『おとぎの国の”レッドサン”』第伍話
初出:1997年10月16日
NEON
GENESIS
EVANGELION
SUPPLEMENT EPISODE:05
Let's sing a song!
1.錯綜
Xdayマイナス七四日――硫黄島南部観光区。ホテル”ウェント”2308号室。
――22:00。
スイートルームの客としては、不似合いとしか表現しようがなかった。
寝室。セミダブルのベッドが二つ並んでいる。部屋のドアの前に立つ陶シュンスイは、ベッドの一つに腰掛け、表情を失っている松田チアキを見下ろしていた。
「……一体いつまでこうしていればいいの?」
おびえの混じった声で松田が聞く。彼女がこの部屋に連れてこられてから、もう四日になる。
「僕たちの仕事が上手く行けば、明日の朝にも自由を約束するよ」
「どうしてなの?」
「君は、見ちゃいけないものを見た、そういうことだよ」
それだけ言って陶は部屋を出た。
あの、潜水艇とウェットスーツ姿の男達のことだ。松田は脳裏にある光景を蘇えらせ、唇を噛んだ。
あの嵐の日、松田は西海岸の遊歩道を歩いていた。
喧嘩のきっかけは些細なことだった。井上ナルミのゲリラライブ。当然彼女は南雲と二人きりで出かけるつもりだった。
しかし、南雲は「タカトラや境さん、陶君も誘って一緒に行く」と言って聞かなかった。そのデリカシーの無さに腹が立った。つい、きつい言葉が口をつき、結局彼女のほうから雨中に飛び出す羽目になった。
考えて見れば、腹を立てたって仕方なかったのに。松田は後悔の念を抱く。ここに住んでいるものにとっては、綺麗な海も、南国色強い草花も、日常の一部でしかない。そう思ってしまえば、硫黄の匂いが鼻をつくだけのなんの娯楽もない島だ。井上ナルミのライブは、島民全員にとって刺激的な大イベントなのだ。二人きりでデート、などという状況になるはずもなかったのだ。
(カズキが、……井上ナルミの大ファンだって事が、結局の所私は気に入らなかっただけなんだな)
全ての思いが悔恨に繋がる。
ひとけの無い西海岸。白い波が荒れ狂って岩浜に押し寄せる光景を、彼女は眺めていた。
そこに、何か黒いものが浮かび上がった。純粋な好奇心に駆られ、彼女はそれを見続けていた。
それが岩肌が剥き出しになった海岸線にまで近づき、中から人が出てきたときも、松田はそれに恐怖は感じなかった。
気づいたときには、銃口を突きつけられていた。そしてその後は――。
「ママもパパも、心配してるだろうな……」
もう生きていないと思っているかも知れない。暗い気持ちで松田はそう考える。
「どういうつもり?」
陶が寝室から出たところで、ベランダの窓を開けて外の景色を見ている女性が棘のある声を掛けてきた。
「なにが?」
「やり口が甘すぎないか、って聞いてるのよ」
「僕たちが冷酷非道なテロリストなら、確かにそうでしょうね」
陶は少しばかり首を竦めるような動作をした。相手にはそう見えた。本心が何処にあるかは分からない。
女性がベランダの窓を閉じて室内に戻ってきた。陶が、真意不明の微笑みを浮かべる。
「それとも、命を奪ったほうが得策だ、とでも?」
「そういうつもりじゃ、……ないけれど」
女性――二万里ヒビキは、声の調子を落として俯いた。彼女とて、本当は只の高校生に過ぎない。
「貴女には感謝しています。お陰で、例の一件に対する対抗策を立てることが出来ました」
二万里はどう応えて良いか判らず、困惑の表情を見せた。
「観光客……、というより、ライブ目当てのファンが詰めかけてる。本当なら、その混乱を最大限に生かしたいところ。だけど、どちらかというと混乱しているのはむしろこっち、そういうことでしょう?」
「その通りです」
「延期、出来ないの?」
「無理です。本隊の方々に、連絡を取ることすらままなりませんから。予定日時は、かなり以前から綿密に計画されてますから」
ドアをノックする音。
同調者の一人である高校生が、段ボール箱を担いで入ってきた。その様を見て、二万里は、自分がただの”悪の組織ごっこ”をやっているような恥ずかしさを覚えずには居られない。が、陶のほうは全くの本気だった。
何で陶達のたくらみに荷担してしまったのか。今更後悔しても遅かったが、そう考えてしまう。
何もないこの島の退屈な日常に飽き飽きしていた。陶は、それを破壊してくれる存在だった。だが、その破壊は退屈な日常にとどまらず、自分の人生を失わせる結果になるかも知れない。だが、後戻りは出来なかった。
「UFの秘密兵器が到着しましたよ」
二万里の思いに気づいた風もなく、陶が喜色を浮かべた。発泡スチロールの緩衝材をかきわけて取り出したのは、バイザーつきのヘルメットと、昔のアニメの光線銃のような代物だった。
いよいよごっこ遊びだな。呆れながらも、どこかそんな陶の表情に惹かれるものを感じている二万里が訊ねる。
「一応聞くけど、レーザー光線銃とか、そういう訳?」
「とんでもない。秘密兵器とは言いましたが、そんな破壊的な物ではありません」
陶は、さらに段ボール箱の中から、ガラス瓶に入った薬剤らしきものを出してきた。
「自白剤の一種です。”ZERO”のコードネームで呼ばれています。銃の形をしているこれは、無針注射器です。自白剤をこれで投与すると、相手の人間の自我を喪失させ、言いなりにすることが出来ます。投与量によっては中毒症状を起こしてショック死する可能性が無くもないですが、人殺しのための物ではありません」
陶が、ヘルメットを手に取った。
「で、このヘルメットは、原理に関しては僕も専門家ではないですけど、”ZERO”と組み合わせて使うことで、短時間で相手をUFの同調者に仕立て上げることが出来ます」
「洗脳装置って訳。そんなもの、何に使うの? ……そうか、あの娘を」
二万里がベッドルームに通じるドアに視線を送った。陶が頷く。
「UFが同調者を獲得するためには、残念ながら、これが最も直接的な方法です。が、薬の量には限りがあります。今回はやむを得ませんが、次はもっと効果的な相手に対して使用したいと、僕は考えてます」
「もっと効果的な、って言っても……。誰よ?」
「まもなくこちらにやってきますよ」
陶が、奇妙に爽やかな笑みを見せた。それが奇妙である理由は明らか。目には、喜楽の感情が一切宿っていないのだ。
また、妙な奴に惚れちまったかな。二万里は自嘲した。やはり、何も考えずに竹刀を振り回しているのが私には似合いかも知れないな。
Xdayマイナス七三日――硫黄島航空隊基地。
――07:00。
『しれとこ』から揚陸された、陸上自衛隊第一空挺団所属の特殊部隊”トップ(TOP=Tactical OPeration 戦術作戦)チーム”の一個小隊三十六名と、施設部隊二百名が整列した。
基地司令がトップチームの小隊長とが簡単に挨拶を交わす。
その間にも、南海岸にある港では、接岸した『しれとこ』から、八七式自走対空機関砲一両、八式装輪装甲車二両、九三式高機動車四両が陸揚げされていた。あと、移動式の対空レーダーも運びあげられた。防空力強化が重視されているのは明らかだった。ただし、軍用車両は工事用機材と資材に紛れる形で運びあげられている。
「正直、意外だな。派遣されてくるのは戦自のほうかと考えてたが」
硫黄島航空基地隊司令・真柄ナオタケ一佐が丸い鼻の頭を掻きながら言った。真っ黒に日焼けした顔と、重量感のある体躯に、経験だけが生み出した物ではないふてぶてしさが溢れている。
それに対峙しているのは、生成した”戦闘技術”を鋳型にはめ込んで作り上げたような殺気を纏った男。
世界中を舞台に、数々の実戦経験を持つトップチームの中でも最精鋭と謳われる”天龍小隊”小隊長・天満リュウイチロウ三佐だ。
「同感です。攻撃専門の我々がどこまで防御戦でお役に立てるか判りませんが、出来る限りのことはさせていただきます」
天龍小隊の名前の由来にもなった男の丁寧な物腰。だが、真柄はそのの中に強い意志力を察していた。自らの能力を以て幾多の危機を切り抜けてきた男だけが持つ、一種の闘気が伝わってきたのだ。
こんな連中を送り込んでくるとは。やはり、近いうちに一合戦あるということか。……ロクなもんじゃない。真柄はしかめ面で再び鼻を擦った。
Xdayマイナス七三日――硫黄島中部居住区。707棟4−C号室。
――08:30。
境サオリは不機嫌だった。今日も日課であった朝一番のタカトラ襲撃に失敗したからだ。今日は土曜日で学校は休みとはいえ、彼女は容赦するつもりはなかった。だが、わずかな逡巡――私服だけに、何を着ていくかに迷ってしまった――が、結果的に機を逸する格好になった。
食卓には菱刈レミの手料理が既に並んでいた。
ご飯に味噌汁、メザシにタクワンといった調子の和風で、朝はパンとコーヒーと決めている境にはどこかなじめないモノがあった。それを美味しそうに食べているタカトラをみるのはもっと不可解だった。
「タカトラ……、朝は食べないんじゃないの?」
不満そうな調子の境の言葉に、
「ダメダメ、そういうのは。しっかり栄養取らないと。育ち盛りなんだから」
と、タンクトップにホットパンツ、さらにその上からエプロンを着けているという、どこか常識はずれな格好をしているレミが、したり顔で口を挟む。
「母さんのメシに似てるんだよなあ、菱刈さんの作るメシは」
とぼけた口調のタカトラ。
「うむ。確かにそうだ」
ヒサカズが他人事のように頷く。のんびりしたもので、とても数年前に離婚した当人の話だとは思えない。
「そうは言っても……」
「今日は土曜日なんだからさ、一々文句言いに来ることもないだろうに?」
「なによぉ。今日は、南雲君と南海岸に遊びに行くんじゃなかったの?」
「そうだっけか」
「そうよ! 南雲君、あんなことがあってすっごく落ち込んでいるんだから。励ましてやろうって言ったの、忘れたの? ほんっとに、バカトラなんだから!」
「うるせえなあ、朝っぱらからよお」
タカトラが口を尖らせ、それに呼応して境も頬を膨らませる。そんな様子を、ヒサカズとレミは苦笑いしてみている。
と、リビングから、電子的に作られた呼び出し音が鳴っているのが聞こえた。硫黄島内でのみ利用可能な、世帯間映像通信の音だ。
ヒサカズが素早い動作で席を立ち、通話スイッチを入れる。次いで、いつもより背景のピンぼけ度合いを強く調整し、音声入力装置の感度も弱める。後ろで騒いでいる光景を悟られないための処置だ。
相手は、タカトラ達がちょうど話題にしていた南雲カズキだった。
「タカトラ君居ますか?」
喜色を露にした南雲の声が弾んでいる。
「はい、今替わるよ。おーい、タカトラ! 南雲君だ」
「おう」
通話装置の前に立つタカトラは、モニターに映る南雲が余りに嬉しそうなのに驚いた。
「どしたい? なにか良いことあったか?」
「うん。大アリだよ! チアキが、チアキが見つかったんだ! 生きてたんだよ」
タカトラが目を剥く。
「ホントか、おい!」
「誰がこんな嘘言うもんか! ……とにかく、すぐウチに来てくれよ。彼女、総合病院に入院してる。これからお見舞いに行くんだ」
「判った」
通話を終えたタカトラが大音声で境を呼ぶ。
「この島に来て以来の、グッドニュースだぜ!」
タカトラは気合いのこもった笑みを見せて、拳を握った。
「なになに、なんなの?」
突然の大声に呆気にとられた顔でやってきた境が聞く。
「出かけっぞ! 自転車置き場で待ってる!」
タカトラは返事も聞かずに部屋を飛び出した。
どこかに二人で遠出(とは言っても、島の中の話だが)する場合、大抵タカトラは境を愛用の自転車の後ろに乗せて出かける。境も慣れたもので、文句を言うこともなく、ヒサカズとレミに簡単な挨拶をして出かけていった。
「……元気な子達ですね」
レミが言う。二人を見送った事で訪れた静寂を楽しみ、また寂しがっているような感じだった。
「君をここに呼んで正解だったよ。あの勢いに毒されたかな、随分と君の表情もおだやかになった」
ヒサカズが、食事の手を止めて応じた。
「そうですか? 前はどんな顔してましたっけ?」
おどけたようにレミは聞き返す。一方のヒサカズは真顔だった。
「仲間がみんないなくなったのに、自分だけ生きているのが耐えられない、そんな顔だよ」
その言葉にレミがはっと息を呑み、ヒサカズの顔を見つめる。が、すぐに破顔した。
「……くよくよしても、仕方ないですからね。そうだ、お願いがあるんですが」
「なんだい? 大したことは出来ないが」
「御車のほう、貸して貰えないでしょうか? 明日の朝にはここを出ますから、その前に島を観光したいですし、私の『ヘルメス』も見ておきたいんですけど」
島には公共交通機関として、バスとタクシーがある(その他、モノレールが検討段階にある)。社会人の多くが宇宙港関連で働いているため、仮にマイカー通勤などということになると、狭い島のこと、とても駐車スペースが足りない。その為、通勤はそのどちらかに限定されている。
つまり、ここでレミに車を貸しても、差し支えないのだった。
また、『ヘルメス』は島の西部にある倉庫に保管されている。個人の所有物ではないにせよ、ヒサカズにも拒否する権限はない。
「倉庫に入るには、確か暗証番号が必要だったはずだ。ええっと」
ヒサカズは二つ返事でその頼みに応じ、愛車のキーを渡し、メモに記していた暗証番号を教えた。人並み以上の洞察力を持つヒサカズが、判断を誤った、と後に思い返すことになる瞬間であった。
Xdayマイナス七三日――硫黄島北東海上三十キロ。
――10:30。
『あやなみ』。
MH−7Jヘリがローターを唸らせて高度を下げる。
艦首を南西方向に向けた『あやなみ』のヘリパッドが間近に見えてきた。これから飛行の仕上げであり、最も神経を使う瞬間、着艦を行わなければならない。
空母の戦闘機パイロットのそれには比べ物にならないが、MH−7Jのサイクリックスティックを慎重に操る生駒は緊張感をもってこの時を迎えていた。
地面効果により、一瞬まどろっこしいような浮揚感を感じる。パワーを絞り、車輪を甲板に押しつける。降着装置が胴体中央から出た引き込み式の車輪を固定する。
生駒が小さく息を吐く。それを合図としたかのように、整備員が駆け寄る。生駒はエンジンをアイドリングさせ、風防を開けた。
「ご苦労!」
どたどたと駆け寄ってきた古鷹が、大声で呼びかけてくる。
「確かに苦労しましたよ。朝っぱらから飛び通しですから……」
生駒にしては珍しく、皮肉めいた口調で愚痴をこぼす。真崎の性格が移ったのかも知れなかった。
「ソノブイ三本もばらまいて。発音弾も落として。それでも何の動きもないんですから。どうしてあの海域に固執するのか。……情報ありますか?」
「いいや。それが判ってりゃ苦労しないよ。……まるで今にもぶっ放しかねないような感じもするし、ただ寝てるだけのような気もする」
「わざわざ昼寝しに、こんなところまで出ばってくる筈ないでしょうが。……真崎?」
操縦席から降りかけていた生駒が、後席の真崎を呼んだ。彼は右舷側――つまり、北西の方向――に視線をこらしていた。
「どうしたの?」
「着艦直前に、『あやなみ』リンクの対空レーダーにあった反応っす、あれ」
真崎が指さす。その先には、高度を下げつつある大型機が近づいてくるのが見えていた。
「……おかしいんじゃないの? 飛行場への針路がずれてる。もしかして不時着水?」
「慌てるな、良く見て見ろ」
古鷹が笑った。
次第に近づき、そのディテールが明らかになってくる。生駒はぽかんと口を開けてそれを見上げていた。
「飛行艇なんですか?」
「硫黄島空港の管制室から連絡があった。何かは聞いてないが、とにかく特別機だそうだ。大方、宇宙港修理用の資材でも積んできたんだろう」
次第に爆音が響いてくる。そして、ゆっくりとした速度で『あやなみ』艦尾から見て右から左へと飛び去る。
「そうじゃないですよ。あれは、井上ナルミが乗った特別便です」
整備班の一人、豊田リュウ二曹が自信たっぷりに言った。
「井上ナルミって、あの、歌手の?」
生駒が聞く。豊田はしたり顔で頷く。
「正確には声優なんですがね。明日、硫黄島でライブをやるんですよ」
豊田は我が事のように嬉しそうに言った。
「……詳しいな、お前」
感心とも呆れともつかぬ顔をする古鷹。
「自分は”ナルミスト”っすから。班長、どうにか上陸出来ないもんですかね」
「莫迦いえ、この非常時に」
古鷹がポコンと豊田の頭を小突く。いつものことなので、豊田は首を竦めただけだった。
「変わった人ね、なにもこんな南の島にまで来て、ライブもないでしょうに……。真崎、どうかした?」
まだ飛行艇の飛び去った方向を睨んでいる真崎に気づき、上半身を捻って後ろを向いた生駒が首を傾げる。
「井上ナルミ……。どっかで聞いたような名前なんすけどね」
生駒は小さく笑った。
「さっきの話、聞いてなかったの? 有名な歌手、もとい、声優さんなのよ。いくら真崎でも聞いたことがあって当然よ」
「いや、なんか随分と前の記憶に引っかかってるんすよ……」
釈然としない顔付きの真崎が面白くて、補給を受ける間中、生駒は真崎の顔を見つめていた。
――10:35。
Do−5500S。旅客席。
”海からの潮風と森からの木の香り
感じて歩く たそがれ通り
陽ざしは体に心地よく
風は心に爽やかで
「今日」は明日を夢に見て
「明日」は未来に思いを馳せて
「教会よりもお寺が好き」
なんて言ってみたり
「自分よりもみんなが好き」
なんて言ってみたり……”
ナルミは、”風色のリルト”のエンディングテーマ、”たそがれ通り”のMDを聴いていた。当然、ライブでの曲目の一つである。彼女が初めて歌ったテレビ番組の曲であり、ある意味では”オーバーロード”よりも愛着がある。
朝一番に飛び立って以来、左翼側の窓から厭きずに外の景色を眺めていた井上ナルミは、海上に軍艦が走っているのを見たような気がした。
海上自衛隊。その単語を思うだけで、彼女は口元を緩めてしまう。彼女がUN軍、特に自衛隊に対して奇妙なまでに好意的な言動を見せるのは、一部ファンには良く知られた事実であった。
ファンはそれを、以前に出演した国防省協力のアニメ『ガンダムA』の影響だとしていた。また、以前雑誌のインタビューで、「わたしは瀬戸内の生まれで、先祖は海賊さんだったそうです。ですから、海の男とか、そういう感じの人が好きなんです……」
と語ったのを知っている者もいた。だが、真実を知る者は皆無に近かった。隣で顔を強ばらせている高所恐怖症のマネージャ・馳倉サギリですら、想像の外にあった。
2.彼女の事実
二〇〇九年――広島県呉市。
井上ナルミは、コーラス部の日曜練習の帰り道に、スーパーマーケットに立ち寄っていた。所々に隙間のある陳列棚を、端から見ればぼんやりと眺めながら、ナルミは今晩のメニューを考えていた。
今日は自分ひとりだからインスタントな物で済まそうかな、という考えが何度か頭を過ぎる。が、その度に別の自分が打ち消していた。
(ダメダメ、そんなことしてたらいつまでたっても料理が上手くならないじゃない)
彼女は、自分の料理にあまり自信を持っていなかった。
セカンドインパクトで、ナルミは父親を失っていた。
彼女の母は声優で、それまでは充分以上の収入を家庭にもたらしていたが、セカンドインパクトの後、仕事にありつくのが随分と困難な時期があった。その間しばらく、ナルミは瀬戸内の父方の実家に預けられていた。息子の忘れ形見を預かった祖父母はナルミを親身になって育ててくれたが、どこか居心地の悪さを感じたのも事実だった。
母親にしてもそれは同じ認識だったらしく、彼女は内容を選ばず仕事に励み、再び仕事が軌道に乗り始めた5年前、ようやくナルミを呼び寄せた。そして、仕事が増えた現在も彼女の母親は当時と変わらずどんな仕事でも引き受けていた。
そのことを常に念頭に置いているナルミは、手にする物の値段をいつも意識していた。その点においてナルミは、そこいら辺の主婦よりもよっぽど主婦らしかった。
数分後、買い物籠の中にはインスタントラーメンとレトルトカレーが入れられていた。
(部活から帰ってから食事を作るのって疲れるんだよね……)
買い物カゴに入れながら自分に言い訳していた。あるいは、このあたりこそ主婦らしいのかもしれなかった。
そうして主な買い物を終えたナルミが、陳列棚の前で好物のチョコレートを買うかどうか悩んでいたとき、ふとそれが目に止まった。
日用品の並ぶ陳列棚の前。一目でまともな生活を送っていないと判る風体の、恐らくは女子高生が三人。人目を気にしているのか居ないのか、素早い手つきで棚の品物を自分の手提げ鞄に放り込んでいる。
(万引き、だ……!)
ナルミは息を呑んでその様子を見つめた。これがセカンドインパクト直後なら、万引きなどという生やさしい手法では済まなかった。暴行と略奪が横行した時代は、つい最近まで現実のものだった。ようやく平和な時間が戻りつつあるこの時期。ナルミの目の前で行われている光景は、許し難いものに思われた。
(どうしよう、……やっぱり、注意した方がいいかな)
年上といえど女性であり、それにまさか店内で手を出すわけないだろうとナルミは考えていた。人生経験が少ない者は、何事も自分の主観で判断してしまう。ナルミはどこか世間知らずなところもあり、選択を誤った。
「あのぉ〜」
緊迫感を感じさせない口調で、彼女は相手に声を掛けた。胡散臭そうな視線が帰ってきて、思わずナルミはたじろいだ。が、懸命に声を振り絞る。
「そういうのは、やっぱり良くないと思うんですけど」
「ああん? 文句あるのか、コラ!」
いきなり、三人の中で一番力がありそうな、横幅のある少女に胸ぐらを掴み上げられた。ナルミは想像外の出来事に声を失い、抵抗することもできなかった。
「そんくらいにしとけや」
ふいに、女子高生達の後ろ――ナルミの正面から、低い声が響いた。三人が振り返る。
男の服装はTシャツにジーンズという、平凡なものだった。ただし、筋肉質の引き締まった体格、特に二の腕の太さが印象的で、しかも日灼け具合が生半可ではなかった。その姿がナルミの目に焼き付いた。
(二十歳、くらいかな。大学生……じゃない。雰囲気が違うもの)
ナルミはのんびりと突如彼女の前に現れた男を観察していた。
「何だ、やる気か、お兄さんよお!」
一瞬あっけをとられていた女子高生達だったが、三人のリーダー格らしい大柄の少女(といっても女性としてであって目の前の男より大分小さい)が気勢を取り戻して怒声をあげた。
だが、相手の男は口の端を一瞬曲げただけだった。余裕の笑み。
「おうよ。外に出ろ」
そう言い放つと、後ろも振り返らずにレジの脇を通り、駐車場に通じる出入口に向かって歩き出す。女子高生三人はナルミを放り出してその後に続く。
「……」
一人残されたナルミは途方に暮れた。後を追うべきだと思う。でも、買い物カゴが……。
結局彼女は律儀に清算を済ませることにした。そのお陰というべきか。彼女は真崎の認識を変えさせられたであろう出来事に遭遇せずにすんだ。そのことが彼女にとって幸か不幸かはまだわからなかったが。
空きの目立つ駐車場の端にまで来たところで、男はくるりと身体を半回転させて向き直った。
「あたし達に喧嘩売るなんて、良い度胸――」
スカートのポケットに手を突っ込み、折り畳み式のナイフを取り出そうとしていたリーダー格の少女の言葉は最後まで言い終わることなく途切れた。何故なら、男の正拳がまともにみぞおちに叩き込まれていたからだ。
膝から崩れ落ちるリーダーを見て、残された二人の顔に動揺が浮かぶ。まさか、彼女達のリーダーが簡単にやられるとは考えていなかった。ひとりひとりではかなわないと考えていても数を頼りに戦えば勝てるとタカをくくっていたのだ。しかし、これで二対一。しかも頼りのリーダーがやられたとなれば、彼女達に勝つ見込みはほとんど無かった。
「こいつ、マジで……」
一瞬の間をおいて、残り二人は対照的な行動に移った。ナルミの胸ぐらを掴み上げた太めの少女はこれまた折り畳みナイフを抜いて闇雲に突っかかり、もう一人のひょろりとした目立たない少女はその場から逃げ出した。連携は全く取れていなかった。
男は、逃げ出した方は相手にしなかった。ヤケクソになって向かってくる少女を僅かな動きでかわすと、手刀を首根っこに叩き付けた。少女は頭から駐車場のアスファルトに倒れ込んだ。
「……つまらん」
男は吐き捨て、その場を離れた。
清算を済ませ、ビニール袋を手に提げたナルミが息せき切って飛び出してきた時、ちょうど男が駐車場から出ようとしているところだった。
「あ、あのぉ〜」
わずかな距離を走っただけなのに、焦りによるものか、ナルミの息は弾んでいた。
「ん?」
「ありがとうございました。助けて貰って」
「なんの事だ?」
男は心底不思議そうな顔をした。客観的に見た場合、それが謙遜しているというわけでない事は明らかだった。
「その、不良さん達を、追い払ってくれたんですよね?」
「ああ、そういう意味か」
男はようやく納得した様子で、二度三度首を縦に動かした。
「別に助けた訳じゃねえよ。たまの休みだってのにちいと面白くない事があってな。ちょうどムシャクシャしてるところに、ぶん殴り甲斐のありそうな連中を見つけたから」
いわゆる、”世直し”である。この男は、まともそうな理屈をつけて堂々と殴り倒せる相手を捜していただけだったのだ。
だが、いわゆるお嬢様なナルミには、そんな事情は理解できない。単に照れてるだけだと思いこんだ。
「とにかく、御礼を言わせて下さい。本当に有り難うございました」
ぺこりと頭を下げる。相手は指先で頬を掻いていた。
「礼を言われてもなあ……」
「あの。私、井上ナルミっていいます。えっとあなたは?」
「俺は……真崎だ」
「えっと。御礼をしたいんですけど、住所教えてくださいませんか?」
「おいおい、勘弁してくれ。今日の事、上にばれたら除隊されちまう」
男は嫌そうな顔をして首を振った。
(”除隊”……。そうか、自衛隊の人なんだ。だから私を助けてくれたんだ) この瞬間。彼女の頭の中で”自衛隊=正義の味方”という図式が完成した。
「そういう訳だから、御礼はいい。それより、あんな馬鹿には構うんじゃない。自らが危険な存在になれないのなら、な」
相手の口調は、自分の言葉を鼻で笑っているような感じだったが、ナルミにはそれさえも心地よく胸に響いた。
次の日曜日。ナルミは町の外れにある”海上自衛隊呉教育航空集団”と書かれた看板の前で途方に暮れていた。正門は堅く閉ざされ、彼女の侵入を拒んでいるかのように思えた。
通用門の前で頑張る警備隊の曹官に声を掛けるほどの勇気は、さしものナルミにも沸かない。第一、敷地の中にはひと気は無いように思えた。お休みなんだな、と結論をだす。軍人が休日にどこで過ごすかなんて彼女は知り得ない。
(やっぱり、何の約束もなしに、突然尋ねてもあえるわけないか)
ナルミはしょんぼりと扉の前から立ち去ろうとした。が、少し歩いては何度も立ち止まり未練深く”学校”を振り返る。
(……あれ?)
学校の向こう、小高く丘になっているところに人影があることに気がついた。一応は公園であるらしいが何も無い丘。柵に寄りかかり、海のほうを見てひとりタバコをふかしている。
「真崎さん!」
ナルミは顔をほころばせた。小さくて確認しづらかったが間違える筈が無い。ナルミは小走りで真崎の元へ駆けていった。
「ん?」
後ろで息を弾ませているナルミに気づいた真崎が振り返る。人が立っている。膝に両手をあてて俯いて息を整えているので、顔は直ぐには確認できない。
「真崎さん」
「……ええと」
「井上ナルミです」
「ああ。あの時の嬢ちゃんか……」
真崎が、興味なさそうにまた顔を海のほうに戻した。そんな真崎の一挙一動をナルミはじっと見守る。無言のまま、短い時が流れる。一陣の風が吹きぬけた。
「……何を見ていらっしゃるんですか?」
「空と海。ま、どっちかと言えば空だな」
「空を?」
ナルミは真崎の向いている方向に視線を合わせた。軍港都市と、接岸する軍艦。そして沖の島々、煌めく瀬戸内海。さらに視線をあげ、空を見上げた。何も無い、青い空がただ広がっていた。いや、何も無い訳ではない。綿菓子をちりばめたような白い雲が風に流されていた。吸い込まれてしまいそうな全周い広がるパノラマ。
ナルミは不思議そうに顔を真崎に戻した。ナルミのきょとんとした表情に、真崎は小さく口元を緩める。
「ずっとこうやってぼんやりしていたいところだが……。メシ喰うためには、働かなくちゃならんからなあ。どうせなら、面白いことをやってメシを喰いたい。一度きりの人生だからな。嬢ちゃん、どう思う?」
咄嗟に、どう応えて良いか判らないナルミは、
「……真崎さんって、ロマンチストなんですね」
と言った。発音をわずかに間違えただけで馬鹿にしているような台詞だったが、無論ナルミは真面目に話している。彼女はにっこりと微笑んで真崎の傍らに立つ。その笑顔も決していやみを感じさせない。それは、ナルミのもつ天性の資質であった。
「嬢ちゃん、歳、幾つだ? 親は何して金稼いでるんだ?」
真崎が身体を捻り、ナルミに向き直る。
「十四、です。母さんは声優をやってます。……父さんは、セカンドインパクトで死にました」
「俺のお袋もアレに殺られたよ。十四か。ちゅう事は。アレが起こる前の日本は、ほとんど知らないってか」
「はい」
ナルミの生真面目な返事に、真崎が自嘲気味に笑う。
「なあ、嬢ちゃん。俺達の世代は、自分の人生がレールに載っていて、永遠に日常が続くと信じていた過去のある、最後の世代だ。辛いもんだぜ、それまで描いていた将来図をぶち壊されるってえのは」
真崎の言葉は、酷く重かった。それは、ナルミと真崎にあるわずか六年の経験の差だけではない何かを感じさせた。
再び沈黙が訪れる。
「……んで。なんでここに?」
「え?」
ナルミは言葉に詰まった。無論ここにきた理由はある。しかし、それを口に出すことは彼女にとって、簡単なことではない。
「え、あの、その……」
逡巡の後、覚悟を決める。
「えっと……。真崎さん。お暇ですか?」
「これで忙しそうに見えるなら、よほど気力のない見た目なんだろうな、俺は」
ひねくれた言葉だが、つまりは暇だという事だ。
「なら……。あの、映画のチケットが二枚あるんですけど……。私と一緒に行ってくれませんか」
「映画ねえ。生活習慣にないぞ、そういうのは……。第一、中坊はさすがに守備範囲の外だ」
そう言った真崎だが、ナルミの表情を見てぎょっとした。
ナルミは目元に涙を潤ませ、両手を胸の前で組んでふるふると震わせていたのだ。
「おいおい、マジかいな。冗談じゃねぇぞ」
数時間後。
結局、真崎とナルミは映画館にいた。目の前で展開されている映画は、いわゆる荒廃した世界での少年と少女を主役にした悲劇のアニメだった。
客の入りは少ない。当然だ。セカンドインパクト直後の世界では、このようなネタは、どこにでも実際に転がっていた。わざわざ映画でそれを見たいと思う物好きは少ないだろう。セカンドインパクトの傷痕はまだ生々しく人々の記憶に残っていた。
実際にセカンドインパクトの混乱を経験したのであろう、声優の台詞には重みがあったが、いかんせん。やたら瞳が大きいアニメ絵は軽薄な印象を与える。
真崎は台詞を聞き流しているという雰囲気を身体で表現しながら、横目でナルミを見た。ナルミはそれに気づかず、一心不乱にスクリーンに見入っている。
せっかくの休暇に子守りとは、とんだ災難ではある。
真崎は、出てくる欠伸を堪えようともせずに大きく口を開けた。映画館に入って三十分。まだ、九十分以上もこの退屈な映画を見なければならないのだった。
喫茶店。
映画館から出たところで、真崎がナルミを喫茶店に誘った。
どういう風の吹き回しか、恐らく本人にも説明できないだろう。一つ確かなのは、それをナルミが断る筈も無いという事だった。
ナルミはクリームのたっぷり乗っかったフルーツパフェを幸せそうに掻き込んでいた。真崎はブラックのコーヒーを啜りながら、ぼんやりとそのナルミの様子を眺めている。
「映画、どうでした?」
ナルミはスプーンを持つ手を止め、おもむろに話し掛けた。自然と笑みがこぼれてしまうのは、フルーツパフェの味に満足しているからだけでは、勿論無い。
「あ、うん。何とも言えんけど、悪かないな」
それを聞いたナルミはまるで自分が誉められたかのように喜んだ。真崎が小声で、少なくとも音楽は、と付け加えたのには気づかなかった。
「ほんとですか! よかった。真崎さんが退屈してたらどうしようかと私心配してたんです」
真崎が鼻を鳴らす。それに構わずナルミはまくしたてる。
「ヒロインの女の子がいましたよね。あの声をあててるのって私の母なんです。テロップにでてたあの――」
ナルミはある声優の名前を口にした。アニメファンが聞き耳を立てていたら腰を抜かしたであろう。その筋ではまず知らぬもののない有名声優だ。が、如何せん真崎には別世界の話であった。
「ふうん」
真崎はいつもながらの気の無い返事。
それからナルミは声優のことについて熱心に話し続けた。彼女が母親を尊敬していること。彼女も母親みたいに声優になりたいと思っていること。そして、今はコーラス部で頑張っていることなどなど。真崎は話を半分聞き流しているように見えながらも、ナルミの声にじっと耳を傾けていた。少なくとも、ナルミにはそう思えた。
「ま、がんばれよ。なんにせよ、将来に希望を抱けるのは良いことだ」
ナルミが話し終えた後、真崎は何気なく答えた。
「はいっ!」ナルミは満面の笑みを浮かべて頷いた。
それから、こんどは真崎のことについていろいろ話をした。ナルミは話の半分以上も理解できなかったが、新型の多目的ヘリコプター・川崎MH−7Jの訓練のために基地にいるらしいことと、彼女と出会ったとき訓練の結果が良くなくて虫の居所が悪かったらしいということだけはわかった。
「真崎さんは、パイロットなんですか?」
「いや、ウイングマークは持ってない。……どう言ったらいいのかな。前なら対潜員って言ってたんだが、今度はGIBだ」
「GIB?」
「ガイ・イン・バック。後ろに乗ってる奴。パイロットが操縦をしている間、操縦以外のあらゆる仕事をこなす何でも屋だ」
真崎の言葉は皮肉めいているが、MH−7Jの後席員が何でも屋であるというのは事実だ。機種転換過程には対地攻撃用の砲手としての訓練、海難救助用のスキューバや、特殊部隊並みの小火器実弾射撃実習も含まれている。知力・体力ともに優れた自衛隊員でなければ務まらない。
それがささやかな誇りだ、と真崎は言った。
真崎の話は専門的で、ナルミにはいまいちピンと来ない。
それでもそんな真崎の話一つ一つが、ナルミには心地よく、また頼もしく思われていた。彼女には、それで充分だった。
「また、会えますか?」
二人分の支払いを済ませた真崎に、ナルミがためらいがちに聞く。
「無理じゃないかなぁ」
帰ってきたのは、少しばかり意外な返事。
「え……?」
「訓練が終わったら、館山の21航空群だな。そこで最初のMH−7J――さっき話した対潜ヘリだ――の部隊が編成されるんだ。第一、こっちで訓練やってるのも、セカンドインパクトでやられた下総の代替だからな」
「そう、ですか」
目に見えてがっくりと肩を落とすナルミ。
「ま、基地勤務ばっかりでもないだろうけど。フネにMH−7Jが配備されるようになったら、呉に来ることもあるかもな」
「あのぉ……」
「んじゃ、情けない話だけど、俺等には”門限”があるから。せいぜい元気でな」
真崎がくるりと背を向けた。
「あ……」
背を向けた真崎が右手をあげて、振り返りもせずに手を振る。彼女に向けられた広い背中を、ナルミは一生忘れないと思った。
唐突な別れ。
天性の陽気さの持ち主であるナルミは、まあ、一時の憧れに過ぎないんだから、と思っていた。そのうち忘れてしまうような、ちょっと刺激的なイベントに過ぎなかった、と思い込もうとした。そうでもしなければ、悲しくなってしまいそうだったから。
だが、それからしばらくして、何故か他の男の子に興味が向かなくなっている自分に気づいた。どうしても、真崎の逞しい背中を思いだしてしまう。
真崎に感じた安堵感。本人は自覚していないが、それは、二度とは会えない父親を感じていたからだ。真崎の全ての言動に、ナルミは父性を感じていた。それを同年代の少年に求めることは出来ないのだった。
ファザコンと言われればナルミは怒るだろうが、事実はあたらじといえど遠からず、だった。
Xdayマイナス七三日――硫黄島東海岸日出浜揚陸場。
――10:38。
「当機は間もなく着水します。お客様はお席にて必ずシートベルトを着けて下さい。着水の瞬間には多少揺れることもございますが、これは当機のやむを得ない特性でございます。お慌てにならないよう、重ねてお願いいたします」
機内アナウンスを受け、ナルミは改めて窓の外を見た。水平線が次第に視線の高さまで上がってくる。そして着水時の衝撃。瞬間、斜め上に向かって、滝か噴水のように海水が吹き上がる。
「うぁは〜!?」
本物の驚きを感じ、不可解な声をあげる。隣の馳倉はいよいよ蒼白になっている。不思議な光景だった。視界がどんな豪雨も及ばない激しい海水の雨に覆い隠される。しかもそれは、下から上に向かって降り注いでいるのだ。 やがて、海面をかき分けて速度を落としたDo−5500Sは二キロ近く滑走し、胴体下部後方にある補助推進装置によって、硫黄島北東部に突き出した突堤に向け、ゆっくりとその機体を進ませていく。それは、胴体の大部分を海面に浮上させた鯨が滑っているような、なんとも不思議な光景だった。
3.連動する状況
Xdayマイナス七三日――硫黄島東部。神山海岸。
「ひええ。すげえもんだぜ」
自転車のハンドルを片手で支えるタカトラは頓狂な声をあげた。松田の見舞いを終えたタカトラ、境、南雲の三人は、飛行艇の揚陸場を見渡せる場所に立っていた。
全長・全幅ともに百メートル、離水重量千トンの巨大な飛行艇、ドルニエDo−5500Sが海水を蹴散らしながら着水する光景を目の当たりにすれば、誰でもタカトラと似たような感想を抱くだろう。
「あれに井上ナルミが乗ってるんだ」南雲は流石に情報が速かった。表情は以前よりは明るいが、どこかに屈託がある。「チアキにも見せてやりたかった……」
傍らで境も沈んだ顔をしている。
「仕方ないわよ。チアキ、治るのにしばらくかかりそうだし」
意味不明の言動に関しては、意識的に口にしない。
病室での松田の様子を思い出した三人は一様に口をつぐんだ。
彼女の健康状態は、数日もの間行方不明になっていたにしては良好そのものだった。おそらくきちんとした食事を採っていたことは間違いない。
嵐の高波に浚われたとか、そういう事故に遭った訳では無さそうだった。
ただ、南海岸の歩道で倒れていたのを保護された肝心の松田は、その間の記憶を喪失していた。その為、何が起こったのかまでは判らない。
むしろタカトラ達に漠然とした不安を与えたのは、松田の態度だった。
時として感情的になることもあるが、心根の優しく、細かな気遣いをかかさない松田の姿はそこには無かった。虚ろな眼でタカトラ達を見、良く判らないことをぶつぶつと呟くだけの姿は、全くの別人だった。
一体何があったのか。タカトラ達には想像することも困難だった。
(UNはUFに勝てない、とか言ってたよな。UFってなんだろう? この間、基地にミサイル打ち込んだ連中のことだろうか)
タカトラは頭の中で、松田の言葉を反芻していた。が、それは表情には表れない。考えてもムダか。早々に結論を出した彼は、力のこもった声を出す。
「で、どうするんだ、ライブは。見に行くのか?」
俯きがちになる二人を尻目に、ただ一人、タカトラだけが背筋をピンと伸ばしている。
「勿論だよ」
意外にも、南雲はきっぱり言った。正直、タカトラには南雲の神経が理解できない。元々、松田が嵐の中へ飛び出して、行方不明になった原因は井上ナルミのライブにあるのだ。
Xdayマイナス七三日――硫黄島中部居住区硫黄島高校。
――10:45。
Do−5500Sは無事着水を終えたものの、ここからが一仕事だった。これだけ大型の機体となると、直接積んだ機材を陸揚げできないので、クレーン付きの小型ホバー輸送艇が横付けし、ピストン輸送することになる。飛行艇が滑走路を必要としない利点を持つ割りにセカンドインパクト後も普及しにくいのは、搭載した貨物の荷揚げに時間と手間がかかるからだ。
荷物の搬送の合間をぬってナルミ達は上陸を果たした。さすが、というべきか、荷揚場の周辺にまでファンが詰めかけている、と島のスタッフが報告してきた。
「有り難いことですね」
「……。私物等は、ホテルのほうに運んでおきますが。これからどうします? 島を観光しますか。時間には、少し余裕があります」
埠頭の上。曇り空を少し気にしながら馳倉が訊ねる。
良く通る声だが、音色はややきつい。彼女もかつては声優の仕事をしていた事もあり、ナルミと競演した過去もある。馳倉サギリという名前自体、当時の芸名である。
それだけに、ナルミとしては、付き合い方に気を使う相手でもあった。それは馳倉にしても同様で、口調からよそよそしさがなかなか抜けない。
「うーん」水色のサマーセーターにロングスカート、そして鍔の広い麦わら帽子姿のナルミが唸った。首を傾げてしばし考える。その拍子に麦わら帽子が前にずれ、表情を隠す。
馳倉が焦れかけたとき、ナルミが麦わら帽子をかぶりなおして、答えを出した。「あの〜、まず、会場を見ておきたいんですけど、よろしいですか?」
「判りました。すぐに手配します」
ナルミが馳倉と共に車上の人となるのに、それから十五分とはかからなかった。
セダンタイプより、RV車が島では多い。実際には島に起伏は少ないのだが、なんとなくRV車が似合う雰囲気があるためだろう。手配されたのも三菱”パジェロ改”だった。
窓から見える景色。島全体に都市計画がなされ、いかにも未来都市の外観を有していることに、ナルミはしきりに感心していた。
「絶海の孤島と聞いてましたから、どんな田舎かと思ってました」
屈託のない言葉。これが嫌みにならないのは、彼女のもって生まれた幸運な資質の為せるわざだ。
「ここは二十一世紀に入ってから、全くゼロから都市を設計してますからね。日本各地の新都市より、綺麗にまとまってます。ここに匹敵する先進性を持つ街は、第三新東京くらいでしょう」
ハンドルを握る島側のライブ責任者、入江マサシが胸を張る。
揚陸場から海岸線沿いに西へ走り、南海岸の整備された砂浜が見えたところでRVは幹線道路を右折し、かつては元山飛行場と呼ばれる滑走路のあった場所にある中部居住区へと入っていく。
硫黄島中部居住区の北側にある硫黄島高校の体育館、そこがライブの会場だった。
最初にそれを聞かされたとき、ナルミはほんの少しだけがっかりし、直ぐ後に、その自分の感情を猛烈に恥じたものだった。天狗になりかかっている自分が情けなかった。
そして、高校の体育館に到着し、その外観を実際に見たナルミは、短絡的に気落ちしたことをより深く後悔した。
「凄い……。これ、本当に学校の体育館なんですか?」
と、思わず入江に訊ねた程だ。
元々この島には、豪華なコンサートホールなど存在しない。必要ないからだ。
だが、その手の施設が全くない、というのも住民への配慮が足りないように思われる。
結果、硫黄島の都市計画担当者は、妥協案として、高校の体育館にその代替機能を持たせていた。
上から見た体育館の外観は、ちょうど卵のような歪んだ円形である。階段を上り、卵の底部にあたる場所にエントランスホールがあり、そこから入っていくと、一段高い位置にある観客席に出る。
正式な大きさのバスケットコートが二面取れる床面には、パイプ椅子などではなく、肘掛けの付いた本格的な座席が綺麗に並べられていた。照明施設や音響を管理する部屋の設備も充実していた。
向かって右手にステージがあり、早くも先乗りスタッフが忙しく働いている。
「なんだか、緊張してきましたよ、ここまで本格的だなんて……」
「ここの住民の方は、刺激に飢えてます。それは確かです。きっと成功しますよ。ナルミさんが不安に思うことなど、なにもありません」
「ありがとうございます」
ナルミが頬を緩めた。彼女にとっても、このゲリラライブにはただの仕事以上の熱意を込めている。なんとしても成功させたかった。
Xdayマイナス七三日――硫黄島東北東海上三十五キロ。
――10:50。
『あやなみ』。
補給を終えたMH−7Jが再び離陸していく。
「ハードな任務だな、彼らにとっては」
艦橋の久川が独りごちる。
「威嚇しか出来ないことを、UFの連中は知ってます」
丸橋は硬い表情だ。この男はいつもこんな調子で疲労を感じないのだろうか、と久川は思う。もっとも、傍目には久川の態度も似たようなものだ。
「UNは認めることが出来ないんだよ。UFの存在を」
「何故です?」
「UFを認めるということは、UNが唯一絶対の存在ではないと認める事に繋がる。だから、UFの主張に耳を貸すことが出来ないんだ」
「愚かしい……。そこにあるのは現実だけです。UNは自らの都合のいいように世界をイメージしているだけではないですか?」
「恐らくそんなところだ」
「艦長。自衛艦隊司令部より入電です」
当直士官が通信文をもって傍らに立った。
「ふうむ……」
「何事です? 攻撃許可ですか」
「いや。……増援が到着したそうだ」
「……? ああ、潜水艦ですか」
姿を見せずに、増援が出たという知らせもなくいきなり到着するのは、潜水艦以外にはまず考えられない。
「どうも、先日の小笠原沖海戦の時と同じパターンになりそうだ。俺達は苦労だけして、美味しいところは後から来た連中に持って行かれる」
久川は口惜しげに吐き捨てた。
Xdayマイナス七三日――硫黄島西海岸。
――10:55。
九三式高機動車を駆り、天満は硫黄島を周回する幹線道路を反時計回りのコースで巡察していた。宇宙港と島とを結ぶ連絡橋への検問所を右手に見て、そのまま西へ向かう。
「攻撃があるとすれば、艦対地ミサイルということになる」
天満は、ハンドルを握る腹心、山口ショウヘイ二尉に聞こえよがしに呟いた。
「浮体ブロックの武装化は完了しているわけですから、そう心配する必要もないでしょう。問題は――」
山口は顎をしゃくった。その先には、防波堤で隔てられた歩道を歩く、観光客の一団があった。宇宙港を見物していたのだろう。もっとも、一般公開されていないので、ただ馬鹿でかい浮体ブロックの塊を見ることしかできない。あまり面白いものでもないだろう。
「島の人口は、この数日で千人ばかし増えてます」
「あれか。井上ナルミのコンサートだな?」
「そうです。もし、UFの同調者が乗じて潜り込んでいたとしても、我々の手には負えません」
「警察の領分だなあ、そっちは」
「最終段階では、白兵戦も考慮しておいた方が良くはないですか」
「無論だ。というより、俺達にはそれ以外の選択肢がない」
やがて、擂鉢山を右手に見る南地区に入る。擂鉢山には、大規模な慰霊碑と、OTHレーダーが共存している。レーダーは宇宙港の管制用という名目があるが、当然軍事目的の利用も設計段階で考慮されている。
「おい、硫黄島に来た以上は――」
「そうですね」
あうんの呼吸で、山口は慰霊碑参拝者用の駐車場に九三式高機動車を停めた。車庫入れの技術は一級とは言えないものの、駐車場に車はまばらであったので問題はなかった。
擂鉢山頂上に続く段を登り、慰霊碑の前で二人揃って頭を下げる。
「栗林閣下の知恵に倣う必要があるかも知れんな」
時間に制約があるので、手短に参拝を終えた天満が言う。
一九四五年、硫黄島防衛に当たった一〇九師団(小笠原兵団)司令官・栗林忠道中将は、全島に地下通路を掘って要塞化した。
その為、硫黄島では他に類を見ない激戦が繰り広げられ、一つの戦場において日本軍より連合国軍の死傷者数のほうが多いという、日本陸軍の誉れとなる結果を残した。日本軍の死者は約二万人。当然、栗林もその一員である。
今でも硫黄島には栗林が作った多くの壕が残っている。それらは避難壕として、硫黄島住民に活用されている。
九三式高機動車に戻った天満は、尻のポケットにいい加減に突っ込んでいた地図を取り出した。
それは一般には公開されていない、硫黄島の避難壕の配置図であった。それが公開されていない理由は、地図には普段使用されない壕に関しても記載されているからだ。
民間用の避難壕は通路で連結されている。だが、それ以外にも、利用頻度が低いという理由で閉鎖されている壕や、存在そのものが秘匿されているものもある。
「これらの配置を覚えておくんだ。上手く利用できれば効果は絶大だ。テロ・ゲリラに対抗するのはゲリラ戦法しかない」
「下手をうてば、民間人を巻き込みますよ」
「だからこそ、実地の把握がかかせない。行くぞ」
九三式高機動車はエンジン音を残して走り去った。後には、天を睨むOTHレーダーサイトと、武人達への思いが残された。
Xdayマイナス七三日――硫黄島南部観光区。
――11:05。
簡単な下見を終えたナルミ達は、幹線道路を戻り始めた。海岸線周回道路に出たところで右折して南地区に入り、宿舎となるホテルに向かう。
もうすぐホテルに着く、というところで、ナルミは反対車線から来るごつい車に気づいた。自分たちの乗る車もかなりいかめしい風貌だが、前のそれは、幅の広い、デザイン的に洗練されているとはとても言えない代物だった。
「自衛隊ですね。……めずらしいな、こんな時間に」
すれ違い様、入江が、弁解じみた口調の独り言を呟く。当然の事ながら彼は、ナルミが自衛隊に対してどのような感情を有しているか、全く知らなかった。案の定、ナルミが彼の言葉を聞きとがめる。
「この島は、自衛隊さんとつながりが強いんですか?」
「え? ええ、まあ。昔から基地はありましたし、宇宙港はテロの目標になりかねませんからね。島の警察は田舎町のそれと大差ない規模ですが、自衛隊はかなり大規模に配置されています」
「へえ……」
ナルミは飛行艇の窓から見えた護衛艦の姿を思い出した。彼女にとっては、自衛隊とはただ一つの意味しか持たない。真崎ソウハチが在籍する組織。それ以上でも、それ以下でもない。
Xdayマイナス七三日――硫黄島南東海上十五キロ。
――11:30。
MH−7J。
コクピットの中に、生駒の呟くような鼻歌が満ちている。『あやなみ』との通信は繋がっていないからいいようなものの、かなり問題のある態度だ。
「真っ赤なリンゴを頬張る、ネイビーブルーのTシャツ……」
生駒が口ずさむ曲目は、どういう理由によるものか、恐ろしく古いものが多い。今回も多分に漏れない。
硫黄島を周回しての対潜活動に、基本的には真面目な生駒もさすがに倦みはじめていた。潜水艦を発見出来ても、攻撃を許可されない。それどころか、彼らの行動に何の関与も出来ない。腐るな、というほうが無理な注文だった。
「アイツはアイツは可愛い、年下の男の子……」
今、MH−7Jは硫黄島南海岸を左手に見ながら北東に針路を取っている。硫黄島の南に張り付いている戦略原潜にプレッシャーをかける為だ。ソノブイの着水音を聞くだけで、まともな潜水艦艦長なら、対潜ヘリか対潜哨戒機が該当海域を飛び回っている事実に気づくはずだ。
「寂しがりやで、生意気で、憎らしいけど、好きなの、L、O、V、E、投げキッス……」
機体がわずかに傾き、旋回し始める。パッシブソノブイが原潜の減速ギア音を捉えた海域の真上だ。
直ぐ近くの海面では、ミサイル艇『しんじ』が、推力を絞って待機している。もし、こちらのプレッシャーに屈して、潜水艦が何か行動を起こした際には、すかさず攻撃を加えることになる。
「私のこと、好きかしら、はっきり聞かせて……」
「はいはい、愛してますよ。発音弾投下準備ヨシ」
流石に呆れたのか、真崎が歌の腰を折る。まさか照れている訳でもあるまいと生駒は思う。
普段はやる気の欠片も無さそうな態度を見せる割に、任務についている時の真崎は恐ろしくタフである(真面目とは限らない)。マラッカ海峡でも生駒はその点を思い知らされている。
「了解……。ふぅ。一応は、リゾート地なのよね、ここ」
生駒は少し自分の態度を恥じ、わずかに顔を赤らめると照れ隠しに話題を強引に変えた。島のほうに視線を送る。
硫黄島は、ある程度の高度からは、全景を一望できる程度の面積しか有さない。南海岸は、かつての経緯から上陸海岸とも呼ばれるように、岩場の多い硫黄島の浜にあって、砂浜が広がる例外的な海岸線である。
元は黒砂で、見栄えがしなかったが、リゾート地として整備される際に大量の白砂が投入されて印象が一変している。
背の高いホテルも幾つか見える。宇宙港が稼働し、本格的な宇宙開発時代ならばともかく、いまは呑気なサーファーやダイバーが訪れる程度だが。
自然と、生駒は海岸線の方を向いていた。眼下に広がるコバルトブルーの海は、曇り空の元でくすんではいるが、魅力的な存在に違いなかった。
「せっかくここまで来たのに……。ひと泳ぎくらいしたいものね」
「なんなら今ここででも。これからホバリングに移りますから、発音弾の代わりに飛び込めば良いんすよ。回収はこっちでやりますから」
「お生憎様。水着持ってきてないもの」
「そうすか。それはそうと。……自分は、腹が減ったであります」
「早く帰りたいって? まだ昼食には早いわよ」
真崎と軽口をたたき合ってテンションをやや回復させた生駒の目に、左翼側にカモメか何かの海鳥の群が飛んでいるのが映った。嫌な感じがして、生駒はそちらを意識しながら機首を右にふった。
その時、カモメを避けて飛ぶツバメの群が右上正横に居ることに気づかなかったのは、生駒のミスだった。その数匹がローターに叩かれた。砕かれてジェットエンジンのエアインテークに飛び込む。
途端、衝撃がMH−7Jに襲いかかる。
「うわ」
一瞬手から離れたサイクリックスティックを掴み直し、生駒はモニター表示に目を走らせた。幾つかの警報が表示されている。
「エンジンをやられたみたい」
「バードストライクっすよ……」
「こちら、キャッツ・アイ。緊急事態を宣言。エンジンに不調発生。これより不時着する」
生駒は早口で『あやなみ』に通信を送ると、エンジンの不協和音に薄気味悪いモノを感じつつ、針路を真西に向けた。
南海岸沿いにいくつか立ち並ぶリゾートホテルをかすめて、島の上空にまでたどりつく。視線をすばやく走らせ、不時着させる開けた場所を探す。硫黄島基地の飛行場にまで機体を持っていくのは難しそうだった。ふらつくMH−7Jは、幹線道路上空を越え、いつしか中部居住区上空にさしかかっていた。
青灰色のヘリコプターが不気味なエンジン音を轟かせながら、ナルミ達の頭上を通過した。そのままホテルの向こう側に消える。
「あれ、危ないんじゃないですか? 墜ちるんじゃないんですか!?」
ナルミが狼狽えた声で悲鳴を上げ、ウインドを開けて胸から上を乗り出してヘリの動きを目で追う。 MH−7J。真崎が話していた、優秀な後席員を必要とするヘリ。 他の機種など判別する事など出来ない。ただ、細長い胴体と、大きな翼を持っているそのヘリだけは見間違えるはずがない。なにしろ、真崎の写真でも載ってないか探すためだけに定期購読している専門誌”航空情報”でも、MH−7J以外はまともに見たことすらないのだから。
「あ、危ないですよ!」
たまらず、入江がブレーキをかけ、RVを路肩に寄せる。
「追っかけて! お願いします!」
「んんっ? 墜ちるか?」
島を一周し、基地に戻りかけていた九三式高機動車の天満も、似たような言葉を口にしていた。ただし、こちらは随分とのんびりした口調だ。
「基地に連絡だな」
「了解」
山口がてきぱきとした動作で基地に通信を送る。
MH−7J。
「生駒一尉! あそこです」
揺れる機体の中、さしもの真崎も上擦った声を出した。どこか、とは生駒も聞き返さない。四角く開けた場所が二つ見えていた。緑色の敷地内に、焦げ茶色の楕円が描かれている。生駒は慎重に操作し、手前のそれにどうにか機体を不時着させた。
降下速度が速く、着地の瞬間ごつんと音がした。うめき声が二つ同時に漏れる。 エンジンをアイドリングに絞ったところで生駒の両手が空いた。改めてコクピット右側にある端末のキーボードを操作し、自己診断プログラムを走らせる。
「真崎、お願い」
「ほい」
とても上官に対する返事とは思えない声を出し、真崎が風防を開ける。
途端、火山性の島特有の地熱と、名前通りの硫黄の匂いがコクピット内に流れ込んできた。
生駒がそれに閉口している間に、真崎は座席の裏にある消化器をもって機外に飛び降りていた。
「えらい事になっちゃったな……」
生駒が頭を抱える。
「ここ、どうやら学校みたいすね」
やがて、右エンジンに消化器をぶち込んできた真崎が、周囲を伺いながら戻ってきた。生駒が顔を上げると、確かに校舎が見えた。足元のグランドは、細かく砕かれたゴムを敷き詰めたものだ。上空から見えた茶色の部分はトラックという訳だ。
グランドの周囲には砂場や鉄棒が見えるものの、その他の遊戯施設がない所を見ると、中学か高校だろうと生駒は思った。今日は土曜日。休みなので人影はない。クラブ活動がナルミのライブの煽りを食って中止になっていることなど、彼女には知る由もない。
自己診断プログラムの評価が出た。右エンジンのブレードが破損しており、燃料供給を停めれば飛行は可能。ただし、空中での機動はかなり制限される。
「片肺飛行はきついっすよ! しばらくじっとしていたほうがよさそうですが」
「参ったわね……」
生駒は『あやなみ』に通信を入れ、手短に状況を報告した。硫黄島基地の管制室でも、擂鉢山のOTHレーダーサイトを通じてMH−7J不時着の情報を得ており、直ぐに整備班を派遣するとのことだった。
「とはいっても、ブレードの破損じゃ、ここじゃ直しようがないわ。何とか『あやなみ』まで戻らないことには……」
生駒はそう言いながら端末のキーボードを叩いた。ディスプレイに、自動修復プログラムを呼び出し、作動させる。物理的な損傷は直しようもないが、損傷による影響を最小限にする為の対策が指示される。
「……ダメね。整備の人達が居なくちゃ、どうにもならない」
自力の脱出を諦めた生駒は、気を取り直してコクピットから降り、周囲を見回した。学校の用務員らしき人物が、校舎の陰で何事かと目を剥いているのに気づいた。
「お騒がせして申し訳ありません、ちょっとワケありなもので……」
とりあえず話を付けておいた方がいいな、生駒は声を掛けながら用務員に歩み寄った。
ナルミは入江をせき立て、ヘリが不時着した学校にRVを向かわせていた。胸騒ぎがしていた。
開け放たれたままの正門前でRVは停車した。エンジン音は消えているものの、わずかに煙を上げているヘリがグランドの真ん中に着陸しているのが見えた。
既に数名の野次馬が集まってきているが、気にもならない。
ナルミはRVのドアを押し開けて車外に出ると、ロングスカートに煩わしさを感じつつ、ぱたぱたと走って中学校の敷地内に入った。グランドを真っ直ぐに突っ切る。
如何ともしがたいといった風情で、タバコをくわえているフライトスーツ姿の男がヘリを見上げている。胸騒ぎは爆発しそうなほど膨れ上がっていた。
「……真崎さん!」
ナルミは精一杯の大声で呼ぶ。自分の足の遅さがもどかしい。
男がおもむろに振り返った。ナルミの胸の中で歓喜が弾けた。
「真崎さぁん!」
そのまま真崎の胸に飛び込みそうな勢いで駆け寄る。が、直前で足がもつれた。
「きゃっ!?」
足の遅さが幸いした。勢いがなかったので、転ぶというよりはぺたんと両手と両膝をついてグランドにしゃがみこんだ格好になる。
「大丈夫かいな、嬢ちゃん?」
頭の上から声が振ってきた。あの時と変わらない、落ち着いた深みのある声。
ナルミが返事するより先に、真崎がナルミの肘を取ってひょいと立たせていた。
「やっぱりなあ。どっかで聞いた名前だと思ってたんだ。本当に声優になってたとはな……」
真崎が感慨深げに、自分自身に対して頷く。さして驚いている様子もないのが、ナルミには嬉しかった。もし真崎が、相手が芸能人だというので腰が低くなるような男だったら、百年の恋も瞬時に冷めていた事だろう。
ナルミは、真崎に再会できたら話したいことが一杯あった。でも、実際に真崎を目の前にすると、胸が詰まって何も言えない。涙がこぼれそうになる。転んだ痛みのせいなんかではなかった。
「あの、私……。ずっと、その……」
声優らしからぬ、どもった口調でナルミが口を開きかけたその時。用務員と話を付けた生駒が戻ってきた。
「おーい、真崎! 腹減ってるって言ってたわよね? ここの用務員さんが食事でもどうかって――、あら?」
そこまで言ったところで、生駒は、真崎が見慣れぬ女性と向き合って、ただならぬ雰囲気を醸し出しているのに気づいた。
「……どちら様?」
何となく気まずいかな、と思いつつ真崎の横に立ち、二人に尋ねる。
「あ、あの……」
一方のナルミが受けたショックは、並大抵のものではなかった。真崎の傍らに立つ、真崎と揃いのフライトスーツ姿の女性。真崎に似て良く日焼けした健康的な容姿。ナルミの目にはとても似合いの二人に思えた。
(そっか。同じヘリコプターに乗っている人なんだ。やっぱり、真崎さんとは恋人同士なのかな……。真崎さんくらいのヒトなら、彼女がいても当然だもの……)
「ほら、さっき話していた井上ナルミですよ。俺、呉で訓練受けてた時に、会ったことがあったんです。やっと思い出しましたよ」
真崎がMH−7Jの右翼の端を叩きながら言った。ナルミが硬直していることには気づいていない。
「へえ。初めまして、井上さん。まさか直接会えるなんて、トラブったのも悪いことばかりじゃないわねえ」
サインでも貰おうかな、と生駒は思ったが、ナルミが今にも倒れそうな青い顔をしているのに気づいて言葉を飲み込んだ。
そうこうしているうちに、馳倉やライブの責任者が慌てた様子で駆け寄ってきた。
真崎の袖を引っ張り、生駒が小声で聞く。
「なにがあったのよ? なんだか、おおごとになりそうな感じだけど?」
「さあ?」
真崎は相変わらずの我関せずだった。今回ばかりは、そうとばかりもいってはいられないはずではあるが。
一方。
(負けない……、負けたくない! 絶対に負けないんだから!)
ひとりで方向違いの闘志を燃やしているナルミであった。
「どうかしましたか……?」
馳倉が相変わらずの、どこか詰問するような調子で訊ねてくる。もっとも、その顔には、自衛隊に対する本能的な怯えの色が浮かんでいる。
「え? あ、馳倉さん、私達、これから食事ですよね?」
我に返ったナルミが、馳倉を校舎の端まで引っ張っていき、何の脈絡もなく(馳倉にはそう思われた)そう訊ねた。
「はあ。ホテルのほうで昼食を用意してくれるそうですけど?」
「んん……」
ナルミは顎に指をあて、何やら思案し始めた。
「あの〜、申し訳ないですけど、しばらく自由時間にさせて貰えないでしょうか?」
いきなりの申し出に、馳倉は入江と顔を見合わせた。
「それはちょっと……。先方にも連絡済みのことですし」
入江が大げさに首を振る。自分の責任問題にされかねないと懸念しているのであろう。
「本当にごめんなさい! でも、お願いします! 少しで良いんです」
拝み倒すナルミ。それを見かねたのか、馳倉が電子手帳を開いてスケジュールを再チェックした。
「一時までにホテルのほうに戻ってこられるのなら……。もう、あまり時間はないですけど」
「いいんです、有り難うございます! 一時に、ホテルですね!」
満面の笑み。ナルミは跳ねるようにして不時着したヘリの元――いや、真崎の元に走っていった。
「困りますよ、勝手に決められたんじゃ」
「昼食の時間だけですよ。大目に見てあげて下さい」
芸能人はこれだから、とでも言いたげな入江に、馳倉が頭を下げる。
「まあ、こっちとしては、ライブが成功すれば文句は言いませんけど。一時間じゃ観光にもなりませんよ」
まだ不満げな入江に、馳倉が冷笑に近い笑顔で頷く。まるで、何もかもお見通しだと言わんばかりに。
「彼女のお目あては観光じゃありませんよ。……飛行艇もそうだったけど、ヘリコプターも好きなのね」
やっぱり専門誌を読んでるだけのことはあるわ。まるで男の子みたい。一体どこが良いのかしら……。観察眼があと一歩の馳倉の呟きだった。
4.微動
Xdayマイナス七三日――硫黄島東海上四十五キロ。
――11:40。
『あやなみ』後部ヘリパッド。
MH−7J不時着の報は、さして間をおかずヘリ班にも届けられていた。
「こうなっちまうと、俺達はどうにもものの役に立たないな」
古鷹がぼやいた。特に理由もないままヘリパッドに出てきている整備の面々も溜め息混じりに頷く。
ヘリパッドからは、『あやなみ』後方を航行している『みずほ』から、垂直離着陸式のターボプロップ機・一〇式対潜哨戒機が離艦するのが見えた。
「あれにのっけて貰って、ヘリの修理に行くことって、出来ませんかね」
整備員の一人が言った。
「ダメだな。あれは、ウチのMH−7Jが空けた穴を埋めるために出るところだからな。応急修理は硫黄島の連中に任せるしかないな」
古鷹が首を振る。
「どれくらいかかりますかね」
「どうかな。まあ、今日中には戻ってこられるだろう」
それを聞き、問いを発した豊田がくぐもった笑いをかみ殺した。
「何がおかしいんだ?」
流石に不謹慎に思ったのか、わずかに古鷹の声音がきつくなる。
「申し訳ないです。ただ、これが明日ならば、生駒一尉と真崎一曹は井上ナルミのライブを観られたかも知れないじゃないですか。勿体ないなあ、と」
「くだらんことを」
古鷹が吐き捨てた。
「くだらんついでにお伺いしますが」
にやけていた豊田が真顔になる。
「なんだ?」
「単刀直入に聞きます。生駒一尉と真崎一曹が付き合っているという噂、本当ですか?」
豊田の問いに、整備員達も”その点ははっきりさせておきたい”とばかり、好奇心を剥き出しにして古鷹の言葉を待つ。
「俺自身はそうだと思ってたんだがな」古鷹の口調にも、いつものどこか不真面目な調子が戻っていた。「当人達は否定してる。ま、裏があるようにも思えないから、違うんじゃないのか?」
「じゃ、立候補しても良いんですね?」
「なに?」
古鷹が目を剥く。
「真崎一曹が相手だと遠慮してましたが、フリーなら話は別ですからね」
「おいお前、”ナルミスト”じゃなかったのか?」
「理想は理想、現実は現実ですよ」
豊田はニヤリとした。もし硫黄島で起こっている”現実”を豊田が知ったら、余りの羨ましさにひっくり返っていたことだろう。
Xdayマイナス七三日――硫黄島東南海上二十五キロ。
――11:50。
『しんじ』。
ほとんど漂泊するような速度の『しんじ』を、海中の潜水艦が探知するのはほとんど不可能の筈だった。だが、足元に、好意的でないことが明らかな存在があるというのは、気持ちの良いものではない。
その為、艇内には張りつめた空気が満ちている。しかし、それも爆発寸前だった。その中心人物は、他ならぬ艇長・緒方だった。
硫黄島を中心としたモニタ上のチャートには、硫黄島の東、南、西に×字が描かれていた。潜水艦の位置が記されているのだ。
艇長席のモニタでそれを確認した緒方が不機嫌そうに呟く。
「この大事な時にヘリが不時着とはな。気に入らない」
一〇式対潜哨戒機が上空を航過していく。甲板上に出ている隊員達がその姿を見上げている。
「艇長……。余裕を持って下さい。本当にいざ、という時に本領が発揮できなくなります」
女性副長・加賀井チヅル一尉が懇願するような口調で、自ら炒れたコーヒーを差し出した。
「うん、そういうはっきりした物言いは叔母ゆずりかな?」
「そんなことは……」
緒方の言葉に、加賀井は頬を赤らめる。
加賀井という姓は、UN関係者の間では少し知られた名前だ。もっともそれはチヅルではなく、彼女の叔母、加賀井ヒデミの存在によるものだ。
加賀井ヒデミはUN軍の広報担当として、世界中の紛争地帯に顔を出しては、群がる報道陣相手に、強気一辺倒のコメントで押し通すことで有名だった。鼻息の荒さだけでテロリストを吹き飛ばす、と評されたことすらある。
それにくらべると、チヅルは穏やかな性格で、どうして自衛隊などに入隊したのか不思議がられるほどだった。状況判断力は叔母に負けない鋭さがあるが、そこから導かれる結論は全く異なる。加賀井チヅルは、とても叔母のようにはなれない、と公言する一方、叔母のようになりたい、そう願ってやまない。無論、それは彼女の心の中にとどめてある事実で、緒方には想像する由もない。
「まあ、いいさ。……前の戦闘で受けた打撃から、基地機能は回復していない。……敵の配置、どう思う?」
「相手が何を狙っているかにも拠りますね。恐らくは、宇宙港が本命でしょうが」
「と、なると、この東――正確には東南だが――に踏ん張っている戦略原潜は一体なんだろうな?」
「案外、これが真打ちかも知れません。あとの二隻は攻撃原潜ですから」
緒方は熱いコーヒーを一気に口に含んだ。特に熱がる様子もなく飲み下し、言葉を発する。
「島越しの艦対艦ミサイル攻撃? うん、島自体は、大した障害物にはならないだろうが、こちらの対空火器の真上を飛ぶことになるぞ」
「そうですけど、むしろ武装浮体ブロックにとっては死角からの攻撃になります」
「だが……。判らんな。こっちは相手の動きをほとんど把握している。増援の『あやなみ』と『みずほ』、それに潜水艦も来ている。それでもやるだろうか?」
「恐らく」加賀井は断言した。「うまく言えないのですが……、相手は恐らくUFに取り込まれています。先日クーデターでウラジオストック、沿海州はクーデター側が制圧したとも聞きます」
「ここに張り付いている潜水艦は、ウラジオかマガダンあたりから出てきた連中だろうな、確かに。それで?」
「UFは、はっきり言って無謀な攻撃を仕掛けてきます。小笠原沖でそれは証明されています。いかに空母の攻撃力が強力でも、日本の自衛隊全てを相手に勝利することは不可能です」
「つまり、UFに取り込まれるのは、決まって彼我の戦力も考えずに殴りかかってくるような莫迦ばっかりという事か? それは楽観的すぎないか?」
疑わしげな緒方の言葉に、加賀井は悲しげな眼をして首を振る。
「そう言われると、返す言葉がありません。ですが。UNに反抗するような存在です。思考法が我々と異なっていたとしても不思議ではありません」
いつしか、艦橋に妙な空気が満ちていることに気づいた緒方が咳払いする。
「連中が動けば、全てが判るさ。なるべくなら、本気で殴りかかってくるのは勘弁して欲しいもんだが」
緒方は突如、妙な考えに囚われた。連中の無謀な攻撃が、もし全てシナリオ通りだとしたら。UNが戦術的勝利を収める度に、UFのシナリオが進むとしたら。
「くそ、やはりUNは焼きが回ってきているのかも知れんな」
「艇長……」
吐き捨てた下品な口調に、加賀井が眉を寄せた。それに気づいた緒方は苦笑いを見せたが、内心の漠然とした不安が消えるわけでもなかった。
「そして嵐が来る、か」
彼の言う嵐。再び硫黄島に接近しつつある台風”ティファ”だけを指している訳では無い事は確かだった。
Xdayマイナス七三日――硫黄島中部居住区。707棟4−C号室。
――12:00。
タカトラは自転車の後輪につけた転倒時対策用支柱に境を乗せて、一気に島を横断して707棟の自転車置き場に帰還した。
「エンジンが汗だく……」
自らを動力源に例えるタカトラの口調がおかしくて、ツボにはまった境が吹き出した。
「さ、いこ」
「おう。……すげえよなあ、あんな所に降りてくるとは思わなかった」
「ホント。びっくりしちゃった」
南雲と別れての帰り道、タカトラと境もヘリの不時着を目撃していた。自分たちの通う中学に降りたというので、その足で見物してきたのだ。
あれこれと勝手な感想を言い合いながら帰宅してみると、当然のように土曜日も仕事に出かけているヒサカズの姿はなく、レミが昼食の準備をしているところだった。
当たり前のような態度でダイニング・キッチンに立つレミの姿が、境にはどうにも癪に障った。もっとも、当たり前のような顔でタカトラの家に押しかけている自分のことは、完全に棚の上である。
「さっきのヘリコプター、大丈夫だったの? 防音ガラス越しに見えたから音が聞こえなかったけど、大分危なかったわ。墜ちたの?」
「いえ。俺達の中学校のグランドに不時着してました。煙も停まってましたし。なんか、エンジンが二つあって、その内の一つがぶっ壊れたんだそうです」
「ふうん、災難ね。あ、そうだタカトラ君、このあとでドライブに行かない? お父様にクルマ借りたんだけど」
皿を手際よく並べ始めたレミが明るい調子でいう。ちゃっかり席に着いている境は「”お父様”なんて……」と、眉をひそめている。
「俺は別に構わないですけど、大したところじゃないですよ、この島」
「それは、実際に住んでいる人の意見よ。初めて来た人間にとっては、結構散策しがいの場所だと思うけど?」
「そうですか……?」
「じゃ、決まりね。ご飯、すぐに食べちゃいましょ」
レミが嬉しそうに両手を胸の前であわせた。それから早速自分の食事に取りかかる。
「サオリ、どうする?」
勝手に話を決められてむくれていた境の目が一瞬輝いた。が、すぐに不機嫌な顔に戻ってしまう。
「お二人で行ってくればぁ?」
この言葉には、レミがタカトラより先に反応した。
「じゃ、そうさせて貰うわ。いいでしょ、タカトラ君?」
目に見えない火花が散った、と境は思った。無論、タカトラが察知できるはずもない。
Xdayマイナス七三日――硫黄島中部居住区第一中学校。グランド。
――12:00。
不時着から十分ほどで、機材と整備員を乗せた古ぼけた七三式中型トラックがグランドまで入ってきた。
生駒達はグランドのど真ん中に停まっていたMH−7Jを、他の人になるべく邪魔にならないように人力で端に寄せた。それからは整備員の仕事だった。
生駒は当時の状況を基地隊の佐官に報告する義務があったが、真崎のほうは手持ち無沙汰な様子でタバコを喫っていた。
そんな真崎を、グランド脇の藤棚にあるベンチに座ったナルミは、厭きもせず眺めている。グランドの周囲には数十名の野次馬が集まっているが、本格的な事故でないことにがっかりするのか、集まるのと帰っていくのとが同じくらいのペースである。
じっくり観ていく人間が少ないせいか、まさかそこにナルミが居るなどとは気づいた者はいない様子だった。
「ねえ真崎、井上ナルミさんが貴方の事ずっと観てるみたいなんだけど、何かあったの?」
ほとんど尋問に近い質疑応答から解放され、少し疲れた表情の生駒が、真崎に小声で尋ねた。
「さあ……」
「さあ、じゃなくて。前に会ったとき、なんか約束とかあったんじゃないの?」
少しばかりニヤついた表情の生駒。
「……なにかあったかなあ」
「しょうがないわね、全く。よし。今はここに居ても出来ることはないんだし、しばらく彼女と話してきなさい。私が許可するわ。なんなら、どこかに食事にでも行ってくれば?」
「まあ、確かに腹は減ってますけど。この格好ですよ」
真崎はフライトスーツの上を脱いだTシャツ姿だった。暑いので下も脱いでしまいたいところだが、私服など持っているはずもないので、どうにもならない。生駒も似たようなものだ。
「うだうだ言わないの。芸能人が観てるなんて整備のヒトに知られたら、気が散っちゃうでしょ?」
生駒がせき立て、真崎が渋々とナルミのほうに足を向ける。と、生駒が真崎を呼び止めた。
「ほら、これ!」
真崎が振り返ると、生駒が『あやなみ』の部隊章をあしらった野球帽を投げてよこした。真崎が普段使っているものだ。
「空、曇ってますよ?」
「いいから、持って行きなさい!」
(サインの一つも貰ってこい、という意味だけど、通じたかな?)
首を傾げている真崎の後ろ姿を見送った生駒は、胸の奥でそう呟いていた。
Xdayマイナス七三日――硫黄島西部。第五一二地下倉庫。
――12:15。
ドライブ、という割には、レミの表情は妙に暗かった。
タカトラもそれを察し、言葉をつぐんでいた。無言の二人を乗せたまま、ヒサカズ所有のRV・トヨタ”ライアス”は中部居住区から西部の島周回道路に出て南下した。
「ここね」
レミが小さく呟く。
路肩にライアスを停車させると、レミは後部の荷台の下からバッテリー充電用のケーブルを持ち出し、コンクリートで固められた斜面に歩み寄った。タカトラはこの場所が、レミを助けた場所であることを思い出したが、何が始まるのか判らなかった。
手にした鍵で小さな金属の扉を開き、中にあるテンキーコンソールに、暗証番号を打ち込んだ。
すると、その傍らの、ただのコンクリートの塊に見えた部分が静かに持ち上がり、地下壕への出入り口が出現した。
「いったい、これは……」
「ついてきて、タカトラ君」
レミがどこか含みのある笑みを見せて、さっさと内部に足を踏み入れた。
幅の広い通路の天井には、まばらな間隔で蛍光灯が灯っている。
タカトラが後に続く。むっとする湿度の高い熱気が満ちていた。暑さには慣れているはずのタカトラの額に、たちまち汗が噴き出すほどだ。
「こいつは”熱い”や……」
「ここは一般には知られていない避難壕らしいわね。普段は使われていないから、空調も切ってあるそうなの」
「どうしてこんなところへ?」
「……ここよ」
入り口から十五メートルばかり入ったところで、通路の右手にある扉の前でレミが立ち止まる。
再びテンキーコンソールに暗証番号を入力。扉が開いた。
十メートル四方ほどの倉庫らしき薄暗い室内には、何もなかった。対面にうずくまる白いモノを除いては。
「あ、あの時の」
「そう。『ヘルメス』よ」
倉庫に入ると、とたんに空気がひんやりとした。ここだけは冷房が利いているらしい。
「ヒサカズさんに聞いて、この場所を教えて貰ったの。帰る前に見ておきたいって言ったら、あっさり承知してくれたわ……」
レミは、『ヘルメス』の肩部を愛おしげに撫でた。
「で、どうして俺にこれを?」
「貴方は私の命の恩人だから」レミの目に陰が宿る。
「私はこの『ヘルメス』で、多くの人の命を奪ったわ。大切な仲間を――、殺されて、逆上して」
タカトラは黙ってレミの独白を聞いている。
「でも、あの得体の知れない連中はまだ宇宙港の周囲をうろついている。何を企んでいるのかは知らない。私にとっての真実は、掛け替えのない仲間を奪った連中に復讐出来る機会がある、ただそれだけ」
「らしくないですよ……。そんな事言うなんて」
「ううん。これが私の本性なのよ、きっと。『ヘルメス』の力は、私にそのことを教えてくれた」
レミは『ヘルメス』の背後に回ると、壁の一部を覆う化粧板を外し、さらに中の配電盤の下にあるコネクターと『ヘルメス』とをケーブルで繋いだ。
「便利な島よね、電力はタダですもの」
「正確には光熱費ですよ。マイクロウェーブとかの受信施設の試験場でもありますし、地熱発電もやってますから。第一、そういうエサでも付けなきゃ、こんなところにヒトが住むはずないですよ」
話の筋が見えないタカトラは困惑気味に応える。
「そのお陰で私は助かるわ。『ヘルメス』のバッテリーをフルチャージするには、あと四時間はかかるだろうけど」
「その後、どうするんです?」
「さっき言ったでしょ、復讐って」
タカトラが口をへの字に曲げる。『ヘルメス』の肩越しに操縦席内のキーボードを叩くレミの表情には、はっきりとした決意が伺えた。己の死さえも考慮に含んだ決意。
「海に潜るんですか」
「そう。『ヘルメス』は外部電源無しだと、せいぜい三十分しか活動できないわ。バラストもヒドラジンガスのフロートバルーンも使った後だから、その後はぶくぶく沈んじゃう。それまでに戻ってこられれば良いんだけれど」
「それじゃ、自殺行為じゃないですか! やめてください、せっかく助かった命なのに」
「死ぬつもりはないわ。でも、死んでも構わないと思っている。……だから、貴方にだけは話しておきたかったの。助けて貰った命、こんな形で使い潰すのは勿体ないと思うでしょ。……でもいいの。私にはもう、なにも、残ってないから」
いつしかレミは涙声になっていた。
「そんな悲しいこと、言わないで下さい。俺はずっと、菱刈さんが楽しそうに食事の準備とかしてくれるのを見てて、嬉しかったのに……」
「本当にごめんね」
「……判りました、もう止めやしませんよ」
憮然とした表情のタカトラ。
「一生くすぶっていきるくらいなら、死ぬ覚悟で何かをやりたい、その気持ちは判ります。法を犯して欲しくはないですけど。敵討ちというのなら仕方ないですね」
「有り難う、タカトラ君」
レミの言葉に、タカトラは首を振りながら応える。
「ですが、必ず帰ってきて下さい。そうしないと、今度は俺が菱刈さんの敵討ちをする羽目になる」
「判ったわ。そうする。きっと帰ってくる」
ようやく、レミはにこりと微笑んだ。目尻に浮かんだ涙が、タカトラの胸に痛かった。
第六話に続く
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