仮想プリンセスナイン
もし、臨海大附属高校戦で如月女子高が敗北していたら?
はじめに
如月女子高野球部は、自ら「せっかち」と評する氷室理事長の指導の元、一年目から甲子園を目指す短期決戦を指向し、春から夏にかけての数ヶ月を戦った。明應中戦、臨大附戦、そして地区予選。
そこでは、全てが勝つ以外に活路を見いだせない悲壮感の漂う試合しか存在しなかった。しかし結果的に甲子園の夢は準決勝で阻まれてしまった。余りに短期決戦指向は無謀に過ぎなかっただろうか?
彼女たちに立ち止まり、チームの地力を着実に整える時間は与えられていなかったのだろうか? 本作では、奇策”オンナノコ作戦”が失敗したことで、勝ち続けることではなく、最終的な敗北を迎えない為の方針転換を否応なく計る、もう一つの”如月女子高・『女子野球』部”の姿を描く。
『修羅の白球』
――「牙を剥き出しやがったな!」(村上武雄)
<主な登場人物>()内は原作における地位。記述がない場合、原作も同様。★印は架空のキャラクタ。
東ユキ 如月女子高野球部ライト(同レフト)
早川涼(如月女子高野球部ピッチャー)
吉本ヒカル(同ファースト)
木戸晋作(同監督)
氷室桂子(如月女子高理事長)
淀橋(臨海大附属高野球部監督)
石丸(同投手)
★八千代 同投手。
1
スタジアム前。
早川涼は、バスから降りてくる臨大附の選手達を熱心に観察していた。背番号1を付けたエースピッチャーを探しているのだ。
今朝、学校を出発する前に高杉宏樹に「試合前に、相手のピッチャーと握手してみろ」と言われた。意味は判らなかったが、高杉は試合経験豊富な選手だ。それなりの裏付けのある行動なのだろうと涼は考えていた。
やがて、選手達の中に、エースナンバーをつけた選手・石丸を見つける。すかさず駆け寄り、元気良く挨拶する。
「今日は試合を受けて下さって、ありがとうございます」頭を下げ、相手に考える隙を与えずに一気に言い募る。「私、如月女子のピッチャー、早川といいます。よろしくお願いします」
「ど、どうも……」
さっと差しだされた涼の右手。石丸は戸惑いを隠さなかったが、意を決して右手を出す。すかさず涼ががっちりと手を取って握手する。
(なんだかよくわかんないけど、やった……!)
思わず笑みがこぼれる。それをみた石丸も、締まりのない笑顔を返した。
「おーい、石丸、なにやってんだ? 行くぞ!」
「……あ、ああ」
臨大附の選手に呼ばれて我に返った石丸が、慌てて手を引っ込め、帽子を取って深く会釈すると、そそくさとその場を立ち去った。
「どないしたんや? 涼」
涼の後ろでは、吉本ヒカルを始めとした如月高の部員達が怪訝そうな顔をして、涼と石丸とのやりとりを眺めていた。
「ううん、なんでもない。ちょっとしたゲン担ぎだから。さ、私達も行こ」
涼がわざとらしい大声を出して、仲間をせき立てた。
2
スタジアム。
グランド内では、臨大附の選手達が早々にウォーミングアップを開始していた。
臨大附の淀橋監督は選手達の動きを細かにチェックしていた。何しろ勝って当然(大勝ちすればしたで嫌みを言われるかも知れないが)、負ければ何を言われるか判らない、女子チーム相手の試合である。神経質になるのも当然といえた。
「なんだ石丸、その気の抜けた球は!」
突如、淀橋が怒声を発した。ブルペンで肩慣らしをしていた石丸の変調に気づいたのだ。
「女子相手だからって、舐めてかかってるんじゃないだろうな?」
「あ、いや、その……」
石丸は声をうわずらせて首を振る。
(まずいな)
淀橋の勝負勘が警告を発していた。石丸は臨大附のエースであるが、メンタル面ではいまいち脆い。女子チームが相手だと実力を発揮できず、序盤で崩れる可能性があった。
ならばどうするか。淀橋はしばし考え、苦々しい顔つきで、石丸の隣で投球練習を行っていた、背番号10をつけた右サイドハンドの二年生投手を呼びよせた。
「八千代、こい」
「はい」
長髪を茶色に染めた、細面の長身投手・八千代が淀橋の元に駆け寄る。短躯の淀橋と話をするときは、ほとんど膝を抱えるようにして身長を調整しなければならなかった。
「お前が今日の先発だ。いいな?」
「いいんすか?」
八千代が目を輝かせる。今日の試合がただの練習試合でありながら、公共の電波に乗ることを知っている。
淀橋の目は、トータルな実力では石丸の比ではないが、大舞台でも物怖じしない神経の図太さでは八千代のほうが上だと見抜いていた。
まして、八千代は自他共に認める美形で、幼稚園のころからガールフレンドに不自由したことのない男だという噂だった。女子選手が相手だからといって鼻の下を伸ばすことはありえない。
無論、淀橋は、それだけの要素で八千代を抜擢したわけではなかった。試合に先立って、如月女子が明應中学と行った練習試合のデータを入手している。それによると、打線は9番・早川涼を除いて全員が右打者。サイドハンドの八千代をぶつけるのは効果が高いと考えられたのだった。
「言うまでもないことだが、今日の試合は向こうにとってはのるかそるかの大一番だが、ウチにとっても、名門高として負けられない試合だ。妙な気を起こさず、しっかり投げるんだぞ」
「判ってますよ。男の魅力って奴をたっぷり教えてあげますよ」
「バカタレ、それをいうなら男の実力、だ!」
3
スタジアム内。ロッカールーム。
如月女子高・木戸監督は、着替えの済んだ部員達を前に、秘策を披露していた。
「名付けて”オンナノコ作戦”。ようは、中高一貫して男子校で、女子に対して免疫のない奴らを撹乱する作戦だ」
したり顔で木戸が説明するが、部員達は誰もが浮かない顔をしている。
「監督、本当にそんなのでうまくいくんですか?」
自身も先ほど似たようなことをしておきながら、涼が訊ねた。
「じゃあお前達は、今の実力で、まともに戦って臨大附に勝てると思うのか?」
「ですが監督、なりふり構わないのも結構ですが、やれることをきちんとやらないことには、勝てる試合も勝てないのでは?」
いずみが冷ややかな視線を木戸に向ける。作戦だかなんだか知らないが、勝手にやってくれ、そう言わんばかりの口調だった。
「ま、これで負けたら後がないんや。監督の作戦、ウチは一枚乗るでえ」
吉本が、吹っ切るような声を出した。
「そうそう。甲子園に行けないんじゃ話にならないし。そ・れ・に。アタシの演技力をみんなに知って貰う、ちょーど良い機会だわ、うん」
一番張り切っているのが渡嘉敷だった。自分勝手に盛り上がってる渡嘉敷に部員達は苦笑しながらも、木戸の作戦に”一応”従うことにして試合前ミーティングを終えた。
「ほな、いっちょやろか」
吉本が音頭をとり、選手達に円陣を組ませる。
「きさらぎーっ」吉本が声を張り上げた。全員が後に続く、「ファイト、オウ!」
4
主将役を買って出た吉本がジャンケンに勝ち、如月女子高は後攻になった。一回表、臨大附の攻撃は、試合前から流布していた「早川涼は魔球を投げる」という情報に振り回され、三者三振という屈辱の立ち上がりとなった。
一回裏、転じて如月女子の攻撃。
一番打者、森村聖良が、木戸監督の”オンナノコ作戦”に渋々ながら従い、即興でキャッチャーに愛想を振りまいて見せた。予想以上にてきめんにキャッチャーは動揺をみせ、森村は内心で驚きながらも舌を出してみせる。
(さて。お次はあのひょろっとしたピッチャーだ。ったく、控えを出してくるなんて、オレ達も嘗められたもんだぜ)
ガンを飛ばしたくなる誘惑を押さえ、代わりにウインクを飛ばす。
が。
マウンド上の八千代はあみだにかぶった帽子の下で、「ふっ」と軽く笑って森村のウインクを受け流していた。まるでそうされるのが自分には当然、と言わんばかりの態度に、森村のほうが思わず赤面してしまう。
「……だ、だっせぇ奴」
なんとか一発ぶちかましてやりたいと逸る森村の打ち気を見透かしたかのように、八千代は変化球主体の配球で攻めてきた。森村は外角に逃げるスライダーをバットの先にひっかけてセカンドゴロに倒れた。
「ちっきしょ〜、おい、へぼ監督、全然ダメじゃねえか!?」
ヘルメットを脱ぎ捨てながら森村が木戸にくってかかるが、木戸は明後日の方向を向いて鼻を掻いているだけだった。
(どうも、様子が違うみたいやな……)
続く吉本も、足が痛む振りをしてキャッチャーに倒れかかるわざとらしいパフォーマンスをしてみせたが、八千代は容赦なく内角を抉ってきた。吉本はサードファールフライに倒れた。
「あかん、あの優男ピッチャーには色仕掛けはきかん」
吉本が首を振りながらベンチに引き上げてくる。
「やはりここは正攻法じゃ」
鼻息も荒く、三番・堀田が右打席に入る。
しかし、八千代の右サイドハンドから繰り出される球の軌道は、クローズドスタンスの堀田からはきわめて捉えにくいモノだった。カウント2−1からの4球目。内から外に逃げるクロスファイヤ気味のストレートを、堀田は空振り、三振に切って取られた。
「くそっ!」
堀田が歯がみしながら、グラブを取りにベンチへと駆け込んでくる。
「やはり、下手な考え休むに似たり、でしたわね」
いずみがベンチを出て守備へと向かう前に立ち止まり、木戸のほうを見向きもせずに吐き捨てた――。
5
翌日。
如月高校グランド。
梅雨入り前だというのに、空はどんよりと曇っていた。
「うーん、ただでさえ気が重いのになあ……」
どこか気の抜けた調子で軽く大道寺とキャッチボールをしていた涼が、ふいに手を止めて空を見上げた。今にも泣き出しそうな様相の灰色の分厚い雲は、涼達の心理状態そのもののようだった。
結局、臨大附との試合は序盤の拙攻が祟り、スコア二対一で負けた。
二失点は、野球に反対する父の眼をごまかすため、変装して”小中多美”を名乗っていた三田加奈子のミスが原因だった。皮肉にも、打球に飛びついた際、変装のカツラが取れそうになったのを咄嗟に押さえてしまい、打球を逃してしまったのだ。
涼は最後、スタミナ切れでへばりながらも、その状況の中で魔球”イナズマボール”を開眼するほどの好投を見せたが、如何せん、打撃陣が臨大附の八千代に翻弄され続けた。
かろうじて八回裏の攻撃で、連打を集中して一点を奪い、八千代をマウンドから引きずり降ろしたものの、時既に遅く、満を持して登板したエース・石丸をうち崩すことが出来なかった。
「……もうそろそろ、理事長と高野連役員との話し合いが終わってる頃だね」
大儀そうに、大道寺真央が涼に言った。一試合を投げぬいた涼同様、その球を受け続けた大道寺も消耗が激しかった。
「たぶんこれで、地区予選出場の道は消えたんじゃないかな」
いつの間にか、それぞれの練習をこなしていたはずの部員達が、ブルペンの周りに集まってきていた。今後のことを考えると、とても練習に集中できないのだ。
「ほな、ウチ等はどうなるんやろうな?」
「女子野球部も解散じゃろうか?」
「そんな約束、してたっけ?」
「わかんねえぞ。校長が校長だからな」
「そういや加奈子、来てないね」
「変装取ってまで頑張ってくれたのに、結局負けちゃったもんね……。お父さんに怒られて、練習に出てこられないんじゃないかな?」
「そんな親父なんか、シカトしちまえばいいってのになあ」
「……野蛮人」
「なんだと陽湖、もういっぺん言ってみろ」
「ぐええ、暴力反対……。ヘッドロックはやめて」
それぞれが勝手なことを言い合っているところに、木戸監督がいつもの締まりのない歩き方でやってきた。氷室理事長が高野連との話し合いの後、野球部の今後を木戸と考えることになっている、と涼達はいずみから聞いて知っていた。
「何やってるんだお前ら」その声にはどこか張りがなかった。
「あ、監督。どうなりました?」
涼が真っ先に聞く。部員達も全員が木戸の答えを待つ。
「とりあえず、今年の地区予選参加は認められないことになった」木戸が後頭部を無遠慮に掻きながら言った。
「やっぱり……」
目に見えて落胆する部員達。
「ただし、だ」木戸が、肩を落とす部員達の様子を面白そうに眺めながら言葉を継いだ。「理事長は女子野球部自体は存続させる気でいる。校長とはまた派手にやり合うことになるだろうが。高野連の偉いさん達にも、一年後に再戦の約束を取り付けたそうだ」
わっ、と一転して歓声が漏れる。
「まあ、しゃあないか」と吉本。「とりあえず野球は出来る訳や。一年間、じっくりとチーム作りをして、来年に夢を託すのも、悪くないか」
「そうじゃ。ウチ等は全員まだ一年生じゃ。時間はまだある」
堀田が同調して大きく頷く。
「じゃ、ま、そういうこった」
木戸はそう言い残して、くるりと背を向けた。
「おいまてよ、どこに行くんだ? これから練習だろうが!? あんた監督だろう? 今ぐらい、ちょっとは監督らしいことしてみろよ!」森村が木戸に怒鳴る。
「いや、俺はもう、監督じゃない」
木戸はあっけらかんと言った。
「は?」森村がぽかんとした顔をする。
「誰かが敗戦の責任を取らなきゃならないってことだ。……クビになったんだよ」
「ええっ!?」
先ほどの落胆と安堵を吹き飛ばすような、青天の霹靂であった。
6
部室。
室内では、部員達が複雑な感情を持て余していた。
「みなさ〜ん、寧々特製のアップルジュースを飲んで元気出してくださーい」
マネージャ・毛利寧々だけがマイペースで自分の仕事をこなしている。
「これから、どうなっちゃうのかな……」
手際よくカップを配る寧々を横目に見た涼が椅子に座り、手を握りしめてうつむく。目標を見失い、どうすれば良いのか判らなくなっているのだ。
「木戸監督、クビだって言っていたけど、新しい監督とか、どうするのかな」
と、大道寺。
「関係ねえよ、あんなヘボ監督。俺達をこんな目にあわせやがって。まったく腹立つぜ」
森村がすかさず吐き捨てる。
「それより、今後の方針じゃ。ウチ等はこれからどがいすればよいがじゃ? 甲子園にいけんとはいえ、試合をせんわけにもいかんじゃろが?」
堀田は机に突っ伏すようにして、くぐもった声を出した。今回の一件で、かなり参っているらしく、精彩がない。
「だけど、地区大会に出場出来ないような私達相手に、練習試合を組んでくれる奇特なところなんて、そうあるとは思えないわね」
堀田に対するいずみの言葉は、いつもながら腹立たしいほどに冷静だった。
しばらく沈黙が室内を満たした。
「……あるわ」
ふいに声を出したのが、普段は寡黙な東ユキであったことに、居合わせた全員が驚いた。
「どういうこと、ユキ?」
すがるような眼で、涼が訊ねる。
「野球をやってる女子チームは、私達だけじゃない……」
「なるほどな」真っ先に頷いたのは、今回も吉本だった。東同様、中学から軟式野球の名選手として鳴らした彼女は、いちはやく東の言いたいことに気づいたのだった。
「女子チーム同士で対戦するんやったら、なんの問題もない、ちゅうこっちゃな。校長も、それくらいやったら文句はいわんやろ」
「今更女子チーム相手? なんかせせこましいなあ」森村がげっそりとした顔を見せる。
それからしばらく、不在の三田を除く部員全員でああでもない、こうでもないと議論をかわしあった。出た結論は、”来年の栄光に向け、一年間を耐え忍ぶ”為に、女子野球部同士の試合に参加する、という方針だった。
「他の女子チーム相手に勝てないようなら、甲子園になんて、絶対行けない」
東の静かながら説得力のある言葉に、誰も反論できなかった。
こうして、如月女子高野球部は、如月女子高”女子野球”部となった。実質は何も変わってはいないが、部員達は皆、心中に期するものを感じ、練習に没頭した。
7
放課後。部室。
一週間が瞬く間に過ぎた。
臨大附に敗れたことで、マスコミの関心はすっかり薄れ、皮肉なことに三田校長の関心も薄れ、女子野球部の存続は比較的あっさりと認められた。だが、”小中多美”こと三田加奈子は遂に復帰がかなわず、部を去ることとなった。
「ずっと応援しているから。みんなは頑張って、必ず甲子園に……」
荷物をまとめた三田はそう言うのがやっとで、後は声にならず、嗚咽するのみだった。涼達は、仲間を守りきれなかったことに自責の念に囚われたが、約束は果たされねばならなかった。
残された部員達は、まずは今年一年の計画を立てるべくそれぞれの情報網を通じて、女子野球の現状というものを改めて調べていた。
「……となると、目標はこれね」
机の上には野球雑誌が広げられていた。その中で二ページに渡って紹介されている、女子野球の全国大会の記事を、涼が指さした。
覗き込んでいた堀田、吉本が頷き合う。
「今から参加申し込みすれば、間に合いそうやね」
「規模は小さいけんど、全国大会には違いない」
部室のドアが控えめに開かれ、東が入ってくる。
「遅かったね。どうしたの?」
涼が訊ねる。
「……理事長のところに」東が小さな声で応じた。
「理事長? なんか呼び出しでもくらったんかいな?」吉本が軽口を飛ばす。とりあえずの目標が決まったことで、気分が軽くなっていたらしかった。
吉本の言葉にも、東は口元に笑みを浮かべて静かに首を振る。
「フィーフィーちゃんが教えてくれたの。今のままじゃダメだって」
机に両肘で頬杖をついた吉本が、訳知り顔に何度も頷く。
「ほお、フィーフィーはんが。で、なんかええ方法を教えてくれたんかいな?」
フィーフィーちゃんとは、東が肌身離さず持っている人形の名前である。本人曰く、「18光年離れたユーカラ星からやってきた、ユキの大事なお友達」とのことだが、誰も本気で信じているわけではない。
吉本の問いに、東が瞳に不思議な光を湛えて頷いた。
「うん。チームを強くするための方法を……」
8
七月下旬。
如月女子高グランド。
世間から忘れられた存在となった如月女子野球部だが、その練習は気合いの入ったものだった。
氷室理事長に掛け合って室内練習場とトレーニングルームの設置を認めさせ、女子野球大会への参加資格を取得して貰い、名目上の監督及び部長を確保し、と大車輪の活躍を見せたのは、女子チーム同士の対戦を最初に口にした東自身だった。
氷室理事長も又、長期戦になる以上は、と東の提案をほぼ全面的に受け入れて、持久戦の態勢を整える確約をした。具体的には、スカウト網を活かし、ライバルとなるであろう強豪女子チームの情報収集、来期を見据えた新入部員の調査などである。
「みんな驚いてたよ、まさかユキがここまで頑張ってくれるなんて思わなかった、って」
ある日、夜食を買いに出たというユキを「おでん・志乃」に招き入れた涼がそう切り出した。
「野球部が無くなったら、ユキは又、一人になっちゃうから……」
カウンター席に並んで座り、かぼそい声で涼に語るユキの横顔は、実質的にチームの牽引車となっている人間とは思えないほど、頼りなげに見えた。
「……えっと、まあ、ありがとうね、ユキ。ユキのお陰で、私達も頑張れてる」
涼がちょっとだけ気まずそうな表情を見せ、それをごまかすかのように声を励ましてユキに礼を言う。ユキははにかみながら首を振った。
「涼も凄い。春の頃より、どんどん球が速くなってる。みんな、涼が本調子を出してくれたら女子チーム相手には絶対に負けない、って言ってる」
如月女子の戦略を担当するのが東なら、実際の試合で中核となるのはやはり涼だった。無論、氷室・堀田のダブルH砲が、女子の中にあってはずばぬけた存在であるのは言うまでもない。それに加えて涼の140キロを超える速球が、女子は全く問題にならず、男子でも相当手こずるであろうことを誰もが確信していた。
二人は協力して、ともすれば士気の低下をもたらしかねない状況にあるチームを引っ張り、今では”ユキ・涼コンビ”は如月女子高野球部の期待の光であった。
三田の抜けた穴を埋めるべく、窮余の策として毛利にも選手として加わって貰うことになった。東の考えたコンバート策は、ショートに強肩の森村を回し、セカンドには堀田を入れ、センターに渡嘉敷、レフトに毛利を配し、東自身はライトに移動する、というものだった。
何もかもが困難ではあったが、不可能ではない。涼はそう確信していた。東も又、「フィーフィーちゃんがそう言っているから」という前置きをするものの、言動には自信が伴っていた。
涼は、母・志乃が気を利かせて出してくれたオレンジジュースのグラスを手にした。東もそれに倣う。
「如月女子高野球部の未来に、乾杯!」
涼がにっこりと笑って、気取った仕草でグラスを掲げる。
「……私達の目標に、乾杯」
ユキも微笑を浮かべてそれに応じた。
9
八月中旬。
岡山マスカットスタジアム。
全国から32チームが参加して行われる、高校女子野球全国大会の開会式が行われていた。如月女子のピンク色のユニフォームも、その中にあった。
「ついにここまで来たんだ……」
小規模とはいえ、予選を勝ち抜いて全国大会に駒を進めたのである。涼はそれなりに感慨深いものを感じていた。ここが甲子園だったら、とは思わずにいられないが、今それを言っても始まらない。
まずは女子チームの中でぬきんでた実力を見せつけ、来年の地区大会参加資格を得る為の補強材料にする、という戦略に基づいているのだ。卑下も侮りもせず、全力で戦うのみである。しかも、如月女子は開会式に先立って行われた抽選で、開会式終了直後の第一試合に出場することになっている。
と、決意も新たにしている涼の耳に、開会の辞を述べている関係役員の言葉をかいくぐって、聞きたくもない雑音が飛び込んでくる。
「ね、ね、あの如月女子って、ちょっと前、テレビとかで紹介されてなかった?」
「そうそう。甲子園に行くんだ、って大見得切って、なんでここにいるのかしらねえ」
忍び笑いが聞こえてくる。涼は唇を噛み、じっと耐えた。背後からは、森村が切れかかっているのを渡嘉敷がなだめているらしい気配がした。
不穏な空気を抱いたまま、開会式自体は平穏無事に終わった。
涼達は試合を控えて一旦ロッカールームに戻ったが、開会式の間中聞こえてきた周囲からのささやき声に、森村や吉本はすっかり神経をささくれさせていた。
「覚悟はしとったが、実際、きっついで、正味の話」吉本が頭を抱える。
「ちっきしょ〜。言いたい放題いいやがってよお!」
森村がロッカールームの壁を蹴って、吼えた。
「その怒りは、試合で相手にぶつけなさい」取り澄ました声で、いずみが森村の背後から一言。
「なっ」
思わず気色ばんだ森村だが、振り返っていずみを見た途端、別の意味で言葉を失った。
いずみもまた、憤りに耐えかねて肩をふるわせ、触れればすぐに爆発しそうな感情を内心に押さえ込んでいたのだった。
「みんな、絶対に勝とうね。私達の本当の目標は甲子園なんだから!」
涼が、室内に明るい声を響かせる。悲壮感は無かった。
「大丈夫、絶対に勝てる。フィーフィーちゃんもそう言ってる……」
ユキの言葉は、不思議と自信に満ちて聞こえた。
歓声と拍手、そして時折混じる粗野なヤジ。如月ナインは黙々とウォーミングアップを済ませ、一回表の守備に散った。
対戦相手は、吉本の情報網によれば、前年度に続いて連続出場を果たしている強豪校(吉本の中学時代のチームメイトが在籍している)。如月女子の実力を計るには、格好の相手だった。
小柄な相手チームの打者が、不敵な面構えで左打席に入り、オープン気味のスタンスで構える。試合開始。
涼は大きく息を吸い込んでからプレートに左足をかけた。右膝を胸の高さまで蹴り上げ、大きなテイクバックからストレートを投げ込んだ。
大道寺のミットが重く鳴いた。左打席のトップバッターが唖然とした表情を見せている。涼の背後では、スコアボードの電光掲示板が時速141キロと表示していた。
数ヶ月間の地道なウエイトトレーニングと、盆休みすら返上しての投げ込みが奏功していた。涼の調子は、最高だった。
その後――
平成11年。春。
如月女子高グランド。
涼は一塁側ブルペンで、入念な投球練習を続けていた。球を受けるのは、入部したての一年生。中学ではソフトボールのキャッチャーを務めていたというだけあって、はやくも安定感は大道寺を上回る面があった。
(どうしてこんなことになってしまったのだろう)
涼の球は走っていたが、その表情は晴れなかった。
如月女子高野球部は、岡山の全国大会で無頼の強さを見せつけて優勝した。秋季大会にも出場して優勝を収め、女子球界では無敵の存在であることを内外に強烈にアピールした。
その結果、スカウト活動も順調にはかどり、有望な新入部員が多数加わっていた。
今年こそ万全の布陣で地区予選出場権を獲得し、甲子園を目指す。その思いは一枚岩のはずであった。
だが、現実は不可解な展開を見せた。氷室理事長が地区大会出場を認めさせるべく、再び強豪校との試合を画策しているのを後目に、「女子チームは女子の枠の中で試合を行うべき」と一部の部員が反旗を翻したのだ。
涼が暗澹たる気持ちに囚われるのは、その反対勢力の中心となっているのが東であるためだった。
二人は何度と無く話し合った。遺恨は無かったが、互いに解りあうことがどうしても出来なかった。
(どうしてなの、ユキ。どうして。甲子園が、私達の目標じゃなかったの?)
涼の視線は、三塁側のブルペンに注がれた。そこには、急造投手ながら、綺麗なフォームで大道寺のミットにボールを投げ込む東の姿があった。
(涼……。貴女には、きっと判らないでしょうね。私には、ここしか居場所が無いの。今度また私達が男子チームに負けたら、チームの解散という話がぶり返しかねない。私は、どうしてもここに居たいの)
甲子園を目指すか、それとも女子球界の頂点に君臨し続けるか。チームは、入部間もない一年生を含めて真っ二つに割れた。
議論を重ねても、意見を統一することは出来なかった。となれば、解決策は一つしかなかった。試合――紅白戦による決着である。
甲子園挑戦派は、涼、いずみ、堀田、渡嘉敷。女子野球残留派は東、大道寺、吉本、森村であった。それぞれに思いを抱え、悩み抜いた末の選択だった。一年生達もそれぞれのチームに分かれていた。唯一、毛利だけは、中立を宣言して試合には参加していない。どちらに転ぶにせよ、毛利曰く「マネージャに戻りますぅ〜」という腹づもりがあるからだ。
今や”ユキ・涼”コンビは研ぎ澄ませた牙を互いに振り向けることとなった。どちらが勝っても、負けた側の部員が今まで通り女子野球部に残留出来るかどうか、微妙なところがあった。
「だけど、やるしかない……。お父さんの立ったマウンドに立つ為にも、絶対に、負けられない!」
後攻・白組の涼チームが守備につく。涼はマウンド上で自らの頬を叩き、気合いを入れた。我にダブルH砲あり。互いに手の内を知っているとはいえ、打ち負けることはない。
「……フィーフィーちゃん、ユキを守って。お願い……」三塁側ベンチの前列で、東が腰の人形に手をあてて、小さく呟く。
打席に入るのは紅組トップバッター・森村。彼女は元々甲子園に興味があるわけではなかった。対して、勝つ喜びは何物にも代え難い。わざわざ男子相手に喧嘩を売る必要を感じなくなっていた。恩義を感じるべき木戸監督はチームを去って久しい。
「さあ、やろうぜ!」
森村の顔にも悲壮感は無く、奇妙な明るさがあった。涼も全てを吹っ切り、全力で立ち向かう腹を固めた。
この日、特別に雇った審判団の主審が、右手を掲げて宣言する。
「プレイ・ボール!」
涼が大きく振りかぶり、第一球を投じた。
(おわり)
あとがき
今回は前二話とやや趣を変えて、いわゆる仮想戦記からネタを引っ張ってきた”パクリ小説”の体裁を取っています。
とはいっても、原作『修羅の波濤』(横山信義著、中央公論社)から本作のストーリー上に取り込んだのは、
1.真珠湾攻撃失敗
2.”鶴・竜”コンビの活躍による戦況挽回
3.講和派・叛乱軍がそれぞれ擁する『大和』『武蔵』の相討。
の三点でしかありません。そりゃ、全八巻の長篇をたかだか20数キロバイトに取り込みきれるわけがありませんって(笑)。
無論、今回のネタは、その気になれば20数キロバイトどころか、200キロバイトかかっても描ききれないほどのボリュームを持たせられるだけの余地が残っています。高杉にカーチス=ルメイ役を演じさせるかどうかはともかくとして、掃き溜めに鶴の悲哀を味わっている女子チームの無名スラッガーとか、オリジナルな要素を多数加味出来ると思います。
今回は、既に長篇化が決定している”邀撃プリンセスナイン”との絡みもあって、同じ仮想戦記パクリ型の本作は小さくまとめることに重点をおいたのですが、機会があればまた、女子チームと戦う如月女子高”女子野球”部を書いてみたいと思います。
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