5.「居住の権利」の国際法における位置について


 世界人権宣言(1948年)は「居住を人権」と見なした初めての国際文書である。これ自体は法的拘束力を持ってはいないが、将来、法的拘束力のある1つの人権規約を実現するという計画のもとにつくられたものである。しかし、その結果は自由権と社会権という二つの人権規約に分けられてしまい、自由権を優位と見る誤った認識が生まれた。国際人権規約が1976年に採択されるまでには18年という長い時間がかかった。それは冷戦やそれぞれの国の考え方の違いが反映されているが、138カ国が批准している。その第11条の1は「居住の権利」のベースとなるもっとも大切な条文である。「この規約の締約国は、自己及びその家族のための相当な食糧、衣類及び住居を内容とする相当な生活水準についての並びに生活条件の不断の改善についてのすべての者の権利を認める。締約国は、この権利の実現を確保するために適当な措置をとり、このためには、自由な合意に基づく国際協力が極めて重要であることを認める」。世界人権宣言と似た言い回しに加えて持続的な生活改善をする権利を規定しているからだ。

 日本も1979年に批准しているが、住宅政策の動きはすべてこの第11条のハウジングという一語に基づいている。それぞれの国には憲法があるが、国際人権規約はいわば国際的な憲法ともいえる。国際人権規約は紛争直後のボスニアヘルツェゴビナやコソボ(将来の)東チモールにおいて、国際社会が政策的な支援をするときの法の発展や政策の基本として使われる。国際人権規約に基づく国際文書も多く作られている。例えば、1965年の人種差別撤廃条約では外国人を理由にした差別を禁止している。それは住居を賃貸することを拒否することだけでなく、人種のみならず、民族、性別、年齢、社会的な状況などによる特定の集団が一般的に条件の悪い住居に住んでいる状況を放置すること自体を差別と規定している。裁判官や行政はこうした状況を貧しさのせいとしか見ない傾向があるが、子供の権利条約(1989年、米国とソマリアだけが批准していない)では国はすべての子供たちに物質的な援助をしなければいけないという項がある。これらを含めて、「居住の権利」を定めた条約は25もある。例えば、女性差別禁止条約、難民条約、移民保護条約などだ。

 欧州人権条約(1950年)を日本の裁判所が引用することがあった。第八条の「すべての人間は守られる権利がある」である。欧州の裁判所では何度も引用されており、日本国憲法でもこれに類するものがある。「right to housing」はプライバシーを守るとか、平和な暮らしを営む権利など、ダイレクトに「居住の権利」ではなく、他の言葉で置き換えられることもありうる。



6.政府の義務


 批准直後からすべきことは四種類に分けられる。その1は、「尊重すること」。人々を政策決定に参加させること。立ち退きの場合は人々の話を聞く。差別をしないなどでコストはかからない。二つ目は「促進させること」。国際法に国内法を合わせることをしてもらう。締約国は、ホームレスの半分に一年以内に住居を与えるなどの目標を設定することを国連も要求している三つ目は「保護すること」。政府による侵害行為に目が意気がちだが、第三者の人々にも義務づけることを含んでいる。住民を追い立てようとする地主、開発業者、大企業も国際法によって拘束されることを認識すべきである。四つ目は「充足させること」。これは最後に考えることである。最初の三点ができなかった場合に「権利の充足」という行為を政府が行うことになる。良い社会であれば、人々は自分たちの力で住環境を改善発展させることができる。これが果たせない場合の最後に「満たす」という義務が生じる。

 「居住の権利」は何をもたらすであろうか。まず、焦点を当てるべきなのは、適切な住居を得るためのトラブルを抱えている人々である。締約国の仕事の一つは、国内のさまざまなグループが安定した住居を得ているのかどうか、どういうグループが困難に直面しているか、をその状況を認定するプログラムをつくることである。例えば、ホームレスが住居にアクセスできる政策が存在するか。民間賃貸住宅の居住者は家主の思惑に左右されるので、いちばん犠牲になりやすい。土地所有者はもっとも安定的な権利を持っているが、戦争や公的事業によって立ち退きを迫られることもあるし、持ち家だって自然災害に合うかもしれないなど、住居をめぐる状況を幅広い視点で考える必要がある。



7.人権侵害とは何か


 最近、人権について活動するNGOが増えている。とくに、政府や市民が社会権を見通した上でその問題に費やす時間も増えてきた。だが、残念ながら、一方では、「居住の権利」は存在しないという見方もある。国際レベルでは「居住の権利」という概念は大きすぎて政策化が困難だという見方が背景にある。

 それに対し、「居住の権利」の侵害は政府の行動と無視によってもたらされるという認識が大切だ。「何が人権侵害に当たるのか」をよく知ることである。それは、「してはいけないことをする」と「するべきことをしない」の二つに分けられる。「してはいけないこと」の例としては、意図的に「居住の権利」を侵害する政策を決定することだ。政府が住居への政府支出を90%削減するという方針を立てれば人権侵害だという主張ができる。また、強制立ち退きが起こりやすい法律をつくること。それ以前にあった法律よりも後退するようであればそれは人権侵害である。制定された法律が一般的に人権を守るものであるかどうか、を常にチェックする必要がある。

 欧州の人権組織には多くの訴えが来ており、例えば、欧州人権組織の考え方として欧州の平均最低収入の三分の二を切る人は適正な生活ができない、すなわち彼らの権利は侵害されているという見方をしている。大切なのは一般的な法的枠組みとして、この組織は基準を作り上げたということだ。同じことを「居住の権利」についてもできるだろう。つまり、住むところをもたない人々はミニマム・コア(最低限の中核)に達していないということになる。人は、なぜなら人であるから、ミニマム・コアの権利を有する。ミニマム・コアという考え方は、その国がいかなる状況であっても、最低限の居住、食べ物、教育、社会福祉にアクセスできる権利を持っているという考え方だ。

 「してはいけないことをする」とは、特定の人々が社会権や「居住の権利」を享受できなくなる状況を生み出し、あるいは、そうした法を実施することだ。例えば、コソボでは、特定の人たちがターゲットとなって「居住の権利」が侵害されているようなことだ。大規模開発で、業者が住民が追い立てるケースなどは、第三者の行為が人々の社会権を侵害することに当たるが、政府がそうした行為を支えるような政策を行う、「居住の権利」を保障している現行法に反する法律をつくる、権利の保障を侵害する要素を政策に取り込む、権利の実現・発展を阻む、社会権や「居住の権利」を守るための公共支出を削減する、などだ。カナダ・モントリオールでは、店子を守る法律を運用するための公共支出を削減し、NGOが警告したように約12万人が強制立ち退きにあった。

 「すべきことをしない」とは、「してはいけないことをする」のと同じくらい悪い。例えば、国際人権規約に反する法律の見直しや改正を怠ること、社会権を実現するための法律や政策の実行を怠ること、人権侵害となるような個々の行為を規制する法律をつくらないこと、人権規約にうたわれた権利を実現するための手段を最大限に利用することを怠ること(人権規約には「権利の実現のため締約国は利用可能な手段を最大限に用いる」という一項がある)、などだ。また、権利の実現状況などの監視を怠ること、つまり、日本政府はホームレスの数、占有権を持たない人々の数、強制立ち退きの数などを政府報告書で答えていないが、それは情報収集の意思に欠けているということである。現状を把握しないで権利の実現向上はできないからである。社会権実現のための障害を取り除こうとしない、即座に実行すべきことをしない(差別撤廃など)、人権規約が要求する最低限のことを満たす努力をしない、なども「すべきことをしない」である。

 締約国が社会権規約に盛り込まれた義務を考慮に入れずに、他国や国際機関と合意してしまうこともそうだ。とくに多い例は、発展途上国政府が自分の国の中で、多国籍企業が「居住の権利」を侵害する行為するととを許してしまうこと。しばしば、多国籍企業側が権利侵害を伴うという条件においてのみ投資をする、と政府に言う場合だ。しかし、締約国や多国籍企業が社会権規約に目を配って行動するケースは残念ながら少ないのが現状である。

 社会権の実現に関しては政府にそれを実行できるだけの能力がない場合、あるいは実行する意思がない場合が考えられる。しかし、その政府が能力の欠如を訴えた場合は政府はそれをコントロールする力を持たないことを政府自ら証明する義務を負う。日本には約2万人のホームレスがいるが、ホームレスの存在をホームレス自身が証明する責任を負うのではない。なぜ解決できないかを政府自身が証明しなければならない。日本の例では、地震直後に学校を閉めたのは明らかに天災によって事態が政府の管理能力を超えていたからだが、一方で政府が社会保障プログラムまで適切な代替策もなしに省略してしまったのは意思に欠けていたからとみなされる。

 強制立ち退きについてはドミニカ共和国の例がある。1990年、国連は「国によって積極的な居住権侵害、強制立ち退きが行われた」と宣言した。コロンブス上陸五百年祭のため、20万人が強制立ち退きをさせられた。大統領命令で、スラムがなくなれば町が美しくなるとして、毎日のように首都サントドミンゴでは街が取り壊され、人々は完全にホームレスになるか、約50キロから60キロ離れた居住条件の悪いところへの移住を強要された。強制立ち退きは1986年にスタートした。人々は抵抗し抵抗の中で亡くなる人もいた。頼るべき法律も裁判所もない状態だった。サントドミンゴでは住民の60%から70%がスラムに住んでいるのにである。

 1991年、大統領命令で新たに10万人の強制立ち退きが行われようとした。COHREは12時間以内にその情報をキャッチし、ドミニカに対してそれを実行しないように求める広範な行動を開始した。1カ月後、強制立ち退き法を実行しないよう求める国連決議が行われた。ドミニカ政府は決議に従い、強制立ち退きは撤回され、人々の住居を改善していった。いろいろな方法で、国際人権法を実現していく。その戦略をきっちり組み立てることで影響力を行使できる。



8.「強制立ち退き」に関する国際的な文書


 国連の社会権委員会の一般的意見7はもっとも重要な国際文書の一つである(神戸YWCA震災復興委員会のホームページ内に、居住の権利のページを作成中で、ここに一般的意見の4と7の訳文を掲載予定)。一般的意見7は、長い22の項目からできている。それには強制立ち退きがやむをえない場合は最大限の補償をしなければならない。その16はその詳細なあり方、強制立ち退きがされた後の土地や家屋の扱い方を示し、それ以外の項目は強制立ち退きをさせないための条文である。第17項は結果として人々が住まいを失うことがあっても、他の人権が侵害されることがあってはならないこと、適切な代替住居と有効な土地を与えないといけないことを示している。

 社会権規約締約国は、5年毎に報告書を国連社会権委員会に提出する義務を負っている。報告書に何を書くべきかはガイドラインに従わなければならない(「居住の権利」に関するガイドラインは[COHRE国際事務局著『強制立ち退きと居住の権利―行動のためのマニュアル』34、35ページ]に載っている)。

 『マニュアル』の第4章「強制立ち退きに関する国際的な法律及びその他の規定」では、ハビタットのアジェンダなど世界的な文書が紹介されている。第8章は「強制立ち退きを防止するための国内法」、第9章は「女性たちへの暴力と強制立ち退き」、第10章は、強制立ち退きに関する報告のためのガイドラインであり、NGOなどにどのような情報があれば強制立ち退きを防ぐことができるのかが書かれている。



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