『おとぎの国の”レッドサン”』第六話
初出:1998年1月10日
NEON
GENESIS
EVANGELION
SUPPLEMENT EPISODE:06
CODE NAME "ZERO" .
1.鳴動
Xdayマイナス七三日――硫黄島中部居住区。
――12:35。
硫黄島中部居住区。
まるで恋人同士のように見えるのかしら、ナルミははち切れんばかりの喜びを胸に抱いて、真崎の後を慕っていた。頭上を覆う曇天など、目にも入らない。
とりあえず宇宙港の見えるところなら、食事のとれる場所もあるだろうと言う真崎の意見に従って西に向かっている。
実際、珍妙な取り合わせではあった。飛行服の上を脱いだTシャツ姿の真崎と、この暑い硫黄島でサマーセーターにロングスカートのナルミ。
真崎はナルミの歩調など気にもかけずにさっさと歩いていく。ナルミは小走りでついていく。腕を組んだり手を繋いだりするどころか、並んで歩くことすら出来ない。恋人同士には、ちょっと見えない。
それでもナルミは全く機嫌を損ねることはない。この六年間で精製され、結晶化した真崎との出会いの記憶があるからだった。妙な話だが、彼女は、自分を含めた”女性”にまるで気にもかけない真崎が好きなのだった。
もちろん、一緒にヘリに乗っているというあのヒトのことは気になるけど。ナルミは胸の奥でそう独り言を繰り返す。けど、真崎さんは、きっと仕事は仕事で割り切る人だから、なんとも思ってない、よね?
それを面と向かって問い質すことの出来るナルミではない。ただ自問自答して、今はこのあり得ない幸運を堪能するべきだと己を納得させ、懐かしく頼もしい真崎の背中を追う。
「あ」
ふいに潮の薫りと言うよりは硫黄の匂いが鼻につく風が吹き抜け、ナルミの麦わら帽子を宙に飛ばした。
慌てて手を伸ばすが、それをかわした麦わら帽子は、まるで反重力機関でも搭載しているかUFOのような軽快さで空高く舞い上がってしまった。
「もう、かなり風が出てるな……。今夜からは嵐か」
真崎が空を見上げて呟く。ヘリが飛べるか気にかけているのだろう。
「あ〜あ、結構気に入っていたのに……」
「しっかり持っておかないからだぜ、勿体ない」
そう言いながら、真崎は自分のかぶっていた”AYANAMI DD−183”と刺繍された野球帽をナルミの頭に被せる。ついでにパイロット用のサングラスも手渡す。
「……?」
いきなりの事で事情が飲み込めないナルミ。
「顔を見られちゃまずいんだろ? それ、嬢ちゃんにやるから、しっかり顔隠してな」
そのさりげない優しさが嬉しかった。本当にそれが優しさから来ているのか誰にも判らないが、ナルミは素直にそう信じた。
「ありがとう、ございます」
頬を真っ赤に染めて頭を下げたナルミは、自分の目が潤んでいるのに気づいた。たったこれだけの事なのに。どうしてこんなにドキドキするんだろう?「似合いますか?」
自分でも抑えきれない想いをごまかすように、ナルミはおどけてポーズを取ってみた。
「ダメだなあ……。似合わない。その格好じゃしゃあないか」
真崎が嘆息する。客観的に言っても、ナルミには野球帽もサングラスもまるでそぐわない。加えて今の服装ではなおさらで、滑稽すら感じさせる。
真崎の言葉に、”俺は野球帽とサングラスが似合うような女性がタイプなんだ”という響きを感じ取り、ナルミは表情を曇らせた。
「あの〜、さっきの方……、同僚のパイロットさんですか?」
歩きながら、ためらいがちのナルミの問い。
「ん? 生駒一尉の事か」
「あの、どういう人なんでしょう?」
「どういうつってもなあ。そんなに長い付き合いじゃないし」
「あの、真崎さんって、”イコマイチイ”さんと付き合ってるんですか!?」
ナルミが慌てて訊ねる。一尉というのが階級を表していることすら気づいていない。が、聞かれた真崎の方も驚いたようだ。
「そうじゃない。組んで飛び始めてから間がないってことだ」
珍しく言い訳するかのように早口でまくしたてる。
「そう、ですか」
ナルミは単純に安堵する。ふわっとした笑顔を見せるナルミを前に、いつも気難しげな真崎の表情も心なしか穏やかになっていた。
やがて、宇宙港を望見出来る丘に、軒先を並べる店を見つける。いくつかの屋台のような店が西側に向かって建ち、その前に屋外にパラソル付きのテーブルが並んだ形式である。宇宙港開港の暁にはお客さんがたくさん来るんだろうな、ナルミはそう思う。
二人は空いているテーブルの一つにつき、向かい合って座った。
完全なセルフサービスで、ウエイトレスの一人も寄っては来ない。お世辞にもはやっている訳ではないのに、サービス良くしたほうがいいんじゃないかな、ナルミは素直な意見を口にする。
「店のほうも、まだ本気じゃないってことだな。なんにする?」
真崎が備え付けのメニューを手に取る。
「……真崎さんは?」
「ざるそば」
即答する真崎。ナルミがメニューに視線を走らせると、確かにうどん・そばの店のメニューにざるそばがあった。
「じゃあ、私もそれで」
何でも良かった、真崎と同じものを食べられるなら。
「よし、注文してくるわ」
真崎はひょいと席を立った。今をときめく声優・井上ナルミと共に食事をすることに、何の価値も見いだしていない様子だった。彼にとっては、例え誰が空いてでも、昼メシを食うという以上の意味を持たないのだろう。
その後ろ姿を見送るナルミの頬が赤くなる。幅の広い背中は、十四歳の時に見たそれと同じだった。
無性に嬉しくなる。世の中の全てが、自分と真崎のために動いているような錯覚さえ覚える。完全に舞い上がっていた。
だから、ナルミは彼女の背後から近づいてきた少年少女の気配に全く気づかなかった。
浅く椅子に腰掛けたナルミの首筋に、無痛注射器が押しつけられた。同時に空気の抜けるような音が一瞬響き、彼女の身体がわずかに跳ねた。
「え?」
振り返ると、少し怯えた表情の少女が居た。その後ろには、冷淡な笑みを浮かべる少年。なにか奇妙な取り合わせに思われた。
なにをしたの。そう訊ねようとしたが、うまくいかない。景色の色使いが何故か淡くなっていくのを不思議に思いながらも、言葉が全く出てこない。
(真崎さん……)
彼女の意識は、溶けるように薄れていった。
「どのくらい効果があるの?」
無痛注射器をウエストポーチに押し込む二万里が、陶に訊ねる。
「残念ながら、これだけでは、夢を見ているような状況に陥らせるのがせいぜいです。心身に強い衝撃があった場合、元に戻ってしまうかと」
「そんなので、うまくいくとは思えないけど……」
その時、ナルミが軽い声を漏らした。二万里がびくりと身体を振るわせる。
「ただの寝息ですよ。今、彼女はとても気持ちの良い夢を見ている最中です。その心地よさが、何もかもを許容する気持ちの広さを招くんです」
実際、ナルミの口元ははっきりと笑顔のそれになっていた。
「さ、ナルミさん、行きますよ。立って下さい」
ナルミの耳元で陶がささやく。
「ん……、はい」
ふらりとナルミが立ち上がる。思考力を失った彼女は、今どういう状況に置かれているのか理解できないでいる。ただ言われるままに行動するだけだ。
――13:00。
硫黄島西部。第五一二地下倉庫。
ヘルメスの充電が進む室内には、重い沈黙が満ちていた。
「充電まであと四時間、ずっとここに居るんですか?」
音のない世界に耐えられなくなったか、壁に持たれて座り込んだタカトラが聞く。
「そうね。そのつもりだけど」
そう簡単に言われてしまえば、タカトラとしては、そんなものですか、としか応えようがない。仕方なく言葉を継ぐ。
「腹、減りません?」
レミがくすりと笑った。自分もタカトラも、随分と落ち着いていることにおかしみを感じたのだ。
「さっきお昼ご飯食べたばかりじゃないの?」
「それはそうなんですけど。三時のおやつとか」
気まずそうなタカトラを見て、レミの微笑みが大きくなる。
「……俺、何か買ってきますよ」
とうとうタカトラは腰を浮かせると、レミの返事も聞かずに外に飛び出していった。
「退屈だものね」
残されたレミは小さく呟き、ヘルメスの胸部を愛おしげに撫でた。
身長二メートル三十センチ、体重二百八十キロの、銃創を負った白い巨漢は、黙して語らない。もしこのヘルメスに感情があったなら、再び人殺しをすることに、どんな思いを抱いているのだろうかとレミはちらりと考えた。
思えば長い付き合いだ。レミは、この装甲潜水服の開発段階から携わっていた。
「きっと、怒ってるよね。ごめんね、でも、今の私にはこれ以外考えられないの」
――13:15。
硫黄島中部居住区。
「ありゃ?」
コンビニエンスストアでちょっとした食べ物を買い込んできたタカトラは、首を傾げた。島の中央を東西に貫く幹線道路。その歩道を、東に向けて横に並んで歩く三人の男女が前にいた。真ん中の女性に見覚えはないが、その両脇にいるのは、陶と二万里の後ろ姿に間違いなかった。
(あの二人、知り合いだったのか?)
「お〜い、二万里先輩! 陶! こんなところでなにしてるんだ?」
大声で呼びかけ、返事を待たずに走り寄る。両脇の二人が振り向く。二万里は驚いている様子だ。
「やあ」
陶がいつもの、底の見えない笑顔でタカトラを迎える。
「二万里先輩と知り合いだったのか」
「つい最近の話さ」
ふと二万里を見ると、顔が強ばっている。
「や。もしかして、まずいところをみつけちまったとか?」
するりと二万里がタカトラの背後に回ったのに、迂闊にも彼は気づかなかった。見慣れない女性が顔をわずかに動かし、サイズのあっていないサングラスがずれて目元が露になったからのに気を取られていたからだ。
「……井上ナルミ? まさか」
その顔を見て、さしものタカトラも目を疑った。
「実は、ちょっとした知り合いでね」陶が口の両端を斜め上につり上げる。
「たいした交遊範囲だな」
心底感心したタカトラだが、次の瞬間、口元に布が押し当てられた。
「ぐえ!?」
一瞬息が詰まり、反射的に布地越しに思い切り息を吸ってしまった。途端に思い切り膝から力が抜けてへたりこむ。意識を喪う寸前、二万里先輩、まずいところ見られて怒ってるのかな、そんな意味のない言葉が脳裏に浮かんだ。
「ったく、間の悪い……」
苦々しげに吐き捨てる二万里を、陶の冷め切った瞳が見据えていた。
「なんてことを。タカトラ君は、僕の言葉を信じていたのに」
「生憎と私は演技派じゃないから。どうしよっか、こいつ」
肩に手を回して無理矢理立たせたタカトラの横顔を見ながら、他人事のような二万里が鼻を鳴らす。睡眠薬を思い切り吸い込んでしまったタカトラの身体は石のように重かった。
元々、睡眠薬を仕込ませた布地はナルミの動きを封じる為に用意していた代物だったが、あまりにもナルミが無防備だったので使う機会がなかったものだ。
「まずいことをしましたよ。貴女はさっきの行為を説明するために、更に演技をする必要が生じました。どんな合理的説明が出来るのか、聞かせて貰いたいものです」
どうやら本気で腹を立てているらしく、陶が早口でまくしたてた。二万里もむっとして言い返す。
「説明なんてする必要はない。ナルミと一緒に連れていけばいい。どっちにしろ、明日にはカタがついている」
「貴女という人は……。もう少し、思慮のある方だと思っていましたよ」
「なんとでも言って」
すっかり険悪な空気を孕みながら、二人は意識のないタカトラと茫然自失のナルミを連れて、陶の家へと向かった。
――13:40。
硫黄島中部居住区。第一中学校。グランド。
「はぐれたぁ?」
生駒の頓狂な声。すぐにそれが怒声に変わる。硫黄島基地から破損したタービンブレードの予備部品が運び込まれて、懸命の交換作業を行っていた整備員達が何事かと二人の様子を伺っている。
「真崎一曹! レディのエスコートも出来なくてどうするの! 情けないわねえ」
「あちこち探してまわったんすけどね……」
俯き加減の真崎。己の非を認め、自分自身に腹を立てている顔。
それも見て、生駒も声のトーンを落とす。
「とにかく、関係者の方に連絡取ってみないと。ええと、どこかに公衆電話ってないかしら――」
グランドの外に走り出ようとして、マネージャーの名前すらまともに聞いていないことに気づいた生駒が愕然となった。
――14:00。
硫黄島中部居住区。911棟2−A号室。
リビングのソファでひっくり返っているタカトラを冷ややかな目で見下ろしていた陶が、ふと思いついたように隣接する寝室に足を運んだ。
「お姫様の様子はどうかな?」
「楽しい楽しい夢のなか、ってね」
キングサイズのベットの端に腰を下ろす二万里が、憮然とした表情で顎をしゃくってみせる。バイザー付きのヘルメットを被せられたナルミが、浅い息をして胸を上下させている。
「夢の続きは現実で見て貰うことになります」
陶は壁に掛けられたアナログ式の時計に視線を送った。あと三十分もすれば、貴重なUF同調者が誕生するはずだった。
口元だけで笑いを表現した陶が、携帯電話を手に取った。世帯間通信用のテレビ電話ではないのは、相手が島の外にいるからだ。
しばしの呼び出し音の後。
「……私だ」
古風な響きすら感じさせる応答があった。
「計画は順調ですよ、父さん」
「イレギュラーな事態への対処は?」
「それを報告するための電話です」
陶が、修正した計画を伝える。彼の電話の相手、陶ムラシゲは不満げな声を出した。
「頭数が足りないのではないか? 送り込まれるコマンドは、せいぜい五十人が限度だぞ」
「重要でない目標に対しては、こちらで確保した同調者を使います」
「そのほとんどが中高生ではないか」
「問題ありません。やってみせます。僕はその為に送り込まれたはずですよ」
陶がいつもの薄笑いを浮かべた。
「勝算があるならば、それを止める理由はない」
新日本赤軍リーダーである実父の言葉を受けて、彼らの上部組織たるUFの極秘計画は密かに、そして大胆に動き出した。
そのことを知るものは、まだ陶を含めてほんの数名だった。
――14:30。
硫黄島北北西海上百二十キロ。
白い波の目立つ荒れ気味の海を南下する二隻のフネ。前を往く小ぶりなフネは、まるで後ろから迫る巨大な船体に追われているようにも見えた。
無論それは錯覚だ。実際には、前のタグボート『第二十三天地丸』(一万総トン)が、先の空爆で破壊された浮体ブロックの代替であるコンクリート塊に整流コーンを付け、曳航しているのだ。
一口に整流コーンと言うが、全長三百メートル、幅五十メートルの巨大な直方体の造波抵抗を打ち消すための代物だから、これまた巨大である。両脇に補助推進装置を有するために幅が五十メートル以上あるのに加え、全長も五十メートルになる。上から見ると、二等辺三角形状に見えることになる。これだけのデカブツを引っ張りながら十二ノットで巡航出来るのも、この整流コーンのお陰である。
「全くやれやれですね」
ブリッジでは、『第二十三天地丸』の若き船長が、ベテランの航海長に話し掛けていた。
「大変なのはこれからですよ。なにしろ潜水艦が潜んでいるという話ですから」
「海上自衛隊が守ってくれるはずですが?」
「撃たれれば、それまでですよ」
航海長は豪快に笑った。船長は気まずげに前方を見据える。南の空は暗雲が垂れ込めている。
――15:00。
硫黄島中部居住区第一中学校。グランド。
疲れた表情の生駒が、グランドの端にある砂場脇の鉄棒、その支柱の根本に座り込んでいた。
「判んないわね」
ナルミ御一行様宿泊のホテルの名前を割り出し、要件を伝えるのに思いのほか時間がかかってしまった。しかも取り次いだのが、妙に職業意識に燃えたホテルの人間だったから事がややこしくなった。大した用でもないのに電話を掛けてくる連中が後を絶たなかったらしい。まともに要件を伝えるのに三十分以上もかかってしまった。
そこまでして報告を入れたというのに、返ってきたのは馳倉の意外な言葉だった。ナルミは既に、一時間遅れながらちゃんとホテルに戻ってきたという。
「ホントに判んない」
生駒が同じ言葉を繰り返した。戸惑い気味の視線で顔を上げ、鉄棒にぶら下がっている真崎の顔を伺う。真崎は無言のまま。
仕方なく、生駒が言葉を継ぐ。
「真崎一曹のことほったらかしにして、先に帰っちゃうなんてね。もしかして、なにか失礼なコトしたんじゃないの?」
「してないっすよ、そんなことは」
そう応じる真崎だが、声に勢いが感じられない。彼自身も不思議に思っているのだろう。もしかしたら自分の気づかぬ内に、なにか失策をやらかしたかも、と思案している表情になる。
それを振り切ろうとしてか、真崎がくるりと懸垂逆上がりで上半身を鉄棒の上にはね上げた。
「ま、大事にならずに済んで良かったわよ。修理ももうすぐ終わるそうだし。……一言挨拶しておきたかったけど、向こうも忙しい身だしね」
「そうっすね」
鉄棒の上、腹で体重を支える真崎は素っ気ない。まだ腑に落ちないと言いたげである。見上げる生駒が口元を上げる。
「ひょっとしたら、とんでもない大物を釣り損ねたかもね」
答える代わりに真崎はすとんと着地した。まだ浮かぬ顔だった。
――16:10。
硫黄島西部。第五一二地下倉庫。
冷房の利いた室内は心地よかったが、レミは気分の高まりと共に、掌が汗ばむのを感じていた。
「フルチャージ完了まで、あと三十分ってところかしら。……タカトラ君、どうしたんだろ」
レミは呟いた。何か買ってくると言い残して倉庫を後にしたタカトラが戻ってこないのが気に掛かっていた。
「まさか、気が変わって誰かに報告してるなんて事、ないよね」
レミは、何もない空間に語りかけた。今ここで警察にでも通報されるのが一番怖い。
一体海中に何が潜んでいるのか。本当にそれを脅威と感じているのはレミ一人かも知れないのだ。自分のこれからやろうとしていることが、宇宙港と硫黄島を救う行為であって欲しい。一瞬そんな言葉を胸に思い浮かべ、それを即座に否定する。
これはただの復讐。誰のためでもなく、自分のけじめの為の――。
と、倉庫の扉がするりと開いた。レミはヘルメスの方を向いたまま安堵の息をつく。
「タカトラ君、遅かったじゃ――」
「そこで何してる!」
慌てて振り返ると、黒地の戦闘服に身を固めた、やけに体格の良い男が二人。
レミの脳裏に、『たまな』の甲板上での悪夢が蘇り、足がすくんだ。
「我々は自衛隊の者だ。ここは一般人立入禁止区域だ。君はここで何をしている」
小銃を背負った男――トップチームの山口だった――が歩み寄ってくる。レミは膝から床にへたりこんでいた。自分のたくらみが水泡に帰した事を悟ったのだった。
――17:30。
硫黄島中部居住区。硫黄島警察署。
「まったく、困りますなあ」
取調室。レミは、先日病院で話をした、名も知らぬ公安警察の刑事と向かい合っていた。
「東郷さんに連絡したら、平謝りしてましたよ。『せめて気分転換にと思って、好きなことをさせたいと思って』とね。貴女のことは一言も責めませんでした。東郷さんとは長い付き合いですが、あんないい人に迷惑かけるなんて」
「……申し訳、ありません」
「私に謝られてもね。監督不十分の非は、私にもあるわけですし」
タバコを一服する刑事。レミは、立ち上る煙にぼんやりと視線を合わせる。刑事がタバコをもみ消した。
「確かに貴女が犯したのは、不法侵入と窃盗未遂くらいのものです」
刑事の言葉にレミが俯く。ヘルメスは彼女の私物ではない。
「ま、電気に関しちゃ、無料で使えるのは島民に限られてますから、その点に関しちゃ窃盗に当たるかも知れない。が、それは些細なことです」
刑事が口を閉じる。冷房のモーター音だけが部屋に満ちた。刑事の咳払いがそれを破る。
「貴女、なにをしようとしていたんです?」
「……」
「さしずめ、復讐といったところでしょう。全く困った方だ。貴女は、『たまな』を引き上げての現場検証の上、いずれ裁判にかかる身なんです。そのことをわきまえて貰わないと」
たとえ、武装した得体の連中に襲われたからと言って、相手全員を撲殺することが正当防衛にあたるのかどうか。どちらにせよ、法によって決着を付けなければならない。
「『たまな』をサルベージして、現場検証に立ち会って貰わねばなりません。それまでは、ここで大人しくして貰いますよ」
口調こそ穏やかだが、有無を言わせぬ圧力をレミは感じた。それでも言葉を振り絞る。
「……あの」
「なにか?」
「ヘルメスはどうなりました?」
まるで無反省にも思えるレミの問い。聞かれた相手も思わず苦笑を浮かべる。
「ああ、あれはあのまま置いてあります。随分と重い代物ですからね。いずれ『いちもんじ』のほうに移送されることになるでしょうが」
レミは完全にしょげ返った顔をしてみせた。腹のどこかで、これで良かったのだという安堵感が広がるのに驚く一方、まだチャンスは残されていないものかと懸命に知恵を絞っていた。
――18:30。
硫黄島中部居住区第一中学校。グランド。
風防が閉じられ、MH−7Jのローターが勢い良く回転し始めると、整備兵達から、歓声よりは溜め息に近い声が漏れた。
「さて、短い硫黄島訪問もこれまで」
コクピットで生駒は軽く黙礼して、手を振る整備兵達に謝意を示しつつ、そんな言葉を漏らした。
「戻ったら大目玉っす」
「よね。ま、真崎一曹は”運命の再会”が出来たから良いんじゃない?」
「なにが運命の再会ですか」真崎は珍しく機嫌の悪さを表に出した。「もしそうなら、なんで置いてけぼりを食らったりするんです?」
生駒が思い切り吹き出し、機体がほんの一瞬バランスを崩しかけた。
「あはは……! 真崎一曹も、人並みの男だって訳? これはおかしい」
けたけた笑う生駒と一層不機嫌になった真崎を乗せ、MH−7Jは『あやなみ』の待つ海域へと針路をとった。
だが、生駒も胸の奥で広がる違和感をどうにも抑えがたくなっていた。ナルミにすっぽかされた真崎の姿を面白がるあまり、肝心のナルミに何が起こったかを詮索しなかったのは、自衛隊員が犯した最初の過誤となった。
――20:00。
硫黄島中部居住区。911棟2−A号室。
ここはどこだろうか。見知らぬ――とはいうものの、タカトラの自室と大差のない――天井を見上げながらタカトラは考えていた。見たところ、生活感を最小限程度には感じさせる部屋だった。
脳天が疼いた。いきなりだったものな。その言葉に嫌悪を抱く。妙な薬を嗅がされたという記憶があるが、そこで意識が切断されている。
部屋のドアが開いた。陶が入ってくる。
「ここは?」
「僕の部屋さ」
陶がにんまりとし、タカトラがげっそりとした表情で陶の顔付きを伺った。
「ことが済むまで、ここでゆっくりして貰うことになる。悪く思わないで欲しい。君は見ては行けないものを見てしまったんだ」
何のことか、タカトラには把握できない。
「お前が井上ナルミと一緒にいることが知られちゃまずいのか? それとも、困るのは二万里先輩のほうか?」
「どうかな。まあ、せいぜい一日の辛抱だよ」
「そんなことしたら、オヤジが疑うぜ」
警察に届けるかも知れない。松田チアキの例もある。行方不明となれば、いかに警備で忙しいとは言え、警察も黙ってはいまい。タカトラがまくし立てた。己の身可愛さからではない。純粋な憤りに燃えての、殺気さえ感じさせる剣幕だった。
「それはない」陶が冷たい笑みで応じる。「タカトラ君は、僕の家に泊まりに来たことになってる。現に君はここにいる。何の問題もない」
大げさな身振りで言い切る。
「それはまた、名案を思いついたものだな」珍しく皮肉めいた調子でタカトラがぼそりと言った。心の中で付け加える。オヤジは、その手の話を簡単に信じるタチだからな。「だがな」
「ん?」
「もし俺が力づくで帰ろうとしたら?」
「今日は二万里さんも、ウチに泊まりに来る事になっている」
タカトラは一層げんなりとなった。硫黄島高校剣道部副主将・二万里ヒビキ。逃げにかかった相手を追いつめる執拗さは、仲間うちで知らぬ者はない。滅多なことでは隙を見せる相手ではない。
2.ライブ
Xdayマイナス七二日――硫黄島東北東沖。
――18:55。
水上機母艦『みずほ』の後部上甲板には、ヘリパッドが設けられている。船内にミサイル艇を収容するというその性格上、船体は横幅があり、『あやなみ』より大型のヘリを運用出来る。
今回は十式対潜哨戒機を搭載し、硫黄島周辺で不審な活動を続けるロシアの潜水艦狩りに当たらせていた。
『みずほ』を発艦した一〇式対潜哨戒機は、硫黄島沖東北東六十キロを低速で南下していた。
『オスプレイ』に似た機構を持ち、胴体上縁から伸びる主翼には、角度を九十度変更可能なターボ・プロップエンジンが、二重反転プロペラを回転させている。
オスプレイと大きく異なるのは、エンジン部からも更に外側に翼があり、エンジンを水平にしている状態では、通常の滑走によって離陸することも可能である点だ。
一〇式対潜哨戒機による対潜プロセスは終盤に入りつつあった。
ソノブイをばらまき、アクティブピンを打って正確な位置を既に割り出してあった。この海域に潜むのは、アクラ級攻撃原潜。恐るべき相手ではあるが、ポイントが特定されている限り、必要以上に脅威に感じる必要はない。所詮、潜水艦は対潜哨戒機の敵ではない。
一〇式対潜哨戒機の機長は、そんな不遜とも思える言葉を疑いもせず、発音弾投下を命じた。投下の瞬間、機体がわずかに揺れた。
泡立つ海面に波紋を作って発音弾が海中に消える。ほとんど直撃に近い位置に見事投下されていた。そして炸裂。潜水艦の乗組員は、耳元で時計台の鐘を鳴らされたような衝撃を感じたはずだ。
(さて、これでもだんまりを決め込むか?) 相手が無反応であることに、機内に嫌な沈黙が流れるかと思われた瞬間。
「浮上してきます!」対潜員が怒鳴った。
「間違いないか?」
「はい!」
声を弾ませる対潜員の言葉に、機長も相好を崩す。
ようやく、こちらの示威行動が功を奏したのだ。機長は操縦桿を前に押し倒した。
十式対潜哨戒機が高度を下げていく。対潜魚雷による攻撃態勢に入る。が、当然威嚇のつもりだ。
やがて、荒れる海面を割って、アクラ級の丸みを帯びたセイルが海上に突き出て、船体上部が波に洗われ始めた。
だが、てっきり降参したのかと思っていたところ、セイル後部から何かがポンと飛び出した。赤外線追尾式地対空ミサイル・SA−N−8”グレムリン”だった。
ちょうどアクラ級潜水艦の真上を航過したばかりだった一〇式対潜哨戒機は、背後を突かれた格好になった。
フレアを撒いて機体を捻る。放り出されたマグネシウムが発火、花火のように燃えさかって煌めく。が、残念ながら間に合わない。左エンジンの至近で炸裂、ローターをずたずたに切り裂いた。
機首ががくりと下がる。そのまま、懸命に機首上げを試みながら海面に叩き付けられる。
一〇式対潜哨戒機墜落の瞬間は、硫黄島の真東でアクラ級の動向を見張っていた『しんじ』の艦橋からも良く見えた。
白い水柱は、一〇式の機体の形に合わせ、崩れた形状で立ち上った。恐らく乗員の一人として生きてはいまい。
「畜生、やりやがったな!」
緒方が喚いた。自ら舵を取り、速力を最大の五十ノットに上げようとスロットルを押し込んでいる。
「突っ込む気ですか?」
加賀井が息を呑む。対照的に緒方が息巻く。
「無論だ。潜航前にバルカン砲を叩き込んでやる」
加賀井は悲しかった。あの、温厚で誰にでも優しさを忘れない緒方ユウサクはどこに行ってしまったのだろうと思う。全ては正体不明の潜水艦のせいだった。この時、彼女は初めて純粋に潜水艦に憎悪を抱いた。
そのころ、硫黄島の東でも、タイフーン級が浮上を始めていた。
警戒に当たっていた『とうや』がこちらもダッシュして駆けつける。
そこに、背後から魚雷が放たれた。もう一隻のアクラ級による、バブル・スライダーと呼ばれる高速航行方式を採用した”シクヴァル”魚雷の攻撃。最大七十ノットで突っ込んでくる。四十ノット以上出していた『とうや』のソナーは、船体の生み出す雑音に邪魔されて、ほとんど後方からの推進音を捉えることが出来なかった。
完全に不意をつかれた『とうや』の魚雷型船体に”シクヴァル”が命中し、半球状に海面が盛り上がった。二つの船体を繋ぐ支柱が衝撃で全て断裂した。『とうや』の上部船体は一瞬空中を飛び、そのまま海面に滑り込んだ。その時には、乗員の半分が、跳ね上げられた瞬間に頭を天井にぶつけて首の骨を折っていた。
――18:56。
硫黄島南部観光区の沖合では、一〇式対潜哨戒機が撃墜されたのと時を同じくしてタイフーン級戦略原子力潜水艦浮上していた。
その後部に設けられた格納庫のハッチが開く。その中から、水陸両用のPT−76戦車が、海面をかき分け硫黄島東部の砂浜へと向かう。同様に水陸両用の兵員輸送車・BMP−1も海面上を進み始めている。
二両を降ろしたところで、甲板前部から箱状のものがせりあがり、前方に傾斜した。鋭い音を残し、無数の対地ロケットが硫黄島基地に向けて発射される。
同時に硫黄島西部に陣取っていたアクラ級攻撃原潜からも艦隊地ミサイルが打ち出されていた。
警戒態勢を取っていたものの、レーダーの復旧が充分でなく、しかも防空施設では対抗不可能な数のロケットを浴びせられたのでは、いかに八七式対空自走砲が三十五ミリ砲を連打しようが、焼け石に水もいいところであった。硫黄島基地は再び滑走路を撃砕された。八七式対空自走砲も、八式装輪装甲車も炎上した。
その時、天満は自らを含めて八名、九三式高機動車二両を連ねて、南海岸沿いにパトロールを続けていた。
「小隊長! 今のは」
北の方角に立ち上った火煙を見つけた山口の声は、ほとんど悲鳴だった。
「基地がやられた……。ぬ!」
天満が潰れた声を出した。右手に見える荒れた海面で何かが動いたのだ。その向こう、水平線上に何かが盛り上がっている。
「……まさか!」
山口も横手からの殺気を感じた。九三式高機動車が停止する。後続も同じく、戸惑い気味にブレーキをかける。
「散れっ!」
海側から対戦車ミサイルが唸りと共に飛来。高機動車が、金槌でぶん殴られたプラモデルのように吹き飛ぶ。
「くそっ」
対戦車ミサイルがもう一発。二両目の九三式高機動車がやられた。これも、寸前で隊員が転がり出ていて間一髪助かった。
「まさか、敵が上陸してくるのか……」
さしもの特殊部隊隊員も、唖然としている。
「退避する。我々の今の装備じゃ、太刀打ちできない」天満は憮然としていた。
「退避って、どこへ!?」
おうむ返しに聞く山口を天満が一喝する。
「落ち着け、何のために地下通路の入り口をチェックしてまわっていたと思ってるんだ!」
天満は急いで最短距離にある、歩道に埋められた地下通路入り口脇に立つ電柱に飛びついた。そこのテンキーコンソールを叩くと、歩道と一体化していた入り口がせり上がってくる。
ちょうど地下鉄の駅への入り口と同じ構造をしているそれが登り切らないうちに、トップチームの隊員はその中に転がり込んだ。直後、砲弾がその出入り口に着弾してそこを瓦礫の山に変えた。
――19:00。
硫黄島中部居住区硫黄島高校。体育館。
硫黄島中央を東西に結ぶ幹線道路に沿った北側に硫黄島高校はある。東側には硫黄島第一中学校があり、両者を隔てる歩道に、向かい合う形で正門がある。
ライブ会場である硫黄島高校の体育館は敷地の西側にあり、南に向いて正面入り口がある。東西方向に横たわる高校の校舎の西端からは渡り廊下で、北東にある裏口に通じている。生徒達にとってはそちらが正面という感覚があった。
午後から雨が本降りになっていた。風も出始め、南海岸の歩道に沿うフェニックス並木が不気味な風切り音を轟かせている。
そんな悪条件の中、体育館には、三千人の観客が詰めかけていた。体育館西側にある、収容三百台の駐車場では追いつかず、中学校と高校のグランドが臨時の駐車場に割り当てられたが、硫黄島にある全ての車が集まったかと思えるほどだった。
三千人のうち千人は、島外からわざわざ押しかけてきた連中だった。入れなかった者は、やむなく島内のテレビ局が生中継する映像を見て我慢する羽目になった。
「この島でやるライブなんだから、島の人間を優先的に入れればいいのに」
開演前。めいめいの話し声が、音響に気を配って設計された館内に、うねるように響いている。境の声もまた、その一翼を担うべく、目に見えない波となって広がり、他の音に溶け合っていく。
「かといって、高い飛行機代払って見に来た人を追い返すこともできないよ。第一、全て当日券じゃあ、早いもの勝ちは仕方ない。僕たちは早めに来てラッキーだった」
隣の席で、南雲が肩を竦めていた。
どうして南雲君が隣りにいるんだろう? 境は今更な疑問を抱く。南雲との感性の違いに、いいかげん苛立っていた。
タカトラは昨晩、陶の家に泊まるというメールを寄越しただけで、それっきり音沙汰無しである。居候していたレミもいつの間にか居なくなってしまっていた。境の両親もタカトラの父・ヒサカズも宇宙港に詰めている。何か重大な事態が持ち上がっているかららしかった。
境は自分が蚊帳の外に置かれている、そう思っていた。島で最も話題の場所に居るにも関わらず、その思いを払拭できないでいる。
「随分と物わかりの良い、と言いたいところだけど。それじゃ、どうして島にまで来なきゃ行けないのよ?」
自然、境の口調はきついものになる。
「ナルミが? それとも”ナルミスト”が?」
境の苛立ちに気づいているのか、南雲の口調は呑気なものだった。
「どっちもよ」
ざわつく館内に、開演を告げるブザーが鳴る。潮が引くようにざわめきが収まっていく。だが、どうしても静寂にはほど遠い雑音が残る。
照明が落ちた。避難用通路の場所を示す緑色の灯りが、雰囲気をぶちこわしにしているが、こればかりは絶対に消すことが出来ない。
じれったくなるほどの間。ふいに、ステージに一条のスポットライトが降り注ぐ。
その中央には、いつの間にスタンバイしたのか、背もたれの高い木製の椅子に腰掛けたナルミが居た。薄紫のワンピース。腰にはベルト代わりに水色の布を巻き、背中でリボン状にして結んでいる。
ゆっくりとした動作で手にしたマイクを口元に持っていく。
「皆さん今晩わ、井上ナルミです。今日は生憎の嵐ですが、こんなに多くの人がこのライブに来てくれて、ホントに嬉しいです」
わあっと歓声。それが静まるのを待って、瞳を煌めかせるナルミが続ける。
「さて。今日はせっかくですので、歌に入る前に、ちょっとだけ話をさせて下さい。私らしくない真面目な話ですけど、大事なことなので、どうか聞いて下さいね」
ナルミが椅子から立ち上がった。一歩前に出る。スポットライトも前にずれる。「皆さんは、この世界が誰のものだと思いますか?」
唐突な問いに、一瞬観客が静まり返る。
「そう、勿論、私達みんなのものですね」
にっこりと微笑むナルミに、ひきこまれるように頷く者がいる。
「ですが、その誰にでも判る理屈を犯そうとしている人達が居ます。それは、皆さんも良くご存じの、ある組織です」
そう言って言葉を切る。観客に考えさせる時間を与えるためだ。
「その組織とは……、UN――国際連合に他なりません」
あくまでも笑顔を絶やさずに言い切るナルミ。再びざわつく観客。
(どうしちゃったの?)
ステージの袖から見ている馳倉は気が気でない。元々ナルミは、アドリブで気の利いた話の出来るほうではない。むしろ台本通り、演出家のイメージを現出させることにプライドを感じるタイプだ。
それが、今回は事前の台本を完全に無視して、いきなり勝手な話を進めている。考えられないことだった。
どうしちゃったの、その言葉は、ナルミの脳裏にも渦巻いている。私、一体どうしちゃったんだろう。どうして私、こんな事を一生懸命になって喋ってるんだろう。だが、頭に浮かんだ疑問は、決して表現されることはない。ナルミは自分の意志とは無関係に、自分でも理解できない言葉を紡ぎだしていた。
「UNがセカンドインパクトの後、いかに権力を私物化していることか! それは、先進国軍隊を治安維持の名目の元、UNの指揮下においてることからも明らかです」
声を張り上げたナルミの姿に、今度は観客が静まり返る。どう反応すべきか考えあぐねている。境も南雲も、例外ではない。
「ちょっと唐突な話でしたかね」
照れ笑いのようなものをみせて、ナルミは言葉の間合いを計った。表情とは裏腹に、ナルミは心の中では泣いていた。こんなんじゃない、これは私じゃない、声を大にして叫びたい。それが出来ないならこのステージから逃げ出してしまいたい。しかし、心の悲鳴は観客には伝わらない。ナルミの身体は完全に彼女の思いを無視して、勝手に動いていた。
「実は今日、ゲストをお招きしているんです。ですので、こんなお話をしたんです」
観客の中に、安堵の空気が広がり、すぐにそれは好奇心に満ちた疑問へと変わっていく。ナルミの奇妙な話と、それを前説にして表れるゲストを思い浮かべることの出来た者は皆無だった。
と、突如、体育館の複数の入り口から、迷彩の戦闘服に身を固めた兵士が数名、客席内になだれ込んできた。それに気づいた者が悲鳴を上げる。が、なかには演出かと思って平然としている者も多い。
「今日は、記念すべき日になります。UNの支配に対して敢然と反旗を翻す新たなる国連――UF、ユニバーサル・フェデレーションの同調者の皆さんです」
大柄な体躯を、一分の隙もない装備で纏った一人がステージの上に駆け上がる。顔中にドーランを塗ってはいるが、わずかにヘルメットから覗く髪はブロンドで、瞳は青かった。どうやらこの場における兵士達の指揮官であるらしい。その男がナルミの傍らに立った。ナルミが、綿密な打ち合わせでもしていたかのようにマイクを差し出す。
「UFは、硫黄島宇宙港の管理責任者に対して要求します」
受け取ったマイクを片手に、流暢な日本語で指揮官らしき男が語り出す。
「日本のNASDAがUNの命令の元建設を進めている宇宙港には、強力な兵器を幾つも内蔵したブロックが存在します。それは、宇宙港とは何の関係もない、無意味かつ悪意に満ちています。ここに、武装ブロックのUFへの引き渡しを要求します」
3.主導権
Xdayマイナス七二日――硫黄島西海岸沖。
――19:10。
UFの奇襲を受けたとき、『あやなみ』搭載のMH−7Jは、帰還して充分な整備を受け直している途中だった。MH−7Jは敵襲に対抗すべく、対潜ユニットを装備して出撃し、斜めに降り注ぐ雨を蹴散らして視界の向こうに飛び去っていった。
『あやなみ』整備部品区画。
各種ユニットが格納されているその場所は、ヘリ班達の仕事場であると同時に、サロンでもあった。ちょうど非番の豊田が島のライブ会場中継を携帯テレビで受信しており、その場に居合わせた全員が、非常事態の発生をリアルタイムで知ることとなった。
今、ナルミがUFの潜水艦に手出しをしないよう、UN――つまり、自衛隊だ――に呼びかけているところだった。
「全くまあ、とんだゲリラライブがあったもんだ。井上ナルミがUFに取り込まれたとはな!」
ヘリの発着作業を終えて、ずぶぬれになった作業着姿を乾かしている古鷹が毒づく。傍らで、同じような姿格好の豊田が真っ青になっていた。雨にうたれて身体が冷えたから、などではない。
「嘘だ……! どうして彼女がこんな事を……」
「人は見かけによらないというじゃないか。にしても、これは公の電波に乗ってるぞ、これ以上、UNも無視出来まい」
何故か、テレビ中継は中断されることもなく、緊迫した画像を映し続けている。
「どうやら、テレビ局も取り込まれたか占拠されたかしたらしいな」
古鷹は自分の右拳を左掌で磨くような仕草をした。凄みのある笑みを浮かべる。
「いよいよ本性を現しやがったか、UFめ。……自衛隊を嘗めるなよ。叩きつぶしてやる」
「……整備の人間の台詞じゃありませんよ、それ」
豊田がぼそりとツッコミを入れ、案の定古鷹に頭を小突かれた。
――19:15。
硫黄島宇宙港。BW−01兵装管制室。
照明が落とされ、モニタの映像が灯り代わりに室内を照らしている。その中の人々は顔を下側から光を浴びて、誰もが不気味な表情を晒していた。
「聞いたな?」
渋い顔をしているヒサカズが彼のまわりに集う二十名ばかりの宇宙港職員と、各企業から出向してきた技術陣に問う。皆が頷く。
彼らの元には、既に犯行声明が複数のルートから伝えられていた。今では正面スクリーンにライブ会場の生中継映像が映し出されている。
「人質がいる以上、下手な抵抗はしないほうが賢明だと思う。宇宙港長に諮ったが、概ねその線で了承して貰った」
彼の言葉に、それぞれが複雑な表情を見せる。宇宙港長は組織図上、硫黄島宇宙港の最高責任者ではあるが、まだ宇宙港が稼働していない現状では、ほとんどお飾りでしかない。実際に宇宙港の屋台骨を支えているのは、ヒサカズのような運行管理者であり、スケジュールをこなす技術者達であった。
「黙って明け渡すには、こいつは物騒すぎます」
兵装システムに携わる技官、島ミチヒサが言った。向こう気が強そうな面構えであった。
「勿論だ。だから、ただでは明け渡さない。出来るだけこの場に粘って、思いつく限りの破壊工作を行おう」
数名が相好を崩す。このままやられっぱなしでは癪に触る。誰もがそう感じていた。だが。
「その必要はありませんよ」
千熊ススムという名の技術者の一人が水を差す。
「なんだ? なにか良い手でも思いついたか――?」
千熊のほうに向き直りかけたヒサカズの目が見開かれる。相手の手に、拳銃が握られていた。
「無駄なことは考えないで下さい。皆さんに危害を加えたくはないのです」
「そいつは反則だぜ」
この裏切り者が。舌打ちしながら両手を上げる。ホールドアップというよりは、”お手上げ”そのもののようにヒサカズには思われた。
宇宙港の東北端にあるBW−03には、小型艇用の発着場がある。そこに横づける形で特殊潜航艇が浮上した。
発着場は普段はシャッターが降りている。それは今も同様だった。が、特殊潜航艇はマニピュレーターで爆薬を仕掛けると、難なくそれを爆破して内部に侵入した。
「今から名前を読み上げる方は、私と一緒にBW−03に移って頂きます」
「人質か」
「それもありますが、硫黄島宇宙港を支えるスペシャリスト御一同様です」
千熊が取り出したリストの最上部に、東郷ヒサカズの名前があった。
――20:00。
硫黄島中部居住区。911棟2−A号室。
「どうするんです?」
陶が姿を消したリビング。その場に残され、ソファに妙に態度の大きな姿勢で座るタカトラが、その背後で仁王立ちになっている二万里に聞く。二人してテレビ観てるなんて、ロクなもんじゃないなと思う。
「どうもしない」
タカトラの頭に疑念が浮かぶ。
その一方で、彼の手は手元にあった今日の朝刊を四つ折にして、くるくると丸めている。
「判りませんね。二万里先輩ほどの人が、たかが俺の見張りで、ことが済むまで退屈な時間を過ごすんですか? それに、陶はどこに行ったんです? 第一、なんで中学生の陶の命令を二万里先輩がはいはい言って聞かなきゃならんのですか」
「一度に聞かないでよ。こっちは聖徳太子みたいには行かないんだから」
二万里が苦々しげな顔をして、言葉を選びながら答え始める。
「あんたの見張り役は、私のほうから陶に頼んだ。いい加減、やばい事をするのに腰が引けてきた。陶はたぶん、あの――」
二万里はテレビの映像に視線を送った。占拠している兵士の数を知らせないためか、カメラは一瞬たりとも観客の様子を映さない。
「ライブを見に行ってる筈。井上ナルミにあんな妙な演説をさせているのは、陶だから」
「どうやって?」
「松田チアキに会った?」
聞き返した二万里は、手に離さず持っている竹刀の先をぶらぶらとさせた。竹刀を持っている限り、怖いものなしなんだろうなとタカトラは思いつつ頷く。
「……ええ。おかしな事を言ってました。UFがどうとか」
「あれも、陶の仕業。特殊な自白剤を注射して、洗脳している」
「とんでもない話だな。あいつ、何者ですか?」
なおも新聞紙をきつく丸めながら、タカトラが質問を浴びせる。
「陶自体はどうという事のないきざ野郎……。問題は、奴の親父。陶ムラシゲってくせ者。新日本赤軍のリーダーだか創始者の一人か、って話を聞いた」
そういう二万里は、辛そうな表情を見せていた。妙な奴の口車に乗ってしまったことを後悔している顔だった。タカトラが思い切り鼻を鳴らす。
「道理で妙な事言ってる奴だと思いましたよ。いいんですか。そんなにぺらぺらと」
「きっとダメよね」
二万里が頭を振る。だけど。腹の中に貯め込んで置くには、あんまりな話だからね。
「俺、味方になっても良いですよ」
タカトラが振り返って、上目遣いで二万里の表情を探る。
「それはなおさらダメ。私は自分の役割はきっちり果たす」
二万里はきっぱり言い切る。
「そう言わずに、なんとかなりませんか? 俺も、この島にはうんざりしてるんですよ」
「陶が言ってた。タカトラは味方にしても、敵に回しても厄介な相手だって」
「……誉めて貰ってるんですかね」
ま、無理な相談だったかな。テレビのほうに向き直るタカトラの腹に熱い何かが駆け抜けた。体の中に渦巻く殺気を押し込める。肩の筋肉が盛り上がった。
次の一瞬。
「チェェーイッ!」
溜めに溜めた気合いが、固く丸めた新聞紙の先に炸裂した。身体を捻り様、新聞紙の先端を二万里の喉に向けて突き立てていた。
「ぐぁは!?」
妙な悲鳴をあげて、二万里は竹刀を取り落とし、両手で喉を押さえた。もう一撃、とタカトラは瞬間思ったが、それを即座に否定する。今は逃げるのが先だ。
『本当なら、剣道で勝負したかったですよ』。そんな言葉が頭に浮かんだが、それを口にしている暇すら無さそうだった。
うずくまる二万里を押しのけて、タカトラは脱兎の如く部屋を飛び出した。
――20:10。
硫黄島中部居住区。第三五三避難壕。
中部居住区南端の地下にある薄暗い通路の中は、埃がうっすらと積もっていた。宇宙港が開港するまでは、使用する住民が居ないとの判断の元、閉鎖されている避難壕であるからだ。
「これからどうします?」
憎悪とも闘志ともいえない、何かの意思をギラついた目で体現した山口が天満に問いかけた。
「優先順位……」
天満が呟く。
「まずはライブ会場の人質の解放。同時に外部を固める上陸部隊の殲滅。次いで、宇宙港の奪還」
山口は即座に応じた。この程度のあうんの呼吸がなければ、天満の右腕役は務まらない。
「その通りだ。策を考える」
トップチーム隊員八名は額を突き合わせて作戦を出した。兵は神速を尊ぶ。概案は十分ほどで立案された。
「海自さんと連絡を付けます」
山口が、装備していた通信機のスイッチを入れ、壁面のコネクタパネルにケーブルを突っ込み、周波数を海上自衛隊が常時モニターしているものに合わせた。携帯電話よりは二まわり大きいが、それだけに汎用性は見た目のイメージ以上に広い。地上の電波塔を通じて、これで通話できる筈だった。
「こちら、陸上自衛隊”トップチーム”、『あやなみ』応答願います」
二十秒ばかり呼びかけ、もしや届いていないのではと天満が思ったとき、予想外に明瞭な声が帰ってきた。
「こちら海上自衛隊護衛艦『あやなみ』」
「スクランブラーを作動させます」
言いながら、スクランブラーのスイッチを押す。これで、よほど執念深い傍受を行っている者でも居ない限り、この通信を盗み聞きする事は出来なくなった。
「艦長をお願いします」
天満は丁寧な口調で言った。
「本艦は現在作戦行動中です。艦長は多忙につき――」
「こっちだって作戦行動中だ! 物事には優先順位がある、こっちのほうが重要だ!」
天満が怒鳴り声で相手を制す。二分ほどのやりとりの後、ようやく久川艦長が通信に応じた。互いに所属を名乗り合った後、久川が早口で言う。
「こっちは今、潜水艦を追っている最中だ」
「どのみち、硫黄島の人質を救出しないことには、攻撃できないんでしょうが?」
天満は冷静であろうと抑えた声を出したが、気が立っている久川には、一層皮肉げに聞こえた。
「何が言いたいのかね?」
「我々が人質を解放します。その後で潜水艦を沈める。これで万事OKのはずですが?」
「それはそうだが、どうやって」
「お宅のヘリを貸していただけませんか? あと、フネに対地戦装備があれば融通していただきたい」
久川が「ふん……」と、考え込む表情になってしばらく黙り込み、それからゆっくり口を開いた。語調はかなり穏やかになっている。
「作戦があるなら、聞かせて貰おう」
天満は手短に作戦案を聞かせた。
「体育館に籠もる敵兵の実数が判らないのでは、解放は難しいぞ?」
「狙撃あるのみです。向こうとて、もうダメだと思うまで、そう簡単に人質に手を付けられるものじゃありませんよ」
「楽観的だが……。それしかないか」
「お願いします」
「判った。対戦車ミサイルとかも必要なのだな?」
「そちらに積んでますか?」
「いそなみ級を嘗めて貰っちゃ困る」久川の声は勇んでいた。「本艦はE計画艦だ。必要な物を言ってくれ、ほとんどのブツは用意できるはずだ」
E計画の性質上、あらゆる状況に単艦で対応できる装備を有している。陸戦隊の組織すら考慮されている。ちょっとした武器庫と言って良い装備が整っていた。
天満は即座に品目を提示した。久川の言葉は嘘ではなかった。天満が欲した全ての物が『あやなみ』には積まれていた。
「まさか、島の東側から上陸部隊が来るとはな」
『あやなみ』CICで、通信を終えた久川はほぞを噛む思いだった。
「海の動きに、気を取られ過ぎました」
丸橋が項垂れる。
「今更言っても仕方ない。”キャッツ・アイ”を呼び戻せ。Cユニット装備で再出撃だ。パイロンには対地装備を」
「大丈夫ですかね?」
「硫黄島に航空兵力は皆無。他に手はない。第一、対地装備のMH−7Jの火力は半端ではない。期待して良いと思う」
久川の言葉に木南、丸橋、由比が揃って頷いた。
遂に、台風”ティファ”の到来と時を同じくして、硫黄島にもう一つの嵐がもたらされた。硫黄島の最も長い夜は、まだ始まったばかりだった。
第7話に続く
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