はもとより、市民の不安と混乱は想像に難くないものがある。よって神戸市会は核兵器を積載した艦艇の神戸港入港を一切拒否するものである。                             以上、決議する。 1975年3月18日        神戸市会

(2)非核神戸方式の仕組み
●75年以降、神戸港に入港した外国艦艇。核保有団、フランス(3隻)、インド(4隻)
 の2カ国は非核証明を提出。
●イギリスは78年〜84年に7隻入港を打診したが「証明を出せ」との市側の説明で入
 港を断念。
●米艦についてはその後入港の打診すらない。(P4資料参照)


(3)非核神戸方式の法律的有効性について

●神戸市港湾局の見解
 *法律的根拠はなく行政指導である。
*決議に基づいて港湾管理者である市長が行政指導として、非核証明書の提出をお願いしている。
 *証明書は条例などに明確な根拠はなく、拒否されれば仕方がない。(港湾整備局海務 課長)
●国の見解
 *神戸方式は、法律、条例等に根拠がない。米国軍艦が決議後入港していないというの
  は、米国側で『非核証明書』の提出が、法律又は条約上の強制力があると考えている
  ためではないか。また、神戸市から証明書を求められても、法律的根拠がないので外
  務省としては拒否する考えである。(84年外務省見解)
●法律的有効性について
 *日本国憲法の平和主義
 *非核三原則の国会決議(71年11月24日)
 *地方自治法
  地方自治体の処理すべき事項として「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全健康及び福祉を保持すること」(第2条3項1号)を挙げている。
 *港湾法
  港湾管理者としての神戸市長が港湾法に基づいて必要な規制を行うことができる。
 *神戸市港湾施設条例
  第3条「港湾施設を使用しようとするものは、市長の許可を受けなければならない」
  第5条「市長は‥次の..場合においては、許可又は承認を与えてはならない。..
    (3)その使用内容が港湾環境を悪化させるおそれがあるとき。(4)その使用内容が公の秩序をみだすおそれがあるとき。」
  第6条「市長は‥使用に係わる危険を防止し、秩序を維持し、または環境を保全するために必要な条件を付し、及びこれを変更することができる」
  第36条「市長は、必要があると認めるときには使用者に対し取扱い貨物、‥ その他港湾施設の使用に関する事項について関係書類の提出を求めることができる」

(4)非核神戸方式は万能か
 *条例ではなく行政指導という弱さ
 *横須賀、佐世保などの自治体の権限の及ばない軍事施設では安保条約の地位協定があ
  りこの方式では全く手が出せない。
 *港則法で定める港長(神戸では神戸海上保安部長)の出入港権限との関係
 *新ガイドライン下での有効性は
  新ガイドラインでの神戸港使用問題で非核神戸方式への態度についての笹山神戸市
  長のコメント「そういった問題が出る場合はですねえ。そういう対応をする措置は議
  会でもう1回議論してください。こういう態度です。」(97年10月14日)