【質問と回答】


参加者> COHREとは何か?

レッキー> 1992年に設立された。現在は委員を含めてスタッフが12人。本部はジュネーブにある。女性のためのプログラムをオーストリアで実施中。また、ナイジェリアで活動している。発行物も出している。1年に4、5回調査団を各地に送っており、近く10月にラトビアに送る予定だ。とくに、第三世界のNGOと協力して国連を舞台に、新しい国際法をつくる活動をしている。資金は、さまざまな国の政府や国連からも得ているが、年間40万ドルから50万ドルを集めている。国連の登録NGOであり、60カ国以上の政府の相談に乗っている立場である。

参加者> 日本では今年、「定期借家制度」を導入する法案(良質な賃貸住宅等の供給の促進に関する特別措置法案=99年12月の臨時国会で成立)が国会に提出された。これが導入されると、在日外国人、高齢者や障害者などの差別を受けてきた、あるいはうけがちである社会的集団が住宅をめぐる競争に巻き込まれ、不利な立場に置かれるという懸念がある。定期借家権の住宅にしか住めないとなれば、居住は極めて不安定になると考えられる。国際人権規約や社会権委員会の一般的意見などは「強制立ち退き」を防止するよう求めているが、この法案はそれに抵触するのではないか。どう考えるのか。

レッキー> 皆さんはどう考えますか。

参加者> 私はシティープランナーであり、集合住宅を設計している。東京都荒川区に事務所があるが、民間借家に人が沢山住んでいるが、非常に安い家賃で部屋を借りている例が多い。このため、定期借家制度を設ける借地借家法改正案については、大家さんたちは喜んでいる。日本は住宅困窮者に対する住宅供給を民間に委ねてきた。公共的な施策をしないまま、下町の小さな土地所有者に住宅供給を任せてきたという側面もある。無論、この法案は住宅弱者にとっては良くないものだが、政府が役割を果たしていない結果だと思う。

参加者> 東京都営住宅は約25万戸あり住戸の7%を占めているが、石原東京都知事は住宅予算をカットしたがっている。高齢者の必要戸数は約32万戸ある。

参加者> 私は東京都中央区で高齢者の往診をしている内科医です。中央区の地価が上昇し土地を売って高齢者が街を出て行かなければならなくなった。今、高層住宅に高齢者が取り残されている。往診すると、精神的におかしい人、痴呆の人も多い。三十数階に住むお年寄りが「まるで牢屋に入れられているようだ」と話していた。高齢者の「居住の権利」が侵されている状況だ。

レッキー> 先進国ではこの10年から15年の間に起きているなじみ深い問題です。お金も権力も持っている人の持ち物がもっと増える。日本だけの特別な問題ではない。先進国においてそれを止める方法は一般市民の広範な反対によってのみ可能である。現実を考えると、先進国においては社会的弱者への保護が減少している。米国、カナダ、日本、欧州ではこの20年間、弱者への保護が重視されなくなった。

 では、どのような方法があるのか。まず、この新法案は「居住の権利」を意図的に後退させる政策であることは明らかである。法案のコピーと国際人権法などを比較してみたら良いのではないか。その不一致がわかると思う。弁護士やNGO、ジャーナリストが訴訟を起こすことができる。私も、国連に持ち込むことで役に立ちたい。例えば、日本でも教職員の転勤に関し、ILOの規約を使い、転勤を撤回させた例が関西であったと思う。

 国内法では違法ではないと言っても、国際法に対する日本の義務がある。みんなが思うよりも有効なケースだと思う。大きな挑戦ではあるが、クリエイティブな革新的な方法をやってみる価値がある。一つは日本の国内法で存在している権利をこのために使うことができるという点。もう一つは「(高齢者や在日外国人などへの)差別」が含まれている点が重要だ。差別によって住宅から追われてしまうという側面から取り組むことができるはずだ。

 3つの国際的、法的原則が政府に要求されている。人権に関する法律の変更や行為が、これら3原則に適合したものであることを政府は証明し、その正当性を示さなけれなならない。その一つは、公平なバランスの原則。守られようとする人々の利益と影響を受けるであろう人々の損失とのバランスだ。二つ目は均衡の原則。必要性に対し釣り合いがとれているか、影響を受ける人々に対し均衡を欠いていないかである。そして、三つ目は妥当性の原則だ。現状に照らしてその政策や行為を認めることが日本政府にとって法的に妥当であるか、影響を受けるであろう社会で最も弱い立場の人々が苦しむ結果にならないかどうかである。でも、単純だが重要な点はみなさんが反対運動を起こすことである。

参加者> 先進国での居住権侵害に対する運動などについて教えてほしい。

レッキー> 先進国にも居住権侵害に対する運動がある。ホームレスに関しては、西欧は日本や米国より公的住宅が多く、住居を探したりアクセスする方法を決めたホームレス法がある。英国でも1977年にそれができた。サッチャー政権下では公共住宅の供給が減らされたが、意図的にホームレスになったのではないことを証明できれば、役所に訴えれば対応してもらう権利がある。フィンランドではホームレスの子供たちに住宅を与えるといい、フランスでは1990年に、ボスニアでさえも紛争後にすべての人に住居を与えるという法律が制定された。米国ではこういう法律がなく、ホームレスは路上に寝るか、行政に言っても神戸の緊急避難所のようなシェルターに入れられてしまう。日本には、どうしてこうした法律がないのか。日本に「居住の権利法」がないのだろうか。みんなが、国際人権法に適合した「居住の権利法」を提案できるはずだ。日本にはその能力がある。

参加者>  戦後の住宅政策として、住居は個人の甲斐性で手に入れるものだと歴代大臣が言ってきた。人々は洗脳されそう思いこんできた。

参加者> 居住の権利に関する法律がないのは当たり前 ……。

参加者> 日本には民主主義がないから。

レッキー> でも、何か提案することはできるはずだ。協力して、今提案されている法案の代わりに、テナントの権利を用いた新しい法案を提案するとか。

参加者> そのために日本住宅会議を組織した。

レッキー> 人々が力を合わせ、草案を練り、議員を巻き込み、住宅国内法を制定すればいい。急進的なものである必要はない。現行法にも適合し日本の伝統文化に根ざしたもの。ただし、日本も国際社会の一員であり、国際的な義務や社会的弱者を守る必要があると認識したものだ。日本にはそれだけのお金も十分あれば専門家もいるし知識もある。そして、法律家、住宅専門家、学界、議会と力を合わせて、そういうことがなされてもいい時期だ。同時にこうしたことをすることで動きも起こせるだろう。非常に柔らかく注意深い表現で、細かいところまで曖昧なところがなく、明確な草案をつくれば、支持が得られるかも知れない。

参加者> 1987年、住宅会議で住宅憲章をつくり、それをベースに住居法案などもつくったが、最近は情熱が失せてきている。

参加者> 政府を変えるのがいちばんいいけど、日本人は何でもあきらめてしまう。あきらめさせないにはどうすれば良いのか。

レッキー> 政治的に、人々が思いも寄らなかったことが現実に起きている。だれがベルリンの壁崩壊やアパルトヘイトの早期終結を想像できただろうか。何でも起こりうる。日本の状況はそれほど悪いわけではない。人々が求めているほどのものではないとしても、民主主義がある。法治社会として安定している。良い変化を期待できる土壌はある。みなさんのスタートラインはかなり良いものだ。草の根民主主義、人々に根差した運動が芽生えれば、日本も他国に近づくことができるだろう。確かに、日本の歴史的な孤立、外よりも内ばかり見るという傾向はあるにしても、日本はより外を見るようになり、変化している。必要なのは地方レベルでの民主主義、決定をより強く求める動きだろう。これらがなされれば、法律が採択されうる可能性はある。結局、日本には憲法や独立した法曹制度、有能で公平な法律家、なんでもあるのだ。居住権の実現に向けた一歩はそんなに大変なことではない。困難の多いナイジェリアやミャンマーに住んでいるのではないのだ。

参加者> 議論はしたくないが、日本はどんどん悪くなっていく。

参加者> 「子供の体の全国連絡会議」では、「子供たちが重大な危機に陥っている。家も狭いし、遊び場を失っている。厳しいストレスで発達に障害が出ている」というカウンターレポートを国連子供の権利委員会に出したことがある。同委員会からも日本政府に重大な勧告が出されている。「居住の権利」が侵され、精神的肉体的に悪い環境が与えられている。

レッキー> 居住可能な住居に住む権利がある。もし家の大きさなどが原因で精神的肉体的な苦痛を受けるのであれば、それは居住権の問題があるということだ。一人当たりの住居面積は、特に先進国の間で日本のレベルは低い。

参加者> 集合住宅の設計をしているが、高くて長い壁をつくって良いのかと思うことがある。精神的なストレスが及んでいる。15階という高所にいても恐怖心を感じない子供たちが出てきた。しかし、それを原因と結果という風に明らかにできないのが現状だ。住居のデザインについて国際規約はそれを取り扱うことが可能なのか。

レッキー> 一般的には可能だ。日本に必要なことは、日本が加盟しているすべての人権条約が住宅政策や住居法に生かされるようにさせること。すべての問題が「居住の権利」の問題に関連し、その観点からすべての政策や法律を見直していくことが大切である。

参加者> 日本では、道路や橋は票になるが、住宅は票にならない、という政治家が多い。

レッキー> これは日本でも西洋、米国でも関連することですが、ガルブレイス教授は1992年の著書「満足の文化」(新潮文庫)で、「貧」はもはやマジョリティではなく、票を多く持つマジョリティの中産階級を重視する政治によって、いよいよ貧しい人々が考慮されなくなっている。

参加者> 社会的弱者保護が減少していることは社会主義の崩壊と関係するのか。

レッキー> そうは思いません。

参加者> 中国では伝統的な低層住宅を取り壊して高層住宅に建て直そうとしている。そこでは6階までエレベーターがない。住民の方も高層住宅に住むことに異論がないが、どう考えるか。

レッキー> 民主主義のない国の見本です。中国という国はさまざまな制限があり、NGOも合法的に設立できない。借家人の組織も合法的に異議を唱えられない。上意下達の典型的な国である。中国に住んでできることはほとんどない。北京や上海でこうした事業に反対したり、3つの大きなダム建設による大規模な強制退去に反対する運動はあったが、何十という人々が投獄された。人々の意見をまったく聞かずに政策がなされている。もし、「高層住宅に移りたいか、今の家を向上させたいか」と問われれば、もちろん人々は後者を選んだだろう。

参加者> まちづくりの仕事をしていると、その街にとっては必要のない都市計画道路が真ん中に通っているということがある。公共の論理と地域住民の「居住の権利」をどう調整すべきだろうか。

レッキー> 大変いい質問です。インフラストラクチャーの建設で住居を追い出されるということに対しては、まず、とても専門性が高い質のよい代替案を出すことが重要である。それによって退去させられる人数が劇的に減るという案を出さないと強制立ち退きがそのまま行われてしまうことになりかねない。例として、オーストリアの運河計画では、当初、まっすぐな運河を建設するというものだったが、この案だと約6000人が退去しなければならない。反対運動が起こり、水路を迂回させる代替案が作られ、立ち退きを迫られる人が減った。もし、立ち退きが避けられないというのであれば、『強制立ち退きと居住の権利―行動のためのマニュアル』を使って、国際人権規約に基づく「強制立ち退き」には当たらないものであるということを政府に証明させ、補償などが適切に行われる必要がある。

参加者> 神戸では今年3月から8月にかけて仮設住宅に住んでいた人がすべて退去したが、最後まで残されていたのは若年の単身者だった。98年1月16日までは災害特例法で公営住宅に入居できたが、それ以後は50歳以下の単身者は入居できない。社会的弱者のサポートはあったが、若年単身者は弱者ではないというわけだ。だが、ホームレスの多くは若年単身者で仕事がない人たちである。今、YWCAでも支援活動をしているが、単身者のことについてどう考えるのか。

レッキー> 英国でも単身ホームレスには住居が与えられていない。問題の根本は単純に、支払い可能な住宅のストックがないことだ。だからこそ仮設住宅から出られない。日本の政策プログラムに住居に対する需要が適切に反映されていないという証拠だ。必要なのはアクセス可能な、その質などが国際人権法に合致する住宅を見つけられるか建設され、その人々が入れるようにすることだ。



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