熱球戦録ヴァルキューレナイン

――プリンセスナイン・プロ野球編


第五話




(1)


 千葉マートレッツは開幕戦で福岡ハーキュリーズの本拠地である博多ドームへと乗り込んでいた。
 開幕戦のマウンドに登るのは、オープン戦の序盤こそやや精彩を欠いていたが、終盤できっちりと尻上がりに調子をあげてきたマートレッツの左のエース・柳葉悟。
 相手は前年二位に終わったとはいえ、福岡ハーキュリーズは強力打線を有する。しかも今年は氷室いずみが四番打者としてスタティーングラインナップに名を連ね、さらに厚みを増している。

 華やかなセレモニーに続き、始球式を経て試合が始まった。
 涼はリリーフとしてベンチで出番を待つ。
 開幕戦ということもあって球場のスタンドは満員だ。その歓声に身を包みながら、涼は甲子園で味わった高揚感を思いだしながらも、寂しさにとらわれていた。
 なによりも、四番打者として打席に入るいずみの姿がまぶしい。曲がりなりにも自分も同じ一軍選手であり、なんら引け目を感じる必要はない。それは判っているのだが、オープン戦で無頼の勝負強さを発揮してスタメンに名を連ねたいずみと比べると、どうしても自分の戦績は派手さにかけてしまう。
「いつか、わたしも……」
 今日も、とりあえずは柳葉のピッチングを見つめることしか出来ない。この試合、出番があるとすれば柳葉が相手打線につかまった時だけ、それも今の涼の扱いからすれば、敗戦処理に近いものになるだろう。
 柳葉と涼は同じサウスポーだから、ワンポイントリリーフとしてお呼びがかかる可能性は、現時点ではありえない。
 初回は両チームともに三者凡退。二回裏、先頭打者としていずみが打席に入った。
 スタンドを埋めるハーキュリーズのファンからの歓声が一段と大きくなった。オープン戦での四打席連続本塁打をはじめとするその強打に、ハーキュリーズのV奪回の先鋒として異様なまでの期待が一身に向けられている。
 だが、いずみの表情は厳しくはあるが、その瞳はとりたてて燃え上がる闘志のようなものを感じさせない。既に常人が思いを巡らせるレベルの気合いを突き抜けてしまっているのかも知れない。
 強心臓ぶりではリーグ屈指の柳葉が、なんでもないと言いたげな表情でワインドアップモーションを起こす。いずみはそのタイミングにあわせて左足を腰の高さにぐいともちあげた。上体がベース側前方に傾ぎ、バットがぴたりと制止する。
 一本足打法。
 左右の違いこそあるが、皇監督の現役時代と同じフォームだ。
 同時にスタジアムを埋め尽くしていた歓声が静寂へとかわる。誰もが固唾をのんで、いずみのバッティングを目に焼き付けようとしていた。
 時速百五十キロ近い柳葉自慢の初球は高めに外れた。二球目は外角低めに決まるが、いずみのバットは動かない。三球目、内角を衝くいい球だったが、判定はボール。
 ここまで三球、ストレートのみで押してきたマウンドの柳葉だが、ここにきて露骨に表情をしかめた。ボールが先行して、少し配球が苦しくなる。
 四球目。
 柳葉は内角高めに挑戦的な球を投げ込んだ。
「あっ」
 ベンチの涼が思わず声を漏らしたのと、いずみの左足が踏み込まれ、スパイクの爪がグラウンドを掴んだのが同時だった。
 いずみの腰が、身体の正中線を軸にして旋回し、バットがしなりながら振り下ろされた。その芯がボールを捉えた。
 鋭い打球音が響いた。
 反射的に柳葉がボールに向かってグラブを差し出そうとするほどの低い弾道だったが、打球はセンターの頭上を越えてバックスクリーンにたたき込まれていた。
 地鳴りのような歓声がわき起こる。その中を、いずみは淡々とした足取りでダイヤモンドを一周していく。
「やっぱり、いずみさんは凄い……」
 確かに高めの球だったが、決して甘いホームランコースには見えなかった。球威のない棒球でもなかった。それでもいずみの一本足打法にかかれば、軽々とホームランされてしまうのだ。
 いまの自分にいずみを抑える事が出来るのだろうか。不安と共に、なんとしても対戦してみたいという思いが涼の胸を熱くした。

 その後、いずみは続く第二打席、第三打席でもヒットを放ち、ことごとくハーキュリーズの攻撃の起点となった。
 マートレッツ打線もハーキュリーズ先発の若桜木を攻め立てて二点を奪ったのだが、七回を終わってスコア五対二といささか分が悪い。
 この試合、いずみにいいようにやられている。
 ブルペンで涼はじりじりとした思いを味わっていた。自分が出ていってどうにか出来るわけでもないのだが、この試合で彼女の勢いを押さえられるかどうかに、今季のペナントの行方すらかかっているように思われた。
 七回裏。
 柳葉は、先頭打者に四球を許したところで、マウンドを右投げの福田に譲った。
 今の涼は押さえの切り札ではない。かといって敗戦処理投手というわけでもない。出番はまだ来ない。
 すべてはこれからの出来にかかっている。
 そして八回裏。
 ハーキュリーズの打順が一番に戻ったところで、山木監督は涼の登板を主審に告げた。
 既に肩は暖まっている。規定通りの投球練習を行って一番打者と相対する。
 点差は三点。最後の反撃に期待を繋ぐためにも、一点も与えるわけにはいかない。
 一番打者・島原に対して、初球は思い切って内角を衝くストレートでストライクを奪う。イナヅマボールをウイニングショットにするために、一球は内角に投げ込んで相手に腰を引かせたい。
 だが、キャッチャーの深水は二球目にイナヅマボールのサインを出してきた。
(まだ早いですよ……)
 とは思うが、ルーキーがここで逆らうわけにもいかない。
 首を振る代わりに、一塁側ベンチに目だけ向けて自分を見ているであろういずみの姿を探し求める。
 だが、ベンチに彼女の姿を見つけることは出来なかった。ベンチ裏にでもいるのだろうか。
(せっかくの公式戦初登板なんだから、見て欲しかったんだけどな)
 四番にまで回れば、見て貰うどころか対戦することになる。その事に思いを巡らせそうになり、慌てて心の中でうち消す。
 自分はいつもそれで失敗ばかりしているのだ。今日のところはいずみと対戦する前に終わらせる。
 深水のサイン通りにイナヅマボールを放つ。打席の島原もこのタイミングでのイナヅマボールは読んでいなかったのか、咄嗟にバットを出してしまった。
 さすがプロというべきか、イナヅマボール独特の変化にもバットの軌道を修正して当ててきた。だが、芯で捉えた当たりにはほど遠い。ボテボテのショートゴロとなった。
 イナヅマボールはウイニングショットだという思いこみを逆手にとって、相手の思惑を外した深水の読み勝ちだった。
 二番・ジョージ=マッケンジーは逆にイナヅマボールに気を取られすぎた。イナヅマボールを打ち砕くという思いが打席で彼を前のめりにさせていた。
 変化球を自分の間合いに呼び込んで引きつけて打つ鉄則から離れ、バットで変化球を追う構えになってしまっている。
 深水はそれを見越して、カーブとストレートだけでマッケンジーを内野フライに料理した。
 三番・樋口は初球から狙ってきた。涼のストレートは時速百四十三キロを記録したが、この球をバットの先端ながら綺麗に捉え、大きくレフト方向へと放った。
 一瞬ひやりとさせられたが、レフトの二市が背走してこれを好捕。涼はハーキュリーズ打線を三者凡退に抑えていた。
「やった……」
 いずみとの直接対決がかなわなかったのは残念だが、開幕戦で出番を与えられ、結果を残したことは大きな自信につながった。
 だが結局、九回表のマートレッツの反撃はならず、スコア二対五でハーキュリーズに屈する事となった。
 試合後、お立ち台に登るいずみの姿を、宿舎への引き上げの準備をする涼はまぶしげに見上げるしかなかった。
「すげえ奴だな」
 ホームランを浴びた柳葉が、相変わらずどこまで本心か判りかねる空とぼけた口調で呟いた。
「そりゃそうですよ。私達の……じゃなかった、如月女子の四番だったんですから」
 つい高校当時の感覚でいずみのことを評してしまいそうになり、涼は少し慌てた。柳葉が気にする様子も見せなかったのが救いだった。
「また厄介な相手が増えちまったな。で、この後どうするんだ? 健闘をたたえ合うって寸法か?」
 そう、なに喰わぬ顔で訊ねてくる。
「……ううん。そうしたい気がなくはないんですけど。いずみさんはそういうのって好きじゃないし、シーズンが始まったばかりでわたしもまだそんな気になれない」
 球場を出たあとで会って話をする機会は無理すれば作れるだろうが、涼はそうしたい誘惑をぐっと押さえ込んだ。
 いつまでも高校時代の感覚を引きずっている訳にはいかない。いまのいずみは、頼れるチームメイトではない。いずれは対戦しなければならない紛れもない敵なのだ。

(2)


 マートレッツの不本意な敗戦が決まった時間、近畿ボルテックス対神戸ブルーウィングス戦も終盤にさしかかっていた。
 九回裏。ボルテックスの攻撃。ノーアウトでランナーが出た。代打で吉本ヒカルが打席に向かう。相手が右投手なのでヒカルは左打席に入る。
 結局、オープン戦の結果ではレギュラーこそ奪えていなかったが、ここぞというときに使いでのある存在であることは首脳陣にも印象づけていた。
 ブルーウィングスも、ヒカルが小技のきく選手であることを知り尽くしている。送りバントにプレッシャーをかける前進守備で迎え撃つ。
「ま、誰がみてもバントやと思うやろなぁ」
 うそぶきながら、ヒカルはバットを立てて構える。
 初球。低めの球がくる。ヒカルはバントの構えからバットをひいた。
 一塁ランナーも飛び出す格好だけみせるが、ブルーウィングスのキャッチャーは冷静に動きをみていた。二塁に慌てた送球をして傷口を広げるような真似はしない。
 それでも、ヒカルは二塁ベースにショートの水沢穂がカバーに入るのをしっかりと目にしている。
 送りバントに備え、一・二塁間を詰め気味の守備陣形を組んでいるから、これは当然の役割分担だろう。
 ならば、やや間のあいた二遊間を狙ってみたくなるところだが、ショートの水沢の球際の強さは半端ではない。絶対届かないはずの位置にさっとグラブを差し出して飛び込んでくる光景を目の当たりにしたのは一度や二度ではない。
 互いに手の内を知り尽くした聖良がセカンドの守備位置で、バントでも強打でも来るなら来い、とばかりに不敵な笑みを浮かべてヒカルを見据えている。
「いつものことながら、ブルーウィングスが相手やとどうもやりにくいわ」
 苦笑いを浮かべながらも、打席のヒカルは相手の守備陣形の隙を懸命に伺う。
 二球目、三球目はボール。バント巧者のヒカルを前に、ピッチャーも慎重になっているようだ。決勝のランナーとなるかも知れないだけに、簡単には送らせてはもらえない。
 四球目。
 一塁ランナーが走った。ヒカルは送りバントの構えからバットを引いて、コンパクトに振り抜いた。
 バスターエンドランだ。ランナーの動きに一瞬つられた守備陣の間に緊張した空気が流れる。
 だが。
「くそっ」
 一塁に向かって走り出したヒカルは、思わずののしり声をあげた。打球の当たりは悪くなかったが、大きくバウンドした打球はセカンドの聖良の頭上に飛んでいた。
「もらいっ」
 聖良は足腰のバネにものをいわせて高々と跳躍し、グラブを目一杯の伸ばして打球をつかみ取った。着地して両膝を沈み込ませて衝撃を吸収しながら、弾むようなバックトスで、二塁ベース上へ走り込んできた穂へと転送する。
 穂は足下に滑り込んできたランナーを軽々とジャンプしてかわし、空中で姿勢を微妙に調整しながらボールを一塁へと投じた。
 懸命に走るヒカルの足が一塁ベースを踏むより、送球がファーストのミットに収まるのが間一髪早かった。
「ええい、くそ」
 天を仰いだヒカルがうめき声をもらす。
 相変わらずの鉄壁ぶりが憎たらしい。結局この試合、ブルーウィングスが延長戦を制して勝利することになった。代打のチャンスを生かせなかったヒカルは、スタメンから一歩遠のいたことを感じていた。
「器用さが売りのウチが、こんなへまをしとったんでは話にならんわ」
 涼やいずみに、プロの先輩としての顔がたたない。二人の所属する両チームの対戦結果をまだ知らないヒカルは、そんな言葉を呟いていた。

(3)


 結局、パ・リーグの開幕三連戦で、三連勝したチームはなかった。ハーキュリーズ、ブルーウィングス、レオパルズが二勝、マートレッツ、ボルテックス、ファランクスが一勝である。
 この結果を受け、気の早い解説者は、さっそく混戦模様の予感をしたり顔で語っている。

 マートレッツは本拠地・千葉マリンスタジアムに戻って東日本ファランクスを迎えうつ事になる。
「ファランクスには、沢村さんがいる……」
 移動の新幹線の車中。窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めながら、涼は先輩格の女子選手の事を思う。
 左のワンポイントリリーフというポジションから、ウイニングショットを身につけてリリーフエースにまで上りつめた彼女の存在は涼にとっての励みであり、目標であった。
 ハーキュリーズ三連戦では、結局第一戦にしか登板機会は得られなかった。
 三者凡退に抑えた事は自信につながっているが、マートレッツには大野雅史というリリーフエースがいる。彼を押しのけて押さえの切り札として認知されるにはまだ時間がかかりそうだ。
 しばらくは中継ぎとして実績を積むしかない。そうすれば、いずれは先発との声がかかるかもしれない。
「えらくまた暗い顔をしてるじゃないか」
 空いた隣の席に、柳葉が断りもなく座ってきた。
「そんなことは、ないですけども……」
 いまいち歯切れが良くない口調で応じる。
「まあなんだ。半端な歳での入団で他の新人に同期がいるはずもないし、ウチの女子選手は一人だけだから、やりにくいってのはあるだろうな」
「……」
 涼は柳葉の指摘に対し、なにも言い返せずに黙り込んでしまう。
 彼の言うとおりだった。まだ涼は一軍の選手達の中に充分溶け込んでいるとは言えない状態だった。かろうじて捕手の深水とは会話があるが、これもサインの打ち合わせなど、試合において不可欠だから言葉を交わしているに過ぎない。
 思えば、気安く話しかけてくるのは柳葉ぐらいのものだ。涼は今更それに気づいた。
「あの、もしかして……」
「ん……、ユキにも頼まれてるんだ。『涼のことをよろしく』って」
「ホントに二人は、その、婚約してるんですか?」
「まぁな。ただなぁ、ユキの親父さん、こないだ死んじゃっただろ。ギャクタマ狙っていたのに残念だったなぁ、とは思ってる」
 ふざけた答えに、涼の眉が跳ね上がる。
「もう。こっちは真剣に聞いてるんですからね」
「悪い。けど、二人でそういう約束をしたのは間違いないぜ」
 真顔になった柳葉が、ユキとの「なれそめ」を説明する。
 出会ったのは小学生の頃。社長令嬢という立場ながら、市立の小学校に通っていたユキは、友達も少なく、いつもひとりぼっちだった。学校のグラウンドでクラスメイトと野球に明け暮れていた柳葉が、グラウンドの端で自分達を見ているユキに気づき、強引に仲間に誘ったのがきっかけだった。
 その後、柳葉が中学の野球部に入り、ユキが女子チームに籍を置くようになっても、柳葉がユキのコーチ役を努める関係に変化は無かった。柳葉が地元を遠く離れて東京の高校に進学するまでは。
「出来れば俺も地元の高校に入りたかった。けど、やっぱり弱いんだよ、ウチの地元は。俺は甲子園で優勝するところまで行くつもりだったから、越境入学を決めたんだ」
 だが、その為にユキを地元に置いていくことになる。人見知りが激しく、女子チームの中でもいまいち馴染めずにいるらしいと知っていただけに、当時の柳葉も不安を感じていた。
「それで、婚約なんて話を?」
「ああ。ガキっぽいっちゃそれまでだけどな。俺が迎えに行くまで待ってろ、てな」
 珍しく、柳葉が照れ笑いを浮かべた。涼もつられて口元がほころぶ。
「そんなことがあったんだ。ユキはそんな話、全然してくれなかった……」
「当たり前だぜ。俺だってこんな話、他人にするのは初めてだ」
「へぇ……」
「俺は涼に感謝してる。涼だけじゃなく、ユキのチームメイト全員にな。入部してきたとき、あいつちょっと変わってただろ?」
「う、うん……」
 一年の時のユキは、手製の人形を肌身はなさず持ち歩き、折に触れてその人形に語りかける不思議な少女だった。中学時代に所属していた女子チームでの陰湿ないじめと両親の無理解によって、心を閉ざしてしまったのが原因だった。
「涼達がユキの孤独を救ってくれたんだ。そのことをユキはすごく喜んでいた」
「……だから、わたしにも親切にしてくれるわけですか? 恩返しのつもりで?」
「平たく言うとそんなところかな。危なっかしくて見てられないってところもあるけどよ」
「もう……」
 頬を膨らませる涼を前に、柳葉はけらけらと笑った。
「そういうワケだから、涼もそう固くならずに他の選手と話をしてもいいと思うぜ。俺はユキで慣れているからいいけど、ウチのチームじゃ女子選手は初めてだから、みんな、どう接して良いかわかんないんだ」
「そっか。判りました。ありがとうございます」
 涼はぺこりと頭を下げた。知らず知らずのうちに萎縮して身構え、他の選手と距離をとってしまっていたのだ。同じチームメイト、なにを遠慮することがあるものか。柳葉の言葉に、涼は胸の支えがおりた気分だった。

(4)


 千葉マリンスタジアムでの初戦は、投手戦になった。
(沢村さんの球をみてみたい)
 ブルペンの涼は戦況を伺いながらそう思うが、マートレッツが負けている状態でなければ、リリーフである翔子の登板はまず無い。自分のチームの負けを願うような真似はしたくはないので、どうにも気持ちが落ち着かない。
 均衡が崩れたのは八回裏。マートレッツの指名打者・橘三四郎の一号ソロホームランがライトスタンドに飛び込んだ。
 これが決勝点となり、マートレッツは二勝目をあげた。

 続く二回戦。
 五回にマートレッツ先発の竹柴が崩れ、三点を奪われた。後続は絶ったもののマートレッツは得点を奪えず、九回表、三点差で沢村翔子の登板を許すこととなった。
 翔子は対レオパルズ戦の二回戦ですでに今季初登板し、初セーブを記録している。
 ウイニングショットであるサイドハンドからのシンカー「ストライクイーグル」に加え、今季からは同じサイドからのツーシームボール「スプラッシュイーグル」を駆使して打線を封じ込める。
(凄い……。マウンドの上でも堂々としていて、全然打てそうな気がしないよ……)
 目を凝らして沢村の投球を見つめる涼は、思わず感嘆のため息をもらしていた。
 マートレッツは敢えなく三者凡退に抑えられ、翔子の二セーブ目を許した。

 三回戦。
 この日はローテーションが一巡して柳葉が先発した。マリンスタジアム名物の強風を味方につけた柳葉は変化球の切れが抜群で、調子よくファランクス打線を打ち取っていく。
 マートレッツ打線もその好投に応えて猛攻をみせる。五回までに八点を奪ってほぼ試合を決めた。スコア八対三の場面で、涼は七回表の頭からマウンドにのぼった。
(勝敗はほぼ決まっていても、ここで打たれたら評価が下がる。気は絶対に抜けない。それに、万が一、柳葉さんの今シーズン初勝利をふいにしたら、あとで何を言われるか判ったもんじゃない)
 気が緩んだ結果、痛い目を何度も見てきているだけに、涼は自らの気持ちを懸命に引き締めていた。一戦一戦が一軍定着とさらにその上を目指すための勝負の場なのだ。
 先頭打者にこそ、甘く入ってしまったストレートを強打されて安打を喫して冷や汗をかいた。
 しかしその後は、イナヅマボールを立て続けに決めてなんとか無得点に抑えた。八回表からはマウンドを右投げの中継ぎである新田に譲った。
 自分の仕事を終え、試合の行方を見守るだけとなった涼だが、その表情は冴えない。
(試合は勝利目前。わたしだって、すこしはその勝利に貢献しているんだけど……)
 最初から一、二イニングに限定されるのであれば、イナヅマボールを前面にたてて押すピッチングは有効だった。
 しかし裏を返せば、イナヅマボール以外の決め球を涼は持っていない、とキャッチャーの深水が理解している事も意味していた。
 速球は最高で時速百四十五キロを記録した事もあるが、球威がそれほどない為に一発を喰らう危険がある。ストレートの威力だけで押せる訳でもない以上、なんらかの打開策を見いださなければこれ以上のステップアップは望めそうもない。
 長いイニングを任せてもらえないのは、スタミナ面もさることながら、投球の幅がプロとしてはまだまだ狭いという事なのだろう。
(翔子さんも新しい変化球を身につけてる。わたしも今の自分にプラスアルファを見つけなきゃ……)
 結局この日の試合に勝ってチームが勝率を五割に戻しても、いまいち素直に喜べずにいる涼だった。

 ――第六話に続く

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