健全ナル精神ハ健全ナル身體ニ宿ルテフ諺ハ、古今東西ヲ通シテ、世人ノ首肯セラルヽ所タリ。
今ヤ夙川公園ノ工ヲ竣リテ、之カ一般ノ利用ニ供スルニ際シ、市民ノ保健上ニ及ホス効果ノ偉大ナルヲ想ヒテ、感轉タ切ナルモノアリ、本事業ノ重要性モ又茲ニ存スルモノト謂フヘク之カ、計晝竝施工ニ關シ間接直接ニ、多大ノ理解ト援助トヲ賜リタル關係各位竝ニ大方ノ諸彦ニ對シ、茲ニ更メテ、深甚ノ謝意ヲ表スルト共ニ、本事業ノ梗概ヲ誌シ之ヲ頒タムトス。
夙川は源を六甲連峰の剣谷に發し、北山國有林に沿いて東流するものと鷲林寺より流下する支流と、水分谷にて合流し後中新田川及久出川の流れを集め、本市西部の平坦地域を貫流し、両堤塘には亭々天を突く古松鬱蒼として、其の清流は海に注ぐ。
此の自然美を背景とする住宅地の發展は、他の追随を許さず、殊に川口には阪神間随一と称せらるる香櫨園海水浴場あり。
尚本市の交通は四通八達して、東海道線、阪神電車、阪急電車、四線、国道バス,奮国道バスの二線計六線にて阪神両都の中央迄優に十数分を出ずして達し,所謂阪神連繋都市の中心部たり。
市民の生活は大阪神戸市内に居住する者と寸毫も異ならず、殊に両大都市民の保健衛生上最も欠陥とする騒音、煤煙等の被害なく塵芥を外に安住し得る衛生的都市なり。
此の如く交通至便にして空気清澄たる上に、景観に富み、市民四時の逍遥行楽に復と得難き一大緑樹地帯の夙川を中心に、住宅櫛比西宮市の発展は夙川に俟つもの大なりと言ふも過言ならず、而して夙川改修の議は明治年間より累々関係者間に於て、論議研究せらるる處たりしも多額の経費を要し、其の計晝の巧拙は本市発展に、多大の影響あるを以て、委員を挙げ、調査費を支出して之が調査研究せしこと一再ならず。
されど時期の未だ熟せざると、又財政上の都合等に依り容易に、実現の運びに至らざりき。
一方本市は旭日昇天の勢を以て膨張亦膨張急激なる發展は住宅の氾濫となり殊に夙川両岸一帯、住宅建築の趨勢は稍もすれば、風致と安静を誇る勝景を破壊せらるる處なしとせず、今にして之に適当なる保護と統制を加えざるに於ては堤塘敷地の拂下古松の乱伐以て住宅地と為すが如きことあらむか、都市生活者の最も渇望する緑地は化して住宅となり、自然美は失はれ市民の保健慰安の見地より甚だ遺憾たるべし。
偶偶本市は大正十五年四月一日都市計画法の適用を受け、昭和三年十二月十日隣接七ケ町村(三ケ町村は市に合併)を以て西宮都市計画区域として決定せられたり。
茲に於て、昭和五年頃より本市当局と、大社村当局との意見交換を行ひ、夙川を改修し、護岸石垣を築造し、適当の箇所に堰堤を設け、其の堤防の左岸は西宮市道、右岸は大社村道として利用せられ居りしを、之を拡張整備し、交通の便を計り別に両岸共に数條の遊歩道路を新設し、助長するは伸び行く本市の為に、最も必要なるものと認め、之が施工の方法とし、都市計画事業として、実現することと為し、右岸を都市計画街路一等大路第三類第十七号線とし、左岸を同十八号線として、昭和六年二月二十五日内務大臣宛都市計画街路の追加並に之を都市計画事業とすることの決定方を申請し、昭和七年八月十七日夫々決定せられたり。